あなたのことが好きなのに

宇土為名

文字の大きさ
11 / 33

11

しおりを挟む

 匡孝は市倉と並んで帰宅の道を歩いていた。
 遅くなったので送っていくと言い出した市倉に辞退を申し出たが相手にされず、ならば家が見えるところまでと何度も念押した結果だった。ほとほとと革靴の足音とビーチサンダルを引きずる音が重なって、夜の中に響く。住宅街の暗がりに白くなった息が漂う。
 とりとめのない会話をしてしばらく歩くと、やがて自宅近くに差し掛かった。頃合いかと、道の先にマンションが見えた所で匡孝は足を止め、先を行こうとする市倉のスウェットの袖をくい、と引いた。
「先生、もうここでいいよ。ウチ…すぐだし」
 掴んだスウェットの生地が思うよりもずっと冷たくて、匡孝は市倉を見上げる。「もう帰りなよ、風邪引くよ?」
「こんなんで引かないだろ」
 市倉は匡孝を見下ろした。
「ウチ、すぐか?」
「うんほら、あそこ。あのマンションだから…」
 匡孝は家々の屋根の向こうに見える5階建の建物を指した。あの3階に匡孝の自宅がある。
 もういいと匡孝が言うと、市倉は指差されたマンションを確認してから頷いた。
「じゃあ、ここで見てるから」
 匡孝は可笑しくなった。
「女の子じゃないよ」
 市倉は目を細めて匡孝の髪をくしゃ、と掻き回す。
「いいから、早く行け」
「…うん」
 心臓が、ぎゅっと痛んだ。
 指がその手に伸びそうになる。
 匡孝は奥歯を噛み締めた。
 この人が好きだ。
 好きだと思う。
 この人が、その優しさが。
「おやすみ」
 振り返る匡孝に市倉は言った。おやすみなさい、と匡孝は返す。
「また明日ね…先生」
 暗がりに立つ市倉の口元からふわっと白い息が上がった。
 自宅マンションのエントランスに入るまで、匡孝はその背中に市倉の視線を感じ続けていた。

 *

 マンションの中は冷え切っていて寒々しかった。
「ただいま…」
 返事を返すものはない。廊下の明かりが暗いリビングに細長く光を落としている。匡孝はリビングの入口に立ち、部屋の中をゆっくりと見回した。今朝と何も変わらない景色。今日も匡孝の待つその人が帰ってきた形跡はなさそうだった。匡孝はため息を落とすと鞄をソファの上に放った。電話の留守録通知が点滅をしている。再生ボタンを押すと祖母の声が入っていた。
「──匡孝、お祖母ちゃんだけど、元気にしてる?明日お誕生日だからこっちに来れない?佐凪《さな》も拓巳《たくみ》も会いたいって、……」
 聞きながら匡孝はポケットから携帯を取り出して、妹に明日はバイトだから行けない、とメッセージを送った。行けなくてごめん、と嘘をつくと胸がちくりと痛んだ。けれど匡孝は行かない事を変える気はなかった。
 もう夜も遅く、妹がこれを見るのは明日になってからだろう。怒り狂った妹が朝から電話を掛けてくるんだろうな、と匡孝はひとり苦笑した。

 *

 匡孝を送った後、帰路についた市倉はじっとアパートの階段下で自分の部屋の入り口を見ていた。やがてゆっくりと階段を上る。
 年季の入ったアパートの階段は金属で出来ていて、音を立てずに上り下りするのにはちょっとしたコツが必要だった。おまけに錆びついているので重心を常に中央に乗せていなければならない。古くて狭いアパートだが、職場には近く家賃も安いので気に入っていた。そのうえコンビニも歩いて5分とかからない所にあるので、とても便利だ。ここを離れる気はなかった。今のところは、だが…
 匡孝の事を思う。
 泣き顔は突然で驚いた。どうやって宥めようかと思ったが、どうにか落ち着かせることが出来てよかったと市倉は安堵していた。泣いた理由は結局聞きそびれたままだ。…彼は何もかもをひとりで背負いこもうとしているように見えて、市倉は目が離せなかった。そのうちに匡孝の方から話してくれるといい、願うのはそれだけだ。
 自分を好きだと言ってくれる匡孝を扱いあぐねたのは最初のうちだけだった。今はその姿を見つけるたびに、あの思うよりもずっと柔らかな髪を触りたいと思うまでになった。
 彼のいる空間が心地良い。
 失いたくはないと、思うほどに。
 市倉は苦笑する。
 どうかしてる。
 だが匡孝のバイトの帰宅時間に合わせるように無意識にコンビニに行くようになったことには、市倉はまだ気付けないでいる。
 理由は、しかし、それだけではないからだった。
「……」
 上りきった2階の端が市倉の部屋だ。近づいて、目を凝らす。今日は何もないようだった。小さく息をつき市倉は鍵を取り出す。
 度々自宅を空けるようになった理由はこれだ。
 小さな違和感は日に日に増えて多くなる。
 早く解決したいのは山々だったが、そうもいかないのが現状だった。原因は──分かっているつもりだ。
「俺のせいか…」
 やれやれ、と市倉はそっとノブをひねって家の中に入った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

もう1人の、王子と呼ばれる人が気になって話しかけただけだった

メグエム
BL
とある高校で王子と呼ばれるイケメン•晴人。晴人は明るく、いつも周りに人がいる。通称•太陽王子。どうやら自分の他にも王子と呼ばれるイケメンがいると知った晴人は、そのもう1人の王子に会いに、いつもいるという図書室に行く。そこには、静かに本を読んでいるだけで絵になるイケメン、通称•月王子と呼ばれる弥生がいた。 もう1人の、王子と呼ばれる人が気になって話しかけただけ。それだけだったのに。今まで感じたことのない感情がわいてくる。

優等生αは不良Ωに恋をする

雪兎
BL
学年トップの優等生α・如月理央は、真面目で冷静、誰からも一目置かれる完璧な存在。 そんな彼が、ある日ふとしたきっかけで出会ったのは、喧嘩っ早くて素行不良、クラスでも浮いた存在のΩ・真柴隼人だった。 「うっせーよ。俺に構うな」 冷たくあしらわれても、理央の心はなぜか揺れ続ける。 自分とは正反対の不良Ω——その目の奥に潜む孤独と痛みに、気づいてしまったから。 番なんて信じない。誰かに縛られるつもりもない。 それでも、君が苦しんでいるなら、助けたいと思った。 王道オメガバース×すれ違い×甘酸っぱさ全開! 優等生αと不良Ωが織りなす、じれじれピュアな恋物語。

孤毒の解毒薬

紫月ゆえ
BL
友人なし、家族仲悪、自分の居場所に疑問を感じてる大学生が、同大学に在籍する真逆の陽キャ学生に出会い、彼の止まっていた時が動き始める―。 中学時代の出来事から人に心を閉ざしてしまい、常に一線をひくようになってしまった西条雪。そんな彼に話しかけてきたのは、いつも周りに人がいる人気者のような、いわゆる陽キャだ。雪とは一生交わることのない人だと思っていたが、彼はどこか違うような…。 不思議にももっと話してみたいと、あわよくば友達になってみたいと思うようになるのだが―。 【登場人物】 西条雪:ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。 白銀奏斗:勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。

素直になれなくて、ごめんね

舞々
BL
――こんなのただの罰ゲームだ。だから、好きになったほうが負け。 友人との、くだらない賭けに負けた俺が受けた罰ゲームは……大嫌いな転校生、武内章人に告白すること。 上手くいくはずなんてないと思っていたのに、「付き合うからには大切にする」とOKをもらってしまった。 罰ゲームと知らない章人は、俺をとても大切にしてくれる。 ……でも、本当のことなんて言えない。 俺は優しい章人にどんどん惹かれていった。

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

血のつながらない弟に誘惑されてしまいました。【完結】

まつも☆きらら
BL
突然できたかわいい弟。素直でおとなしくてすぐに仲良くなったけれど、むじゃきなその弟には実は人には言えない秘密があった。ある夜、俺のベッドに潜り込んできた弟は信じられない告白をする。

ガラス玉のように

イケのタコ
BL
クール美形×平凡 成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。 親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。 とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。 圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。 スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。 ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。 三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。 しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。 三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

処理中です...