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閑話2 市井での変装デート
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閑話 ― 市井での変装デート
王都の朝は、どこか浮き立つようなざわめきに包まれていた。市の広場には早くも露店が並び、パンを焼く香ばしい匂いや、果実酒の甘酸っぱい香りが風に乗って流れてくる。
その人混みの中に、ひっそりと混ざる二人の男女がいた。粗末な麻の服に身を包み、帽子やフードで顔を隠している。誰もが気づかないだろうが――彼らは、この国の王と王妃だった。
「レオニス、帽子がちょっとずれてる」
隣を歩く妻リノが、小声で囁く。
「おっと……ありがとう」
夫レオニスは慌てて帽子を直し、笑みを浮かべた。その表情は宮廷で見せる威厳ある王のものではなく、どこにでもいる青年のように柔らかい。
「君のほうこそ、髪が少し出てるぞ」
「え? あ、ほんとだ……」
リノが慌ててフードを深くかぶり直す。その仕草に、二人して思わず笑い合った。
広場に入ると、活気に押されるように人の流れに混ざっていく。
最初に立ち寄ったのは、香ばしい匂いを漂わせる屋台だった。
「お嬢さん、お兄さん、初めてかい? ここのハチミツパンは王都一だよ!」
陽気な店主の声に、リノの瞳が輝いた。
「ねえ、食べてみたい!」
「よし、二つ頼む」
レオニスが銀貨を渡すと、手渡されたパンはまだ湯気を立て、表面の蜂蜜が黄金色にきらめいていた。
二人で並んでかぶりつく。甘い香りと柔らかな生地が口いっぱいに広がり、リノの頬が自然とほころんだ。
「おいしい……!」
「うん、これは確かに絶品だ」
そう言いながらレオニスがふと妻を見ると、リノの唇の端に蜂蜜がついている。
「ほら、ついてる」
指先でそっと拭い、思わず口に運んでしまう。
「レオニス!」
頬を染めて小声で抗議する妻に、彼は照れ隠しのように笑った。
「すまない、癖でね。……でも甘かった」
「もう……」
たわいもないやりとりに、二人は顔を見合わせて笑った。
次に足を止めたのは、布や小物を並べる雑貨屋だった。
「見て、これ可愛いスカーフ」
リノが赤い布を手に取り首に巻く。
「似合うな。けど、こっちの青も悪くない」
レオニスが青い布を取り、彼女の首にかけてやる。二人で水桶に映る自分たちを見て、笑い声を交わした。
店の老婆は目を細めて言った。
「仲のいい夫婦さんだねぇ。いずれ子どももできるだろう」
その一言に、二人は同時に赤くなり、気まずそうに目をそらした。だが、内心どこか嬉しくもあった。
広場の片隅では、占い師が水晶玉を前に客を呼んでいる。
「未来を占いますよ! 二人の相性も分かります!」
面白半分に腰を下ろすと、占い師は彼らをじっと見て微笑んだ。
「ふむ……なるほど、なるほど。お二人は強く結ばれている。幾度も試練が訪れるが、必ず寄り添い続ける運命だ」
芝居がかった声に、レオニスとリノは思わず顔を見合わせる。
彼がそっと妻の手を握ると、彼女も指を絡めて握り返した。
――本当に、ただの若夫婦のように。
歩き疲れた頃、大道芸人が観客を集めていた。
「そこのご夫婦! 少し手を貸して!」
呼び止められた二人は、渡された布を広げる役を任された。芸人が帽子に布をかけ、一振りすると、そこから鳩が飛び立った。
「おおー!」と観客が歓声をあげ、リノは子どものように目を輝かせて拍手した。
「ありがとう、ご協力に感謝! 幸せなご夫婦に神の祝福を!」
冷やかしの声に混じって、あたたかな笑いが広がる。二人は肩を寄せ合い、照れながら笑った。
やがて日が傾き、川沿いのベンチに腰を下ろした。
買ったばかりの焼き栗を分け合いながら、川面を渡る風を感じる。子どもたちの笑い声が遠くで響き、街の灯りが一つまた一つとともり始めた。
「……なんだか、不思議だね」
リノがぽつりと呟く。
「僕たちは王でも女王でもなく、ただ夫婦でここにいる」
レオニスの言葉に、リノは目を細めて微笑んだ。
「わたし、こういう時間をずっと夢見てたのかもしれない」
彼女が小さくもらした本音に、レオニスの胸は温かさで満たされる。
重責に押し潰されそうになる日々の中、互いにだけは弱さを見せられる。
「身分なんてどうでもいい。ただ、君と一緒にいる――それが一番の幸せだ」
夫の言葉に、リノはそっと寄りかかり、彼の肩に頭を預けた。
川面に映る夕暮れがきらめき、二人の未来を照らすかのように穏やかに揺れていた。
王都の朝は、どこか浮き立つようなざわめきに包まれていた。市の広場には早くも露店が並び、パンを焼く香ばしい匂いや、果実酒の甘酸っぱい香りが風に乗って流れてくる。
その人混みの中に、ひっそりと混ざる二人の男女がいた。粗末な麻の服に身を包み、帽子やフードで顔を隠している。誰もが気づかないだろうが――彼らは、この国の王と王妃だった。
「レオニス、帽子がちょっとずれてる」
隣を歩く妻リノが、小声で囁く。
「おっと……ありがとう」
夫レオニスは慌てて帽子を直し、笑みを浮かべた。その表情は宮廷で見せる威厳ある王のものではなく、どこにでもいる青年のように柔らかい。
「君のほうこそ、髪が少し出てるぞ」
「え? あ、ほんとだ……」
リノが慌ててフードを深くかぶり直す。その仕草に、二人して思わず笑い合った。
広場に入ると、活気に押されるように人の流れに混ざっていく。
最初に立ち寄ったのは、香ばしい匂いを漂わせる屋台だった。
「お嬢さん、お兄さん、初めてかい? ここのハチミツパンは王都一だよ!」
陽気な店主の声に、リノの瞳が輝いた。
「ねえ、食べてみたい!」
「よし、二つ頼む」
レオニスが銀貨を渡すと、手渡されたパンはまだ湯気を立て、表面の蜂蜜が黄金色にきらめいていた。
二人で並んでかぶりつく。甘い香りと柔らかな生地が口いっぱいに広がり、リノの頬が自然とほころんだ。
「おいしい……!」
「うん、これは確かに絶品だ」
そう言いながらレオニスがふと妻を見ると、リノの唇の端に蜂蜜がついている。
「ほら、ついてる」
指先でそっと拭い、思わず口に運んでしまう。
「レオニス!」
頬を染めて小声で抗議する妻に、彼は照れ隠しのように笑った。
「すまない、癖でね。……でも甘かった」
「もう……」
たわいもないやりとりに、二人は顔を見合わせて笑った。
次に足を止めたのは、布や小物を並べる雑貨屋だった。
「見て、これ可愛いスカーフ」
リノが赤い布を手に取り首に巻く。
「似合うな。けど、こっちの青も悪くない」
レオニスが青い布を取り、彼女の首にかけてやる。二人で水桶に映る自分たちを見て、笑い声を交わした。
店の老婆は目を細めて言った。
「仲のいい夫婦さんだねぇ。いずれ子どももできるだろう」
その一言に、二人は同時に赤くなり、気まずそうに目をそらした。だが、内心どこか嬉しくもあった。
広場の片隅では、占い師が水晶玉を前に客を呼んでいる。
「未来を占いますよ! 二人の相性も分かります!」
面白半分に腰を下ろすと、占い師は彼らをじっと見て微笑んだ。
「ふむ……なるほど、なるほど。お二人は強く結ばれている。幾度も試練が訪れるが、必ず寄り添い続ける運命だ」
芝居がかった声に、レオニスとリノは思わず顔を見合わせる。
彼がそっと妻の手を握ると、彼女も指を絡めて握り返した。
――本当に、ただの若夫婦のように。
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「そこのご夫婦! 少し手を貸して!」
呼び止められた二人は、渡された布を広げる役を任された。芸人が帽子に布をかけ、一振りすると、そこから鳩が飛び立った。
「おおー!」と観客が歓声をあげ、リノは子どものように目を輝かせて拍手した。
「ありがとう、ご協力に感謝! 幸せなご夫婦に神の祝福を!」
冷やかしの声に混じって、あたたかな笑いが広がる。二人は肩を寄せ合い、照れながら笑った。
やがて日が傾き、川沿いのベンチに腰を下ろした。
買ったばかりの焼き栗を分け合いながら、川面を渡る風を感じる。子どもたちの笑い声が遠くで響き、街の灯りが一つまた一つとともり始めた。
「……なんだか、不思議だね」
リノがぽつりと呟く。
「僕たちは王でも女王でもなく、ただ夫婦でここにいる」
レオニスの言葉に、リノは目を細めて微笑んだ。
「わたし、こういう時間をずっと夢見てたのかもしれない」
彼女が小さくもらした本音に、レオニスの胸は温かさで満たされる。
重責に押し潰されそうになる日々の中、互いにだけは弱さを見せられる。
「身分なんてどうでもいい。ただ、君と一緒にいる――それが一番の幸せだ」
夫の言葉に、リノはそっと寄りかかり、彼の肩に頭を預けた。
川面に映る夕暮れがきらめき、二人の未来を照らすかのように穏やかに揺れていた。
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