60 / 92
第五章 星の血統
60 栄光に執着するもの
しおりを挟む「……パパは、さぞかし悔しかったでしょうね」
声は水音にもかき消されそうなほど弱々しかった。それでも聞き取れたらしいロレンツィオの身じろぎに合わせて、波紋がフェリータの方まで伝わった。
「十人委員会にあなたの祖父を突き出したばかりなのに、尋問されるのは自分と、娘のほうになる」
「……じいさんを侮辱したのは今も許してないが、それとこれとは別問題だ」
フェリータは苦笑いした。
「寛容だこと。……まぁ、出られないことには尋問も何もありませんわね」
本当に、自分が宮廷付きとして遜色ない力を持っていたら、ここから簡単に出られたのかもしれない。跳ね上げ扉はぴたりと閉まってずれる気配もない。
(……パパは?)
父は、フェリータに仕込まれたからくりに気が付くのが遅れたと言ったらしい。
それが本当なら、少なくとも父は本当に自分の力だけで今日まできたということか。そうであってほしかった。
フランチェスカは? 彼女はフェリータよりずっと魔力で劣るが、頭痛に悩まされているとは聞いたことがない。
祖父はフェリータにだけ、この生贄術の手法を仕込んだ。もしかしたら、姉妹どちらも、生まれ持った素質だけでは家格に合う成果を出せないと見限ったからかもしれない。
婿を、早いうちから決めていたのは。有力な家からもらおうとしていたのは、フェリータが長生きしないことを見越していたからかもしれない。フェリータの次の代こそは優秀な子どもをと、祖父は考えていたのかもしれない。
ヴァレンティノのことを責められる立場になかった。
やっていたことは、チェステと何も変わらなかった。
「失望したでしょう。あんなに偉そうにしてた女が、つぎはぎの力とも知らずにあなたのことを罵ってたなんて」
「……フェリータ」
「わたくしには宮廷の、あの会議場にいる資格なんてなかった。あなただけがそのことを言い当てていたと、みんな思い知るのですわ」
「フェリータ!」
呼ばれて、フェリータは黙った。けれど相手の顔は見られなかった。
涙が出ないことが幸いだった。暗くても、水音でばれてしまうだろうから。
分かり切った同情で慰められたくなかった。祖父のしたことだと許されるのはかえって追い打ちだった。
弱くて哀れなものとして見られたくない。
目の前の男には、特に。
けれど聞こえてきたのは、どこか不服そうな、悔しそうな声だった。
「主人から離れたカヴァリエリ家に、バディーノ家が最も期待していたのは元主人の情報だった」
何を言い始めたのだろうと、フェリータは眉を寄せ、顔を上げた。
それはそうだろうけど。バディーノ家は、ぺルラ家とは微妙な仲だ。
蹴落とす理由があるなら今だって――。
「漏らしたと思うか」
ロレンツィオの言葉に、フェリータは気が付いた。
言っていないのだ。主人の堕落を、多少の思い違いはあれどほとんど確信していて、長い歴史の積み重ねを踏みにじって主家と決別してからも、カヴァリエリ家はその理由を言わなかった。
水音がした。波が立って、男がフェリータのすぐ隣まで来て、しゃがみなおした。
「じいさんは口をつぐみ続けた。……ベルナードは人を殺してるかもしれない、とまで思っていたのに。言えばバディーノに恩返しができるのに。それが人の道に沿う判断だとわかってただろうに、それでも、黙っていた。それは正しい判断だったとは思わない」
ロレンツィオの淡々とした話しぶりが、水の流れる音とともに、フェリータの心に穿たれた穴を少しずつ埋めていく。
「……正しい判断だったとは思わないが、でも祖父は、ぺルラ家の没落を目の当たりにしたくなかったんだろう。憎たらしいが、そのあと生まれてきた跡継ぎは、魔術師としては優秀だったしな。……あんのデブ、人間性は底辺だと思うけど」
恨みがましく吐き捨てた余計な一言は、この際見逃すことにして、フェリータは言葉の続きを待った。
「自分の命を削ってでも、孫に苦難を敷いてでも、絶対に家の格を落としたくない。そんな無意味なプライドを持ち続けてるしょうもない一族だってこと、じいさんも、俺も、昨日今日知ったわけじゃないんだ。知りうる限りで最悪の貴族だってのは、俺にとって最初から変わらないあんたらへの所感だよ。……今さら、上に言ってどうなる。何が好転するわけでもない。宮廷付きは数が減って、ハードワークでただでさえガタガタの俺の私生活が目も当てられなくなって、そんで得られるものは誇りも自尊心も失った嫁だろ。いくら正義の騎士の末裔ったって、割に合わなすぎる」
「……ロレンツィオ」
「……幻滅できたら楽だった」
できなかったのか。
こんな真実を知っても、彼はまだフェリータを見損ないきれていないのか。
フェリータは少し笑って、逆に憐れんだ。この男、本当に自分のことが好きすぎる。
そこまで至ったら、ちょっと異常だ。人生を破綻させるタイプの執着だ。
――案外、フェリータを『自己評価が高すぎる』と言ったり、『とんだ魔性の女じゃねぇか』と揶揄したのは、自分への苦言だったのではないか。
「問題は、命を縮めてるあんた自身がそれを知らないことだった。確信が持てたら、話して、自分で身の振り方を決めさせるつもりだった。罰を受けるにしても、自分の意思でそう決めさせたかった」
そうか。フェリータはぼんやりと考えた。
そういえば、彼はここ最近、なにか言いかけてやめていた。頭痛を心配していたのもこのせい。
気がつくと、フェリータは口を開いていた。ぽつりと、ひとりごとのように言葉が漏れる。
「……わたくしが罰されたら、あなたの名前にも傷が付きますわね」
「それでも宮廷付きの立場は追われない。家名を傷つけられると息ができなくなるあんたらとは違うから、別に自ら辞める必要性も感じないし」
「……わたくしが一生涯、国をだまし続けると決意したらどうするつもりでしたの?」
「術者はどのみち長く生きられない。それすらも覚悟の上なら、俺も身辺整理を早めに済ませるだけだよ」
「……怖い人」
フェリータは自分の予想が間違っていないと知ってくすくすと笑った。真剣に話していたのに急に笑われたロレンツィオがむっとしたのを感じたが、謝らなかった。
別に後追いなんてしてほしくないのに。そんなにフェリータの早死にが嫌なら、すべてを暴いて、地位を強制的に奪えばいいのに。
それですべてを失って絶望する自分を見たくないから、結末をわかっていても好きにさせて殉じるのは、恋や愛というより崇拝だ。あがめれば自分も身を亡ぼすと教会が禁じる、悪魔崇拝だ。
(困るわ、わたくしそんなつもり全然なかったのに)
そんなつもりで、この人の妻になったわけでも、好きになったわけでもなかったのに。
「なに笑ってんだ」と不機嫌な声にもフェリータは気を良くして、男に寄りかかるように身をすり寄せた。
そのまま、ロレンツィオの手枷に手を伸ばす。程なくして、開いた手枷がボチャンと音を立てて床に沈んだ。
さほど難しい魔術ではない。やはりロレンツィオは、対リカルドでかなり魔力を消費してしまっているようだ。
「手間かける。……頭痛は?」
「良くてよ、筋肉は魔力になりませんもの。頭? 痛いに決まってるし、何ならレリカリオも奪われてますわ」
「なんだと?」
「生贄を使い、コッペリウスを悪用し、リカルドを誘拐しかけてまで成し遂げたかったチェステ家の目的のひとつは、正常なレリカリオを手に入れることだった。せっかく直ったばっかりだったのに」
自由を取り戻したロレンツィオがぎゅっと強く肩を抱いてきた。自分のせいだと責めているのだろうか。
できればフェリータの自業自得だと思っていてもらいたかったから、フェリータはいつもの調子で口を開いた。
「ねぇ、わたくしに話すつもりとか言いながら、先にヴァレンティノに打ち明けたのはどういう了見ですの? あの男の前でもずいぶん偉そうなこと言ってしまって、わたくし赤っ恥なのだけど」
「レオナルド殿の三倍信用していた。十倍、性質が悪かったようだが」
わざとらしく詰ると、ロレンツィオはそれまでよりずっと苦々しい悔恨の色をにじませて返した。吐息がフェリータの額にかかった。
「あなたってわたくしのこと友達いないってときどき嗤うけど、自分はいるわりに質に恵まれてなくてダサいですわね」
「……あんたの大事なリカルドとどっちがやばかったか、箇条書き列挙で争うか?」
フェリータはつんと顔を逸らしたが、男は抗議するように頭を顎で小突いてくる。
「痛いですわ、やめて。だいたいパパのことデブデブ言わないでくださる。お腹が大きいのは罪ではありません」
「デブは罪じゃないが自己管理ができてないやつに罵倒されるのは心底腹立つ」
「器の小さい人。わたくしが太りやすいのはパパ譲りよ、感謝なさい」
「は? ありがたくないが?」
「……憲兵の詰め所でヴィットリオ様に、太るのは胸と尻ばっかりって」
「殺せ」
今までで一番暗い声に、フェリータはまた吹き出した。
「お望み通り、もうじき死ぬわよ」
水はもう胸のあたりまで及んでいた。フェリータがロレンツィオに抱きついて、肩に頭を乗せると、ロレンツィオはそのままフェリータを抱えて立ち上がった。
ざぱ、と少し水から体が脱したが、それ以上どうすることもできない。不思議と焦る気持ちもなく、じっと水が貯まるのを、フェリータは見つめた。
「……こんなに早く死んでしまうなら、もっとわたくしに優しくしておけば良かったと思うでしょ。初めて会った日の態度、地獄で悔いても遅いですわよ」
「そうだな、初回から気を使わずに叩きのめして、身の程を思い知らせておけばよかった」
フェリータがもの言いたげに睨み上げると、ロレンツィオの目はじっと跳ね上げ扉に向けられていた。
出るつもりなのだろうか。無理だと思うのだが。
「強がりばっかり。わたくし、あなたとお友達になりたかったのに。……今思うと、それで三人で過ごすようになっていたら、リカルドとわたくしの拗れた関係も早めに変わって、物事はみんな好転してたかもしれませんわね」
「それで真に仲良くなったお前らがオルテンシアを物ともせず結婚したらと思うと、それもそれで地獄なんだが……そもそも俺があんたと初めて話したのは、その時じゃない」
何気なく続けられた言葉に、跳ね上げ扉を見ていたフェリータは見開いた目を男に向けた。
「……なんて?」
「初めて話したのは、一年前の春じゃない」
フェリータが眉を寄せたのを一瞥して、ロレンツィオは呆れたようにため息をついた。「わかってたけどな」とぼやく様子に、フェリータはわけがわからなくて唇をとがらせた。
21
あなたにおすすめの小説
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
さよなら、私の初恋の人
キムラましゅろう
恋愛
さよなら私のかわいい王子さま。
破天荒で常識外れで魔術バカの、私の優しくて愛しい王子さま。
出会いは10歳。
世話係に任命されたのも10歳。
それから5年間、リリシャは問題行動の多い末っ子王子ハロルドの世話を焼き続けてきた。
そんなリリシャにハロルドも信頼を寄せていて。
だけどいつまでも子供のままではいられない。
ハロルドの婚約者選定の話が上がり出し、リリシャは引き際を悟る。
いつもながらの完全ご都合主義。
作中「GGL」というBL要素のある本に触れる箇所があります。
直接的な描写はありませんが、地雷の方はご自衛をお願いいたします。
※関連作品『懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい』
誤字脱字の宝庫です。温かい目でお読み頂けますと幸いです。
小説家になろうさんでも時差投稿します。
戻る場所がなくなったようなので別人として生きます
しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。
子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。
しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。
そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。
見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。
でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。
リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。
婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!
山田 バルス
恋愛
この屋敷は、わたしの居場所じゃない。
薄明かりの差し込む天窓の下、トリノは古びた石床に敷かれた毛布の中で、静かに目を覚ました。肌寒さに身をすくめながら、昨日と変わらぬ粗末な日常が始まる。
かつては伯爵家の令嬢として、それなりに贅沢に暮らしていたはずだった。だけど、実の母が亡くなり、父が再婚してから、すべてが変わった。
「おい、灰かぶり。いつまで寝てんのよ、あんたは召使いのつもり?」
「ごめんなさい、すぐに……」
「ふーん、また寝癖ついてる。魔獣みたいな髪。鏡って知ってる?」
「……すみません」
トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。
この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。
彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。
「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」
「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」
「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」
三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。
夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。
それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。
「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」
声が震える。けれど、涙は流さなかった。
屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。
だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。
いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。
そう、小さく、けれど確かに誓った。
【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。
たろ
恋愛
幼馴染のロード。
学校を卒業してロードは村から街へ。
街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。
ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。
なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。
ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。
それも女避けのための(仮)の恋人に。
そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。
ダリアは、静かに身を引く決意をして………
★ 短編から長編に変更させていただきます。
すみません。いつものように話が長くなってしまいました。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる