14 / 27
13
しおりを挟むどく、どく、と心臓が音を立てる。
今にも胸を突き破って飛び出してきそうだ。
呼吸が上手く出来ない。
「そんなに驚かなくてもいいだろ?」
言葉を失くしている冬に、名取は困ったように笑った。
「昨日、今日は仕事だって言ったの、覚えてない?」
覚えていない。
昨日のことを冬はほとんど思い出せない。
名取と何を話したのかぼんやりとすべてが曖昧だった。
「悪い、…ごめん」
「そう」
「ごめん昨日は…、でもわざわざ来なくても」
くすりと鼻を鳴らして名取は肩を竦めた。
「外に出たからついでに様子を見に来たんだよ。連絡返って来なかったから」
「あ、おれ昼前に返したけど…」
名取はそこでスマホを出し、ああ本当だ、と呟いた。
「気がつかなかったな」
「…本当、昨日はごめん。おれ、なんか色々やらかしたみたいで…」
もう一度謝ると、名取はいいよ、と言った。
「急に意識がなくなったんだよ。酔いつぶれたのかと思って」
心配した、と言われて冬は何も言えなくなった。
「うん…」
ごめん、と冬はもう一度謝った。
「おれ昨日鎮痛剤飲んでて、それ酒と合わないって知らなくて。ほんと、悪かったよ」
「いいよ」
「佑真にも、あと大塚さんにもめいわ──」
「ミヤ」
冬の言葉を名取は遮った。
「この後予定ないなら少し付き合ってよ」
「…え」
「いいよね」
冬は戸惑った。だが昨日かなりの迷惑をかけたのだ。ここで断ってしまうのは申し訳ない気がして冬は頷いた。
名取はそんな冬を見て笑った。
「じゃあ行こう」
そう言って名取は歩き出した。気乗りしないが仕方がない。ついて行こうとして、ふと気がついた。
「なあ、おまえひとり?」
日向は一緒ではないのだろうか。
休みだというのに。
名取はああ、と言った。
「日向さんは?」
「まだ出張中なんだ、日曜に戻ってくる」
「そっか…忙しいな」
そういえば出張だと言っていたのを思い出した。
あれは確か週のはじめだった。そうだとしたら一週間も家を空けていることになる。
結婚前に言っていたように、彼女は本当に忙しそうだ。
「いつもそうだよ」
大したことでもないように言って名取は冬を促した。
「疲れただろ、お茶でもしよう、僕も喉が渇いたから」
「…ああ」
並んで歩き出す。
ざわざわと気持ちが落ち着かない。
距離をもっと取りたいのに、どうして隣にいるのだろう。
まるであの頃のように。
高校時代もこうしてふたりでよく街を歩いていた。
まだ自分の気持ちに無自覚で、名取への好意を友人のそれだと思っていたから、何も考えずひたすら一緒にいたのだ。
それが変わってしまったのは、高校二年の秋。
冬が同級生の女子と付き合い始めてからだ。
『宮田くん、あの、私ずっと宮田くんのことが…』
放課後、委員会があるからとひとり委員会室に向かっていた。名取も一緒の委員会だったが、担任に呼び出されていたので、冬は先に行っていたのだ。
その廊下の曲がり角に彼女は立っていた。
何も知らず階段を上がろうとした冬は、死角にいた彼女に驚いてしまった。
『わ、びっくりした…っ、何してるの、こんなとこで』
『あ…、ちょっと…人を待ってて』
『人?』
その時なぜか冬は、それが名取のことだと思ったのだ。
当時から名取は異性によく好かれていた。人好きのする笑顔のせいか友人も多く、少し話すだけで誰もが名取を好きになった。
大袈裟かもしれないが、それは本当のことだ。
だから冬は彼女もてっきりそうなのだと思った。この階段を上がった先にあるのは委員会室だけ、そしてこんな人気のないところで誰かを待ち伏せる理由など、ひとつしかない。
『あー、佑真なら佐山先生に呼ばれてて、ちょっと遅くなるって』
『え…』
『まあでももう来るよ』
担任の佐山の用はそれほど大したことでもないだろう。教室を出るときにたまたまそこにいた名取が呼ばれただけだったのだ。
それじゃ、と言って冬は彼女の前を通り過ぎようとして──足を止めた。待って、と言った彼女の声に振り向いた。
『待って、違う。名取くんじゃないよ』
彼女はうつむいていた。
耳まで赤くなって。
『私が待ってたのは宮田くん、で…』
赤い顔を上げ、上目に冬を見る目は泣きそうだった。
その目でじっと見つめられた。
それでようやく冬は彼女が自分に向けている好意に気がついたのだ。
宮田くん、と彼女は言った。
『あの、私…ずっと宮田くんのことが好きなの』
『え…、おれ…?』
こくりと彼女は頷いた。
『よかったら、…私と、付き合ってもらえないかな?』
『ええ、と…』
冬は彼女の名前を知らなかった。
同級生だということは分かる。でも違うクラスだ。名取と違ってそれほど冬に友人は多くない。それに元々あまり友人を求めないほうだった。名取と一緒にいるようになってそれも薄れてきていたが、関係を広げていくのは性格的に合わないと感じていた。
だからクラス以外の同級生のことなどまるで興味がなく、彼女のことも何も知らなかった。
『あの…』
『急にごめんね、あの、返事はまたでいいから』
冬の戸惑いを告白されたことへのものだと思ったのか、彼女は早口でそう言うと、そのまま目の前の階段を下りて行ってしまった。
『ちょ…っ、』
待って、と声を掛けた時にはもう、彼女の姿は見えなくなっていた。
『走るの早…』
はあ、とため息をついた。
どくどくと心臓が高鳴っている。
告白されたことなど冬はこれが初めてだった。
でも。
『…誰だったんだろ』
名前くらい言っていけばいいのに。
『──島津遥香だよ』
『っ、!』
突然後ろから声がして冬はばっと振り向いた。
ちょうどこちらからは見えないぎりぎりの位置に、名取が立っていた。
『おま、えっ、何して…! ていうか、聞いてたな!』
『来たらちょうど話してたから』
寄りかかっていた廊下の壁から身を起こし、名取は冬を見下ろした。ようやく身長も伸び、差が縮まりつつあったが、見下ろされることに変わりはない。
『邪魔しちゃ悪いと思って』
『だからって、そこにいることないだろ』
『ごめん』
反省などしていないような顔で名取は笑った。
『…おまえあの子知ってるの?』
『中学が同じだった。確か五組だよ』
五組。冬のクラスは三組だ。接点はないはずなのに、どうしておれなんだろう?
『…で?』
顔を上げると、じっとこちらを見つめる名取の目と視線が合った。珍しくその顔からは笑顔が消えていた。
『で、って…』
『付き合うの?』
名取の言葉に冬は何も返せなかった。
付き合うんだろうか?
今日初めて認識したばかりなのに。
『わからない』
もう行こう、と冬は名取を促した。
委員会はもうとっくに始まっている。
誰かが呼びに来てもおかしくはなかった。
『ほかに好きな人いるの?』
『え?』
階段に足をかけたまま、冬は振り向いた。
いつもとは逆に冬が名取を見下ろしている。
窓から差す傾いた日の陰で自分を見上げる名取の顔は暗かった。
好きな人。
好きだと思う誰か。
そんな相手は──
『いないけど』
上のほうから誰かの足音が近づいてくる。
案の定探しに来たのかもしれない。
『佑真、早く』
冬はさっと階段を上がり、名取を呼んだ。
結局、冬は遥香と付き合うことにした。
後押しをしたのは名取だった。
そして思い知らされたのだ。
自分がどれだけ無自覚に名取をそういう意味で──好きになっていたかということを。
かたん、と置いたカップがやけに大きな音を立てた。
駅近くのカフェで向かい合って座り、とりとめのない話をしている。
「疲れた顔してるね」
名取の言葉に、そうかも、と冬は相槌を打った。
飲んだコーヒーが苦い。
どうして今日は思い出したくもないことばかり思い出してしまうんだろう。
「まあ、今日は早めに寝るよ」
早く帰りたい気持ちをやんわりと込めて冬は言った。
ふたりきりでいるのは嫌だ。
たとえ大勢の人がいるこんな場所でも。
胸の中に重い石をぎゅうぎゅうに詰め込まれたみたいに、息が出来ない。
冬はまたカップを持ち上げて口をつけた。苦いばかりのコーヒーを飲むふりをして、名取から顔を逸らし、窓の外に視線を向ける。
外はもう薄暗かった。夕暮れの時間。さっきまであんなに明るかったのに。
すぐに夜が来る。
…映画、行きたかったな。
「その服似合ってるよ」
「…え?」
「まだ高校生みたいだ」
名取は笑顔で言うと、カップをゆっくりとした仕草で口に運んだ。ふとテーブルに置かれた手に目が行きそうになって、冬はさっと視線を逸らした。
「高校生って…、おれもう26だぞ」
「そうだっけ」
「そうだっけって、おまえな…」
くす、と名取は笑った。
「僕の中じゃミヤはまだ高校生だよ」
「……」
「こうしてるとあの頃の続きみたいでいいね」
あの頃の続き。
八年も経ってまた、あんな思いを繰り返すのだろうか。
嫌だ。
もう嫌だ。
「佑真、あのさ…」
仕事のことは仕方ない。
でもプライベートで会うのはこれきりにしたかった。
冬は今がそれを伝える絶好の機会だと思った。
「あの、おれは──」
意を決して口を開いた。
だが名取は一瞬早く、にっこりと笑って言った。
「じゃあ、このあとどうする?」
え、と冬は戸惑った。
「食事して、映画とかどう? ミヤの好きそうなやつやってるよ」
「いや、佑真おれ、──」
もう会わない、と言いかけた冬の前に、名取がゆっくりと身を乗り出してきた。
「だめだよ、昨日のこと忘れたの?」
「…、っ」
顰めた声が耳元にかかり、思わずぞくりと背筋が震えた。
首を竦めかけると、すぐそばでかすかに笑う気配がした。
「また誘ってもいいって言ったのはミヤだ」
「──」
冬が何を言おうとしたのかを見透かしたように名取は微笑んで、優しいのに有無を言わせぬ口調でゆっくりとそう言った。
なんで、こんな──
(佑真…?)
そして冬はそこではじめて、名取を怖いと思ってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~
大波小波
BL
鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。
彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。
和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。
祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。
夕食も共にするほど、親しくなった二人。
しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。
それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。
浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。
そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。
彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
人気作家は売り専男子を抱き枕として独占したい
白妙スイ@1/9新刊発売
BL
八架 深都は好奇心から売り専のバイトをしている大学生。
ある日、不眠症の小説家・秋木 晴士から指名が入る。
秋木の家で深都はもこもこの部屋着を着せられて、抱きもせず添い寝させられる。
戸惑った深都だったが、秋木は気に入ったと何度も指名してくるようになって……。
●八架 深都(はちか みと)
20歳、大学2年生
好奇心旺盛な性格
●秋木 晴士(あきぎ せいじ)
26歳、小説家
重度の不眠症らしいが……?
※性的描写が含まれます
完結いたしました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる