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第七章 天敵求婚譚
74 ある晴れた日の王宮 後
しおりを挟む疲弊しきった使者一行が小用に立った謁見の間で、子爵令嬢がそばにいた伯爵令息に声をかける。
「変ね、生贄術が行われたのってチェステ家ではないの? 宮廷付き魔術師が生贄術をって、いったいどこからの情報かしら」
さぁ、と貴公子が肩を竦めると、他の取り巻きたちも口々にあいまいな返事をした。
そこへ、ごく最近オルテンシアのそばに侍るようになったさる公爵家の令嬢が「これはその、……いとこの、幼馴染みの、その妹に聞いたのですけれどぉ」と口を挟んだ。
「あの、使者の方も気にしてらした、例の伯爵家。あそこのおうち、先代当主が生贄術の研究なさってたって記録があるらしくて」
「えっ、そうなの?」という一人の驚きの声に、年若い少女はなにか背中を押されたように、声を少し大きくした。
「……そこを踏まえると、フェリータ様って、あのご年齢で宮廷付きになるのって、やっぱり早すぎるというか、怪しく思えませんか? リカルド様は……オルテンシア様の夫にもなるほどの方ですからともかく、あの方って落ち着きもないし、そんなに頭もよくありませんわよね?」
他の取り巻きたちの注目を集めた娘はどんどん饒舌になっていった。扇を立てた程度では抑えきれない興奮した声に、周囲の何人かがうんうんと興味深げに頷く。
「もしかして、今あの方が宮廷付きのお仕事から離れているのって、生贄術で力を水増ししていたのがバレたからだったりして。この前の嵐のときも、みんな金鯨が出たって大喜びしてましたけど、あれで一度フェリータ様って命が危ぶまれて、そこから復活なさったって本当でしょうか? なんか一度死んでたって噂もあるし……もしそうなら、それこそ禁忌の術に手を出さないと、蘇生なんて無理なんじゃありません?」
疑問というよりは、どこか愉しむような声の調子になり――そこで、様子見に徹していた、比較的古参の貴族たちは顔色を変えた。
そのことに、口の軽くなった公爵令嬢は気づかない。
「そばにフィリパ様がいらっしゃったっていうのも不気味ですわよね。だってあの方、それこそチェステ家の方ですし、何を隠そうオルテンシア様を呪詛した犯人だそうじゃありませんか。ねえ、王女様、もしかして、フィリパ様が生贄の命をフェリータ様に移し替えたとかじゃ、っ!」
話は唐突に止んだ。
勢いで王女の座る椅子の横まで出てきていた娘の開いた口に、閉じた扇の先端が咥えこまされたのだ。
「……いとこの幼馴染みの、妹の話、だったわね?」
混乱して目を白黒させる娘は、口をふさがれたままこくこくと頷いた。
「ならそいつに言っておきなさい。フラゴリーナやフィリパが生贄術を使ったというのなら、その生贄の名前を教えろと。公務として、あたくし自らが花を手向けに行くからね。名を答えられないなら、つまらない妄想を偉ぶって話すのはやめるようお言い。没収したチェステの蔵書も、収容場所が完成するまでの一時保管を言いつけられただけなのに、勝手に読んだりしたら信用を無くすともね。名家の品格なんて、一日あれば簡単に剥奪されて地に落ちるということは、かの侯爵家を見ていればわかるでしょう?」
そう言うと、青ざめる令嬢の口から扇を抜いた。
歯型と唾液がついた扇の先端を睨み、逆隣りにいた貴公子に無言で突きつける。
彼は努めて済まし顔のままハンカチでそれを包み、そしてすかさず、別の令嬢が己の扇をオルテンシアに差し出した。
「それともうひとつ。今お前が図々しく踏みつけている場所だけど、そこに立てる人間は決まっているの」
娘は口を抑え、「はい、申し訳ございません……」と涙声を絞り出すと、隠れるように他の取り巻きの後ろへと回っていった。
公爵令嬢が空けた場所、オルテンシアの右隣の、ぽっかりとあいた空間。そこを埋めるのは、今ここにいないロレンツィオではない。彼の定位置は王女の左斜め後ろだ。
王女に最も近いその位置は、いつもフィリパ・チェステがいた場所だった。
「あ、あいつめ、たかだか妄想ごときになにを……アベラツィオ公爵の末娘だぞ……」
わななくヴィットリオを視線だけで窺っていたロレンツィオは、その様子に密かに胸をなでおろした。
――オルテンシアは、兄に言っていないし、憶測でも周囲に広めさせないつもりらしい。
浜辺で、ロレンツィオに、面白そうに示唆したのに。
覗き穴の向こうで、王女は髪をかき上げるついでのように、胸元に指先で触れた。
魔術師による呪詛が現れ、そして別の魔術師によって消された場所に。
わかりにくい女だな、と呆れるような、苦いような気持ちで、ロレンツィオは覗き穴から目をそらした。ちょうどそのとき、薄暗い小部屋の隅で物音がして、思わず懐のロケットペンダントに手を伸ばしかけたが。
「失礼いたします、殿下。警護を代わるぞロレンツィオ、じきに時間じゃろうて」
隠し部屋の中に入ってきた老魔術師のささやきに、ロレンツィオは引き出す対象を懐中時計に変えた。
「おや、とうとう新調したのか」
新品の時計を目にしたヴィットリオの言葉に、ロレンツィオは「いえ、只今修理に出しておりまして」と涼しい顔で答えた。
「祖父の形見だったか。物持ちがいいやつだな。……質が良くても適度に新調しないと、君の嫁は嫌味のとっかかりにしてくるぞ。体はまだ本調子には遠くとも、あの口は真っ先に元気になるだろうからな」
ぼやくヴィットリオにロレンツィオが苦笑いを返す。そして宮廷付き魔術師の同僚に手早く引き継ぎをすませると、王太子に挨拶をするために顔を向け。
「ねぇ王女様、そういえば僕、フェリータ様のことでひとつ気になっていたことがあるのですが」
そこで、謁見の間から漏れ聞こえた名前に、耳が自然と吸い寄せられた。ヴィットリオも大して構えることなく、腕を組んで耳を傾けている。
「なぁに、あたくしがいるのに皆してここにいない人間の話をするのね。面白くない話だったら許さないわよ」
オルテンシアは、毛先を指で弄びながら、やる気なさそうに話の先を促した。
話を切り出した若い伯爵は、主人の様子におそれをなしたか、数秒迷い、しかし意を決したように口を開いた。
「……ロレンツィオ殿と秘密裏に離婚しようとしてるって噂、本当なんですか?」
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「……なぁにそれぇ」
オルテンシアの目が期待と関心に輝いて、貴公子の元へと向く。
「……なんだそれ」
同時に、ヴィットリオの目は驚愕と恐怖で揺れながら当事者の片割れへと向けられ。
「では殿下、陛下のお許しにもとづいて本日はこれにて失礼いたします!」
挨拶を言い終えるより先に、ロレンツィオは隠し部屋からさっそうと逃げ出した。
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