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第五章 星の血統
58 “星の血統”という呪い 後
しおりを挟むフェリータが一層強く、銃口をヴァレンティノの胸に押し付ける。男はそれを、冷たく一瞥して話を続けた。
「……魔術師よりよほど生まれる可能性の低い、占力のある子どもを欲しがったりして占い師を連れてきて。案の定生まれた子に能力がないものだから、騙されただのペテン女だのと詰って母親を始末したりなんかして」
背筋に、忘れかけていた悪寒が走った。言葉は背後の小部屋の、白骨死体に向けられていた。
まさか、あの骨は。
――残っていた黒い髪は。
――肖像画の不自然さは。
そしてヴァレンティノは、さらにフェリータの胸中を波立たせる言葉を投じてきた。
「……教皇の姪だの町の占い師だのを手に入れても意味がない。せめて魔術師の女と結婚すれば、魔術師が生まれる可能性は上がるし、少なくともレリカリオひとつは確保できるのに」
「……だからフランチェスカに近づいたの。魔術師の子が、必ずしも魔術師になれるとは限らないのに」
記憶から蘇った妹の顔は、怒りに歪んでいた。
せっかく求婚されたのに、姉のせいで台無しになったと叫ぶ声。
思い出にキスしてほしいと、かぼそい声で願った声。
それなのに、ヴァレンティノは後悔も葛藤も感慨も、何も感じていないようだった。
「そのときはそのときですよ。次の子に賭けるか、母親を処分して後妻に賭けるか。どちらにしろ、失ったレリカリオの補填はできる。魔術師が生まれるまで、大聖堂の寄生虫にそれらしく付き添ってやり過ごせばいい」
耳の奥で心臓の音がした。
フェリータの視界が、「でも」と何か思い出したように、そしてわずかに口惜しそうに眉根を歪ませる男で埋まった。
「フランチェスカは本当に良き妻候補でした。自分は理性的だと自負しながら情欲にのぼせあがった女ほど、扱いやすいものはない。少しほのめかせば、ペルラ家秘蔵のレリカリオをいくつでも持ってきてくれそうだった」
怒りのままに、フェリータは引き金にかかる指に力を込めた。
――が、視野の狭くなっていた彼女の右手は、虎視眈々と機会を狙っていたヴァレンティノの腕によって狙いを明後日の方向へ捻じ曲げられた。発砲音は、壁に穴を空けることしかできなかった。
「……っ!」
フェリータは抑えられた右手が持つ銃をすぐに砂に変えた。奪われてはかなわない。
そこをさらに左腕を掴まれ、狙いに気が付いたフェリータはペンダントも同様に砂に変えようとして、内側から打ちたたかれるような強い頭痛に阻まれた。生贄術の力をため込んだ、呪具の強い抵抗だった。
浅い息から得る酸素でどうにか生き延びようとする脳内に、さらに耳殻から毒が注がれる。
「でも本当は、あなたが欲しかった」
「……なんですって?」
ぞっとして相手の顔を見上げれば、薄青の目は何の感情も映さず、無機質にフェリータを見下ろしているだけだった。
「誤解なさらず。優秀な魔術師の子どものほうが望みがある、それだけの話。ただそれは実現不可能でした。父が手に入れそこねたエルロマーニの末子が、ずっとあなたの横にいた」
フェリータはどうにか魔力を練り上げようとした。爆風を起こして男を吹き飛ばしてやりたかった。
けれど、床と接する足元から、捕まれた腕からどんどん力が抜けていくように感じて、両腕を体から離さないようにすることしかできなかった。
「相手が並の貴族なら、話の持っていきようもあったけれど……さすがに、エルロマーニ家とペルラ家の間に真正面からくさびを打つのは悪手すぎる。そうでなくとも公爵家のことは刺激したくない。ですから仕方がないと諦めました。これでも一応、今も繁栄を続ける星の血統の二家に、敬意もありましたから。……それなのにリカルドめ、意味のわからないタイミングで王女に乗り換えた」
腕はびくともしない。ここにきて、自分に腕力がろくに無いことを心の底から恨んだ。
たとえ敵地でも、教会の加護に阻まれていても、ロレンツィオの何分の一かでも力があれば、こんな優男に怯える必要はなかったはず。
脳裏にさんざん貶めた元騎士の顔が浮かんだとき。
「……そればかりか、あなたはあの日、あいつが統べる運河に飛び込んだ。星の血統、ペルラの当主になるはずだったあなたが。私の目の前で、ものの数秒で、あいつの花嫁に決まってしまった」
フェリータは、震える声に、そこに込められた暗い憎悪に息をつめた。
骨が軋んだせいもあった。あげかけた悲鳴を意思の力で押しとどめだが、視界の歪みが滲んだ涙を自覚させていた。
折れそうだった。
この人のどこにこんな力が。
「カヴァリエリなんて、星の血統どころの話じゃない、魔術師になって百年も経っていない下賤な血の分際で。ロレンツィオなんて、ほんの数年前まで騎士として名を上げたいだなんてほざいていた脳筋の分際で。それが宮廷付きの名前に泥を付けるじゃ飽き足らず、よりにもよって、あなたと結婚するなんて」
この人のどこに、ここまでの煮え滾った呪念が存在していたのだ。
こんな憎しみと蔑みを抱えて、どうやってあの男の横にいたのだ。
七年間、どうやって友人で居続けたというのだ。
(……でも、ようやくわかった)
「……だから、オルテンシア様を呪い、ロレンツィオに毒を贈り、わたくしの名誉を貶めようとした? 一年前、あの人に呪われた贈り物をしたのも?」
ありったけの虚勢で冷たい声を出した。両手を取られ、魔力を抑え込まれても、まだ自分の方が有利だと思わせないといけなかった。
しかし、そんなフェリータを見つめて、ヴァレンティノは目元と口元を和らげた。
瞳の奥の憎しみは消え、鼻息荒くレオナルドを詰ったフェリータに戸惑った後のように、困り笑いを浮かべた。
形だけは、昨日この屋敷で見せられた微笑にそっくりで、余計にフェリータは戦慄した。“どうやって”の答えを得た。
できるのだ。この男は。
怒りと憎しみと軽蔑と、それ以外にもたくさんの負の感情を抱えたまま、親しげに笑って相手の懐に入り込める。自然な信頼を苦もなく勝ち取ることができる。
そういう怪物なのだ。
「去年の春か、そんなこともありましたね。せっかく用意したのに、運び手が半端な仕事をしたせいで上手くいかなかった。……此度のこと、愚かなあなたに怒りは覚えたが、名誉を貶めるだなんてそんな生産性のないことはしない。それより、せっかく“外へ嫁げる”身になったなら、うちに来ていただこうと思ったんです」
「……どういう意味?」
「気狂いの王女殿下が誰に恨まれていたのかは知りませんが……まず初夜にカヴァリエリの当主が死ねば、真っ先にとなりで寝ていたペルラからの花嫁が疑われる。その上カヴァリエリと深い関係にあるバディーノ家に縁ある王女の騎士を、橋の上で襲った疑惑もついて回る」
フェリータはいつの間にか、ヴァレンティノの言葉に全神経を集中させていた。すっかり引き込まれていた。
「けれどすぐ、橋の上での事件はコッペリウスによる罠であると判明し、その人形の一部が、あなたと破局したばかりのリカルドの部屋から見つかったとしよう。寝所の酒の毒なんて、あの夜、屋敷にいた誰にでもチャンスはあると言ったら。……ほらね、あなたのそばにいる男はふたりとも消える。私はそれらしく慰めて、なんなら傷ついたあなたの代わりにリカルドを糾弾してやれば」
それで、ぺルラから魔術師の妻を娶るという当初の目的は達成される。声なく続いた結びに、フェリータは怒りと恐怖で叫んだ。
「馬鹿にするのも大概におし! それでわたくしがお前のものになるわけがない!!」
「そうかな。現にあなたも、妹同様にすぐ私のことを信用した。朝起きたら隣に覚えのない死体があり、大好きなリカルドに裏切られたと思っているあなたなら、もっと簡単だった気がする」
図星に二の句が継げなかった。
確かに、フェリータはヴァレンティノに安心しきっていた。夫のように七年間の友情を経たわけでもなく、妹のように口説かれたわけでもないのに、フェリータはあっさりこの男に気を許していた。
知らぬ間に崖に追い詰められていたと知って、実現しなかったにもかかわらず恐怖が胸を突いた。
そこへ、ヴァレンティノは追い打ちをかけた。
「でもそれも、拙速な判断だったらしい。先ほど興味深い話を聞いたんです」
強い力で引き寄せられ、抗うこともできずに耳元へ唇を寄せられ。
「――だと。知っていますか、魔術師が力を使い果たしても、普通頭痛は起きないようですよ」
息が止まった。
そんなわけないと、フェリータは残った力をすべて投じてヴァレンティノの手を振り払おうともがいた。
しかし拘束は、フェリータが思うよりずっと簡単に解かれた。
その理由は、すぐにわかった。
「そう、あいつに会いたいのでしたね。案内させますよ、妹に」
――フェリータは知らなかった。白骨に気圧され詳しく調べなかった隠し部屋の奥の壁は、押せば秘密の通路が現れることを。
そこを通ってきた女に足音もなく忍び寄られ、後頭部にゴリッと銃口を突きつけられて、逃げ場を失ったのは自分の方だったと悟る。
ヴァレンティノは凍りついたフェリータの手の中から、ロケットペンダントを引き抜いた。
そればかりか、女の首の後ろに手を回し、かかっていたレリカリオの留め具を片手で外すとそれも回収したのだ。
フェリータは首筋を鎖が擦れていく感覚に、血の気が引くのを感じた。
「……お兄様、外に憲兵が来ています。どうしましょう」
背後からの声は震え、動揺していた。フィリパ・チェステのものだ。
「くだらないことを心配するな。それなり事情を聞いて、ジーナ・ぺルラの思い違いだと納得させてくる。お前は言われたことだけやっていなさい」
父上はどこに行ったんだか、と吐き捨てながら、ヴァレンティノが部屋を出ていく。もう男は、フェリータになんの関心も持っていないようだった。
「……なんで、あなたが彼の言うことを聞いているの?」
銃口を頭に押し付けられ、部屋から出るよう促されながら、フェリータは問いかけた。
「母君を生贄として殺されながら、……あなた自身も、生贄として、血を使われていながら」
フィリパは答えず、「歩きなさい」と鋭く命じた。
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