婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!

山田 バルス

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前世4話 また、あの部屋で

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『また、あの部屋で』
あれから――もう、三ヶ月が経っていた。

さつきは今、企画部に所属している。

慣れない部署でのスタートは正直、怖かった。
営業時代とは勝手も違い、資料作りやプレゼン、数字の読み取りなど、ゼロから学び直しの毎日だった。

でも、上司の佐伯課長は、そんな彼女を真っ直ぐに見てくれた。

「焦らなくていい。君は勘がいいから、必ず伸びるよ」

そんな言葉を、最初の週にかけてくれたことが、どれほど支えになっただろう。

同僚たちも温かかった。
お昼に誘ってくれたり、ミスして落ち込んだときには、コーヒーを差し出してくれたり。

(ああ、ここには“人間”がいるんだな)

そんなふうに思った。

心が癒えるには、時間がかかった。
ふとした拍子に、夜ひとりで泣いてしまうこともあったけれど――

少なくとも、少しずつでも“回復している”実感はあった。
新しい業務に前向きに取り組み、週末には好きなカフェを開拓する余裕もできてきた。

それは、確かに「新しい生活」だった。

ところが――

そんな穏やかな日常に、不意に突き刺さるようなものが届いた。

真っ白な封筒。美しい金箔の装飾。
差出人の名前を見た瞬間、手が震えた。

『三嶋圭太・高田あまね 結婚式のご案内』

その文字を、何度も読み返す。
信じたくなくて、何度も目をこする。

けれど、何度読んでも変わらなかった。
それは、圭太と“あの新人”からの、正式な結婚式の招待状だった。

(……嘘でしょ)

あの夜を思い出す。
「彼女が妊娠したから責任を取る」と言われたあの日。
「同じ部署だと気まずいから異動して」と告げられた屈辱。
なのに今度は、結婚式に出ろ、だなんて。

呼吸が苦しくなる。

(わたしに……どこまで傷をえぐらせるつもりなの……?)

その日の夜、さつきは思い切って圭太に連絡を取った。
LINEではなく、電話だった。文字では、どうしても伝えられなかった。

数コールで、彼は出た。

「あ、さつき? どうしたの、久しぶり」

まるで旧友にでも再会したような、軽い声。

「……圭太、あの招待状……何?」

「ああ、届いた? よかった。最近住所録整理してたからさー。部署違っても、もとは同じチームだったし、普通に来てくれると思ってたよ」

普通に、来てくれる?

その一言で、全身の血が逆流するような感覚がした。

「……わたし、まだ祝えるような気持ちじゃないよ。そんなこと、分かってるでしょ?」

「でもさ、社内の人間関係もあるし。今後のこともあるし、出てくれたほうが、お互い気まずくならなくて済むと思ったんだよね」

お互い。気まずくならないため。

その言葉に、ふっと心が冷めた。

(……わたしは、あなたの“人間関係”を整える道具なの?)

涙がにじむ。
悔しさ、哀しさ、やるせなさ――あらゆる感情が胸をぎゅうっと締めつけた。

何も言い返せないまま、通話を切った。
涙が止まらなかった。

「なんで……」

それしか言えなかった。

(なんで、わたしだけ……)

どれだけ傷ついても、あなたは幸せになって、わたしは立ち直ることすら許されないの?

その夜、気づけばまた、あの場所にいた。



受付で手続きを済ませ、いつものようにひとりカラオケの部屋に入る。

この数ヶ月、何度か来た場所。
静かで、誰にも邪魔されず、思いきり泣ける場所。

でも今日は――
泣く前に、まず歌を入れた。

選んだのは、懐かしいバラード。
学生時代、失恋したときに救われた、切なくてやさしい一曲。

イントロが流れ出す。
マイクを握った瞬間、涙が頬を伝った。

「……ああ、まただ……」

歌っているのに、泣いてしまう。
楽しい気持ちなんてひとつもないのに、声だけは必死にメロディをなぞっていた。

2曲、3曲、泣きながら歌い続けた。
それでも、すべてを出し切ることはできなかった。

途中で、ふと思い出した言葉があった。

「さつきさんなら、絶対また立て直せますよ。だって、自分で未来を切り開ける人だから」

それは、新しい部署で親しくなった後輩が言ってくれた言葉だった。

(……未来を、切り開ける? わたしが……?)

思わず、マイクを見つめる。
手のひらに残る、歌い続けた熱。

(そうだ、歌って、泣いて、ここまで来たんだ。わたし、壊れなかった)

再びマイクを握りしめる。
次に選んだのは、強くなりたいと願ったときにだけ歌っていた、自分の“応援歌”。

サビの高音が苦しかった。でも、心は少しだけ軽くなっていた。

“泣いても、崩れても、立ち上がる”

それが、今の自分にできる唯一のことだった。

外の世界は変わらない。
圭太も、あまねも、好き勝手に生きていく。
理不尽はきっと、これからもある。

でも、心だけは――折れたままではいられない。

自分の足で、もう一度立たなくては。

マイクを静かにテーブルに置き、さつきは深く息を吐いた。

「……さ、帰ろう」

もう、泣くだけ泣いた。

次は、自分の人生を取り戻す番だ。
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