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一章
22.あなたを好きになった日
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二度目のセックスの後、香澄はスキンケアや着替えのため、洗面所を借りた。
着ていた服や下着は永瀬が洗濯機を回してくれているので、コンビニで購入したキャミソールとショーツを身につけ、服は永瀬のTシャツと半ズボンを借りたのだが…小柄な香澄にとって、180cm近い永瀬のTシャツと半ズボンはぶかぶかだ。
しかもノーブラなので、無性にそわそわしてしまう。
加えて服に染みついた彼の匂いが、まるで彼に抱きしめられているようで一層胸を高鳴らせた。
落ち着かない気持ちのまま洗面所を出ると、足音を聞きつけた永瀬が迎えに来てくれた。
見上げたその姿はいつもと違っていて、思わず香澄は立ち止まった。
(眼鏡かけてる…!)
ウェリントンの黒眼鏡をかけ、Tシャツと黒ズボンというラフな格好の永瀬は、いつもより雰囲気が柔らかく見える。
かっこいい人はどんな格好をしていても素敵なのだなと目を奪われていると、永瀬も香澄を見てふっと笑った。
それにまた胸がときめいたが、彼が微笑んだ原因が自分の装いだと気付いた途端に恥ずかしくなって、顔を赤くして俯いた。
「可愛すぎてヤバイ」
「…すみません、ちっちゃくて」
小さくて子供みたいという意味なのだろうと解釈して答えたら、「違う、違う」と永瀬が笑った。
「俺の服着てる香澄があんまり可愛いから、また理性飛びそうってこと」
ストレートに言われて、香澄は目を瞬かせた。
永瀬は優しく笑うとその髪を撫で、こっち、と手を引いて歩き出す。
「…永瀬さんも、眼鏡、素敵です」
「ん?ああ、ありがと。外ではコンタクトなんだけど、家ではね。――はい、ここがリビング。あんま片付いてないけど」
扉を開けると、モノクロ基調の家具で統一された広いLDKの部屋が姿を現した。
シンプルで洗練された印象は、いかにも永瀬らしい。
ところどころOA機器や配線などでごちゃついていたり、飲みかけのペットボトルが置かれたままになっているものの、さほど荒れた感じがしないのは、そもそも物が置かれていないせいなのかもしれなかった。
「座って。いっぱい動いたから、水分補給しよ」
「…はい」
あまり深くは突っ込まず、導かれるままにソファに座った。
テーブルに残されていたペットボトルと引き換えに、さっきコンビニで買ってきたお茶を永瀬がコップと一緒に置いていった。
彼がキッチンに行って戻ってくるまでの間にお茶を二人分のコップに注いで待っていると、「お待たせ」と言って彼がすぐ隣に座った。
「お茶、どうぞ」
「ありがと」
永瀬にコップを渡した後でお茶を口にした香澄は、そこでようやく自分が喉が渇いていたことに気付いた。
一気に飲み干して、何となくお代わりを注ぐ。
隣の永瀬も飲み干していたので「お代わりいりますか?」と尋ねると、うん、と返事があった。
テーブルの上に受け取ったコップを置き、お茶を注ぐ。そして彼に手渡そうとそのコップに手を伸ばそうとしたところで――後ろからぎゅっと抱き締められた。
「お茶じゃなくて、香澄をおかわりしたい」
その言葉に香澄はぎょっとした。
既に身体は二回の情事を重ねたことで気怠さを感じている。
久しぶりのセックスだった上、想像以上に激しく乱れてしまったせいで、かなりの体力を消耗してしまった。
できれば今日はこのくらいにしておきたいのだが、果たして彼を説得できるだろうか。
「…もう二回しましたけど…」
「全然足りない、まだいける」
「いけるとか、そういう問題ではなく…!」
「そんな可愛い格好見せられて何もしないっていう方が無理なんだけど。また俺を生殺しにする気?」
「でも、あの、もう0時回ってますし今日はそろそろ…」
「え、夜はこれからでしょ?」
意地悪く笑いながら彼の右手が香澄の頬に伸び、唇を奪う。
まるで頭の芯が痺れるような、甘いキス。こうして口付けを交わすのは、もう一体何度目だろう。
彼のキスは上手すぎて、経験の少ない香澄では到底太刀打ちできない。
夢中で受け入れているうち、ふと彼の手がTシャツの中に入ろうとしてきて――香澄は慌てて理性を掻き集めた。
「あの、私、少しお話したいです」
咄嗟に出た言葉だったが、我ながらいい提案だと思った。
永瀬の手が一瞬止まって、整った顔がちらりと怪訝に覗き込んでくる。
「話って?」
「聞きたいことが、色々」
「…触りながらでもいいかな、ちゃんと答えるから」
「わ、私が集中できないので…!」
ぎゅっと彼の手を強く掴んで見上げたら、本気だということが伝わったらしい。
永瀬は不満げな表情を見せたが、やがて渋々とその手を退散させた。
しかしせめてもの抵抗と言わんばかりに香澄の体に手を回して抱き寄せ、離れようとしない。
まるで甘えんぼうのようなだと思いながらも、香澄はその手を振りほどくことはしなかった。
「ずっと聞きたかったんですけど…あの、いつから私のことを…?」
その質問は彼にとって予想外であると同時に、あまり歓迎されるものではなかったようだ。
「…それ答えなきゃダメ?」
永瀬は渋ったが、香澄は好奇心に逆らえなかった。
「聞きたいです」とねだったら、永瀬は観念したように香澄の肩に顎を乗せると、拗ねたように答えた。
「…香澄と町谷の、連絡役をしてた時」
「えっ!」
その答えこそ、香澄にとって予想外だった。
なぜならそれは、今から1年半も前のことだったからだ。
町谷がB社の顧客業務に駆り出されて不在だったとき、町谷に確認してもらいたい資料等の受け渡しを永瀬を通じてやりとりしていた。
…まさかそんな前から想ってくれていたなんて。
「な、なんで…何がきっかけで?」
訊ねたのは、全く思い当たることがなかったからだ。
あの頃、たまに雑談などをすることはあったものの、基本的に仕事の話しかしていなかったはず。
一体どんなタイミングで彼が自分に好意を寄せるようになったのか、見当もつかなかった。
「M社の契約書提出が遅れた時、かな」
「M社…?」
「ほら、13時までに提出するって約束してたのにちょっと遅れちゃったやつ」
「…あ!」
彼の言葉で、その時のことがたちまち脳裏に蘇った。
――あれは確か、契約書の総務提出締め日。
交通事情により、永瀬の帰社が約束の13時に間に合わなかったのだ。
事前に町谷から「13時過ぎたら容赦なく切り捨てていい」と言われていたこともあり、10分前になっても現れない永瀬を香澄は心配していた。
本来であれば、納期を過ぎたものは遅延報告をして処理しなければならない。
だが多忙な中、町谷との連絡役を嫌な顔一つせず請け負ってくれている彼に、香澄は何かお礼をしたいとずっと思っていた。
そこで、13時直前に香澄は執務スペースを出ることにした。
幸い、偶然にも午前中の仕事が長引いて13時半まで休憩だったので、誰にも怪しまれることはなかった。
そうして扉の前で待つこと暫し、ようやく永瀬が現れたのだ。
「あの時、13時までに受領したことにしておくって言って助けてくれただろ。人目につかないよう、わざわざ扉の前で待ってさ。そういうさりげない配慮ができる子なんだなって思った。しかもありがとうって言ったらめちゃくちゃ可愛く笑うし。その笑顔に全部持ってかれた」
「そんな…ことで?」
「もともと、いい子だとは思ってたよ。仕事に対して真摯だし、俺に媚びたりすることもなかったしさ。そういう積み重ねも勿論あるけど、決定打になったのはそれかな」
言って、永瀬は続ける。
あれ以来、やけに香澄のことが気になって、ただのおつかい役でも会えるのが密かな楽しみになっていた。
繁忙期に突入して本社と町谷を結ぶ連絡便の数が増えた時、それを嫌だと思わなかった理由の一つは、それだけ香澄に会う機会が増えたから。
短い時間でも業務連絡でも、ただ話せることが嬉しくて、それがどれだけあの頃の活力になっていたことか。
でも町谷が本社に戻ってからは、香澄と接する機会がほとんどなくなってしまった。
町谷がいるのに香澄に業務相談することは明らかに不自然だったし、私用で話しかけるなど以ての外で、周囲に何を言われるか分からない。
だから香澄に話しかけられるのは総務を訪れたときに運よく町谷が不在の時のみ、たまにようやくその機会を得ても、香澄は必要以上に話を長引かせることも視線を合わせることもしてくれなかったので、いつもきっかけすら掴めないまま時間だけが過ぎていった。
やがて、いつしかそのことをとてももどかしく残念に思う自分がいることに気付いた時――ついにその理由を自覚した。
「どうして…もっと早く気持ちを伝えてくれなかったんですか?」
呆然としながら香澄が尋ねると、いやだって、と永瀬は困ったように頭を掻いた。
「前にも言ったけど、香澄は俺のことなんとも思ってなかっただろ。フラれると分かってて告白なんかできないよ」
「ならどうして、あの夜…」
「それは…もう二度とないチャンスだと思ったから。駅で香澄を見つけたとき、これを逃したら絶対後悔すると思った。だから警戒されないように、できる限り平然を装って声かけたんだよ。電車に乗ってからは、この後なんとか食事に誘えないかなってそればっか考えてたな。そしたら帰宅方法が見つからないっていう奇跡がおきて、食事に行けることになって。最低でもプライベートの連絡先は聞き出さないとって話の糸口探してたら、突然香澄が好きな人はいるのかとか聞いてきて――初めて俺に興味見せたから、これはもしかしてって期待した。だから、イチかバチかの勝負に出た」
香澄は彼の口から出た真実に言葉を失った。
あの夜、偶然出くわした彼はいつもとなんら変わらないように見えた。
大人の余裕で、困っている香澄をただ助けてくれたのだと。
それが――そんな真実が隠されていたなんて。
「ま、蓋を開けてみればやっぱり俺のことなんとも思ってなくて凹んだけど。でも今更引き返すことなんてできないし、だからあの時俺、必死になって言いくるめてただろ?お試しでもいいからとか、証明してみせるからとか言ってさ。真面目な香澄がそういうのに抵抗あるのも、戸惑ってたのも勿論分かってたけど、とりあえず恋人枠に嵌めて囲い込んで、後はもうひたすら想いを伝え続けていくしかないって思った。そしたらいつか俺のこと本当に好きになってくれるんじゃないかって、その可能性に賭けたってわけ」
唖然と聞いている香澄を永瀬はちらりと見やると、「ほらやっぱ引いてる、だから言いたくなかったんだよ」と苦笑した。
「言っただろ、俺も重い方だって。あーあ、言うつもりなかったのに、なんで繊細な男心を暴いちゃうのかな」
「あ…ごめんなさい…」
「謝らなくていいから、お返しに俺も聞いていい?香澄はいつから俺のこと意識してくれてたの?」
「…私だって、ずっと永瀬さんのこと素敵だなって思ってました。それこそ、初めて会った時…永瀬さんに助けてもらったあの日から」
え、と永瀬が顔を上げた。
それまでふてくされていた顏が一転、驚きの表情に変わる。
実は、永瀬と初めて会った日を香澄は今も鮮明に覚えている。
あれは総務に来て間もない頃、プリンターで使用するインクカートリッジの在庫補充をしていたときのことだ。
大型キャビネットの一番上段にしまおうとしたが、手が届かなかった。
脚立を持ってきたものの、それでもあとわずか届かず、困り果てていたとき――「大丈夫?手伝おうか?」と声をかけてくれたのだ。
振り返った先にいた彼はまるで漫画から出てきたヒーローのようで、香澄は一瞬見とれた。
そんな香澄をよそに永瀬は彼女の手からカートリッジを引き受けると、「ここでいいかな?」と難なく最上段に置いてくれたのだ。
そして慌ててお礼の言葉を伝えた香澄に「どういたしまして、頑張って」と笑うと、颯爽と去っていった。
それは時間にしてみれば、多分十数秒の出来事。
けれど香澄の中にしっかりと刻まれて、以来忘れることができなかった。
「マジか…全然覚えてない…」
永瀬が手を額に当てて悔しそうに呟く。やはりその時のことは記憶にないらしい。
彼にとってはたまたまそこに困ってる人がいたから助けた、その程度のことだったのだろう。
実際、香澄以外の総務社員でも、彼に助けられたという人は結構多い。
男女問わず彼のファンがいろんな部署に多いのは、ただ外見がいいからだけではなく、そういうことを当たり前にできる人物だからだ。
「あの時助けてくれたのが永瀬さんだと知ったのは、しばらく経ってからのことです。契約管理担当として挨拶したの覚えてますか?」
「ああ、それは覚えてる。むしろ俺の中ではそれが最初の記憶で」
香澄は総務に異動後しばらくして契約管理担当に任命された。
その後、永瀬が総務を訪れたタイミングで、今後関わりが深くなるだろうからと町谷によって紹介されたのだが、彼があの「永瀬 紘司」だと知って、香澄は少なからず驚いた。
優秀な営業マンとしてその名は社内に知れ渡っていたが、それまで彼女が出会ってきた営業マンはどちらかといえば押しの強そうな人が多かったので、それとはまるで正反対の、悠然とした雰囲気を持つ彼は、あまりに予想外だった。
端正な顔立ちに、洗練された外見、落ち着いた立ち振る舞い。
助けてもらった時のこともあって、「よろしくお願いいたします」と言うだけでどれほどの勇気を使ったことか。
しかし緊張する香澄とは対照的に、永瀬は人当たりのいい笑顔で「よろしく」と一言微笑んだだけ。
きっとただの営業スマイルだったのだろうが、彼の笑顔が、視線が、ほんの一瞬でも自分に向いたことが嬉しくて恥ずかしくて――以来、彼を見かける度に、香澄はやけに意識するようになった。
「私はそれを憧れだと思ってました。そう思うようにしてたんです。だってかっこよくて、営業のエースで、絶対私なんか相手されるわけないから。だから永瀬さんが近くに来ても、決して視線で追わないように、考えないようにしてました。そうやって自分の気持ちを抑えるのに必死だったんです。…あの日好きだって言ってもらえて、夢のように嬉しかったけど、同時に怖かった。一度意識してしまったらどうしようもなく好きになることも、フラれたら二度と立ち直れなくなることも分かってたから。だから踏み込みすぎないようにしなきゃって思ってたのに、一緒にいるだけですごく嬉しくて幸せで。あんなにもう恋愛しないって思ってたのに、あっという間に傾いていっちゃって、自分でもすごく戸惑いました。だけど天沢さんを連れて出張に行った時、もしかして靡いてしまうんじゃないかってすごく不安になって…そんなの嫌、誰にも渡したくないって、それでどうしようもなく好きだって分かって…」
ぎゅっと彼の腕を掴みながら言い切ると、暫しの沈黙の後、永瀬が強く香澄を抱き締めた。
そして脱力したように彼女の耳元でため息を吐くと、その後小さく笑った。
「何それ…それこそ、早く言ってよ」
「す、すみません」
「謝らないで。めちゃくちゃ嬉しいんだから」
こっち向いて、と言いながら永瀬は香澄の顔を自分の方へ向かせると、そのまま赤く熟れた唇を求めた。
甘く重なった唇はあっという間に深く絡んで、幸せな沈黙が続く。
キスしながら永瀬が香澄の腕を引いて向かい合う形になると、香澄も彼の首に腕をまわして、貪るようにキスを味わった。
やがて唇が離れたとき、長い間両片思いだった事実を思い出して、二人は見つめ合いながら笑った。
着ていた服や下着は永瀬が洗濯機を回してくれているので、コンビニで購入したキャミソールとショーツを身につけ、服は永瀬のTシャツと半ズボンを借りたのだが…小柄な香澄にとって、180cm近い永瀬のTシャツと半ズボンはぶかぶかだ。
しかもノーブラなので、無性にそわそわしてしまう。
加えて服に染みついた彼の匂いが、まるで彼に抱きしめられているようで一層胸を高鳴らせた。
落ち着かない気持ちのまま洗面所を出ると、足音を聞きつけた永瀬が迎えに来てくれた。
見上げたその姿はいつもと違っていて、思わず香澄は立ち止まった。
(眼鏡かけてる…!)
ウェリントンの黒眼鏡をかけ、Tシャツと黒ズボンというラフな格好の永瀬は、いつもより雰囲気が柔らかく見える。
かっこいい人はどんな格好をしていても素敵なのだなと目を奪われていると、永瀬も香澄を見てふっと笑った。
それにまた胸がときめいたが、彼が微笑んだ原因が自分の装いだと気付いた途端に恥ずかしくなって、顔を赤くして俯いた。
「可愛すぎてヤバイ」
「…すみません、ちっちゃくて」
小さくて子供みたいという意味なのだろうと解釈して答えたら、「違う、違う」と永瀬が笑った。
「俺の服着てる香澄があんまり可愛いから、また理性飛びそうってこと」
ストレートに言われて、香澄は目を瞬かせた。
永瀬は優しく笑うとその髪を撫で、こっち、と手を引いて歩き出す。
「…永瀬さんも、眼鏡、素敵です」
「ん?ああ、ありがと。外ではコンタクトなんだけど、家ではね。――はい、ここがリビング。あんま片付いてないけど」
扉を開けると、モノクロ基調の家具で統一された広いLDKの部屋が姿を現した。
シンプルで洗練された印象は、いかにも永瀬らしい。
ところどころOA機器や配線などでごちゃついていたり、飲みかけのペットボトルが置かれたままになっているものの、さほど荒れた感じがしないのは、そもそも物が置かれていないせいなのかもしれなかった。
「座って。いっぱい動いたから、水分補給しよ」
「…はい」
あまり深くは突っ込まず、導かれるままにソファに座った。
テーブルに残されていたペットボトルと引き換えに、さっきコンビニで買ってきたお茶を永瀬がコップと一緒に置いていった。
彼がキッチンに行って戻ってくるまでの間にお茶を二人分のコップに注いで待っていると、「お待たせ」と言って彼がすぐ隣に座った。
「お茶、どうぞ」
「ありがと」
永瀬にコップを渡した後でお茶を口にした香澄は、そこでようやく自分が喉が渇いていたことに気付いた。
一気に飲み干して、何となくお代わりを注ぐ。
隣の永瀬も飲み干していたので「お代わりいりますか?」と尋ねると、うん、と返事があった。
テーブルの上に受け取ったコップを置き、お茶を注ぐ。そして彼に手渡そうとそのコップに手を伸ばそうとしたところで――後ろからぎゅっと抱き締められた。
「お茶じゃなくて、香澄をおかわりしたい」
その言葉に香澄はぎょっとした。
既に身体は二回の情事を重ねたことで気怠さを感じている。
久しぶりのセックスだった上、想像以上に激しく乱れてしまったせいで、かなりの体力を消耗してしまった。
できれば今日はこのくらいにしておきたいのだが、果たして彼を説得できるだろうか。
「…もう二回しましたけど…」
「全然足りない、まだいける」
「いけるとか、そういう問題ではなく…!」
「そんな可愛い格好見せられて何もしないっていう方が無理なんだけど。また俺を生殺しにする気?」
「でも、あの、もう0時回ってますし今日はそろそろ…」
「え、夜はこれからでしょ?」
意地悪く笑いながら彼の右手が香澄の頬に伸び、唇を奪う。
まるで頭の芯が痺れるような、甘いキス。こうして口付けを交わすのは、もう一体何度目だろう。
彼のキスは上手すぎて、経験の少ない香澄では到底太刀打ちできない。
夢中で受け入れているうち、ふと彼の手がTシャツの中に入ろうとしてきて――香澄は慌てて理性を掻き集めた。
「あの、私、少しお話したいです」
咄嗟に出た言葉だったが、我ながらいい提案だと思った。
永瀬の手が一瞬止まって、整った顔がちらりと怪訝に覗き込んでくる。
「話って?」
「聞きたいことが、色々」
「…触りながらでもいいかな、ちゃんと答えるから」
「わ、私が集中できないので…!」
ぎゅっと彼の手を強く掴んで見上げたら、本気だということが伝わったらしい。
永瀬は不満げな表情を見せたが、やがて渋々とその手を退散させた。
しかしせめてもの抵抗と言わんばかりに香澄の体に手を回して抱き寄せ、離れようとしない。
まるで甘えんぼうのようなだと思いながらも、香澄はその手を振りほどくことはしなかった。
「ずっと聞きたかったんですけど…あの、いつから私のことを…?」
その質問は彼にとって予想外であると同時に、あまり歓迎されるものではなかったようだ。
「…それ答えなきゃダメ?」
永瀬は渋ったが、香澄は好奇心に逆らえなかった。
「聞きたいです」とねだったら、永瀬は観念したように香澄の肩に顎を乗せると、拗ねたように答えた。
「…香澄と町谷の、連絡役をしてた時」
「えっ!」
その答えこそ、香澄にとって予想外だった。
なぜならそれは、今から1年半も前のことだったからだ。
町谷がB社の顧客業務に駆り出されて不在だったとき、町谷に確認してもらいたい資料等の受け渡しを永瀬を通じてやりとりしていた。
…まさかそんな前から想ってくれていたなんて。
「な、なんで…何がきっかけで?」
訊ねたのは、全く思い当たることがなかったからだ。
あの頃、たまに雑談などをすることはあったものの、基本的に仕事の話しかしていなかったはず。
一体どんなタイミングで彼が自分に好意を寄せるようになったのか、見当もつかなかった。
「M社の契約書提出が遅れた時、かな」
「M社…?」
「ほら、13時までに提出するって約束してたのにちょっと遅れちゃったやつ」
「…あ!」
彼の言葉で、その時のことがたちまち脳裏に蘇った。
――あれは確か、契約書の総務提出締め日。
交通事情により、永瀬の帰社が約束の13時に間に合わなかったのだ。
事前に町谷から「13時過ぎたら容赦なく切り捨てていい」と言われていたこともあり、10分前になっても現れない永瀬を香澄は心配していた。
本来であれば、納期を過ぎたものは遅延報告をして処理しなければならない。
だが多忙な中、町谷との連絡役を嫌な顔一つせず請け負ってくれている彼に、香澄は何かお礼をしたいとずっと思っていた。
そこで、13時直前に香澄は執務スペースを出ることにした。
幸い、偶然にも午前中の仕事が長引いて13時半まで休憩だったので、誰にも怪しまれることはなかった。
そうして扉の前で待つこと暫し、ようやく永瀬が現れたのだ。
「あの時、13時までに受領したことにしておくって言って助けてくれただろ。人目につかないよう、わざわざ扉の前で待ってさ。そういうさりげない配慮ができる子なんだなって思った。しかもありがとうって言ったらめちゃくちゃ可愛く笑うし。その笑顔に全部持ってかれた」
「そんな…ことで?」
「もともと、いい子だとは思ってたよ。仕事に対して真摯だし、俺に媚びたりすることもなかったしさ。そういう積み重ねも勿論あるけど、決定打になったのはそれかな」
言って、永瀬は続ける。
あれ以来、やけに香澄のことが気になって、ただのおつかい役でも会えるのが密かな楽しみになっていた。
繁忙期に突入して本社と町谷を結ぶ連絡便の数が増えた時、それを嫌だと思わなかった理由の一つは、それだけ香澄に会う機会が増えたから。
短い時間でも業務連絡でも、ただ話せることが嬉しくて、それがどれだけあの頃の活力になっていたことか。
でも町谷が本社に戻ってからは、香澄と接する機会がほとんどなくなってしまった。
町谷がいるのに香澄に業務相談することは明らかに不自然だったし、私用で話しかけるなど以ての外で、周囲に何を言われるか分からない。
だから香澄に話しかけられるのは総務を訪れたときに運よく町谷が不在の時のみ、たまにようやくその機会を得ても、香澄は必要以上に話を長引かせることも視線を合わせることもしてくれなかったので、いつもきっかけすら掴めないまま時間だけが過ぎていった。
やがて、いつしかそのことをとてももどかしく残念に思う自分がいることに気付いた時――ついにその理由を自覚した。
「どうして…もっと早く気持ちを伝えてくれなかったんですか?」
呆然としながら香澄が尋ねると、いやだって、と永瀬は困ったように頭を掻いた。
「前にも言ったけど、香澄は俺のことなんとも思ってなかっただろ。フラれると分かってて告白なんかできないよ」
「ならどうして、あの夜…」
「それは…もう二度とないチャンスだと思ったから。駅で香澄を見つけたとき、これを逃したら絶対後悔すると思った。だから警戒されないように、できる限り平然を装って声かけたんだよ。電車に乗ってからは、この後なんとか食事に誘えないかなってそればっか考えてたな。そしたら帰宅方法が見つからないっていう奇跡がおきて、食事に行けることになって。最低でもプライベートの連絡先は聞き出さないとって話の糸口探してたら、突然香澄が好きな人はいるのかとか聞いてきて――初めて俺に興味見せたから、これはもしかしてって期待した。だから、イチかバチかの勝負に出た」
香澄は彼の口から出た真実に言葉を失った。
あの夜、偶然出くわした彼はいつもとなんら変わらないように見えた。
大人の余裕で、困っている香澄をただ助けてくれたのだと。
それが――そんな真実が隠されていたなんて。
「ま、蓋を開けてみればやっぱり俺のことなんとも思ってなくて凹んだけど。でも今更引き返すことなんてできないし、だからあの時俺、必死になって言いくるめてただろ?お試しでもいいからとか、証明してみせるからとか言ってさ。真面目な香澄がそういうのに抵抗あるのも、戸惑ってたのも勿論分かってたけど、とりあえず恋人枠に嵌めて囲い込んで、後はもうひたすら想いを伝え続けていくしかないって思った。そしたらいつか俺のこと本当に好きになってくれるんじゃないかって、その可能性に賭けたってわけ」
唖然と聞いている香澄を永瀬はちらりと見やると、「ほらやっぱ引いてる、だから言いたくなかったんだよ」と苦笑した。
「言っただろ、俺も重い方だって。あーあ、言うつもりなかったのに、なんで繊細な男心を暴いちゃうのかな」
「あ…ごめんなさい…」
「謝らなくていいから、お返しに俺も聞いていい?香澄はいつから俺のこと意識してくれてたの?」
「…私だって、ずっと永瀬さんのこと素敵だなって思ってました。それこそ、初めて会った時…永瀬さんに助けてもらったあの日から」
え、と永瀬が顔を上げた。
それまでふてくされていた顏が一転、驚きの表情に変わる。
実は、永瀬と初めて会った日を香澄は今も鮮明に覚えている。
あれは総務に来て間もない頃、プリンターで使用するインクカートリッジの在庫補充をしていたときのことだ。
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脚立を持ってきたものの、それでもあとわずか届かず、困り果てていたとき――「大丈夫?手伝おうか?」と声をかけてくれたのだ。
振り返った先にいた彼はまるで漫画から出てきたヒーローのようで、香澄は一瞬見とれた。
そんな香澄をよそに永瀬は彼女の手からカートリッジを引き受けると、「ここでいいかな?」と難なく最上段に置いてくれたのだ。
そして慌ててお礼の言葉を伝えた香澄に「どういたしまして、頑張って」と笑うと、颯爽と去っていった。
それは時間にしてみれば、多分十数秒の出来事。
けれど香澄の中にしっかりと刻まれて、以来忘れることができなかった。
「マジか…全然覚えてない…」
永瀬が手を額に当てて悔しそうに呟く。やはりその時のことは記憶にないらしい。
彼にとってはたまたまそこに困ってる人がいたから助けた、その程度のことだったのだろう。
実際、香澄以外の総務社員でも、彼に助けられたという人は結構多い。
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「あの時助けてくれたのが永瀬さんだと知ったのは、しばらく経ってからのことです。契約管理担当として挨拶したの覚えてますか?」
「ああ、それは覚えてる。むしろ俺の中ではそれが最初の記憶で」
香澄は総務に異動後しばらくして契約管理担当に任命された。
その後、永瀬が総務を訪れたタイミングで、今後関わりが深くなるだろうからと町谷によって紹介されたのだが、彼があの「永瀬 紘司」だと知って、香澄は少なからず驚いた。
優秀な営業マンとしてその名は社内に知れ渡っていたが、それまで彼女が出会ってきた営業マンはどちらかといえば押しの強そうな人が多かったので、それとはまるで正反対の、悠然とした雰囲気を持つ彼は、あまりに予想外だった。
端正な顔立ちに、洗練された外見、落ち着いた立ち振る舞い。
助けてもらった時のこともあって、「よろしくお願いいたします」と言うだけでどれほどの勇気を使ったことか。
しかし緊張する香澄とは対照的に、永瀬は人当たりのいい笑顔で「よろしく」と一言微笑んだだけ。
きっとただの営業スマイルだったのだろうが、彼の笑顔が、視線が、ほんの一瞬でも自分に向いたことが嬉しくて恥ずかしくて――以来、彼を見かける度に、香澄はやけに意識するようになった。
「私はそれを憧れだと思ってました。そう思うようにしてたんです。だってかっこよくて、営業のエースで、絶対私なんか相手されるわけないから。だから永瀬さんが近くに来ても、決して視線で追わないように、考えないようにしてました。そうやって自分の気持ちを抑えるのに必死だったんです。…あの日好きだって言ってもらえて、夢のように嬉しかったけど、同時に怖かった。一度意識してしまったらどうしようもなく好きになることも、フラれたら二度と立ち直れなくなることも分かってたから。だから踏み込みすぎないようにしなきゃって思ってたのに、一緒にいるだけですごく嬉しくて幸せで。あんなにもう恋愛しないって思ってたのに、あっという間に傾いていっちゃって、自分でもすごく戸惑いました。だけど天沢さんを連れて出張に行った時、もしかして靡いてしまうんじゃないかってすごく不安になって…そんなの嫌、誰にも渡したくないって、それでどうしようもなく好きだって分かって…」
ぎゅっと彼の腕を掴みながら言い切ると、暫しの沈黙の後、永瀬が強く香澄を抱き締めた。
そして脱力したように彼女の耳元でため息を吐くと、その後小さく笑った。
「何それ…それこそ、早く言ってよ」
「す、すみません」
「謝らないで。めちゃくちゃ嬉しいんだから」
こっち向いて、と言いながら永瀬は香澄の顔を自分の方へ向かせると、そのまま赤く熟れた唇を求めた。
甘く重なった唇はあっという間に深く絡んで、幸せな沈黙が続く。
キスしながら永瀬が香澄の腕を引いて向かい合う形になると、香澄も彼の首に腕をまわして、貪るようにキスを味わった。
やがて唇が離れたとき、長い間両片思いだった事実を思い出して、二人は見つめ合いながら笑った。
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