64 / 66
第56話 リノ、幸せになる
しおりを挟む
――レオニスは、すべてを思い出していた。
氷の棺の中で静かに眠るリノの姿を見つめながら、心の奥底に閉じ込められていた記憶が、音もなくあふれ出していく。
リノ――かつての名は、真嶋さつき。
そして、自分は……佐伯昇平だった。
大手商社の営業課長。部下だったさつきを人知れず気にかけ、いつしかその聡明さと真っ直ぐな心に惹かれていた。
前世の彼女は、優しく、そして誰よりも真剣に生きていた。
彼女の努力を、夢を、歌を、愛を……すべてを、守ることができなかった。
守れなかったのだ。
「すまない……さつき……いや、リノ……」
レオニスの頬を伝う涙が、氷に落ちてはじける。
凍てついた水面の上に眠る彼女に、ゆっくりと近づき、膝をついた。
「また……君を、守れなかった……
震える指先で氷に触れた瞬間――
パァンッ!
鋭い音とともに、氷の棺に細かな亀裂が走る。
瞬く間にそのひび割れは全体に広がり、光の粒となって霧散していった。
リノの身体が、まるで天から授かったかのように柔らかな光に包まれて、そこに現れた。
眠っているだけの、優しい寝顔だった。
レオニスはそっと彼女に顔を近づけ、ためらいがちに唇に口づけた。
――何も起きない。
神の奇跡など、都合よく起きるものではなかった。
その現実に打ちのめされながらも、レオニスはそれでも彼女を両腕に抱き上げる。
「君のいない人生なんて……僕にはもう、耐えられないんだ」
そのまま、彼は城の階段を駆け上がる。
最上階、屋上――リノが飛び降りたあの場所へ。
降りしきる雨の中、彼女を胸に抱きながら、縁へと歩み出た。
「来世で、今度こそ……一緒に生まれ変わろう」
そう告げて、彼は足を踏み出した――
その瞬間だった。
空が、晴れた。
雷鳴が止み、雨粒が消え、重く垂れ込めていた黒雲が裂ける。
まばゆい光が天より降り注ぎ、リノの身体を包み込む。
温かな風が城に吹き抜け、まるで命の息吹が世界に戻ってきたかのようだった。
「――ありがとう、レオニス」
その声は、彼の頭の中に直接響いた。
女神の声だった。
「あなたなら、リノを任せられますね」
その言葉と同時に、リノの指がぴくりと動いた。
まぶたがゆっくりと持ち上がり、優しい茶色の瞳が、彼を映す。
「う……ん……」
彼女が、目を開けたのだ。
レオニスの手が震えた。
「リノ……!」
彼女は、彼を見つめると、柔らかく微笑んだ。
「……おかえり」
レオニスの喉が詰まる。
「……遅くなったね、さつき……あ、リノ……」
その言葉に、リノの目が大きく見開かれる。
「え……まさか……あなた……」
「……ああ。佐伯だ」
レオニス――佐伯昇平は、優しく頷いた。
「前世から、ずっと……君を待たせてしまったね」
リノの目から、涙が溢れる。
「嘘……こんな奇跡、あるはずないのに……」
「でも、君が生きていてくれた。戻ってきてくれた。それだけで、すべてが報われたよ」
二人は、ゆっくりと唇を重ねた。
前世を越えた約束が、ようやく果たされた瞬間だった。
抱きしめ合う二人の周囲を、光の粒子が舞い、世界が祝福するように、すべてが静かに輝いていた。
やがて、その奇跡を見届けた者が一人、屋上へと姿を現した。
神殿の神官長――白い法衣をびしょ濡れにしながらも、その顔には安堵の色が滲んでいた。
「……女神様が、あなた方を選ばれた理由が……ようやく、理解できました」
神官長は、レオニスとリノの前にひざまずいた。
「リノ様、どうかこの国の新たな女王になっていただけませんか。神罰により王家は断絶しました。今こそ、この国には……新しい希望が必要なのです」
リノは戸惑い、レオニスの顔を見上げた。
「私が……女王に?」
「リノ……君がこの国を導く力を持ってる。僕は信じてるよ」
リノは小さく微笑んだ。
「じゃあ、レオニスが王様になってくれるなら……私、考えてもいいかも」
その言葉に、レオニスは柔らかく頷いた。
「当然だよ。君となら、どんな未来でも共に歩んでいける」
そして、その場で簡素ながらも神聖な儀式が行われた。
神殿から呼ばれた神官たちが整列し、女神の祝福を受けた白の花冠が二人の頭に捧げられる。
「神の御前において、二人の魂がひとつとなることを、ここに誓います」
花の香り、風のささやき、祝福の光に包まれて、レオニスとリノは指を絡め、誓いのキスを交わした。
その時、空に再び女神の声が響いた。
「ようやく、あなたたちが一つになれましたね。どうか、この世界を――歌と愛で満たしてください
空は澄みわたり、青く高く――新たな時代の幕開けを、祝福するかのようだった。
【完】閑話に続く
氷の棺の中で静かに眠るリノの姿を見つめながら、心の奥底に閉じ込められていた記憶が、音もなくあふれ出していく。
リノ――かつての名は、真嶋さつき。
そして、自分は……佐伯昇平だった。
大手商社の営業課長。部下だったさつきを人知れず気にかけ、いつしかその聡明さと真っ直ぐな心に惹かれていた。
前世の彼女は、優しく、そして誰よりも真剣に生きていた。
彼女の努力を、夢を、歌を、愛を……すべてを、守ることができなかった。
守れなかったのだ。
「すまない……さつき……いや、リノ……」
レオニスの頬を伝う涙が、氷に落ちてはじける。
凍てついた水面の上に眠る彼女に、ゆっくりと近づき、膝をついた。
「また……君を、守れなかった……
震える指先で氷に触れた瞬間――
パァンッ!
鋭い音とともに、氷の棺に細かな亀裂が走る。
瞬く間にそのひび割れは全体に広がり、光の粒となって霧散していった。
リノの身体が、まるで天から授かったかのように柔らかな光に包まれて、そこに現れた。
眠っているだけの、優しい寝顔だった。
レオニスはそっと彼女に顔を近づけ、ためらいがちに唇に口づけた。
――何も起きない。
神の奇跡など、都合よく起きるものではなかった。
その現実に打ちのめされながらも、レオニスはそれでも彼女を両腕に抱き上げる。
「君のいない人生なんて……僕にはもう、耐えられないんだ」
そのまま、彼は城の階段を駆け上がる。
最上階、屋上――リノが飛び降りたあの場所へ。
降りしきる雨の中、彼女を胸に抱きながら、縁へと歩み出た。
「来世で、今度こそ……一緒に生まれ変わろう」
そう告げて、彼は足を踏み出した――
その瞬間だった。
空が、晴れた。
雷鳴が止み、雨粒が消え、重く垂れ込めていた黒雲が裂ける。
まばゆい光が天より降り注ぎ、リノの身体を包み込む。
温かな風が城に吹き抜け、まるで命の息吹が世界に戻ってきたかのようだった。
「――ありがとう、レオニス」
その声は、彼の頭の中に直接響いた。
女神の声だった。
「あなたなら、リノを任せられますね」
その言葉と同時に、リノの指がぴくりと動いた。
まぶたがゆっくりと持ち上がり、優しい茶色の瞳が、彼を映す。
「う……ん……」
彼女が、目を開けたのだ。
レオニスの手が震えた。
「リノ……!」
彼女は、彼を見つめると、柔らかく微笑んだ。
「……おかえり」
レオニスの喉が詰まる。
「……遅くなったね、さつき……あ、リノ……」
その言葉に、リノの目が大きく見開かれる。
「え……まさか……あなた……」
「……ああ。佐伯だ」
レオニス――佐伯昇平は、優しく頷いた。
「前世から、ずっと……君を待たせてしまったね」
リノの目から、涙が溢れる。
「嘘……こんな奇跡、あるはずないのに……」
「でも、君が生きていてくれた。戻ってきてくれた。それだけで、すべてが報われたよ」
二人は、ゆっくりと唇を重ねた。
前世を越えた約束が、ようやく果たされた瞬間だった。
抱きしめ合う二人の周囲を、光の粒子が舞い、世界が祝福するように、すべてが静かに輝いていた。
やがて、その奇跡を見届けた者が一人、屋上へと姿を現した。
神殿の神官長――白い法衣をびしょ濡れにしながらも、その顔には安堵の色が滲んでいた。
「……女神様が、あなた方を選ばれた理由が……ようやく、理解できました」
神官長は、レオニスとリノの前にひざまずいた。
「リノ様、どうかこの国の新たな女王になっていただけませんか。神罰により王家は断絶しました。今こそ、この国には……新しい希望が必要なのです」
リノは戸惑い、レオニスの顔を見上げた。
「私が……女王に?」
「リノ……君がこの国を導く力を持ってる。僕は信じてるよ」
リノは小さく微笑んだ。
「じゃあ、レオニスが王様になってくれるなら……私、考えてもいいかも」
その言葉に、レオニスは柔らかく頷いた。
「当然だよ。君となら、どんな未来でも共に歩んでいける」
そして、その場で簡素ながらも神聖な儀式が行われた。
神殿から呼ばれた神官たちが整列し、女神の祝福を受けた白の花冠が二人の頭に捧げられる。
「神の御前において、二人の魂がひとつとなることを、ここに誓います」
花の香り、風のささやき、祝福の光に包まれて、レオニスとリノは指を絡め、誓いのキスを交わした。
その時、空に再び女神の声が響いた。
「ようやく、あなたたちが一つになれましたね。どうか、この世界を――歌と愛で満たしてください
空は澄みわたり、青く高く――新たな時代の幕開けを、祝福するかのようだった。
【完】閑話に続く
106
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
やんちゃな公爵令嬢の駆け引き~不倫現場を目撃して~
岡暁舟
恋愛
名門公爵家の出身トスカーナと婚約することになった令嬢のエリザベート・キンダリーは、ある日トスカーナの不倫現場を目撃してしまう。怒り狂ったキンダリーはトスカーナに復讐をする?
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。
さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。
“私さえいなくなれば、皆幸せになれる”
そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。
一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。
そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは…
龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。
ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。
よろしくお願いいたします。
※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる