病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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第二章 長い長い初夜

25 吐露 ていうかもはや嘔吐

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 ロレンツィオの方は王子に頓着する余裕もなく、ドンッと扉を拳で叩いた。
 ヴィットリオは怒らない。しばらく放置して落ち着くのを待つつもりでいた。

「そう、自分でもわかっていましたよ、遠くから見てるだけでもあの女が性格最悪なのはね。傲慢で無神経で高飛車で、自分の血筋と親の威光を笠に着て、公爵家とのつながりをこれみよがしにひけらかし、それ以外の人間との関わりを瑣末事と片付けて頭の隅にも残さない、極めつけはそれらが全部無自覚で悪意がまったくない。オルテンシアが自覚ある悪魔ならあいつは自分を人だと思い込んだ獣なのです」

「はは、獣……貴様今妹のことなんて?」

「もちろん親の甘やかしも原因なのでしょう」

 問いに答える代わりに、またドンッと扉が殴られる。みし、と扉が軋んだ。

「ちゃんと婚約も結んでないリカルドには激甘で腕組もうが抱きつこうがなんっにも咎めないのに、俺とは近づくな話しかけるな三秒以上目を合わせるなと言い聞かせているのですからね。あーあいっそのことあの父親みたいに無惨に太って醜くなって身のほどを知ればいいのに、でかくなるのは胸と尻ばかり」

「着眼点が最低だな」

「では殿下は何も思いませんでしたか」

「リカルドめ幸運なやつとは思っていた」

「クソ王子め妃殿下にチクってやる」

「貴様今私のことなんて?」

 黙り込んだ家臣に冷ややかな目を向けていた王太子だったが、やがて呆れの滲んだため息を吐き。

「でもさすがに、一年前の術比べのときの態度は私から見てもどうかと思うぞ。……というかそんなに好きでよく今まであんな態度貫けたな。そなた好きな子虐めるタイプか? そういうのはできれば十歳くらいで卒業しておいてほしかったのだが」

 揶揄しても、ロレンツィオは相変わらず口を開けない。男の友人であるヴァレンティノが秘そうとした真意を意趣返しで暴いたことを、ヴィットリオはもう後悔し始めていた。

「……友好的に接するのは、ぺルラ家に煮え湯を飲まされた親類や支援者のバディーノ家に気が引けたか? レアンドロ殿にも困ったものだが、先代はそれよりかなり苛烈だったらしいしな」

「いえそれはあまり。少なくともバディーノ家のことは、全然」

 立場を慮れば間髪入れずに否定され、ヴィットリオも「おおそうだろうとも」となげやりに吐き捨てた。

「箱について疑ったのは、本気半分のほかには周囲の反応を見るためというのも、ありました。……態度については、申し開きのしようもありません」

 ロレンツィオは呻いた。扉に付けたごつごつとした拳が震えていた。

「今さら、思い知らされたくらいで。……自分があの女にとって、なんの関心の対象でもないなんて、遠目にもわかっていたのに」

 呟くような弁明を、ヴィットリオは「女々しいやつ」と切り捨てた。
 言葉の並びよりは、幾分か労わるような声音で。
 
 俯いたロレンツィオは、少しだけ口角を上げた。それはヴィットリオの慰めに応えるようでもあり、ただ自嘲したようでもあり。

「意外に思われるでしょうが、好いた女を虐める趣味なんてそれこそありません、十歳になる前からね。けれど、少し前のフェリータ・ぺルラに俺が、いやリカルド以外の男が好意的に思われることで、それで男に得られるものは何があったでしょう?」

「平和でスムーズな御前会議。毎朝健やかな私の胃」

「恐れながら、あのピンクの中年が健在である限りそれは幻想でしかありえないかと。……もし、あのピンク……娘の方と、宮廷付きとして多少仲良くなったりでもしたら、リカルドと同窓でもある己は頭のねじの外れたいちゃつきをより間近で見せつけられた挙句、二人の結婚祝宴で同僚兼友人としてスピーチを頼まれていたに違いないんですよ。だってあの女、ほかに友達いないんですから」

 実際のところ、特殊な事情が重なったフェリータの結婚の宴では、友人のスピーチではなく大司教から海との結婚に関する説法が贈られた。話し終えると、大司教は両家がプライドと意地で手配した手土産を抱えてさっさとカヴァリエリ邸から去っていった。

 もしこれが、両家の、二人の合意による結婚だったら、祝いの言葉は誰に頼んだのか。
 ――皮肉にも、それこそリカルドだったのかもしれない。現実には“二人の合意”という前提があり得ないので実現し得ない、それこそ幻想だが。

「……どれだけ彼女に近づこうと、絶対にリカルドの位置は揺るがない。宮廷付きになろうと、悲願だった爵位がもたらされようと」

 王太子は答えない。ロレンツィオも求めなかった。
 肯定するのもばからしいほど、明白な事実だった。

「それなら、王命でもなければ結婚式に呼ばない相手になった方がはるかにマシですから。実際には陛下が何をせずとも立場上しぶしぶ呼ぶんでしょうし、俺も行くしかないんでしょうけど。……あー駄目だ吐きそうになってきた」

「こんなことで私の前で吐くやつがあるか。俯くな顔上げろ、そしてこれからはなるべくフェリータに優しくしてやれ」

 ヴィットリオが背を屈めかけたロレンツィオの襟を掴み、上昇させる。
 心なしか青くなったように見えるその顔を見、王太子はやれやれとばかりに息を吐いた。

「よいではないか、どんな過程であれ惚れた女が妻になった。吐くほど恐れた未来はやって来ず、そなたは自分のしてきたことを考えればこれ以上ないほど幸福な結婚にこぎつけた。なら、その幸福に免じて相手に譲歩するのはそなたの方だ」

 吐きそうになっているのは連日の多忙と今日の徹夜と、寝室で煽ったグラッパのせいだと言いかけて、ロレンツィオは訂正しないことにした。
 
「……朝に夕に、いかに他の男を愛しているかを見せつけられる日々は地獄ですが?」

「でも朝も夕も一緒にいられるのは、まんざらでもないのであろ?」

 いつしか角の向こうから靴音が近づいてきていた。不規則な足音は、複数人が連れだってこちらへ向かってきていることを示していた。
 扉に凭れて押し黙ったロレンツィオを、ヴィットリオは下から覗き込む。

「花嫁姿、綺麗だったものな?」

 駄目押しのようにそう聞かれ。

「……ええ、そうですね」

 頭を扉に付けて小さく白状すると同時に、制服姿の憲兵たちと正装を着崩した二人の若者が角から姿を現した。

「こちらにおられましたか殿下! 応接室でお待ちいただくはずが、案内の者が粗相をしましたか」

 焦って駆け寄ってきた憲兵隊長と女憲兵に、ヴィットリオは鷹揚に「いやなに、あの部屋は気が散ってな。人のいないところを求めて勝手に歩いただけだ」と手を振った。

「さようでございましたか、無骨な部屋しかご用意できませんもので……。しかし、ことは急を要するのです。ささ、カヴァリエリ様も部屋へお戻りを。人形の件で、こちらのお二人が至急お伝えしたいことがあるとのことで」

 早口でまくし立てて二人に移動を促す役人に、ヴィットリオは快諾した。扉に寄りかかっていたロレンツィオもようやく拳を緩め、重心を元に戻す。

「どうせ今が底打ちだ、気長にやれ。そのうちフェリータも諦めて現状を受け入れるだろう」

 部屋へ案内するよう指示を飛ばす憲兵隊長に聞こえないよう耳元に囁かれた、フェリータからすれば非情ともいえる助言に、ロレンツィオは目をそらして苦笑し、左頬を指の腹で擦った。

 痕すら残っていないのに、打たれた感触だけは鮮烈によみがえる頬を。

「打った底に、まだ下があるかもしれませんね。……言うまでもありませんが、このお話は他言無用で」

 王太子は声量をもとに戻し、「さて、何のことかな」といつもと変わらない食えなさで応じた。

「だいたいもう知っている男もおろうに、黙する意味がない」

「あなたに尋問されるまで、友のために黙した律義者にも免じてどうか」

「ま、確かに次期チェステ侯の顔はつぶせんけどな。でももしかしたら、話が広まった結果一番肝心な相手がほだされるやもしれんぞ」

「殿下は幻想語りがお好きで?」

 言い合いながら、憲兵と友人たちの待つ方向へ足を踏み出そうとした。

 ――のを制し、女憲兵が「こちらの方もご一緒にお話を」と伸ばした手は、ついさっきロレンツィオが寄りかかっていた扉に向かい。

「戻りが遅くなってしまい大変申し訳ございませんでしたカヴァリエリ夫人!」

 まわるドアノブの音と前後して朗々と響いた呼びかけに、男二人の足と顔が瞬時に凍りついたのだった。





「フェリータ、無事でよかった!……何その顔。何かあったのロレンツィオ……ロレンツィオ? 殿下も、いかがされました?」

 ヴァレンティノと共に憲兵の詰め所にやってきたリカルドは、たった今開けられた扉を挟んで固まる三人の名を不思議そうに繰り返した。
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