49 / 66
前世1話 プロポーズを待つ午後
しおりを挟む
『29歳のブルースカイ ―プロポーズを待つ午後』
それは、少し特別な朝だった。
目が覚めた瞬間、薄いカーテンの向こうから、やわらかな光が差し込んでいた。
梅雨の中休み。湿気もなく、気温もちょうどよくて、思わずカーテンを開けた。
「……晴れてる」
ベランダの手すりに止まった小さなスズメが、一声だけ鳴いて飛び去る。
それを見送りながら、真嶋さつきは、長く息を吐いた。
「29歳、か……」
壁に掛けた小さなカレンダーの、今日の日付にはピンクのハートのシールが貼ってあった。
“6月17日 バースデー♡”――自分で貼ったものだった。
(もうアラサーって言われるのも慣れたけど……来年には、三十路かぁ)
年齢が増えることに、怖さはない。ただ、どうしても思ってしまう。
――このままで、いいのかな。
――来年も、同じように、ひとりでケーキを食べてるのかな。
だけど、今年は違う。
圭太が、「今日、ちゃんとした話をしたい」って言ってくれた。
自宅に来るのは、久しぶりだ。
仕事が忙しくて、なかなか時間が合わなかったけど、今日だけは予定を空けるって、数日前から言っていた。
(もしかして……いや、でも、あの人、そういうの照れて黙っちゃうタイプだし……)
そわそわしながらも、どうしても胸が高鳴ってしまう。
だって、三年付き合ってる。お互いの実家にも挨拶したことがある。
それに、誕生日に「ちゃんとした話」――それって、やっぱり……。
(プロポーズ、だったらいいな……)
思わず頬を両手で押さえる。体温が上がるのが自分でもわかる。
真嶋さつき、29歳。商社の営業部で働く、普通のOL。
でも今日は、「女性」としての夢が、一歩だけ近づくような気がしていた。
***
部屋の掃除は、朝から徹底的にやった。
ベッドメイキング、フローリングの雑巾がけ、トイレとお風呂もピカピカ。
洗濯物はベランダに干し直し、エアコンのフィルターまで確認した。
「完璧……!」
いつもなら、休日はノーメイクのままゴロゴロしてしまうけど、今日は違う。
午前中からシャワーを浴びて、丁寧にスキンケアをして、髪を整えた。
服は、白いレースのブラウスと、淡いベージュのロングスカート。
派手じゃないけど、清楚で、女性らしい服。圭太が好きそうな雰囲気。
鏡の前で自分を見つめながら、思わず小さく呟く。
「これで、どうかな……?」
返事はない。でも、胸の奥で小さな声がささやく。
――大丈夫。今日は、特別な日になる。
***
午後になって、駅前のデパ地下へ買い物に出た。
彼が甘い物が苦手なことは知っていたけれど、小さな苺のケーキだけは用意した。
誕生日なんだから、と自分に言い聞かせて。
ワインは軽めの白。少し奮発した。
「二人で乾杯したいな……」
レジを済ませて、エコバッグを抱えて外に出ると、空はさらに青くなっていた。
こんなに澄んだ空は久しぶりだった。
(青空って……幸せの予兆って、どこかで聞いたことあるな)
歩道の端、花屋の前で立ち止まる。
小さなブーケが並ぶ中、淡い青のデルフィニウムが目に入った。
「……あ」
そういえば、圭太と初めて出かけたとき、花屋の前で「この色、好き」って何気なく言ったことがあった。
あれ、覚えててくれてたら嬉しいな――そう思って、小さな希望が心に灯る。
買わなかったけれど、視線はしばらく、その花に釘づけだった。
***
部屋に戻ると、午後5時を過ぎていた。
冷蔵庫にケーキと惣菜を詰めて、テーブルにレースのクロスを敷く。
ワイングラスを二つ並べ、食器も一式揃えた。
(大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせるように、何度も時計を見る。
約束は「7時に行く」と言っていた。
(……もしかして、サプライズとかあるのかな?)
指輪を取り出して、跪いて……なんてベタな展開を想像して、ひとりで笑ってしまう。
(でも、圭太なら、やらないか。あの人、照れ屋だもん)
それでも、どこかで期待してしまうのは――きっと、自分が「幸せになりたい」と心から願っているから。
「だって、わたし、頑張ってきたもん」
満員電車に揺られて、理不尽なクライアントに頭を下げて、
帰宅しても家事して、寝るのはいつも夜中。
そんな日々でも、笑っていられたのは――あの人がいたから。
「圭太が、いてくれたから」
口に出すと、少しだけ涙が出そうになった。
***
午後6時半。
カレンダーの“ハート”が、やけにまぶしく見えた。
(あと30分……)
ドキドキが止まらない。
冷蔵庫の前で、何度もワインのラベルを見たり、ケーキを確認したりする。
エアコンの風量を調整して、BGMにジャズを流してみるけど、落ち着かない。
鏡で髪を整え、唇にグロスを重ねる。
「今日の私は、最高に綺麗でいなきゃ」――そんな一心で。
(だって……もし、あの人が「結婚しよう」って言ってくれたら)
そう考えるだけで、涙がこぼれそうになるほど、胸がいっぱいになる。
時計の針が、もうすぐ7を指す。
彼が来る。
あの人が――わたしの運命を変えに来る。
……そう信じていた。
――そして、インターホンが鳴るのは、数分後のことだった。
それは、少し特別な朝だった。
目が覚めた瞬間、薄いカーテンの向こうから、やわらかな光が差し込んでいた。
梅雨の中休み。湿気もなく、気温もちょうどよくて、思わずカーテンを開けた。
「……晴れてる」
ベランダの手すりに止まった小さなスズメが、一声だけ鳴いて飛び去る。
それを見送りながら、真嶋さつきは、長く息を吐いた。
「29歳、か……」
壁に掛けた小さなカレンダーの、今日の日付にはピンクのハートのシールが貼ってあった。
“6月17日 バースデー♡”――自分で貼ったものだった。
(もうアラサーって言われるのも慣れたけど……来年には、三十路かぁ)
年齢が増えることに、怖さはない。ただ、どうしても思ってしまう。
――このままで、いいのかな。
――来年も、同じように、ひとりでケーキを食べてるのかな。
だけど、今年は違う。
圭太が、「今日、ちゃんとした話をしたい」って言ってくれた。
自宅に来るのは、久しぶりだ。
仕事が忙しくて、なかなか時間が合わなかったけど、今日だけは予定を空けるって、数日前から言っていた。
(もしかして……いや、でも、あの人、そういうの照れて黙っちゃうタイプだし……)
そわそわしながらも、どうしても胸が高鳴ってしまう。
だって、三年付き合ってる。お互いの実家にも挨拶したことがある。
それに、誕生日に「ちゃんとした話」――それって、やっぱり……。
(プロポーズ、だったらいいな……)
思わず頬を両手で押さえる。体温が上がるのが自分でもわかる。
真嶋さつき、29歳。商社の営業部で働く、普通のOL。
でも今日は、「女性」としての夢が、一歩だけ近づくような気がしていた。
***
部屋の掃除は、朝から徹底的にやった。
ベッドメイキング、フローリングの雑巾がけ、トイレとお風呂もピカピカ。
洗濯物はベランダに干し直し、エアコンのフィルターまで確認した。
「完璧……!」
いつもなら、休日はノーメイクのままゴロゴロしてしまうけど、今日は違う。
午前中からシャワーを浴びて、丁寧にスキンケアをして、髪を整えた。
服は、白いレースのブラウスと、淡いベージュのロングスカート。
派手じゃないけど、清楚で、女性らしい服。圭太が好きそうな雰囲気。
鏡の前で自分を見つめながら、思わず小さく呟く。
「これで、どうかな……?」
返事はない。でも、胸の奥で小さな声がささやく。
――大丈夫。今日は、特別な日になる。
***
午後になって、駅前のデパ地下へ買い物に出た。
彼が甘い物が苦手なことは知っていたけれど、小さな苺のケーキだけは用意した。
誕生日なんだから、と自分に言い聞かせて。
ワインは軽めの白。少し奮発した。
「二人で乾杯したいな……」
レジを済ませて、エコバッグを抱えて外に出ると、空はさらに青くなっていた。
こんなに澄んだ空は久しぶりだった。
(青空って……幸せの予兆って、どこかで聞いたことあるな)
歩道の端、花屋の前で立ち止まる。
小さなブーケが並ぶ中、淡い青のデルフィニウムが目に入った。
「……あ」
そういえば、圭太と初めて出かけたとき、花屋の前で「この色、好き」って何気なく言ったことがあった。
あれ、覚えててくれてたら嬉しいな――そう思って、小さな希望が心に灯る。
買わなかったけれど、視線はしばらく、その花に釘づけだった。
***
部屋に戻ると、午後5時を過ぎていた。
冷蔵庫にケーキと惣菜を詰めて、テーブルにレースのクロスを敷く。
ワイングラスを二つ並べ、食器も一式揃えた。
(大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせるように、何度も時計を見る。
約束は「7時に行く」と言っていた。
(……もしかして、サプライズとかあるのかな?)
指輪を取り出して、跪いて……なんてベタな展開を想像して、ひとりで笑ってしまう。
(でも、圭太なら、やらないか。あの人、照れ屋だもん)
それでも、どこかで期待してしまうのは――きっと、自分が「幸せになりたい」と心から願っているから。
「だって、わたし、頑張ってきたもん」
満員電車に揺られて、理不尽なクライアントに頭を下げて、
帰宅しても家事して、寝るのはいつも夜中。
そんな日々でも、笑っていられたのは――あの人がいたから。
「圭太が、いてくれたから」
口に出すと、少しだけ涙が出そうになった。
***
午後6時半。
カレンダーの“ハート”が、やけにまぶしく見えた。
(あと30分……)
ドキドキが止まらない。
冷蔵庫の前で、何度もワインのラベルを見たり、ケーキを確認したりする。
エアコンの風量を調整して、BGMにジャズを流してみるけど、落ち着かない。
鏡で髪を整え、唇にグロスを重ねる。
「今日の私は、最高に綺麗でいなきゃ」――そんな一心で。
(だって……もし、あの人が「結婚しよう」って言ってくれたら)
そう考えるだけで、涙がこぼれそうになるほど、胸がいっぱいになる。
時計の針が、もうすぐ7を指す。
彼が来る。
あの人が――わたしの運命を変えに来る。
……そう信じていた。
――そして、インターホンが鳴るのは、数分後のことだった。
56
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
やんちゃな公爵令嬢の駆け引き~不倫現場を目撃して~
岡暁舟
恋愛
名門公爵家の出身トスカーナと婚約することになった令嬢のエリザベート・キンダリーは、ある日トスカーナの不倫現場を目撃してしまう。怒り狂ったキンダリーはトスカーナに復讐をする?
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。
さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。
“私さえいなくなれば、皆幸せになれる”
そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。
一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。
そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは…
龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。
ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。
よろしくお願いいたします。
※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる