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第2話 エマ、兄にも追い出される
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エマ、実家に戻る
馬車は、一定のリズムで石畳を進んでいた。
窓の外に流れる景色を、エマ=モナコラは静かに眺めている。春の野は淡い緑に染まり、遠くの林では小鳥が羽を休めていた。その穏やかさが、胸の奥のざわめきとは不釣り合いで、かえって心を締めつける。
向かう先は、サンジェルア伯爵家。
――エマの、生家だ。
今回の目的は、はっきりしている。
父と母の墓参り。
三年前、モナコラ伯爵家に嫁いだ直後に父が亡くなり、ほどなくして母も後を追った。
喪に服すことすら、十分に許されなかった。
(父と母に、きちんと別れを言わなければ)
エマは膝の上で、そっと指を重ねた。
◆
エマは幼いころに、前世の記憶を思い出している。
兄に小さな山の上から突き落とされ、倒れた時に、突然、思い出したのだった。
あああ! あまりの痛さに嗚咽が漏れた時、エマの脳裏に不思議な光景が浮かんだ。
――そう思い出したのは、今とは違う、もっと別の人生だった。
前世。
観光地の片隅で、綺麗な石を使った体験教室を開いていた記憶。
磨いた石をワイヤーで包み、ペンダントに仕立てる。
誕生石や色の意味を語りながら、人々に「ラッキーストーン」を手渡す日々。
幸運アップに作る人、ファミリーで観光のついでに楽しむ人たち。
そして、カップルたち。
大きなお金は稼げなかった。
それでも、自分の手で作り、自分の言葉で価値を伝え、誰かに喜んでもらえる
――それが、何より好きだった。
冬の帰り道。
凍結した路面で車が滑り、ブレーキもアクセルも効かない状態で、慌てながら視界が反転し、宙に投げ出された感覚。
(……あれが、死因だったのね)
そして、小さいながらもビジネスをしていたことで、色々なことがわかるようになっていた。
数字の流れ。
物の価値。
人の動き。
しかし、それを見抜く力は、子どものエマには過ぎたものだった。
だが、当時のサンジェルア伯爵――エマの父は、その才を恐れなかった。
むしろ、見込んだ。
「お前の考えを聞かせてみなさい、エマ」
父の執務室で、帳簿を並べ、領地の収支を一緒に見直した日々。
無駄な中間商人を切り、流通路を整理し、職人の待遇を改善し、結果として税収は伸びた。
サンジェルア伯爵領は、確かに豊かになった。
――それが、仇となった。
破綻寸前だったモナコラ伯爵家に、救いの手が必要になったとき。
白羽の矢が立ったのは、「才覚ある娘」だった。
エマ=サンジェルアは、こうして政略の駒として嫁いだ。
三年間。
必死に家を立て直し、支え、耐えた。
その間に、父と母は亡くなり。
そして、サンジェルア伯爵家の当主は――腹違いの兄、デビオン=サンジェルアに代わった。
◇
やがて、馬車は重厚な門の前で止まる。
見慣れたはずの屋敷は、どこか荒れて見えた。
応接の間に通されたエマを、兄は立ったまま迎えた。
椅子を勧めることはない。
「……何の用だ」
冷えた声。
「父と母の墓参りに参りました」
「今さら、殊勝なことだな」
嘲るように笑った、その背後から、女の声が重なる。
「本当に、よく言えるものですわね」
現れたのは、デビオンの妻――アンタナだった。
華やかな衣装に身を包み、口元には侮蔑の笑み。
「三年間、子供を産むことができなかった役立たずな女、だから、捨てられたくせに、今さら出戻り 恥というものを知らないのかしら」
エマは、何も言わなかった。
言い返す必要を、もう感じなかったからだ。
「で? 用はそれだけか」
「……はい」
「なら、さっさと済ませて帰れ。屋敷に厄介事を持ち込むな」
アンタナが、ふん、と鼻を鳴らす。
「どうせ金目当てでしょう? 離縁された女なんて、行く当てもないもの」
デビオンの視線が、エマの荷へと向く。
「離縁金は?」
一瞬の沈黙ののち、エマは頷いた。
「……なら話は簡単だ」
彼は、淡々と言い放った。
「その金を置いていけ」
「兄様、それは――」
「うるさい。お前の才覚のせいで、どれだけ周囲が迷惑したと思っている」
衛兵が近づき、袋を奪い取る。
「なんだ、たったの十ゴルドか」
アンタナが舌打ちした。
「みすぼらしい」
そのとき、アンタナの目が、エマの持ち物に止まる。
「……その石、何?」
小袋から覗いた、拳より少し大きな鉱石。
「何だこれは?」
エマは、静かに答えた。
「護身用の石です」
「石ころでしょう?」
「でも、護身には役立ちます」
一瞬の沈黙の後、デビオンは舌打ちして言った。
「……くだらん。返してやれ」
石だけが、エマの手に戻された。
金は、戻らない。
こうして彼女は、屋敷を追い出された。
◇
夕暮れの風が、冷たく頬を打つ。
だが、エマは立ち止まらなかった。
その足で、屋敷の裏側にある父と母の墓へ向かう。
苔むした墓石に手を添え、静かに頭を下げた。
「父様、母様……遅くなって、ごめんなさい」
涙が止めどなく溢れて流れ落ちた。
フランセ王国でのあまりの辛い日々を思い出して。
「もう、この国には戻りません」
それは、決別の言葉であり、誓いだった。
◇
屋敷を出ると、後ろから聞こえる大きな門が閉じる音が、決定的な別れを告げていた。
エマは、その場に立ち尽くした。
何も考えられず、ただ、空を見上げる。
絶望の風が体を心の底から冷やす。
「……お嬢様」
その時、かすれた声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、老執事のタッカーラだった。
白髪混じりの頭を深く下げ、悔しそうに唇を震わせている。
「デビオン様も……なんと酷いことを。もし先代様がご存命でしたら、決してこのようなことは……」
エマは、首を横に振った。
「いいのです。あの兄ですから、覚悟していました」
それは強がりだったが、同時に真実でもあった。
タッカーラは静かに問いかける。
「……これから、どうなさるおつもりですか?」
「近くで宿を探したいのですが、路銀がなくて……」
「では、少ないですが、せめてもの旅費に」
タッカーラは、100シルが入った小袋を手渡してくれた。(100シルは1ゴルド)
エマは涙が出そうになるのを堪えながら、お礼を言った。
「ありがとう、タッカーラ」
「お嬢様の無事をお祈りしています」
エマはその場を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
その夜、エマはサンジェルア伯爵家から少し歩いた宿に泊まった、
狭い一室。
木の机と寝台だけの部屋で、彼女は荷をまとめながら、ふと自分の指先を見つめた。
桃色の髪が肩口で揺れる。
白い指には、かつて伯爵夫人として許されていた指輪は、もうない。
今までの自分の努力の結果の悲惨さに、自然と涙が溢れてくる。
これからどう生きればいいのか?
現実に戻れば、路銀は90シルバある。
だが、兄が治める領地で、働くことは難しいだろう。
――けれど。
私には、前世の記憶がある。
だから、これを機会に遠くに行ってみたい。
そうあの人があの後、どうなったのか? 元気ならいいのだが……
それを確かめたい、見てみたい。
その他にも、前世のように綺麗な石を磨いて、アクセサリーを販売してみたらどうだろうか?
そう思うと、心がわくわくして、涙が自然と止まるのだった。
「……行ってみよう。そして、あの人に機会があったら会ってみたい」
エマは、静かに決めた。
このフランセ王国では、貴族女性は外では働いてはいけない。
離縁されても、過去の身分は影のようにつきまとうだろう。
だが、隣国のあの人がいる新興国スペイラ帝国なら話は別だ。
商業国家。身分よりも、技と才がものを言う国。
そこでは、元貴族という肩書きは、何の意味も持たないが、自分には技術があるのだ。
何も恐れることはない。
◇
翌朝、エマは乗り合い馬車に乗り込み、国境を目指したいと告げた。
馬車は6人の客を乗せると、静かに動き出す。
フランセ王国が、少しずつ遠ざかっていく。
エマは前を向いた。
これは、追放ではない。
――再生の始まりだ。
彼女はまだ、自分の手で何かを作り、価値を生み出せることを、知っているのだから。
馬車は、一定のリズムで石畳を進んでいた。
窓の外に流れる景色を、エマ=モナコラは静かに眺めている。春の野は淡い緑に染まり、遠くの林では小鳥が羽を休めていた。その穏やかさが、胸の奥のざわめきとは不釣り合いで、かえって心を締めつける。
向かう先は、サンジェルア伯爵家。
――エマの、生家だ。
今回の目的は、はっきりしている。
父と母の墓参り。
三年前、モナコラ伯爵家に嫁いだ直後に父が亡くなり、ほどなくして母も後を追った。
喪に服すことすら、十分に許されなかった。
(父と母に、きちんと別れを言わなければ)
エマは膝の上で、そっと指を重ねた。
◆
エマは幼いころに、前世の記憶を思い出している。
兄に小さな山の上から突き落とされ、倒れた時に、突然、思い出したのだった。
あああ! あまりの痛さに嗚咽が漏れた時、エマの脳裏に不思議な光景が浮かんだ。
――そう思い出したのは、今とは違う、もっと別の人生だった。
前世。
観光地の片隅で、綺麗な石を使った体験教室を開いていた記憶。
磨いた石をワイヤーで包み、ペンダントに仕立てる。
誕生石や色の意味を語りながら、人々に「ラッキーストーン」を手渡す日々。
幸運アップに作る人、ファミリーで観光のついでに楽しむ人たち。
そして、カップルたち。
大きなお金は稼げなかった。
それでも、自分の手で作り、自分の言葉で価値を伝え、誰かに喜んでもらえる
――それが、何より好きだった。
冬の帰り道。
凍結した路面で車が滑り、ブレーキもアクセルも効かない状態で、慌てながら視界が反転し、宙に投げ出された感覚。
(……あれが、死因だったのね)
そして、小さいながらもビジネスをしていたことで、色々なことがわかるようになっていた。
数字の流れ。
物の価値。
人の動き。
しかし、それを見抜く力は、子どものエマには過ぎたものだった。
だが、当時のサンジェルア伯爵――エマの父は、その才を恐れなかった。
むしろ、見込んだ。
「お前の考えを聞かせてみなさい、エマ」
父の執務室で、帳簿を並べ、領地の収支を一緒に見直した日々。
無駄な中間商人を切り、流通路を整理し、職人の待遇を改善し、結果として税収は伸びた。
サンジェルア伯爵領は、確かに豊かになった。
――それが、仇となった。
破綻寸前だったモナコラ伯爵家に、救いの手が必要になったとき。
白羽の矢が立ったのは、「才覚ある娘」だった。
エマ=サンジェルアは、こうして政略の駒として嫁いだ。
三年間。
必死に家を立て直し、支え、耐えた。
その間に、父と母は亡くなり。
そして、サンジェルア伯爵家の当主は――腹違いの兄、デビオン=サンジェルアに代わった。
◇
やがて、馬車は重厚な門の前で止まる。
見慣れたはずの屋敷は、どこか荒れて見えた。
応接の間に通されたエマを、兄は立ったまま迎えた。
椅子を勧めることはない。
「……何の用だ」
冷えた声。
「父と母の墓参りに参りました」
「今さら、殊勝なことだな」
嘲るように笑った、その背後から、女の声が重なる。
「本当に、よく言えるものですわね」
現れたのは、デビオンの妻――アンタナだった。
華やかな衣装に身を包み、口元には侮蔑の笑み。
「三年間、子供を産むことができなかった役立たずな女、だから、捨てられたくせに、今さら出戻り 恥というものを知らないのかしら」
エマは、何も言わなかった。
言い返す必要を、もう感じなかったからだ。
「で? 用はそれだけか」
「……はい」
「なら、さっさと済ませて帰れ。屋敷に厄介事を持ち込むな」
アンタナが、ふん、と鼻を鳴らす。
「どうせ金目当てでしょう? 離縁された女なんて、行く当てもないもの」
デビオンの視線が、エマの荷へと向く。
「離縁金は?」
一瞬の沈黙ののち、エマは頷いた。
「……なら話は簡単だ」
彼は、淡々と言い放った。
「その金を置いていけ」
「兄様、それは――」
「うるさい。お前の才覚のせいで、どれだけ周囲が迷惑したと思っている」
衛兵が近づき、袋を奪い取る。
「なんだ、たったの十ゴルドか」
アンタナが舌打ちした。
「みすぼらしい」
そのとき、アンタナの目が、エマの持ち物に止まる。
「……その石、何?」
小袋から覗いた、拳より少し大きな鉱石。
「何だこれは?」
エマは、静かに答えた。
「護身用の石です」
「石ころでしょう?」
「でも、護身には役立ちます」
一瞬の沈黙の後、デビオンは舌打ちして言った。
「……くだらん。返してやれ」
石だけが、エマの手に戻された。
金は、戻らない。
こうして彼女は、屋敷を追い出された。
◇
夕暮れの風が、冷たく頬を打つ。
だが、エマは立ち止まらなかった。
その足で、屋敷の裏側にある父と母の墓へ向かう。
苔むした墓石に手を添え、静かに頭を下げた。
「父様、母様……遅くなって、ごめんなさい」
涙が止めどなく溢れて流れ落ちた。
フランセ王国でのあまりの辛い日々を思い出して。
「もう、この国には戻りません」
それは、決別の言葉であり、誓いだった。
◇
屋敷を出ると、後ろから聞こえる大きな門が閉じる音が、決定的な別れを告げていた。
エマは、その場に立ち尽くした。
何も考えられず、ただ、空を見上げる。
絶望の風が体を心の底から冷やす。
「……お嬢様」
その時、かすれた声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、老執事のタッカーラだった。
白髪混じりの頭を深く下げ、悔しそうに唇を震わせている。
「デビオン様も……なんと酷いことを。もし先代様がご存命でしたら、決してこのようなことは……」
エマは、首を横に振った。
「いいのです。あの兄ですから、覚悟していました」
それは強がりだったが、同時に真実でもあった。
タッカーラは静かに問いかける。
「……これから、どうなさるおつもりですか?」
「近くで宿を探したいのですが、路銀がなくて……」
「では、少ないですが、せめてもの旅費に」
タッカーラは、100シルが入った小袋を手渡してくれた。(100シルは1ゴルド)
エマは涙が出そうになるのを堪えながら、お礼を言った。
「ありがとう、タッカーラ」
「お嬢様の無事をお祈りしています」
エマはその場を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
その夜、エマはサンジェルア伯爵家から少し歩いた宿に泊まった、
狭い一室。
木の机と寝台だけの部屋で、彼女は荷をまとめながら、ふと自分の指先を見つめた。
桃色の髪が肩口で揺れる。
白い指には、かつて伯爵夫人として許されていた指輪は、もうない。
今までの自分の努力の結果の悲惨さに、自然と涙が溢れてくる。
これからどう生きればいいのか?
現実に戻れば、路銀は90シルバある。
だが、兄が治める領地で、働くことは難しいだろう。
――けれど。
私には、前世の記憶がある。
だから、これを機会に遠くに行ってみたい。
そうあの人があの後、どうなったのか? 元気ならいいのだが……
それを確かめたい、見てみたい。
その他にも、前世のように綺麗な石を磨いて、アクセサリーを販売してみたらどうだろうか?
そう思うと、心がわくわくして、涙が自然と止まるのだった。
「……行ってみよう。そして、あの人に機会があったら会ってみたい」
エマは、静かに決めた。
このフランセ王国では、貴族女性は外では働いてはいけない。
離縁されても、過去の身分は影のようにつきまとうだろう。
だが、隣国のあの人がいる新興国スペイラ帝国なら話は別だ。
商業国家。身分よりも、技と才がものを言う国。
そこでは、元貴族という肩書きは、何の意味も持たないが、自分には技術があるのだ。
何も恐れることはない。
◇
翌朝、エマは乗り合い馬車に乗り込み、国境を目指したいと告げた。
馬車は6人の客を乗せると、静かに動き出す。
フランセ王国が、少しずつ遠ざかっていく。
エマは前を向いた。
これは、追放ではない。
――再生の始まりだ。
彼女はまだ、自分の手で何かを作り、価値を生み出せることを、知っているのだから。
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