病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

文字の大きさ
63 / 92
第五章 星の血統

63 砕けた想い

しおりを挟む

 ***


 水責め牢で立ち尽くしていた二人に縄梯子なわばしごを垂らしてきたのは、他でもないフィリパだった。

「……ありがとうございます」

 ロレンツィオに押し上げられるように地上に戻ったフェリータが、びしょ濡れのまま礼を言う。フィリパは「誤解なきよう」と醒めた声を返した。

「ロレンツィオ様をお助けしたかっただけですから」

 そう言うやいなや、遅れて這いあがってきたロレンツィオに透明の液体が入った小瓶と乾いた布を渡した。

「この家で作り置いている魔術薬ですわ。本来なら作り手が術をかけながら服用するものですが、ただ飲むだけでも、多少は魔力の回復にお役立ちするかと」

 その声はフェリータに向けたものより、ほんの少し、だが確実に、やわらかなものだった。
 ――なんてわかりやすい女。擬態上手の兄の反動なのか、それとももう隠すものも恥じるものもないからか。
 蹴り落とされた恨みもある。フェリータは拗ねながら、己の手で重く濡れたストロベリーブロンドを絞っていたのだが。

「ありがとう、助かる」

 そう言うと、ロレンツィオは布には手を付けず、薬を一口飲んだ。
 そして受け取った布を広げて、フェリータをすっぽり覆うと、その手に半分以上中身の残った薬の瓶を握らせた。

「はっ?」

「文句言うな。毒見だ」

 ワシワシと髪を拭かれ、その力の強さにフェリータは頭を揺らされながらも慌てて言い返した。

「あ、あなたに必要なものでしょう。あんな手枷も外せなかったのに」

「死にかけのあんたよりはずっとましな状態だよ。早く飲め」

「しっ……!?」

 あんまりな言いようにフェリータは声を荒らげかけたが、それより先に口に小瓶が押しつけられ、顎を上げられ中身が流し込まれた。

「憲兵を呼んでこい。俺はヴァレンティノを捕縛する」

 喉を通った薬液に目を白黒させたフェリータは、言うだけ言って出口へ顔を向けたロレンツィオに慌てた。

「んっ、……ま、待ちなさい! あなた一人でなんて!」

「放せ。あんたがいる方が今は足手まといだ」

「偉そうに何を、あなただって捕まったでしょ!!」

「不意打ちだった。正面切って挑んで負けたあんたとは状況が違うんだよ」

「み、見てもいないくせに……!!」

 悔しさに顔を赤くしたフェリータへ、ロレンツィオは言い聞かせるように声を和らげた。

「憲兵を呼ぶのと同時に誰かが抑えつけとかないと、証拠を消されてまた白を切られるだろうが。俺はまだ魔力も残ってるし、牢の中でろくに動かなかったおかげで体力も戻ってきてる。そもそも、魔術が本調子じゃなくても俺は十分戦える」

 黙ったフェリータに、ロレンツィオがかすかに微笑む。

「意外かもしれないが、あのボンボンに剣技で負けたことはないんだよ」

 そう冗談ぽく言われてようやく、フェリータも引き下がるように視線を下げた。

 が、掴んだ腕を放す際、ろくな手当もできていなかった二の腕の怪我に治癒術を施すのを忘れない。レリカリオなしにしてはずいぶんきれいな仕上がりだった。
 ロレンツィオはぎょっとして、「バッカ、せっかく回復させたのを……」と罵りかけたが、癒えた傷を見て、睨むフェリータにため息を吐くと。

「……助かったよ」

 そうして、眉間のしわを和らげた妻の頬に、布に隠れて軽く口づけると、あとは振り返ることなく礼拝堂を後にした。

 フェリータが喜びに胸を震わせたのは、男が開けた扉が音を立てて閉まるまで。
 あとには、すべてを傍観していた無言のフィリパに「出口はどこですこと?」と白々しく声をかけるという苦行が待っていた。






 フェリータとフィリパは女主人の主寝室に戻ってきていた。
 窓を開けて廊下に直接侵入すれば、礼拝堂から玄関や裏口に向かうより、ずっと近かった。

「この隠し通路は、中で分岐していて、外につながっている道もありますわ」

 肖像画の奥の隠し部屋はあいかわらずだった。
 白骨をものともせず避けて、小部屋の奥の壁に相対したフィリパは、青ざめて奥歯を噛み締めるフェリータに気が付いてせせら笑った。

「あなたって本当に箱入りのお嬢様ですのね。宮廷付き魔術師だなんてとても思えない」

「おだまり……」

「大切に守られて、育ってきたんでしょうね」
 
 意地悪く投げかけられたその言葉を、ただの嫌味ととらえることはできなかった。
 フェリータは視線をフィリパに向けた。彼女はもう顔を壁に戻している。黒い髪はきれいに結われ、服は一級品の布地で首から手首、足首までを綺麗に包んでいる。

 隠されているのだ。あの美しい布で。

「……一年前、ロレンツィオ様のもとに奇妙なプレゼントが届いたでしょう。あれは中身こそお兄様が用意なさったけれど、包んで、置いていったのは、わたくしでした」

 やはり、と思っても口には出さなかった。
 流行りの包みと美しい花の飾りを取り去れば、溢れてきたのは暗く淀んだ呪い。
 似ている、と図らずも思ってしまった自分が嫌で、フェリータはフィリパの背中から目を逸らした。

「失敗するように願って、そうとわかるように包みをゆるくしました。結果に安心しましたが、でもカヴァリエリ家を見下す侯爵にはずいぶん罵られました。お兄様は、それでもあなた方親子とロレンツィオ様が仲違いを深めたから良しとするような言い方をなさいました」

 フィリパの手が自身の左頬に触れた。無意識なのだろうか。――叩かれた記憶が、ぶり返しているのだろうか。

 大切に守ってくれる人は、この屋敷にいなかったのか。
 この寝室の肖像画を見る限り、彼女はまるでチェステ家に存在していないかのようだ。生贄として、使い潰す予定だったからなのだろうか。

「オルテンシア様の横にいると、ときどきその事件の話になりました。真相を知らないはずの殿下も『どうせならぺルラ家の苺姫がやったことになればいいのに』と。あなたのことですよ」

 第一王女の名前が出て、途端にフェリータの気持ちはささくれだった。本当に頭にくる王女だ。 

(よりによって、あの人にもわたくしの過ちが筒抜けだったなんて……)

 苦々しく眉を寄せたとき、ふと胸に違和感が生じたが、それを吟味する暇はなかった。

「誰も、あなた方の結婚なんて、望んでいなかった」

 靴音が響いて、フィリパがフェリータの方を向いた。
 静かに、確かに、憎しみをその目に滾らせて。

「……オルテンシア様に目を付けられて、引っ張り回されるようになって良かったことは、この家にいなくてもいい時間が増えたことと、お兄様のいない場所でロレンツィオ様とお会いできたことでした」

 隠し通路につながる壁から離れて、フィリパがフェリータに近づく。
 つま先が白骨に当たったことも気にかけず、目はひたすらフェリータに向いていた。

「もしも、お兄様がぺルラ家の姉妹と結婚したら。魔力のある子どもが生まれたら。そうしたら、わたくしが外に嫁いでいく……オルテンシア様がままごと遊びのように提案した、カヴァリエリ家に輿入れするなんて夢物語も、実現したかもしれない」

 張り詰めた空気に気おされたように、窓の揺れる音がした。風が強くなっているのか、波の荒れる気配まで届いた。
 フェリータは息を飲み、思わず一歩後ずさった。予想外の展開になってしまった。

「フィリパ様、話は外で致しましょう」

「わたくしのほうが、先に好きになったのに。優しい方だと知ってたのに、ずっと見つめてきたのに。……あなたなんて、運河に飛び込んだだけなのに、なんで」

 フィリパの目に涙が盛り上がる。怒りと憎しみと悲哀が、瞳から顔全体に広がり、端正な顔を歪ませた。

「フィリパ様っ、」

 逃げる間もなく腕を掴まれる。細い指が食い込み、至近距離で目を見つめられて、息が止まった。
 比喩でなく本当に、呼吸が止まっていた。空気の塊が喉に押し込まれたようだった。

「貴族には手を出さない、って言ってたくせに、よりによってなんで……なんで!!」

 ――背後の寝室で、窓が割れる音がしたのと同時に、小部屋の奥の壁が回転し、奥から飛び出してきた人影がフィリパを引きはがした。

「……ッグィード!?」 

 驚き、叫んだときには呼吸が楽になっていた。

「……お迎えに上がりました」

 即座にフィリパを昏倒させた元護衛騎士はそう言って、いつもよりやや疲労の目立つ顔を俯かせて礼を取った。

「……な、なぜそんなところに」

「恥ずかしながら、チェステ家のご令息に入館を阻まれましたたため」

「侵入して、こんなところまで暴いて探し回っていたというの? まぁなんてこと……」

 隠し通路の壁と護衛騎士とフィリパを交互に見るフェリータをよそに、フィリパを寝室の壁に凭れさせたグィードは割れた窓に走り寄って外を見渡した。

「誰かいる?」

 フェリータが聞くと、周辺を調べていた騎士は短く否定した。

「強風で割れたのね。運河も荒れているようだし」

「……? いいえ、外は静かで、ここから見る限り運河も……いつも通りかと」

 予想が外れ、フェリータは瞬きした。

「そう。ならどうしてかしら」

「……」

 黙った騎士に見つめられ、フィリパの様子を見ていたフェリータはきょとんとし、そしてすぐに「わたくしではありませんわ!」と反発した。

「これでも、自宅以外ではずいぶん落ち着いていて、外での無意識魔術なんて本当にまれにしかありません! それより、早く外へ」

 まれにあるでしょうが、と内心で思う騎士の神妙な「申し訳ございません」にフェリータが鼻息荒く頷いたとき、階下で大きな物音がした。

 ――ロレンツィオ!!

「グィード、フィリパ様と外に出て憲兵をお呼び!」

 鋭く命じながら、体は既に寝室から廊下へと躍り出ていた。



しおりを挟む
感想 32

あなたにおすすめの小説

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

さよなら、私の初恋の人

キムラましゅろう
恋愛
さよなら私のかわいい王子さま。 破天荒で常識外れで魔術バカの、私の優しくて愛しい王子さま。 出会いは10歳。 世話係に任命されたのも10歳。 それから5年間、リリシャは問題行動の多い末っ子王子ハロルドの世話を焼き続けてきた。 そんなリリシャにハロルドも信頼を寄せていて。 だけどいつまでも子供のままではいられない。 ハロルドの婚約者選定の話が上がり出し、リリシャは引き際を悟る。 いつもながらの完全ご都合主義。 作中「GGL」というBL要素のある本に触れる箇所があります。 直接的な描写はありませんが、地雷の方はご自衛をお願いいたします。 ※関連作品『懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい』 誤字脱字の宝庫です。温かい目でお読み頂けますと幸いです。 小説家になろうさんでも時差投稿します。

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

婚約破棄されたトリノは、継母や姉たちや使用人からもいじめられているので、前世の記憶を思い出し、家から脱走して旅にでる!

山田 バルス
恋愛
 この屋敷は、わたしの居場所じゃない。  薄明かりの差し込む天窓の下、トリノは古びた石床に敷かれた毛布の中で、静かに目を覚ました。肌寒さに身をすくめながら、昨日と変わらぬ粗末な日常が始まる。  かつては伯爵家の令嬢として、それなりに贅沢に暮らしていたはずだった。だけど、実の母が亡くなり、父が再婚してから、すべてが変わった。 「おい、灰かぶり。いつまで寝てんのよ、あんたは召使いのつもり?」 「ごめんなさい、すぐに……」 「ふーん、また寝癖ついてる。魔獣みたいな髪。鏡って知ってる?」 「……すみません」 トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。 この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。 彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。 「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」 「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」 「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」 三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。  夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。  それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。 「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」  声が震える。けれど、涙は流さなかった。  屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。 だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。  いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。  そう、小さく、けれど確かに誓った。

【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。

たろ
恋愛
幼馴染のロード。 学校を卒業してロードは村から街へ。 街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。 ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。 なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。 ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。 それも女避けのための(仮)の恋人に。 そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。 ダリアは、静かに身を引く決意をして……… ★ 短編から長編に変更させていただきます。 すみません。いつものように話が長くなってしまいました。

全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。

彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

処理中です...