華夏の煌き~麗しき男装の乙女軍師~

はぎわら歓

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36 出会い 

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――死んだことにして逃げ出した京湖は、国境にたどり着く。貧しい身なりで顔を汚し、髪を埃だらけにしていると時々小銭を恵まれる。気候は温暖で豊かな国なので、凍えることも、飢えることもないが生涯このまま流浪の身であることに、不安は尽きない。かといって戻って、あの蛇のような生理的嫌悪感を感じる男と結婚するのも嫌だった。何不自由のないお嬢様であった京湖が、このような乞食同然の生活をおくることになるとは誰にも、本人にも想像ができない。何度何度も以前の清潔で美しい生活を懐かしんだ。

 ぼんやり歩いていると、町から随分離れたようで、あたりは静まり返っていた。日も暮れ始め薄暗い。

「どうしよう。こんなところで……」

 凍えることはないだろうが、獣の遠吠えが聞こえ京湖は怖くなった。かさっと茂みが鳴るたびにびくびくと京湖は身を固くする。あたりはすでに暗闇になっている。そのうえますます山の中に入ってしまい、途方に暮れたころ小さな明かりが見えた。急いでその明かりのほうへ向かうと、小さな小屋と大きな土の塊が見えた。それが朱彰浩の陶房だった。

 人がいると思った京湖はゆっくり近づいて様子を見る。長身の若い男がもうあたりも暗いのに土の塊の周りをうろうろしている。土の塊だと思ったのは、高さのある焼き窯だった。どうやら窯の中から器を出しているらしい。灯籠を片手にもち、出した器を眺めている。チラチラと灯籠の明かりが男の顔を照らす。

 器を見る瞳は温かく、そっと触れている指先はとても優しい。大柄なのに、繊細なイメージをその若い男から感じた。

「そこに誰かいるのか?」

 声を掛けられて、京湖はそっと立ち上がる。

「すみません。どこか隅で良いので今夜過ごさせてもらえないでしょうか」

 あたりを見回して男は「困ってるようですね。いいでしょう。どうぞこちらで」と小屋の中に案内する。いきなり現れた不審な人物に、警戒することもなく、事情を聞くこともなく京湖を泊めてくれるようだ。
 案内された小さな小屋のなかは土間を上がるとすぐ寝台になっている。

「あの、あなたはどこで?」
「心配しないでいいです。ああ、湯が使いたかったら外のかまどで沸かせるのでどうぞ」

 汚れている様子を改めて自覚すると、京湖は赤面した。しかし顔が赤いことは汚れのせいでわからないだろう。急に京湖は顔を洗って以前の美しい清潔な肌を男に見せたくなる。言われるようにまた外に出て湯を沸かし、身体をこざっぱりとさせることにした。彼は窯から陶器を出すことに専念しているようで、京湖の行動をチェックすることはなかった。

 桶の中の湯で顔を洗い髪も洗った。荒い布で手足もこする。濁った湯を何度も換えて体中をこすり上げる。こざっぱりした後、荷物の袋から、唯一の美しい衣と玉の腕輪を出して身に着ける。胸に手を置き、深呼吸して男の様子を伺うと、彼は陶器をすべて出してしまったようで、窯の入り口に木の板で蓋をしている。

「あの……」

 京湖の声に、振り向いた男は彼女の姿にアッと声をあげる。月明かりが彼女を照らしている。明るいミルクチョコレート色の肌は輝き、大きな黒い瞳は潤んで光る。濡れた髪は豊かに波打っている。時間が止まったように二人は見つめ合った。先に言葉を発したのは男だった。

「あなたは……。ラージハニ様?」
「わたしを知ってるの?」
「ええ。先日陶器の買い付けの商人から噂を聞きました」
「こんなとこにも……」

 愚かにも正体を現してしまったことを後悔する。彼が自分を都に連れていけば、莫大な報奨金を得られることだろう。

「しばらくはここで匿えると思いますが……」
「え? 」

 意外な言葉に耳を疑って聞き返す。

「あの、わかってるでしょう? 匿うって……」
「あなた様のお父様の政治は素晴らしかった。皆、あなたの味方だと思います。今の大臣は……」
「そうね……」

 高潔な父と違い、欲深い一族が今政権を得ている。このままでは国民は重税に苦しむことになるだろう。

「一緒に行きますか? 陶器の検品と手入れを終えたら行商に出ます」
「行商?」
「隣の中華国にも行くつもりです」
「東国へ……」
「とにかく今日はもう寝るといいでしょう」
「ありがとう」


 久しぶりにぐっすり眠ったと身体を起こす。小屋の外に出て、男の姿を探したがなかった。

「やっぱり、気が変わって通報しに行ったのかしら……」

 不安な気持ちで小屋の周りをうろつき、ふと焼き窯に目が向く。山土で作られた小高い窯は肌色で触るとざらついていてほんのり暖かかった。窯の入り口に目をやると、足が出ているのが見えた。どうやら男は窯の中で眠ったらしい。
 ほっと胸をなでおろし、窯の中を覗く。薄暗い空間を目を凝らしてみているとぼんやり中が見えた。

「結構広いのね」

 男を起こさないようにそっと入ってみた。暖かく安心感のある空間だ。じっとうずくまっている自分がまるで胎児になって母親の腹の中で永年の安眠を得ている錯覚を起こす。じっと何もせず、話さすこともなく過ごす時間は穏やかで安らいだ。

「退屈じゃないですか?」

 声を掛けられてハッと声のほうを向くと男が体を起こしていた。

「不思議ね。窯の中って落ち着くのね」
「ええ。窯は母の胎内ともいわれてます。作品を生み出す場所でもありますから」
「そうなのね」
「今、粥でも作りますから」

 男が窯から出たので京湖も後に続いた。

 食事がすむと男は陶器の傷の有無や割れなどを調べる。京湖も何か手伝いたいと申し出ると男は嬉しそうに、陶器のざらつきを砥石でそっととってほしいと頼まれた。陶器はすべて日用雑器で大きさが色々な碗が多かった。壷なども作るが、今回は遠出をするつもりだったので、重なる碗を数多く作ったということだった。

「ラージハニ様は中華国に行ったことはありますか?」
「いいえ。国から出たことはないの。ところで様はつけないでわたしはもう乞食同然なのよ」
「では、これから中華国に行くことですし、京湖とお呼びします」
「京湖?」
「あなたの名前を漢風にしてみました。都の湖という名前です」
「綺麗な名前ね。あなたの漢名は?」
「彰浩。朱彰浩です」
「彰浩。京湖」

 新しい名前を得て嬉しくて何度かつぶやいた。

「夫婦だと国を出やすいので、名を聞かれたら、朱京湖と答えてください」
「わかったわ。でもその言葉遣いはやめて。夫らしくないわ」

 笑う京湖に彰浩は「あ、そうですね」とまた答えた。

「お互いに練習が必要ね」

 しばらく時間がかかったが言葉の変化とともに二人のかかわりも変化していった。

 辺鄙な町の国境は検問が緩く、彰浩と京湖はすんなり国を出ることができた。荷車にめい一杯積んだ陶器を見て兵士は「稼いで来いよ」と声援とともに見送ってくれる。顔の汚れた京湖をちらっと見て「もう少し楽をさせてやれよ」といたわる兵士もいる。恥ずかしいと思いながらも、京湖はまだまだこの国の人たちの温かい気持ちに触れることができ嬉しかった。
 国を出た時、京湖は振り返って石造りの大きな関所をみる。壁面には巨大な仏が何体かほられている。

「お守りください」

 仏に祈り、新たに中華国の土を踏みしめた。荷車は重いのでゆっくりゆっくりと進んでいく。押している京湖に彰浩が「少しあの木陰で休憩しよう」と休ませてくれた。

「足手まといよね……」
「そんなことはない。助かってるよ。もう少しすると最初の町に着くから、そこで今夜は休もう」

 休んだのちまた黙々と荷車を押して歩く。このような肉体労働をしたことがなかったが、京湖は楽しかった。小さな町に着くと彰浩はまず宿を探した。宿屋の主人は夫婦だということで、当然のように一部屋用意する。

「俺は床で寝るから、京湖が寝台を使うと良い」
「そんな。疲れてるだろうから寝台で寝て」
「平気だ。窯の中でも寝られるくらいだし」

 夫婦といっても形式なので彰浩は京湖に遠慮する。

「彰浩。わたしたち本当の夫婦にはなれないかしら」

 背を向ける彰浩に京湖はそっと頬を寄せる。後ろからすっと細い腕をまわし、彰浩のたくましい胸を撫でる。

「だめだ。そういうつもりじゃない」
「わたしは、あの、そういうつもりだわ。きっと会った時からそうしたいと思ってた」
「京湖……」

 大臣の娘である京湖は、幼いころから性愛について学んでいて、夫と決めた相手には情欲を隠さない。すっと彰浩に向かい合わせとなり、唇を突き出し口づけをねだる。彼女の情熱的でセクシーな誘惑をはねつけることのできる男はいないだろう。
 濡れたような紅い唇に彰浩は自分の唇を重ねた。

「彰浩、寝台に行きましょう」

 京湖は彼の手を取り、微笑みながら寝台へと腰掛ける。並んで座り京湖は彼の肩から腕を何度も撫でる。

「陶工はとても逞しいのね」
「あ、ああ。力仕事も多いから」

 緊張を隠せない彰浩に、京湖は大胆に胸の中に飛び込む。

「妻にしてほしいわ……」

 ごくりと彰浩の喉が鳴る音が聞こえ、京湖はそのまま彼の胸の早まる鼓動を聞いた。

 夫婦となった二人はどんな生活になっても寄り添いあっていきたいと願う。京湖は最愛の夫を得て、無上の喜びを感じていた。たとえ国に帰ることができなくても、彼さえいればそこが京湖の生きる場所だった。
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