婚約者を姉に奪われ、婚約破棄されたエリーゼは、王子殿下に国外追放されて捨てられた先は、なんと魔獣がいる森。そこから大逆転するしかない?怒りの

山田 バルス

文字の大きさ
87 / 179

第87話 決戦前夜 すぐに助けに行かなくちゃ

しおりを挟む
重い沈黙が、地下の空間に満ちていた。

 ここは、聖教国マケドニアの神殿から遠く離れた場所。
 “仮面の案内人”ヴェルトが根城とする隠れ家の地下室だ。湿気を帯びた石壁が冷たい息を吐き出し、仄暗いランプの灯りが頼りなく揺れている。外界から隔絶されたその空間は、まるで過去と記憶が封じ込められた墓所のようだった。

 無言のまま、机の上に小さな影が舞い降りた。
 それはヴェルトの使い魔――夜色の羽を持つ小鳥が、一冊の黒革の帳面をそっと置いた。表紙には深紅のインクで刻まれた古びた紋章。見る者に不吉な予感を与える、禁忌の象徴だった。

 「……ダリルが、捕らえられた」

 ヴェルトの低い声が、まるで石のように空気の底へと沈んだ。

 「……っ!」

 桃色の髪が激しく揺れた。
 剣聖エリーゼ=アルセリアが勢いよく立ち上がる。
 その右腕には金龍の加護が宿り、左足には銀狼フェンリルの力が宿る。だが、その神秘的な輝きをもってしても、今の彼女の怒りを覆い隠すことはできなかった。

 「なんで……! すぐに助けに行かなくちゃ!」

 「オレも行く。今すぐにだ」

 黒髪の筋肉剣士、マスキュラーが椅子を軋ませて立ち上がる。
 その手はすでに背に背負った愛剣の柄へと伸びかけていた。

 だが、ヴェルトは片手を上げて制した。
 その動きは穏やかでありながら、決して否定を許さぬ強さを孕んでいた。

 「待て。……焦ればすべてが水の泡だ。奴らは、“我々をおびき出そうとしている”可能性すらある。今は、冷静になれ」

 静かな声。しかし、その奥に潜む激情は、誰よりも深い。
 弟を火刑に処された男――復讐と贖罪を背負う“案内人”の沈黙は、仲間たちの動きを一瞬で止めた。

 「ダリルが調べていた帳面に、ヒントがあるかもしれない」

 ヴェルトは黒革の帳面をゆっくりと開く。
 震える指先が一頁、また一頁とめくっていく。その中には、神歴三五四年に記された“預言”、異端認定の基準、そして聖教国が民衆を恐怖で支配するために築いた制度の全貌が記されていた。

 「……クラリスは、“神”を否定したのではない」

 その名が出た瞬間、空気がひときわ強く揺れた。

 「彼女が否定したのは、“偽りの預言”と、それを盾にして人々を裁き、支配する聖教国の腐敗だ」

 「……クラリスさんは、“神に近い”存在だったんだね」

 エリーゼが静かに呟いた。
 前世で事故により命を落とし、この世界に転生した彼女にとって、“信じる”という行為には、誰よりも強い意味があった。
 神も、剣も、仲間も――彼女はすべてをその腕と足に抱えて、生きてきたのだ。

 「その通りだ。この帳面には、神託が改ざんされた証拠が記されている。クラリスの処刑は最初から仕組まれていた」

 ヴェルトの指がある頁で止まる。そこに記されていたのは――

 「“リュシアン”。現筆頭審問官。神託を偽造し、異端粛清を進め、民衆を恐怖で縛った張本人だ。奴は今、結界に守られている」

 その名を聞いた瞬間、アリスターが金髪をかき上げて口元を歪める。

 「ふーん……ついに出たね、黒幕が。で、結界を破る方法はあるのかい?」

 テオドリック王国の元王子でありながら、冤罪によって全てを奪われた男――アリスターは、真実という名の火を手にするためなら、どんな地獄にも笑って踏み込む。

 「そいつを倒せば、オレたちの過去も、クラリスの無念も……全部、正せるのか?」

 マスキュラーの声には、怒りよりも深い悲しみが滲んでいた。
 この戦いが、ただの正義の名を借りた復讐でないことを、彼は誰よりも知っている。

 「倒すには、まず結界を壊さなければならない。……それには、“聖女の魂”を呼び出す必要がある」

 「魂を……?」

 不思議そうに首をかしげるエリーゼに、ヴェルトが小さく頷く。

 「白炎の儀式――神に真実を捧げる儀式がある。その“真実”とは、これだ」

 彼は帳面を掲げる。その最後の頁には、こう記されていた。

 『この記録を白炎に注げ。その時、偽りの光が焼かれ、真の声が顕れる』

 「……なるほど。その時、何かが起きるのかな」

 アリスターが懐から一枚の封筒と地図を取り出す。

 「明日の夜、“白炎の儀式”が行われる。“聖灰殿”だ。異端者たちの一斉処刑が予定されている」

 「……ダリルも、そこに……?」

 エリーゼの声が震えた。答えは一つしかなかった。

 「ああ。だが、逆に言えば、それが最大の好機だ」

 ヴェルトが頷く。

 「奴が壇上に立つなら、その場でこの帳面の内容を晒し、白炎に投げ入れる。結界の力は、真実によって打ち破られる」

 「一気に民衆の前で、嘘を暴く……すごく危険だけど……やるしかないね」

 エリーゼが右腕に力を込める。金龍の力が淡く脈動した。

 「結界を解除できれば、外からは干渉されずに真実を曝け出せる。その時間を作るには――」

 アリスターが地図の一点を指差した。

 「三方向からの同時潜入しかない。“祭壇部”、“議会控室”、そして“結界中枢”を、同時に叩くんだ」

 「“祭壇部”はオレが行く」
 ヴェルトの声は低く、鋼のように固かった。
 「弟の仇……リュシアンと、ケリをつける」

 「控室の陽動は任せとけ。筋肉はこういう時のためにあるんだ」
 マスキュラーが力強く笑った。

 「じゃあ、わたしが結界を壊す。フェンリルの足で、蹴り飛ばしてやるよ!」

 三人の視線が交差した。

 そこにあったのは、信頼。覚悟。そして痛み。

 それぞれの過去と怒り、そして誓いが、今、この瞬間、一つの意志として結ばれていく。

 アリスターが、静かに言った。

 「幕を引こう。“偽りの神”に捧げる、最後の――真実の裁きを」





しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ
ファンタジー
追放悪役令嬢の薬学スローライフ ~断罪されたら、そこは未知の薬草宝庫(ランクS)でした。知識チートでポーション作ってたら、王都のパンデミックを救う羽目に~ -第二部(11章~20章)追加しました- 【あらすじ】 「貴様を追放する! 魔物の巣窟『霧深き森』で、朽ち果てるがいい!」 王太子の婚約者ソフィアは、卒業パーティーで断罪された。 しかし、その顔に絶望はなかった。なぜなら、その「断罪劇」こそが、彼女の完璧な計画だったからだ。 彼女の魂は、前世で薬学研究に没頭し過労死した、日本の研究者。 王妃の座も権力闘争も、彼女には退屈な枷でしかない。 彼女が求めたのはただ一つ——誰にも邪魔されず、未知の植物を研究できる「アトリエ」だった。 追放先『霧深き森』は「死の土地」。 だが、チート能力【植物図鑑インターフェイス】を持つソフィアにとって、そこは未知の薬草が群生する、最高の「研究フィールド(ランクS)」だった! 石造りの廃屋を「アトリエ」に改造し、ガラクタから蒸留器を自作。村人を救い、薬師様と慕われ、理想のスローライフ(研究生活)が始まる。 だが、その平穏は長く続かない。 王都では、王宮薬師長の陰謀により、聖女の奇跡すら効かないパンデミック『紫死病』が発生していた。 ソフィアが開発した『特製回復ポーション』の噂が王都に届くとき、彼女の「研究成果」を巡る、新たな戦いが幕を開ける——。 【主な登場人物】 ソフィア・フォン・クライネルト 本作の主人公。元・侯爵令嬢。魂は日本の薬学研究者。 合理的かつ冷徹な思考で、スローライフ(研究)を妨げる障害を「薬学」で排除する。未知の薬草の解析が至上の喜び。 ギルバート・ヴァイス 王宮魔術師団・研究室所属の魔術師。 ソフィアの「科学(薬学)」に魅了され、助手(兼・共同研究者)としてアトリエに入り浸る知的な理解者。 アルベルト王太子 ソフィアの元婚約者。愚かな「正義」でソフィアを追放した張本人。王都の危機に際し、薬を強奪しに来るが……。 リリア 無力な「聖女」。アルベルトに庇護されるが、本物の災厄の前では無力な「駒」。 ロイド・バルトロメウス 『天秤と剣(スケイル&ソード)商会』の会頭。ソフィアに命を救われ、彼女の「薬学」の価値を見抜くビジネスパートナー。 【読みどころ】 「悪役令嬢追放」から始まる、痛快な「ざまぁ」展開! そして、知識チートを駆使した本格的な「薬学(ものづくり)」と、理想の「アトリエ」開拓。 科学と魔法が融合し、パンデミックというシリアスな災厄に立ち向かう、読み応え抜群の薬学ファンタジーをお楽しみください。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。

拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。

出来損ないと虐げられた公爵令嬢、前世の記憶で古代魔法を再現し最強になる~私を捨てた国が助けを求めてきても、もう隣で守ってくれる人がいますので

夏見ナイ
ファンタジー
ヴァインベルク公爵家のエリアーナは、魔力ゼロの『出来損ない』として家族に虐げられる日々を送っていた。16歳の誕生日、兄に突き落とされた衝撃で、彼女は前世の記憶――物理学を学ぶ日本の女子大生だったことを思い出す。 「この世界の魔法は、物理法則で再現できる!」 前世の知識を武器に、虐げられた運命を覆すことを決意したエリアーナ。そんな彼女の類稀なる才能に唯一気づいたのは、『氷の悪魔』と畏れられる冷徹な辺境伯カイドだった。 彼に守られ、その頭脳で自身を蔑んだ者たちを見返していく痛快逆転ストーリー!

お言葉ですが今さらです

MIRICO
ファンタジー
アンリエットは祖父であるスファルツ国王に呼び出されると、いきなり用無しになったから出て行けと言われた。 次の王となるはずだった伯父が行方不明となり後継者がいなくなってしまったため、隣国に嫁いだ母親の反対を押し切りアンリエットに後継者となるべく多くを押し付けてきたのに、今更用無しだとは。 しかも、幼い頃に婚約者となったエダンとの婚約破棄も決まっていた。呆然としたアンリエットの後ろで、エダンが女性をエスコートしてやってきた。 アンリエットに継承権がなくなり用無しになれば、エダンに利などない。あれだけ早く結婚したいと言っていたのに、本物の王女が見つかれば、アンリエットとの婚約など簡単に解消してしまうのだ。 失意の中、アンリエットは一人両親のいる国に戻り、アンリエットは新しい生活を過ごすことになる。 そんな中、悪漢に襲われそうになったアンリエットを助ける男がいた。その男がこの国の王子だとは。その上、王子のもとで働くことになり。 お気に入り、ご感想等ありがとうございます。ネタバレ等ありますので、返信控えさせていただく場合があります。 内容が恋愛よりファンタジー多めになったので、ファンタジーに変更しました。 他社サイト様投稿済み。

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結 新作 【あやかしたちのとまり木の日常】 連載開始しました。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

処理中です...