婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!

山田 バルス

文字の大きさ
7 / 66

第7話 ローマン視点 クラリッサ=リドグレイとの未来

しおりを挟む
『ガラスの婚約』―ローマン視点―
 ――静寂だった。

 トリノに別れを告げたあの庭園を後にし、ローマンは王都の北にあるアルヴィス邸の書斎へ戻っていた。だが、書の一つも読めず、ただ椅子に沈み込む。

(これでよかった……はずだ)

 言い聞かせるように繰り返す。だが、胸の奥には針のような違和感が残っていた。優しさを偽るようにして放った言葉の一つひとつが、剣となって自分の内側を切り裂いていた。

 トリノがあの場で泣かなかったのが、逆に痛かった。

(彼女は、壊れていた)

 婚約という鎖に縋り、家族の冷たい視線にも耐え続けたその少女は――自分という支えを失って、どうなるのだろうか。

 だがもう、戻ることはできない。クラリッサが、彼の選んだ「未来」だった。

「……戻ったのね、ローマン」

 扉をノックもせず開けてきたのは、クラリッサ=リドグレイ。その姿は、完璧に整ったドレスに身を包み、黒曜石のように澄んだ瞳は一切の揺らぎを見せない。彼女が何者か――ローマンは最初から理解していた。

「言ってきたのね。……妹に」

 ローマンは黙って頷いた。その仕草一つで、クラリッサはすべてを察したようだった。ため息も、涙もない。ただ、書斎の机に手を添えて、淡々と。

「彼女は、泣いた?」

「いや……泣かなかった。ただ、黙っていたよ」

「……そう。きっと、彼女なりに受け止めようとしたのね」

 クラリッサの声に、感情はなかった。だが、ローマンは知っている。その言葉の裏に、鋭い自己防衛の鎧が隠されていることを。彼女は常に強く、冷静で、傷を見せない。それが、彼女が選んだ生き方だった。

 だからこそ、ローマンは惹かれた。

「……後悔はないよ。君と未来を築くための選択だ」

 その言葉に、クラリッサは微かに唇を歪めた。微笑にも、皮肉にもとれる、絶妙な表情。

「理性的な決断をした男は、いつか感情に足をすくわれる。そう母に教わったわ」

「それは、君がそうだったから?」

「ええ。だからわたしは、“理”で動く人間を選ぶの。トリノのように、“希望”で物語を編む人は、私にはまぶしすぎる」

 トリノの名前が出た瞬間、ローマンの胸に何かが刺さった。

 クラリッサは分かっている。妹の弱さも、愚かさも、そして――その強さも。

「君は……彼女を妬んでいたのか?」

「妬んでなんか、いないわ。ただ……不思議だった。あんなにも無力で、何も持たないあの子が、なぜあれほど“信じる”ことができたのか」

 クラリッサは椅子に腰掛け、ローマンを見据えた。その瞳は美しかったが、冷たい湖のようだった。深く、触れる者を拒む。

「わたしはね、ローマン。貴方となら“正しい結婚”ができると思ったの。王国の安定も、家の名誉も守れる。そして貴方も、そう考えたでしょう?」

「ああ」

「でも……トリノとの婚約を壊して、わたしと結ばれる。それはただの“論理”では済まないわ。わたしたちは、もう一つの物語を壊したの」

「……それは、彼女の幻想だった。現実を見てほしかったんだ」

 ローマンの声には、どこか自嘲が混じっていた。

 幻想。そう言い切った自分が、その幻想を守ろうとした瞬間もあった。弱いトリノが、必死に何かを信じていたあの姿を、心のどこかで「綺麗だ」と思ってしまった、その一瞬を。

(俺は、誰も救っていない)

 クラリッサの子を宿し、王家の後援も得て、未来は堅固に築かれていくはずだった。だが、心の中にぽっかりと空いた空洞は、何なのだろう。

「ローマン、わたしたちがこれから築くものは、冷静な判断の末に得られた“選択”よ。それを誇りに思うべきだわ」

「……誇り、か」

「もし貴方が――彼女に心を引かれていたのなら、それは今、終わりにして。彼女はもう、ただの過去よ。美しくも、脆く、戻らないもの」

 クラリッサの口調には決意があった。彼女なりに、自分の心を守っているのだ。

 ローマンは、立ち上がった。

 その瞳の奥には、何か決意のようなものが灯っていた。冷静に見えるクラリッサに寄り添うこと。それが、せめてもの“償い”だと信じて。

「わかった。俺は君と生きる」

 クラリッサは頷き、何も言わなかった。

 二人の間にあったのは、愛情ではなかったかもしれない。だがそこには、確かに“未来”があった。選び取った、誰かの犠牲の上に築かれた未来が。

 ――ガラスのように、脆く、美しい未来が。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

拝啓~私に婚約破棄を宣告した公爵様へ~

岡暁舟
恋愛
公爵様に宣言された婚約破棄……。あなたは正気ですか?そうですか。ならば、私も全力で行きましょう。全力で!!!

乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!

ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。 相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。 結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。 現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう… その時に前世の記憶を取り戻すのだった… 「悪役令嬢の兄の婚約者って…」 なんとも微妙なポジション。 しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。

やんちゃな公爵令嬢の駆け引き~不倫現場を目撃して~

岡暁舟
恋愛
 名門公爵家の出身トスカーナと婚約することになった令嬢のエリザベート・キンダリーは、ある日トスカーナの不倫現場を目撃してしまう。怒り狂ったキンダリーはトスカーナに復讐をする?

もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~

岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。 「これからは自由に生きます」 そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、 「勝手にしろ」 と突き放した。

全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。 さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。 “私さえいなくなれば、皆幸せになれる” そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。 一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。 そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは… 龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。 ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。 よろしくお願いいたします。 ※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。

さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。 ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。 「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」 ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。 ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。 「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」 凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。 なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。 「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」 こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】 23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも! そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。 お願いですから、私に構わないで下さい! ※ 他サイトでも投稿中

処理中です...