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前世5話 悲しみは、手放せたら勝ちだよ
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『終わりの式』
式場に足を踏み入れた瞬間、空気が違った。
高級ホテルのバンケットホール。磨き上げられた大理石の床に、天井からは豪華なシャンデリア。白い花がふんだんに飾られ、会場は柔らかな照明で包まれていた。
(……場違いなところに来ちゃったかも)
思わず、スカートの裾を握りしめる。
黒ではなく淡いネイビーのドレスを選んだ。地味すぎず、派手すぎず、無難なもの。けれど、周囲の華やかな笑顔や祝福ムードに触れた途端、自分だけが“違う空気”を纏っているように感じた。
受付で名を告げると、にこやかなスタッフが席へ案内してくれた。
そこには、佐伯課長の姿もあった。
「あ、真嶋さん。来たんだね」
課長は、柔らかな笑みを浮かべて隣の席を引いてくれた。
その自然な気遣いに、肩の力がふっと抜ける。
「はい……なんというか、ケジメ、ですかね」
苦笑いする自分に、課長は「えらいよ」と、ぽつりと呟いた。
やがて、式が始まった。
司会者の声が響き、ゆったりとしたクラシックが流れる。
ドアが開き、純白のウェディングドレスを着た花嫁が現れた。
(あ……)
一瞬、息が止まった。
花嫁――高田あまねは、柔らかく微笑みながらも、明らかに少しお腹がふくらんでいた。
マーメイドラインのドレスの腹部が、うっすらと丸みを描いている。
その隣で、タキシード姿の圭太が、彼女を支えるように寄り添っていた。
スポットライトを浴びたふたりは、幸せそうだった。
その“形”だけを見れば、何も知らない誰かには、心から祝福されるような、美しい結婚式だった。
けれど、さつきの胸には、ざわめきは起きなかった。
怒りも、悲しみも、こみ上げてはこなかった。
(……どうでもいいな)
本当に、ふっと、そんな思いが湧いた。
彼らの笑顔が嘘くさく見えたわけでも、演技に見えたわけでもない。ただ――
(わたしの心から、もう“関心”が抜け落ちたんだ)
一周まわった感情。
悲しみも、怒りも、何度も何度も自分を切り刻んだ感情たちは、とうに使い果たされてしまったのかもしれない。
まるで、感情が冷凍保存されていたみたいに、心が静かだった。
(……こんなもんか)
泣くかもしれない、取り乱すかもしれない――
そう思っていた自分が、拍子抜けするくらい平静でいられることに驚いた。
圭太のスピーチが始まる。
「……つらいときも、嬉しいときも、彼女がそばにいてくれたおかげで、ぼくは前を向けました」
その言葉に、笑い声が起きる。
(その“つらいとき”って、わたしと別れた後のことだよね)
皮肉も怒りも、込み上げなかった。
かわりに思ったのは、ただひとつ。
(……見る目がなかったな)
それだけだった。
***
式が終わり、控室から戻ってくると、佐伯課長がすぐに声をかけてきた。
「大丈夫だった?」
そのひとことが、ずしんと胸に響く。
さつきは、ゆっくりとうなずいた。
「はい……なんだか、もう“どうでもよくなった”みたいです。全部。圭太も、彼女も。今さら、悲しいって思う気力すらないです」
課長は少し驚いたように眉を上げた後、ふっと笑った。
「それは……一番いい状態かもしれないね。悲しみは、手放せたら勝ちだよ」
「……そうかもしれません」
ぽつりとこぼれる言葉。
自分でも、そう思えた。
過去は過去。
もう、終わったことなのだ。
どれだけ嘆いたところで、戻らないし、変わらない。
だったら、もう――未来の自分に、時間を使いたい。
***
帰り道。
駅前のビルを見上げて、さつきはふと足を止めた。
「……行こうかな」
ビルの5階にある、あの“ひとりカラオケ”店。
ずっと自分を癒してくれていた場所。
受付で会員証を出すと、顔を覚えていたスタッフがにっこり笑った。
「今日は何時間にされますか?」
「……2時間でお願いします」
部屋に入ると、慣れた手つきでリモコンを操作し、最初に選んだのは、アップテンポの応援ソング。
かつての自分なら、選ばなかったような明るい曲。
――♪ 失ってもまた始まる
涙が教えてくれたんだ
明日はまだ、終わってないって――
画面の歌詞が、やけに沁みる。
マイクを握りしめて、目を閉じる。
気づけば、声が震えていた。
涙はもう流れなかった。
でも、心の奥が少しずつ、温かくなっていくような感覚があった。
(わたし、これからもっと自分を大事にする)
誰かに認められなくてもいい。
誰かの妻にならなくても、母にならなくても。
自分が、自分の味方でいたい。
佐伯課長の優しさに救われたように。
あの後輩のひと言に励まされたように。
わたしも、自分を守れるようになりたい。
そんな想いが、静かに心に芽生えていた。
1曲終わるごとに、少しずつ、心のくもりが晴れていく。
マイクを置いたときには、さつきはもう笑っていた。
「……さ、帰ろう」
もう、“あの人たち”のいる過去には戻らない。
明日は、わたしの未来だ。
式場に足を踏み入れた瞬間、空気が違った。
高級ホテルのバンケットホール。磨き上げられた大理石の床に、天井からは豪華なシャンデリア。白い花がふんだんに飾られ、会場は柔らかな照明で包まれていた。
(……場違いなところに来ちゃったかも)
思わず、スカートの裾を握りしめる。
黒ではなく淡いネイビーのドレスを選んだ。地味すぎず、派手すぎず、無難なもの。けれど、周囲の華やかな笑顔や祝福ムードに触れた途端、自分だけが“違う空気”を纏っているように感じた。
受付で名を告げると、にこやかなスタッフが席へ案内してくれた。
そこには、佐伯課長の姿もあった。
「あ、真嶋さん。来たんだね」
課長は、柔らかな笑みを浮かべて隣の席を引いてくれた。
その自然な気遣いに、肩の力がふっと抜ける。
「はい……なんというか、ケジメ、ですかね」
苦笑いする自分に、課長は「えらいよ」と、ぽつりと呟いた。
やがて、式が始まった。
司会者の声が響き、ゆったりとしたクラシックが流れる。
ドアが開き、純白のウェディングドレスを着た花嫁が現れた。
(あ……)
一瞬、息が止まった。
花嫁――高田あまねは、柔らかく微笑みながらも、明らかに少しお腹がふくらんでいた。
マーメイドラインのドレスの腹部が、うっすらと丸みを描いている。
その隣で、タキシード姿の圭太が、彼女を支えるように寄り添っていた。
スポットライトを浴びたふたりは、幸せそうだった。
その“形”だけを見れば、何も知らない誰かには、心から祝福されるような、美しい結婚式だった。
けれど、さつきの胸には、ざわめきは起きなかった。
怒りも、悲しみも、こみ上げてはこなかった。
(……どうでもいいな)
本当に、ふっと、そんな思いが湧いた。
彼らの笑顔が嘘くさく見えたわけでも、演技に見えたわけでもない。ただ――
(わたしの心から、もう“関心”が抜け落ちたんだ)
一周まわった感情。
悲しみも、怒りも、何度も何度も自分を切り刻んだ感情たちは、とうに使い果たされてしまったのかもしれない。
まるで、感情が冷凍保存されていたみたいに、心が静かだった。
(……こんなもんか)
泣くかもしれない、取り乱すかもしれない――
そう思っていた自分が、拍子抜けするくらい平静でいられることに驚いた。
圭太のスピーチが始まる。
「……つらいときも、嬉しいときも、彼女がそばにいてくれたおかげで、ぼくは前を向けました」
その言葉に、笑い声が起きる。
(その“つらいとき”って、わたしと別れた後のことだよね)
皮肉も怒りも、込み上げなかった。
かわりに思ったのは、ただひとつ。
(……見る目がなかったな)
それだけだった。
***
式が終わり、控室から戻ってくると、佐伯課長がすぐに声をかけてきた。
「大丈夫だった?」
そのひとことが、ずしんと胸に響く。
さつきは、ゆっくりとうなずいた。
「はい……なんだか、もう“どうでもよくなった”みたいです。全部。圭太も、彼女も。今さら、悲しいって思う気力すらないです」
課長は少し驚いたように眉を上げた後、ふっと笑った。
「それは……一番いい状態かもしれないね。悲しみは、手放せたら勝ちだよ」
「……そうかもしれません」
ぽつりとこぼれる言葉。
自分でも、そう思えた。
過去は過去。
もう、終わったことなのだ。
どれだけ嘆いたところで、戻らないし、変わらない。
だったら、もう――未来の自分に、時間を使いたい。
***
帰り道。
駅前のビルを見上げて、さつきはふと足を止めた。
「……行こうかな」
ビルの5階にある、あの“ひとりカラオケ”店。
ずっと自分を癒してくれていた場所。
受付で会員証を出すと、顔を覚えていたスタッフがにっこり笑った。
「今日は何時間にされますか?」
「……2時間でお願いします」
部屋に入ると、慣れた手つきでリモコンを操作し、最初に選んだのは、アップテンポの応援ソング。
かつての自分なら、選ばなかったような明るい曲。
――♪ 失ってもまた始まる
涙が教えてくれたんだ
明日はまだ、終わってないって――
画面の歌詞が、やけに沁みる。
マイクを握りしめて、目を閉じる。
気づけば、声が震えていた。
涙はもう流れなかった。
でも、心の奥が少しずつ、温かくなっていくような感覚があった。
(わたし、これからもっと自分を大事にする)
誰かに認められなくてもいい。
誰かの妻にならなくても、母にならなくても。
自分が、自分の味方でいたい。
佐伯課長の優しさに救われたように。
あの後輩のひと言に励まされたように。
わたしも、自分を守れるようになりたい。
そんな想いが、静かに心に芽生えていた。
1曲終わるごとに、少しずつ、心のくもりが晴れていく。
マイクを置いたときには、さつきはもう笑っていた。
「……さ、帰ろう」
もう、“あの人たち”のいる過去には戻らない。
明日は、わたしの未来だ。
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