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第14話 トリノの継母アナスタシアの動揺 ラウルからの手紙
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―氷の扇と黒の手紙―
朝、いつものようにアナスタシアは優雅に紅茶を口に運んでいた。
真珠のネックレスに、薔薇模様の刺繍が入った淡紅のドレス。完璧に巻かれた金髪に、笑みは薄く、だが隙はなかった。
彼女はこの家の女主人だった。
ラウル=リドグレイ伯爵――夫は王都での政務のため長く不在だったが、それも彼女にとってはむしろ都合がよかった。
使用人たちは彼女の命令に従い、娘たち――ミレイアもクラリッサも、彼女に逆らうことはなかった。
そして、あの“灰かぶり”。
魔法も使えず、家の恥のように扱われていた“役立たず”のトリノ。
……いなくなってから、もう三日。
(どうせ、どこかでへたばって泣いているわ。明日か明後日には戻ってくる)
アナスタシアはそう高をくくっていた。
家を出たことすら、少し小言を言って許してやればいい。
ローマンとの婚約の話も、形だけのものであり、どうせローマンが正式に口にすることなどありはしない。
彼女はそう“考えていた”。
――だが、その油断に一石を投じたのは、一本の手紙だった。
「奥様、王都より、緊急の文でございます」
老執事が恭しく差し出した黒い封筒には、確かにラウルの紋章が押されていた。
アナスタシアは扇子で顔を仮に隠しながら、それを受け取る。
(ラウルから……? こんなに早く?)
その場で封を切る。中からは一枚の手紙。端正な筆致――夫の手だった。
アナスタシアへ。
急ぎ伝えるべきことがある。
王都にて、ローマン=アルヴィスより正式に婚約解消の申し出があった。
理由は、当家の三女・トリノとの意思の相違によるものとされている。
私はこの件を重く見ている。
以前の約束、そして家同士の面目、何より、トリノ本人の意志をこの目で確かめねばならない。
トリノと話をするため、近日中に帰邸する。
必要であれば、王都より調査役も同行させる。
トリノ本人と、そなたよりの詳細な報告を求む。
ラウル=リドグレイ伯爵
……読んだ瞬間、アナスタシアの指先から、封筒がぽたりと落ちた。
「……馬鹿な」
凍ったような声が、扇子の奥から漏れた。
「正式に、破棄を……?」
ローマンが、あの灰かぶりとの婚約を、本気で解消するつもりだったとは。
いや、それ以上に――ラウルが、わざわざ帰ってくるとまで言うとは。
(なぜ今になって……っ!)
机を軽く叩く。カップがかすかに揺れた。
頭の中で一気に警鐘が鳴る。
彼女はこの三日間、トリノの失踪を「ただの癇癪」として片付けていた。
戻ってきたら少し叱り、また雑巾がけでもさせておけばいい。
ローマンも、家名に傷をつけたくなければ表立った動きはしないはず。
そう――“思っていた”。
(……何かあった。裏で、動いた者がいる。誰? ローマン? クラリッサ? あるいは――)
思考が一瞬、次姉の名で止まった。
クラリッサ。あの氷の娘。
最近、あの子はトリノに対して過度に無関心を装っていた。
それもまた、何かを隠すような、不自然な沈黙だった。
「……まさか……」
アナスタシアは震える手で扇子をパチンと閉じた。
「クラリッサを呼びなさい」
冷ややかな命令に、召使たちは動く。
(間に合わせなければ――ラウルが戻る前に)
トリノを見つけなければならない。
そして、すべてを「無かったこと」にしなければ。
この家の体面も、誇りも、未来も。
“あの子”ひとりのせいで、ぐらつかせるわけにはいかない。
アナスタシアは立ち上がり、静かに歩き出した。
その背中には、いつもの優雅さの影に、焦燥の火が灯っていた。
(トリノ……あなたは、どこに行ったの……?)
朝、いつものようにアナスタシアは優雅に紅茶を口に運んでいた。
真珠のネックレスに、薔薇模様の刺繍が入った淡紅のドレス。完璧に巻かれた金髪に、笑みは薄く、だが隙はなかった。
彼女はこの家の女主人だった。
ラウル=リドグレイ伯爵――夫は王都での政務のため長く不在だったが、それも彼女にとってはむしろ都合がよかった。
使用人たちは彼女の命令に従い、娘たち――ミレイアもクラリッサも、彼女に逆らうことはなかった。
そして、あの“灰かぶり”。
魔法も使えず、家の恥のように扱われていた“役立たず”のトリノ。
……いなくなってから、もう三日。
(どうせ、どこかでへたばって泣いているわ。明日か明後日には戻ってくる)
アナスタシアはそう高をくくっていた。
家を出たことすら、少し小言を言って許してやればいい。
ローマンとの婚約の話も、形だけのものであり、どうせローマンが正式に口にすることなどありはしない。
彼女はそう“考えていた”。
――だが、その油断に一石を投じたのは、一本の手紙だった。
「奥様、王都より、緊急の文でございます」
老執事が恭しく差し出した黒い封筒には、確かにラウルの紋章が押されていた。
アナスタシアは扇子で顔を仮に隠しながら、それを受け取る。
(ラウルから……? こんなに早く?)
その場で封を切る。中からは一枚の手紙。端正な筆致――夫の手だった。
アナスタシアへ。
急ぎ伝えるべきことがある。
王都にて、ローマン=アルヴィスより正式に婚約解消の申し出があった。
理由は、当家の三女・トリノとの意思の相違によるものとされている。
私はこの件を重く見ている。
以前の約束、そして家同士の面目、何より、トリノ本人の意志をこの目で確かめねばならない。
トリノと話をするため、近日中に帰邸する。
必要であれば、王都より調査役も同行させる。
トリノ本人と、そなたよりの詳細な報告を求む。
ラウル=リドグレイ伯爵
……読んだ瞬間、アナスタシアの指先から、封筒がぽたりと落ちた。
「……馬鹿な」
凍ったような声が、扇子の奥から漏れた。
「正式に、破棄を……?」
ローマンが、あの灰かぶりとの婚約を、本気で解消するつもりだったとは。
いや、それ以上に――ラウルが、わざわざ帰ってくるとまで言うとは。
(なぜ今になって……っ!)
机を軽く叩く。カップがかすかに揺れた。
頭の中で一気に警鐘が鳴る。
彼女はこの三日間、トリノの失踪を「ただの癇癪」として片付けていた。
戻ってきたら少し叱り、また雑巾がけでもさせておけばいい。
ローマンも、家名に傷をつけたくなければ表立った動きはしないはず。
そう――“思っていた”。
(……何かあった。裏で、動いた者がいる。誰? ローマン? クラリッサ? あるいは――)
思考が一瞬、次姉の名で止まった。
クラリッサ。あの氷の娘。
最近、あの子はトリノに対して過度に無関心を装っていた。
それもまた、何かを隠すような、不自然な沈黙だった。
「……まさか……」
アナスタシアは震える手で扇子をパチンと閉じた。
「クラリッサを呼びなさい」
冷ややかな命令に、召使たちは動く。
(間に合わせなければ――ラウルが戻る前に)
トリノを見つけなければならない。
そして、すべてを「無かったこと」にしなければ。
この家の体面も、誇りも、未来も。
“あの子”ひとりのせいで、ぐらつかせるわけにはいかない。
アナスタシアは立ち上がり、静かに歩き出した。
その背中には、いつもの優雅さの影に、焦燥の火が灯っていた。
(トリノ……あなたは、どこに行ったの……?)
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