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第一章 天敵婚姻譚
7 【三日前】カーニバルと海の総督
しおりを挟む『なーに。水たまりより浅い歴史のカヴァリエリの魔術なんぞ、“星の血統”六百年の我らペルラの足元にも及ばんわ!』
幼い頃から、父に聞かされ続けた言葉。『星の血統』とは魔術師を何人も輩出した家へ贈られる尊称で、必然的に歴史の古い貴族がこう呼ばれた。
寡黙だった祖父も、親戚も、家の支持者たちも、何かにつけて似たような感じでカヴァリエリをこき下ろしていた。
けれどその割に、みんなずいぶん“彼ら”のことを気にしている。十四歳になって王宮に連れて行かれる機会が増えた頃、フェリータはそう気が付いた。
先日も、父はカヴァリエリ家の当主とその息子が大聖堂の警護に加わったと聞いて『わしが居るから充分であると散々申し上げたのに!』と腹を揺らして地団駄踏んでいた。
『嫌いなら、話題に出さなければいいのに』
おやつの氷菓を前にしたフェリータがそう言うと、幼馴染みは学院の課題図書から目だけを上げて『意識しないわけにはいかないのさ』と苦笑いした。
『カヴァリエリ家は、元はペルラ家の家来だったんだから』
それはフェリータも知っていた。長く、カヴァリエリといえばペルラ伯爵家に仕える騎士のことを指したらしいと。
スプーンで一口掬った黄色いシャーベットは、思った以上の酸味を舌にもたらした。
『……っ、先代の騎士殿は、どうしておじい様から離れていったのかしら』
『気になるなら、調べてみれば』
すでに器を空にしていたリカルドの反応はそっけなかった。視線は本の上に向けられたままだ。
『……ううん、別にいいの』
ガラスの器の上で、溶けはじめた氷菓に見切りをつける。『酸っぱいの嫌』と器を押しやれば、幼馴染みはようやく本を置いてフェリータの方を見た。
リカルドにとってレモンシャーベット以下の物事なら、自分にとってもたいしたことではない。
――はずだった。十七歳の春、“カヴァリエリの息子”が宮廷付きの後輩として現れるまでは。
***
教会は本来、魔術師を信徒として認めていない。魔力を、神に背く悪魔の力と捉えているからだ。
けれど島国であるロディリアは、大昔から魔術師を重用してきた。大陸から教会の教えが伝わり、国教に定められて、壮麗な大聖堂を立てていてもそれは変わらない。
教会の総本山、聖地グィナの教皇とその支援軍と対立したときも、和平条約を結ぶときにも、魔術を捨てなかった。
「結局当時の教皇が、この国が体制を保った上で和平条約結ぶのに応じたもんだから、ここは『神を惑わす悪魔の都』なんて言われてるってわけ」
人で溢れた運河沿いの道で、訳知り顔に話す男がいた。
「貴族爵位を得るのに『連続して三代以上、当主が優秀な魔術師であると認められている』なんて条項を国が定めているのは、きっとここくらいだろうな」
それに、感心したように相槌を打つ男もいた。
「へぇ、よく知ってんなあんた。しかし何百年も昔の話とはいえ、だんまりの教会はちと情けねぇなぁ。あの赤屋根の大聖堂には、教皇様が任命した大司教様がグィナから来てるんだろう」
「今となっちゃあ魔術師が王宮にいるのは他の国も同じだし、ロディリアにだけ文句付けるわけにもいかないんだろうよ」
離れていく観光客の呑気な言葉に、水色の鳥の仮面をつけてゴンドラに乗り込んだフェリータは呆れた。日傘をくるりと回して(同じではありませんわ)と内心訂正する。
(他の国が魔術師を取り込み始めたのは和平条約締結のずいぶん後だもの)
その上、召し抱えた魔術師を参謀だの相談役だの呼んで建前を取り繕ってるから、教皇も何も言わないだけだと心の中で付け加える。
(真っ向から法で魔術師の地位を守っているロディリアは、王家も貴族もグィナの機嫌を損ねないよう、それはそれは気をつかってますのよ)
――まさしく、今日開催される夏のカーニバルもそう。
派手な仮面と水上式典めあてに各国から見物客が押し寄せる一大観光行事ではあるが、本質が国を挙げての厳粛な宗教祭典であることに変わりはない。
もともと、この時期のカーニバルは秋の恵みを神に祈る行事である。
ロディリアは教会に自分たちの敵意の無さをアピールする場として、この祈りの祭りを水の上で派手に、仰々しく執り行ってきた。仮面は貴族も平民も神の前で一律平等であることを示すための正体隠しに端を発している。
魔術師も巻き込んだこの習慣が、結果的に国内の宗教的高揚も後押しした。ロディリアの民は魔術師に敬意を持つ傍ら、教会に対しても敬虔だった。
皮肉なことに、最も神に睨まれた国が、最も敬虔にふるまっている。
少なくとも、約一名を除いては。
「ねぇ、オルテンシア様が再婚なさるって噂知ってる? 離婚のときに大聖堂とあんなに揉めて、王太子様はグィナまで釈明に行ったっていうのに」
フェリータの向かいから、二人の貴婦人が乗ったゴンドラが近づいてきた。
花の擬人化の仮面をかぶる彼女らからは、すれ違う鳥仮面の女の正体がわからないと見えた。特徴的なピンクの髪も、日傘でよく見えないせいだろう。
「聞いたわ、今日の夕方に告示が出されるらしいわね。お相手はどなたかしら……まさか、エルロマーニ家の?」
「それは無いと思うわ、ぺルラ伯爵が黙ってないもの。私はね、お相手はロレンツィオ様じゃないかと」
「やっぱりそうなのかしらぁっ、すごいショック!」
声を荒げて嘆いた貴婦人は、しかしすぐにそのボリュームと肩を落とした。
「でも、わかるわ。今は元騎士の一魔術師だけど、あの方でカヴァリエリ家からは三代続けて魔術師が出たことになるもの。爵位を賜るのも時間の問題だろうから、今のうちに婚約を打診しておこうかって話が、うちで出たばっかりだったのに」
その言葉に、隣の貴婦人もため息交じりに同意する。
「王妃様のご実家とカヴァリエリ家が親密な関係だからか、オルテンシア様とロレンツィオ様って身分差はあるけれど、それこそ『リカルド様とフェリータ様』並みにいつも一緒にいるわよね。やっぱり、さっきリカルド様が王女様と一緒にいたのも、いつもとおんなじ一方的なお呼び出しでしょう」
よせばいいのに耳をそばだててしまっていたフェリータは、二人が遠ざかった後もずんと気分を落ち込ませた。
婚約が塗り潰された日から一週間。
フェリータは、今日の祭典に向けた仕事の忙しさと精神の乱れに邪魔されて、ここ数日はなかなか寝付けないでいた。
おかげで父親の話も同僚の話も聞き流してしまってばかりだったのに、こんな話だけはしっかり聞き取ってしまう自分が恨めしかった。
(ペルラ伯爵が黙ってない、ね……)
貴婦人の言葉に、数日前の父とのやりとりを思い返す。
テーブルを挟んで父を追い回し『ふざけないでっ!!!』と怒鳴る自分に『新しい婿を探すからリカルドのことは諦めろ!』と怒鳴り返す父伯爵。
そう、ペルラ伯爵はこの件を黙認することにしたのだ。
『ペルラ家がカヴァリエリの策略に負けるんですの!?』ドタドタと丸いテーブルに沿ってフェリータが追いかけると。
『カヴァリエリに負けるんじゃない、ヴィットリオ殿下と公爵の意志を尊重するんだ!』伯爵が椅子を障害に立てながらダバダバ逃げる。
『そんな、わたくしの意思は!?』テーブルに手をついて身を乗り出せば。
『え、エルロマーニ家より数段良い縁談を見繕ってやるわい!!』花瓶を盾に侵攻を阻む。
『この腰抜けピンク!!』無意識魔術で浮き上がったクッションを投げて。
『黙れ癇癪ピンクが!!』投げ返される。
つまり、レアンドロ・ペルラは、王太子ヴィットリオとエルロマーニ公爵二人を前に押し負けたのだ。
伯爵位とはいえ国の重鎮、本気で争おうと思えばそこそこの政争にできたはず。それだけに、二人の顔を立てて引いたのは本当なのだろう。
王家はもちろん、公爵家とも決定的な対立をしないために。
(……でも公爵閣下、今回ずいぶんわたくしたちに冷たいような)
だから思ったのだ。
エルロマーニ家は、リカルドは脅されたんじゃないかと。
さすがに考えすぎだったようだが。
嘆息したところで、ゴンドラが運河の中央に来た。フェリータは日傘をたたんで同乗していた文官に預けると、用意していた濃紺のローブを羽織る。
その背に金糸で刺繍された“王家の獅子”に、観光客がハッとして注目する。
構わず素手を水に浸した。そこから波紋とともに、魔力が流れ込んで広がっていく。
波紋は消えず、水中にとどまった。フェリータの意識も水の中を探るように潜っていく。警護担当者たちが他のゴンドラを岸へと誘導する声が遠ざかっていく。
“海の総督”。
宮廷付き魔術師内での役職のひとつで、ロディリアを取り囲む海と運河の擬人として国に尽くす。海の総督が王に従うことは、国が海を良く支配できているということを象徴的に表すとされ、宮廷付きの中から常に一人が選ばれていた。
この役目の大事な業務に、宗教祭典の開幕・閉幕で魔術演技を行うというものがある。
実質的には内外に宮廷付き魔術師の力を誇示する機会なわけだが、形としては海の服従と献身を神へ示し、捧げることで、恵みと加護を祈念するというものだ。
フェリータは二年前の閉幕演技から“海の総督”を引き継いだ。その前の三年も父親が担っていたので、知識経験ともに十分だった。不安も緊張も微塵もない。
だが、この業務も今回を機にしばらく離れる。
慣習として“海の総督”はエルロマーニ家とぺルラ家の魔術師が五年ごとに交代で任命されているからだ。――そんな慣習ができるほどには、この二家は宮廷付きの常連だった。
今年が交代の年で、祭りの閉幕演技から役目は次の“総督”の手に渡る。
(公爵は引退なさったから、次の総督はリカルドね……。見るの、楽しみにしてたけど)
一瞬胸が締め付けられたが、よそ事に気を取られてはいけないと改めて集中する。既に他のゴンドラは撤収が完了していた。
沈んだ波紋が小さくちぎれて、それぞれが渦となる。ゴンドラが大きく揺れて、見物人から小さな悲鳴が漏れた。
けれど決してひっくり返らないと分かっているから、ゴンドラの上にいる者は誰も動じない。
やがて、白い渦が金色に輝き始める。フェリータは水中から手を引き揚げた。雫が垂れるのも構わず、両手の指を絡め合わせて魔術印を組む。
「『この献身を天にまします神へと捧げたてまつります。天に喜びを、地に恵みを』。」
聖書の一文を唱えるのはポーズに過ぎない。魔術に聖書は関係ない。
けれど組んだ手に力を集中させれば、フェリータを囲んだ円状に、運河から金色の水柱が空へ向かって何本も立ち上がった。
水柱は上空で半円を描くようにしなって繋がり合う。次いでアーチの内側の縁から運河へ向かって薄い水の膜が下りる。それは布のような質感を持って揺れ、まもなく運河に金色のカーテンがたなびく光景が広がった。
見物客の感嘆が落ち着くのを待って、フェリータは手を組み替える。
黄金の薄布に、じわりと鳥の絵柄が浮かび上がった。型押しされたように浮き上がったそれらは、やがて本物の白鳥に変わって飛び立っていった。
白鳥たちははしゃぐ観衆の上を旋回すると、上空の一か所に集まり、溶けるように個々の形をなくして一つの白い玉に変化した。
太陽のようにまばゆいそれを、誰もが仮面越しに仰ぎ見た。その視線の先で、大きな玉はパンと弾けて、鮮やかな花火に変わった。それを合図に運河から次々に花火が打ち上がる。
地上を歓声が満たし、楽隊のファンファーレが始まった。
サルヴァンテの水上カーニバル。橋と路地を埋め尽くす見物人が、国旗と教会の旗をこれでもかと振りたくる。
達成感にフェリータも顔を上げると、なんのめぐり合わせか、仮面もつけず運河沿いの通りに立っていたロレンツィオと視線が合った。
仮面の下で一瞬顔をしかめたフェリータだったが、先に視線をそらしたのは向こうだった。ロレンツィオはそのまま、人混みをかき分け消えていった。
フェリータは知っている。あの男が、この仕事を他の人間にも振るよう王に上申していたことを。
(おまえなんぞにやらせるわけないでしょうに)
得意になって、いつもの癖で、お気に入りのカフェのバルコニーを仰ぎ見た。
去年と一昨年は、そこにリカルドがいた。山羊の仮面を手に持ったまま、優しい笑顔で手すりに凭れて見守っていてくれた。
はたして、今年も彼はいた。銀色の髪が夏の日差しにきらめいた。
――金色の髪のオルテンシア王女の隣だと、それが一層引き立てられた。
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