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第三章 波乱の新婚生活
33 ルール無用の三戦目
しおりを挟む――国を守るのが魔術師ならば、魔術師を守るのが騎士だった。
中でも“カヴァリエリの騎士”と言えば、最も勇敢で忠誠心の篤い騎士と同義だった。
彼らが膝をつく相手はぺルラ家のみ。
奇跡の一族と言われたチェステ家の次に“星の血統”と呼ばれ始めた魔術師の名。かつての彼の一族の国への貢献は、圧倒的に荒事に集中していた。
そういう一族だった。誇り高く、気が短く、愛国心が強く、好戦的。浴びた血の分だけ賞賛を得る魔術師だった。彼らが後進のバディーノ家に“侯”を譲り“伯”に甘んじるのは、あまりにも危険すぎたせいだという噂も流れた。
ぺルラには敵が多かった。海の外にも島の中にも。
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やがてカヴァリエリを、そのうちの何人かでも引き抜こうとする貴族も現れた。娘の婿にと望むものすらいた。
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秘匿された錬金術を抱える公爵家・エルロマーニ家のとりなしで国内での地位を安定させた後も、ぺルラ家の人間がカヴァリエリの騎士を連れる日常は変わらなかった。結びつきは危機にも安寧にも揺るがなかった。
騎士の頭目に、魔力の兆候が現れるときまでは。
一説には、それが両者の亀裂となったと伝わっている。
魔術の『教え』と『必要な道具』を望んだカヴァリエリに、ペルラは応えなかったと。主は騎士に魔術を捨てさせようとしたと。
結果、騎士は忠義を捨てた。
数百年に及んだ主従関係は、あっけなく瓦解した。
以来、三代に渡って、ペルラとカヴァリエリは互いに疎んじ合っている。
***
ロレンツィオはすばやく飛び退った。
一瞬前まで自分がいた場所に、天井から通路をふさぐ巨大な白刃が落ちてきた。
床に深々刺さったギロチン刃からボコボコと沸騰する湯のように泡が浮かんだ。やがてそれらが集まって歪んだ獣の顔となって浮き上がり、牙をむいて男に向かった。
しゃがんだロレンツィオが素早く床を叩く。そこから黒い槍が前方へまっすぐ伸び、獣の口から刺さって刃の裏を貫通した。
「なんのつもりだって聞いてんだろうが!!」
槍が黒煙に変わって消える。あらわになった獣と刃を貫く穴から、険しい顔つきのフェリータが見えた。
「……懐中時計を見せなさい」
女は食いしばった歯の間から引き絞るように声を出した。
「なに?」
「懐中時計!」
叫びに呼応し、白い刃はろうそくのようにどろりと溶けて、落ちた雫が床を焼く。それに気を取られた瞬間、背後でガチャンと金属音がした。格子状の檻が道をふさぎ、退路は奪われていた。
「気でもちがったか!!」
吐き捨てると同時に書架の本を一つ、フェリータに向かって投げつける。赤い背表紙の書物は蝙蝠に変わった。その牙で狙う獲物に迷いはない。
(レリカリオを奪えば――)
そこで、男は己の判断ミスに気が付いた。
フェリータの、荒い呼吸で上下する胸に、金のロケットはなかった。
そうだ、まだこいつ、レリカリオを直していない。
同時に、男は目の前の魔女が魔力を制御できていないことに気が付いた。
関を壊したため池の水のように、フェリータの魔力はある限り放出されている。書架から蝙蝠を襲いに現れた狼は、獲物を食らいながらやはりボコボコと体を沸騰させ、足や首を一つ二つ多く作っては腐り落とさせるのを繰り返して床に倒れた。
完全に暴走している彼女の魔力は、日没より早く底をつくと思われた。
その前に、ロレンツィオが死ななければ。抗うつもりで勢いあまって女を殺したりしなければ。
――最悪なのは魔力が無事に枯渇した後も、おそらく彼女は止まらないだろうこと。己の推測が正しければ。
「いい加減にしろバカ女! こんなことして何になる!?」
「心当たりがあるくせに!!」
その言葉に、ロレンツィオは顔をしかめた。狼の骸から伸びてきた猛毒の茨を火球で焼き切る。
ロレンツィオの出した炎は書架や本を傷つけることはなかったが、フェリータが仕掛けた毒茨は、のたうち回って周囲を焼き、爪痕を残した。
おおよそ宮廷付きらしくない、乱雑な魔術だった。
それでも、術が解ければ美しい真珠粒が残る。間違いなくフェリータの術だ。
「とぼけるな! 分かっているの……分かっていたのよ、わたくしも、おじい様も!」
乱暴な言葉遣いとともに、フェリータが投げてよこしたのは古い記録書だった。
それがロレンツィオの前で落ち、重い背表紙がひとりでに開いて意志を持つようにパラパラとページを捲る。
相手を警戒しながら、そこに視線を向ける。
黒い靄の漂う足元で、これみよがしに開かれたページ。その間に古い紙片が挟まっていたが、それよりもページの上で踊る見出しに目が吸い寄せられる。
「六十年前、排水路で発見された遺体? これがなんだ?」
ひそかに息を吐き、気を落ちつけて低く問う。
「……朝に発見された遺体は血をすべて抜かれている。明らかに生贄術の犠牲者ですわ」
フェリータの口から出た言葉に、ロレンツィオの背筋に嫌な汗が伝う。
奇しくも、オルテンシアから見せられた書物で同じ言葉を見ていたから。
悪魔の都サルヴァンテですら、ごく一部の貴族にしか持つことを許されない禁書の中で。
そして次の言葉を聞いた瞬間、ロレンツィオは固まった。
「そこは少し前に呪獣が出ていて、おじい様が長い時間をかけて浄化している最中だった。水路につながる周辺道路や運河は立ち入り禁止、けれどおじい様は外せない仕事でサルヴァンテから離れた夜があった。骸は、その翌朝見つかった。……王家の許しなしにはおじい様以外だれも近づけないはずのそこに、信頼を得ていた騎士だけが普段から入ることができた。おじい様の名代として」
赤い目がきつく吊り上がる。充血していて、目全体が赤く染まっていた。
「生贄術は、あなたの祖父、グレゴリオ・カヴァリエリがやったのね」
「……は!?」
「その発見のすぐあとよ、グレゴリオが王宮の火事で水魔術を披露し、魔術師を自称し始めたのは!」
たしかに、時系列順に並んだ過去の出来事の中では、それらの事項は隣り合っている。そしてその日以降、ロレンツィオの祖父が次々に魔術を行使し、世間にその力を誇示していったのも事実だった。
ロレンツィオは親から子へ伝えろと、まだ反抗期真っただ中のころに椅子に縛り付けられて父に教え込まれた。
最終的に椅子を壊して取っ組み合いになったのだが、実はそんなことはせずとも鮮明に焼き付いていた、大好きだった祖父の武勇伝。
家の栄達のきっかけ。
騎士カヴァリエリが、魔術師カヴァリエリとして生まれ直した日。
永遠と定めたはずの主に、背を向けた原因。
――それを、この女はなんと言ったのだ。
絶句したロレンツィオに、フェリータはさらに言い募る。
「そしてあなたは、祖父と同じ力を使ってる!! そもそもおかしいのよ、魔術師は必ずレリカリオを持つはずなのに、あなたがロケットを持っているところを見たことは一度もない! けれどおじい様は、ちゃんと気づいていたわ、あなたの持つ懐中時計が怪しいと。それが生贄の血を収める呪具だということを!!」
ページの間に挟まっていた紙片には、記録書の文字と同じ癖で『グレゴリオの懐中時計を奪え』と走り書きがされていた。
「だから、おじい様はあなたたちを追放し……」
「だまれ!!」
空気を震わす怒りに、フェリータが目を見開いて押し黙る。青ざめた顔は魔力の氾濫によるものだったが、薄く開いて固まった唇はたった今浴びた怒声によるものだった。
「父親のみならずおまえまで、一体何度じいさんを愚弄すれば気が済む!!」
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