病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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第二章 長い長い初夜

16 魔術師の腕比べ・春

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 だが、フェリータの怒りにつられた無意識魔術はタンッと軽い音が合図となって即座に止んだ。

「口論なんて不毛だろ。箱のことはパンドラに渡したからおしまい。陛下のお眼鏡にケチ付けるなら、さっさと実力示して白黒つければいいじゃない」

「リカルド、そなた何を言って」

 伯爵の訝しげな視線を受け流し、リカルドは先ほど机を叩いたフェリータの扇を発端の男に向けて「ロレンツィオも、一戦交えるくらいは覚悟しての発言だろ?」と促した。
 
 一戦。その言葉で、この屈辱をどう収めるか、フェリータの心は決まった。

「そう、そうですわね、リカルドの言うとおり。……陛下、今この場で、わたくしとこの者の“魔術比べ”を行うことをお許しいただきたく存じます!」

 いくばくかの落ち着きを取り戻したフェリータは、それでもロレンツィオを睨んだまま朗々と願い出た。王太子が盛大なため息を吐いて机に額をつけたのにも構わずに。

「パパなら確かにもっといい呪具を作ってあなたを呪い殺すでしょう。でもわたくしなら、あなたごとき相手にそもそも道具なんて使いません。そのことを、ここであなたに嫌というほど思い知らせて差し上げる!」

 すでにフェリータの気持ちは臨戦態勢に移っていた。

 ロレンツィオの方はちらりと君主の顔を窺った。白髪交じりの髭の奥から制止の言葉が出ないのを確かめて、ゆっくりと立ち上がる。

「大丈夫ですか? 本番一発勝負だと、パパに事前に見てもらうことはできませんよ」

 挑発に、落ち着けと自分を宥めるのに苦労した。

「わたくしが勝ったら、さきの侮辱を不当なものと認め、この場で謝罪していただきますから。誠心誠意、きっちりと」

「ではこちらが勝ったら、あなたもご自分の発言を省みるように。――先に喧嘩売ったのが本当にこっちだと思ってるなら、そのことも含めてな」

 フェリータには相手の口元の笑みが腹立たしくて仕方なかった。
 そのくせ青い目の奥に怒りの炎が灯っているのも気に食わない。怒る権利があるのはこっちだと、指を突き立ててやりたかった。

「ヴィットリオ」

 父王に呼ばれ、王太子がしぶしぶといった様子で顔を上げる。もうため息も枯れたらしい。

「……では、勝負は変化術の重ねがけで。僭越せんえつながら、私が審判を務めよう」

 その言葉で他の魔術師たちがすばやく机から離れる。父親は娘に「バカを言え、すぐ撤回しろ」としばらく食い下がっていたが、やがて肩を落として他の魔術師たちに倣った。

「魔力を使い果たすようなことはするな。……命取りになるぞ」

 父親からの忠告に、フェリータは反抗的な一瞥とともに「当然ですわ」と返した。

 幼少期に散々叩き込まれたことをなぜ今さら。ただでさえ、ロレンツィオに子ども扱いでバカにされたところなのに。

 最後に王と王太子が席を立つと、大きな机と椅子は煙のように消え、だだっ広い会議場は一瞬にして決闘場に変わった。

「対象物は……これにするから、くれぐれも丁重に扱いたまえよ」

 にらみ合う二人の真ん中に出てきた王太子が、そう言って自分の服についていた勲章のメダルを外して「表か裏か」と二人に問うた。

 ヴィットリオが金のメダルを宙へと放つ。結果、フェリータが先攻――最初の術をかけることに決まると、王太子はフェリータの前に来て、苦笑を浮かべて囁いた。

「これは余興だ、緊張しまくっている新人君を歓迎するための。だから“先輩”は、今からこれをウサギに変える。いいな?」

 フェリータは「御意に」と短く答え、すました顔でメダルを上に向かって投げた。

 王太子の海軍での地位を示すメダルは、金毛の狼となって議場の床に戻ってきた。

「……」

 離れていく王太子のため息は、跳躍した狼が強弓に変わるのを見据える二人には到底届かないのだった。


 *

 ――魔術師たちと国王親子の見ている中、メダルはその後も二人の間で目まぐるしく形を変えた。獰猛な獣に変わって相手に襲いかかることもあれば、武器になって術者が真正面から命を狙うこともあった。
 
「次で十回目ですか」

「さすがに若いだけあって際限がない。ほ、わしならそろそろ干からびる。なあレアンドロ」

 白々しい。一角獣がロレンツィオによって白い剣に変えられていくのを苦く見つめながら、フェリータは同僚の声に内心毒づいた。
 そんなやわな中高年が、この部屋に堂々といるはずがないのだ。

 だが確かに並の魔術師なら、相手の抵抗を抑え込んでの重ねがけはほとんどできない。フランチェスカと模擬決闘をするといつもあっけなく終わるので、今が異常だということはよくわかる。

 うなじがぞわりと粟立つ。毎回『これがとどめ』と思いながら、結局またすぐ自分の番がくる。

 永遠に終わらないかもしれない。魔力が尽きてしまうかもしれない。

『魔力を使い果たすようなことはするな。命取りになる』

 父の言葉を思い返す。わずかな頭痛は感じるが、これは魔術を少し集中して使うとよく感じるものだ。まだ全然いける。

 今度はフェリータの番だ。ロレンツィオは白い柄の剣を手に、フェリータの出方を待っているようだった。

 てっきり投擲でもするのかと構えていたのに、そのまま手放さないらしい。フェリータは思案した。

 獣も厄介だが、術者が直に触れているものに術を重ねるのは別の意味で至極難しい。それだけで術が強固に安定しているから、かけても弾かれやすい。

 けれど、対象物が相手の近くにあるのは、こちらにとっても大きなチャンスだ。
 変化さえ成功すれば、一気に間合いの内側から攻撃できるから。

「騎士をやめて、魔術師になったのでしょう。ならその剣は、仕えた主人に返上なさい」

 言うなり、鍔がぶわりと金属の膜のように広がり、ロレンツィオの右手を包んで捕らえた。
 男が眉をひそめるのを待たず、続けて怜悧な輝きを放っていた剣身からぽたりと銀色の“雫”が床に落ちる。

 その一滴がロレンツィオの目の前で風船のように大きく膨らみ、そして胴、腕、頭、足と、またたく間に騎士の甲冑に変わっていった。

 ――形が完全に安定する直前、フェリータのこめかみに鋭い痛みが走った。

「っ……!」

 漏れかけた声を飲み込む。相手の術の抵抗にあっている。

 フェリータは負けじと注ぎ込む魔力をさらに追加した。ずきん、ずきんと痛みが比例して増すが、胸元のロケットを握りしめてやり過ごすしかない。

 勝負は佳境だ。剣から生じた甲冑は拘束されたロレンツィオの右手ごと掴んでいる。逃げられない相手の至近距離で、甲冑はその切っ先をロレンツィオの喉元に押しつけようとしていた。

 自分が作り出した剣で喉を切られればいい。
 意図に気づいた青い目が険しくなる。フェリータはもう少しだと息を詰める。

 それなのに、ここにきて甲冑の動きが重くなった。

 フェリータは舌打ちした。男の左手が甲冑の動きを押し返している。文字通り力ずくで抵抗し始めたのだ。

「魔術比べだって、言ってるでしょう!!」

 当然甲冑に中身はなく、疲れる筋肉もないのだからやがて向こうが押し負けるはずだが、もう一刻も早く決着をつけたかった。

 頭が痛い。どんどん痛みが広がって、重くなってきている。

 けれど抵抗は腕力だけではなかった。フェリータは自分の術が相手の術によって抑え込まれようとしているのを肌でひしひしと感じていた。鎧の端が崩れ始めている。

 睨むと、相手とちょうど目が合った。――不思議と、戸惑うような目をしていた。

(何よ……、絶対ひっくり返させないわ!)

 フェリータは目を閉じた。意識を体内に向けさせる。
 頭が一層痛んだ。けれどまだまだ我慢できると言い聞かせる。

 ――カチャ、と胸元でロケットが揺れる音がした瞬間、ふわっと慣れ親しんだ花の香りが広がって。
 
「そこまで」

 ヴィットリオの声で、ハッとフェリータは目を開けた。

 目の前にリカルドが立っている。鼻先にさきほど机に投げつけた扇が差し出されていた。

「おしまいだよ」と言われ、決着がついたことに理解が追い付いた。

「……ありがとう」

 ロレンツィオと“対象物”の様子はリカルドの体に遮られてフェリータからは見えない。

 扇を受け取ると、リカルドはロレンツィオがいる方に振り返り、人差し指を差し向けた。
 パンッと破裂音が響いて、散々変化を重ねた“対象物”の魔術があっさり解ける。メダルがカツンと音を立てて床に落ちた。
 
 間髪入れず、白い粒が雨のように議場に降り注いだ。パラパラと雨の降るような音がしばらく続く。

 それが顔に当たらないよう手をかざしながら、フェリータはうっそり口角を上げた。
 最後にかかっていたのはぺルラ家の魔術だった。なら最後、ロレンツィオの魔術はかからなかったということ。

「……謝罪は今度で結構です、ロレンツィオ殿。行きましょうリカルド」

 幼馴染みの腕に己のそれを絡ませて、フェリータは冷たく言って議場を出た。

 追いかけてきた父に声をかけられるまで、一度も振り返らなかった。無礼な男が今どんな表情をしているかなど、別に気にならなかったから。

「フェリータ大丈夫か?」

「もちろんよパパ」

 本当は少し疲れていたけれど、それはいつものことだから笑って流す。

「……彼と友達になりたかった?」
 
 リカルドの問に、フェリータはしかめ面で「冗談じゃない」と吐き捨てた。






「……なんだ今のは」

 空気が緩んだ会議場、馴れ馴れしく肩を叩いて健闘を祝ってくる魔術師たちの中で、ロレンツィオは呆然と右手を見つめた。

 フェリータに垣間見せた戸惑いと同じ目の奥に、“まさか”という疑念をくすぶらせて。
 
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