26 / 92
第二章 長い長い初夜
26 コッペリウスの人形
しおりを挟む「というわけで、これはコッペリウスの人形の一部でまず間違いないかと」
言ってから、ヴァレンティノは視線を長方形テーブルの反対側に座る黒髪の友人と、ひとり上座に座る王子に向けた。
憲兵隊長に案内された一室で、徹夜の魔術師たちはテーブルの中央に白木でできた人形の頭と資料束を置いて額を突き合わせていた。椅子は扉から最も遠い上座に一つ、側面に二つずつ置いて、他は邪魔だからと早々にわきに寄せられている。
なお、話に参加しようとした憲兵たちは、「あとで上から順々に報告していくから」とリカルドにすげなく追い出された。
「リカルドも同意してくれました。見たところ、作られたのは十年以上前。つまりこれは、規制前に人形を手に入れて“コッペリウス狩り”から隠しきった人物が引っ張り出してきたか、観光客とともに異国から持ち込まれたかということですね。……とはいえ後者はどうかな、コッペリウスは諸外国ではもっと前から禁じられていますし、首のねじ穴の切り方がサルヴァンテの職人組合のものの記録と酷似している。私は前者だと見ています」
空虚な眼窩の頭部を布越しに手に取り、底部を見ながら目をすがめてそう言うと、ヴァレンティノはそれを元の位置に戻した。
「……そうか、迅速な鑑定ありがとう。この手の記録とノウハウはどうしたって新参の俺には持ち得ないから助かった」
斜め向かいにいる友人に、ロレンツィオがわずかに口角を上げて礼を言うと、かどを挟んで隣に座っていた王太子もゆっくりと手を上げ、叩いた。
「さすがは最古の星の血統。いやはや、侯爵の妻が教皇の姪でなければ、今の宮廷付きの平均年齢をもう少し下げられたかもしれんなぁ」
ヴァレンティノはロレンツィオに微笑み、ヴィットリオに「もったいなきお言葉です」と目礼した。
一方その隣に腰かけ、同じように鑑定に従事したリカルドは、いつもの端正な笑みを隠して怪訝そうに問いかけた。
「……二人とも、なんでずっと下見てんの?」
一瞬、場が静まり返る。
が、二人はすぐに「二十歳にはわからんだろうが、もう年だからだよ」「いや~二十二迎えると急に来るからな~老化は目からってな~」と朗らかに答えははははと笑った。
視線は、さっきから何度も見ているチェステ家の記録を行ったり来たりしている。何も書かれていない裏面の、隅々まで。
「ふぅん」とふてぶてしさを隠さない同窓生の相槌をたしなめたヴァレンティノは、その薄い青の目をそのままリカルドの背後へとそらし。
リカルドの背後に無言で佇むその人物の機嫌を窺うように、おそるおそる話しかけた。
「……あの、フェリータ様も、座られては?」
空いたロレンツィオの隣はおろかテーブルそのものにすら、リカルドの体の厚み分の距離を保つ、鉄面皮のフェリータに。
「………………結構ですわ」
異常なほどにまっすぐな視線は、目の合わない男二人の頭に注がれたまま。
すげない答えに、ヴァレンティノは「あ、そう……」と力なく呟いた。
「フェリータ、気分悪いなら別室で休んでたほうがいい。さっき迎えを寄こすよう伝えたから、それまで」
盾にされるような位置関係のリカルドが振り返り、呆れたように言うが、フェリータは首を振るだけで、また夫の頭を凝視する。
ロレンツィオはいつもと変わらない落ち着いた表情で、しかし絶対に顔を上げ目を見返そうとはしなかった。ヴィットリオはそんな夫妻の様子を頑として視界に入れまいとじっと俯き続けている。
「……話を戻します。刺されたルカ・ガレッティの言っていた“花の香り”。これからもうっすらとは香りますが、これは」
ヴァレンティノが再びフェリータの方をちらっと見やるが、ストロベリーブロンドの首振り人形の代わりにリカルドが「当然フェリータのじゃないね」と断じる。
「まぁ、そのあたりは頭が見つかった時点から予想通りだ。早急に耳に入れておきたい話というのは?」
ロレンツイオの催促に、ヴァレンティノの水色の目がリカルドの方に向く。
それを受けた銀髪の青年は、譲るように相手の方へ手を払った。
「……十二年前、コッペリウスの人形職人による、貴族の子弟の誘拐未遂事件がありましたよね」
語り手を譲られたヴァレンティノが口を開く。
同時に、黙りこくっていたフェリータの手がぴく、と動く。
「……ああ、あの事件。コッペリウス取り締まりの機運が高まったきっかけになった」
王太子の目がわずかに上がり、上目遣いでリカルドの方に向く。
「あのとき、犯人だったとされる職人が作って魔術師に売っていた人形群と、特徴が一致するんです」
俯きがちだった二人が顔を上げた。神妙な顔のヴァレンティノが視線を受け止める。
「レリカリオほどではなくても、コッペリウスの人形も作れる職人は限られています。十年近く前の作品とわかった時点で、まさかと思って当時の資料を当たりましたところ……そういうことで」
「だがあのときの犯人は捕縛時の激しい抵抗ゆえに、その場でやむなく殺されたはず。身よりもなく、遺品を隠し持ちそうな身近な人物もいなそうだった」
顎に手をやったヴィットリオが記憶を探るように視線をさ迷わせる。その後を、ロレンツィオが引き継ぐ。
「となると、容疑者は呪詛に精通した魔術師で、当時の職人の顧客だった、もしくはその身内の可能性が高いということか」
「魔術師とは限らないよ」
静かに水を差したのは、組んだ膝の上で指先を絡めたリカルドだった。
「この人形、作り手以外の魔力をろくに帯びていないけど、その代わり、魔力を通して見るとそこかしこに血の跡が見えた。魔術じゃなくて、生贄術で動かされたんだ」
部屋の空気がぴんと張り詰める。目を見開いたフェリータはガウンから手を離し、口を覆っていた。
「じゃあ誰か、犠牲者が?」険しい顔のロレンツィオに、リカルドがかぶりをふる。
「そうかもしれない。ただ、生贄術って要は体力とか精神力とかの生きる力を魔力代わりに消費する術だから、必ずしも殺してるとは限らない。生贄が今廃人状態の可能性もあるから、遺体は出る可能性と同じくらい、出ない可能性も高い」
ね、とリカルドがヴァレンティノに同意を求める。赤茶の髪が揺れて、リカルドの意見は肯定された。
「フェリータ、そなたはどう思う?」
いつもの落ち着きを取り戻した声に指名され、ピンクの髪の首振り人形もようやく本来の声を取り戻した。
「……なんとも言えませんわ。わたくしはリカルドやヴァレンティノ様のような“観測者の目”は持ちません。魔術痕跡を視認できるお二方がそう言うなら、そうなのでしょうとしか」
「ぺルラといえば、もとは切った張った燃やした沈めたけしかけたの戦争屋系魔術師だもんね」
「まぁリカルド。うちが前線に出てばかり、というのは古い話よ」
フェリータが目の前の銀髪を小突いてたしなめるのから目をそらし、ロレンツィオが腕を組んで難しい顔をした。
「こうなるとオルテンシア様の呪詛も生贄術を使ったと考えられるか。彼女の体に残った魔術痕跡を調べるのは“観測者の目”持ちの誰かに依頼するとして、……殿下、フェリータはいつごろから前線復帰させるので?」
「個人的には早急に戻ってもらいたい、非常事態だからな。バディーノの祖父も、オルテンシアが狙われた以上つまらん茶々は入れてこないはず、と思いたいがね」
ヴィットリオが頬杖をついて嘆息した、そこへ。
「……それと、もうひとつ」
四人の目がフェリータに向かう。
注目を集めた女は思い詰めたような固い面持ちだった。逡巡するように閉じたり開いたりしていた口が、やがて意を決したように一回り大きく開き。
「あなた、わたくしのこと好きなの?」
「は?」
その瞬間、リカルドの間の抜けた声をかき消すように、壁際に寄せられていた椅子が一斉に浮き上がり、勢いよく床に叩きつけられた。
***
「ほんとに何でもないから、話の顛末は君らの上司に追って聞かせるから。これは王太子ヴィットリオ殿下のご意向だよほら散った散った」
物音に集まってきた憲兵たちをリカルドが部屋の前から追い立てる間、無意識魔術を爆発させたロレンツィオは腕を組み死人に似た目で壁掛け時計を見つめていた。
「落ち着いた? コーヒーもらってきてあげようか?」
「……ああ、いや、いい、ありがとうヴァレンティノ、うん大丈夫、研究発表はもうアドリブで行く」
「落ち着いて? コーヒーもらってきてあげるから」
学院時代のことをうわごとのように口走る男の肩を、同窓生が労わるように叩く。
ロレンツィオの目は秒針を追うせいで微細に動いていて、言葉のおぼつかなさと相まってひどく不気味だった。
一方、場に火薬を投げ入れたフェリータは、青い顔の王太子に引きずられてきた部屋の隅で横並びで肩を抱かれ、こんこんと諭されていた。
「ロレンツィオ、私の前での煙草を許す。……さてフェリータ、我々は今仕事中だったであろ? 夫婦の時間ではなかったな? わかるな? さぁ仕事の話をしよう、仕事の話だけをしよう」
これにはフェリータも、眉根をわずかに寄せしおらしい顔で『うんうん』と今度は縦に小さくうなずくばかりだ。
「申し訳ございませんでした。……あのヴィットリオ様、こんなことを聞くのは差し出がましいのですが」
「うん?」
「あの男わたくしのこと好きだったんですの?」
王太子は『うわーん』という顔で天井を仰いだ。
37
あなたにおすすめの小説
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
さよなら、私の初恋の人
キムラましゅろう
恋愛
さよなら私のかわいい王子さま。
破天荒で常識外れで魔術バカの、私の優しくて愛しい王子さま。
出会いは10歳。
世話係に任命されたのも10歳。
それから5年間、リリシャは問題行動の多い末っ子王子ハロルドの世話を焼き続けてきた。
そんなリリシャにハロルドも信頼を寄せていて。
だけどいつまでも子供のままではいられない。
ハロルドの婚約者選定の話が上がり出し、リリシャは引き際を悟る。
いつもながらの完全ご都合主義。
作中「GGL」というBL要素のある本に触れる箇所があります。
直接的な描写はありませんが、地雷の方はご自衛をお願いいたします。
※関連作品『懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい』
誤字脱字の宝庫です。温かい目でお読み頂けますと幸いです。
小説家になろうさんでも時差投稿します。
戻る場所がなくなったようなので別人として生きます
しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。
子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。
しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。
そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。
見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。
でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。
リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。
婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!
山田 バルス
恋愛
この屋敷は、わたしの居場所じゃない。
薄明かりの差し込む天窓の下、トリノは古びた石床に敷かれた毛布の中で、静かに目を覚ました。肌寒さに身をすくめながら、昨日と変わらぬ粗末な日常が始まる。
かつては伯爵家の令嬢として、それなりに贅沢に暮らしていたはずだった。だけど、実の母が亡くなり、父が再婚してから、すべてが変わった。
「おい、灰かぶり。いつまで寝てんのよ、あんたは召使いのつもり?」
「ごめんなさい、すぐに……」
「ふーん、また寝癖ついてる。魔獣みたいな髪。鏡って知ってる?」
「……すみません」
トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。
この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。
彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。
「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」
「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」
「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」
三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。
夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。
それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。
「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」
声が震える。けれど、涙は流さなかった。
屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。
だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。
いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。
そう、小さく、けれど確かに誓った。
【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。
たろ
恋愛
幼馴染のロード。
学校を卒業してロードは村から街へ。
街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。
ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。
なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。
ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。
それも女避けのための(仮)の恋人に。
そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。
ダリアは、静かに身を引く決意をして………
★ 短編から長編に変更させていただきます。
すみません。いつものように話が長くなってしまいました。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる