婚約者を姉に奪われ、婚約破棄されたエリーゼは、王子殿下に国外追放されて捨てられた先は、なんと魔獣がいる森。そこから大逆転するしかない?怒りの

山田 バルス

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第143話 聖女セレスティアの悔恨(けがれ)

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『聖女の悔恨(けがれ)』
血の匂いが、なぜこれほど記憶を呼び覚ますのか。

堕ちた神殿の大広間には、王家の血、神聖なるはずの血、そして――わたし自身の血が黒き杯に注がれていた。それが命の代価だと知ってなお、心は不思議と静かだった。涙も悲鳴も、とっくに尽き果てていたからだ。

「セレスティア、聖女とは……祈りの器であることを忘れるなよ」

神託を授かった夜、老神官が言ったその言葉。その時は選ばれし者としての誇りに酔い、意味など考えなかった。けれど今、骨の髄まで染みわたる。

――器とは、壊されるためにあるのだ。

* * *

始まりは、妹の病だった。今思えば、それも魔族の策略だったのかもしれない。

「聖女なのに妹を癒せないなんて」――その苦悩の果てに、わたしは魔族・グレゴールに縋った。彼は言った。「助ける方法が一つだけある」と。

妹の命のため、わたしは魔族の手先になる契約を結んだ。それからというもの、妹は少しずつ元気を取り戻していった。

「わたし、王子様と結婚して王妃様になりたいな」

夢を語る妹の姿に困惑した矢先、グレゴールが告げた。「隣国なら、お前の妹を王妃にできる」――そして妹は、アイラ・ド・ランヴェールの姿へと変貌した。

「本当に……あなたは、わたしの妹なの?」

問いかけると、彼女は再び元の姿に戻って微笑んだ。

「姉さん、心配してくれてありがとう」

姿も声も、確かに妹だった。だから信じた。グレゴールを、妹を、そして聖女としての自分自身を――。

グレゴールは語った。魔族と人間の平和のため、神の意思の実現のため。彼の導きに従い、聖女として神託を語り、聖教国から王国へと渡った。そこにいたのが、感の鋭い王子・アリスター。障害となる彼を排除するため、ユリウス王子を利用し、婚約者を事故に見せかけて殺し、王子の心に“妹”を忍び込ませた。

――その時点で、わたしはすでに聖女ではなかったのだ。

* * *

今ならわかる。アイラ・ド・ランヴェールも、妹ですらなかった。あれは、わたしの血と王族の血をもって呼び覚まされた、完全なる悪魔の器――。

すべては、わたしが始めたことだった。

「王子を追放しなければ」「魔族に手を貸さなければ」「妹を神にゆだねていれば」――悔いても、過去は戻らない。

背後から冷たい手が肩を掴む。グレゴールだった。杯を差し出す彼の手は、生きている者とは思えないほど冷たい。

「いい顔だな、セレスティア。ようやく“神に見捨てられた女”らしい」

「……グレゴール、なぜこんなことを……」

震える声で問いかける。もう聖女ではなく、ただの女として。

「魔王になるためだよ。魔王大会に勝った者が次の魔王になる。わたしには、そのための力が必要だ」

「そんな……妹を助けたい一心だったのに……」

「お前の“善意”は、我々にとって好都合だったな」

杯がわたしの血で満たされ、魔方陣が激しく脈動を始める。

「終わらせて……せめて……」

静かな願いに、グレゴールは首を振る。

「まだだ。お前には見届けてもらう。お前がどれほど醜く崩れるかをな」

――そのとき、大広間に風が巻いた。

「《ハリケーン・ランス》!」

風が咆哮し、剣が唸り、祈りが光を裂いた。

アリスター、エリーゼ、マスキュラー、ダリル――追放された“異端”の者たちが、命を賭して立ち向かってくる。

――ああ、彼らはまだ戦っている。誰かを救うために。

思わず、微かに笑ってしまった。

「……神よ。どうか、彼らを……」

その祈りが届くとは思えなかった。けれど、それでも祈らずにはいられなかった。

* * *

「これは罰だ」――そう、彼女は思った。

神の声を騙り、民を欺き、妹すらも守れなかった罪。これは、その報い。

黒き魔方陣が輝きを増し、杯に最後の一滴が注がれようとした瞬間――

「やらせるものかッ!」

声が響き、光が大広間を満たす。

その中に、“異端”たちの姿があった。国に裏切られ、それでもなお未来のために戦う者たち。

――どうか、あなたたちは、わたしのようにならないで。

それが、最後に残された祈りだった。

たとえ神に届かなくても、たとえ滅びの運命が変わらずとも、それでも。

天井が崩れ、火花が舞い、彼女の意識は闇に沈んでいった――。
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