あなたのことが好きなのに

宇土為名

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 匡孝を先に帰らせてから、市倉は明日の授業のためにひと仕事を終えた。
 窓の施錠を確認し、ポットの電源を落として、エアコンを切る。まとめた資料を揃えて立ち上がると、部屋の明かりを消して廊下へと出た。スリッパの足音がパタパタと近づいてきた。
「あー市倉先生、お疲れさまです」
 年配の男性事務員が鍵束を片手に会釈を寄越した。市倉も軽く頭を下げて挨拶を交わす。
「お疲れさまです」
「今日はもう終わりですか」
「ああ、まだもう少しですかね。ここは俺が掛けときますよ」
「あー、助かりますわ。それじゃあ」
 また明日、そう言って事務員は廊下を歩いて行った。構内の戸締りを確認しているのだ。市倉は資料を抱え直し、部屋の鍵を掛けて職員室へと向かった。

 国語準備室、または言語資料室と呼ばれるその部屋は職員室のある棟から左に折れ、連絡通路で繋がった、元は工業科の作業棟の1階にあった。3教室分はゆうにあった技能実習室を後から壁をつけて4つに分断したため、天井はやけに高いが幅は狭いという不思議な間取りとなった。明り取りや換気のために変な場所に窓が配置されていたり、古くて床も備品の何もかもが軋んだ音を立てるが、市倉は気に入っていた。古いものは好きだ。市倉の前任者が大の甘党で、甘い飲み物を部屋のあちこちにしこたま常備してくれていたのも、匡孝が出入りする今となっては有り難かった。ほぼひとりで私室のようにあの部屋を使用していた彼は、引き継ぎの時、好きに使ってくれと市倉に申し送ってくれた。自分が戻るまで好きにしていいよ、と。
 その前任者は今、病院で長期の病気療養中だった。最初はすぐに戻れるはずと気楽に構えていた彼は、戻るのは五分五分の確率になったと──先日、連絡を寄越してくれた。


 連絡通路を右に折れた時、見覚えのある顔がそこにあった。曲がり角の対角線あたりに壁に背をつけて寄りかかる、だらしなく着崩した制服。緩めた首元のネクタイの上には短髪で目つきの鋭い、女友達には不自由しなさそうな甘い顔が、手の中の携帯の画面を一心に見つめていた。生徒はもう下校している時間だ。校内に残るのは部活生だろうけれども、どうやら彼の場合は違うだろう。
 確か今は帰宅部だったはずだ。
 まあいいか、と市倉はさして気にも止めずに、その生徒にとりあえず──教師として声をかけた。
「もう下校時刻過ぎてっぞ、さっさと帰れ」
「うるせえ」
 ぼそっと返されたそれに市倉の足が止まる。
 彼はこちらを見ていた。今にも殴りかかってきそうなほど剣呑な目で市倉を睨みつけてくる。
「俺はてめえが嫌いなんだよ」
 なるほど、と市倉は思った。
 確かにそうだろう。
「そうだと思ったよ」と、市倉はぞんざいに返して職員室へと歩いた。

 ***

 駅前の大型スーパーで匡孝は浜村に頼まれた物を購入した。胸ポケットにしまっておいた紙を見つつ、取りこぼしがないか確認していく。よし大丈夫、と買い物袋を抱えて、コンタットへと急いだ。
『ごめん今日は大沢がいなくて、悪いな』
 昼休みに掛かってきた電話、いつもなら大沢が浜村の試作などに付き合うのだが、今日は不在のようだ。しかも切れてしまった食材もあり、手の離せない浜村が申し訳ないと匡孝を頼ってきたのだった。
 ひとに頼りにされることに匡孝は苦痛を感じたり不快になったりはしない。むしろ嬉しいと思うほうだったので、一も二もなく承諾した。いいよ浜さん、他にいるものも買ってくるからと匡孝は返事をしたのだった。
 道の先にコンタットの外壁が見えてくる。今日は定休日なので外灯は点いていないが、奥の厨房から漏れる淡い光が窓の中に見えた。裏口に回ろうと前庭に近づくと、ふと、暗がりの中にひとの気配を感じた。入口の横に誰かがいるのだ。
「あの?…」
 声を掛けると、驚いたようにその人は顔を上げた。目線は自分よりも下にあり、女の人だと匡孝は思った。
「今日は定休日ですけど、どうかしましたか?」
「あ、そうなんだ?」
 そう言って彼女は入口を振り返る。固く閉ざされた白い扉にはcloseの小さな木札が掛けられている。
「奥明るかったし、今から開くんだと思ってた」
 なーんだ、と少し苛立ったように返されて匡孝は乾いた愛想笑いを返した。すみません、と呟くと彼女は匡孝をじっと見た。
「あんたバイト?高校生?」
「はい、そうです…」
「ふーん」
 そういう彼女は大学生くらいだろうか、暗がりに目が慣れて、徐々に顔だちなどが分かってくる。肩の先まである黒い髪、赤く塗られた唇、今どきの流行りの服装。
 どこかで、会っただろうか?
 ふと覚えがあるような気がした。
「その制服ってさあ、立星《りっせい》?男子校の」
 制服や校章に目を止めて、彼女は匡孝に尋ねた。
「?ですけど?…」
「へーえそうなんだねー、あのさあ、先生って男ばっかなの?女の人っていないんだ?」
「あーまあ…」
 そうです、と匡孝は呟いた。矢継ぎ早に向けられる質問の先に、何か嫌な感じがして、早くこの場を離れたいと思った。
「友達の知り合いがさ、立星にいるんだよね…」
 赤く塗られた唇が笑いに歪む。
 上目に匡孝を見る目が、なぜか探るようで──
「ふうん…そっかあ」
 彼女は含むようにそう言って携帯をポケットから取り出した。片手で操作しながら匡孝に目を向ける。
「待ち合わせてたんだけど、またにするわ。月曜が定休なわけ?」
 はい、と匡孝は頷いた。
「じゃーねー」
 目を細めて匡孝にそう言うと、彼女は駅の方へと歩き出した。電話の相手が出たようで、意識はもうこちらには向けられていなかった。
 その後ろ姿に、匡孝は確かに見覚えがあった。
 いつもこちらに背を向けて座っていた。
 あれは──
「江藤?」
 はっとして振り返ると裏口から出てきた浜村が後ろに立っていた。遅いのを心配したのか、私服にエプロンをつけたままだった。
「あ、ごめん浜さん、今お客さんがいて」
「そうか…悪かったな、寒いから早く中に入れ」
「うん」
 手にしていた荷物を浜村が引き取る。先に歩く浜村の後をついて行きながら、匡孝は先ほど思い出しかけていた何かを掴みそこなっていて、もうそこから思い出すことが出来なくなっていた。
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