病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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番外編

蜜月を阻むもの 後

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 宿直だったはずの夫が、気のいい同僚と当番交代をしたおかげで、この夜もカヴァリエリ伯爵邸の新婚夫婦はともに寝室に入ることと相成った。

 同僚は思った。若い夫婦の仲がいいのは素晴らしきこと。これで明日の御前会議もスムーズに進むであろう。

 ――まさか、当の夫妻が絶対零度の空気の中、寝台を挟み、互いに腕を組んで睨みつけ合っているとも知らず。

「あんた、俺の休職届を勝手に作って出したって?」

 今さっき仕事から帰ったロレンツィオは、ジレとタイこそ外していたが、まだシャツにトラウザーズ姿である。

 青筋を浮かべて怒りを抑え込みながら問う夫に対し、夕方に帰宅して既に入浴も済ませたフェリータはガウンを纏い、つんとすまして答えた。

「だってあなた、最近とみにお疲れみたいだし、わたくしは仕事が好きですもの」

 二人の間に横たわる寝台の上には、フェリータが王太子に渡し、ナイフで穴を開けられた『ロレンツィオ・カヴァリエリの休職届』がある。ロレンツィオ本人は初めて目にするものだ。

「一緒にいる時間を増やそうと思ったら、どちらかが休むのが手っ取り早いでしょ。わたくしは夏じゅう休みましたもの、順番よ」

「正気か? バカっていうか普通に政敵のやることだよ。殿下にこれ返された俺の衝撃わかるか? 結婚の段階からペルラ家に嵌められてたのかと失神しかけたわ」

「失神? 虚弱なのね、休職理由を『一身上の都合』から『病気』に書き変えておきますわ」

「文書捏造ねつぞうで告発すんぞクソ女」

 ばちっと寝台の端で火花が散った。珍しく、ロレンツィオの無意識魔術が発動したのだ。

 別に、それくらいで怯えるフェリータではないが、二度目の「だって」は最初より覇気がなかった。

「だってわたくし、次お休みしたら『やっぱり無理だったんだ』ってまわりに思われて、きっと復帰できませんもの」

 夫のことは好きだ。一緒に過ごす時間はほしい。でも仕事も好きだ。穴を開けたくない。

 それにどんな理由をつけても、フェリータの休みを父伯爵は生贄術の負担と結びつけて、今までとは逆に自分の復帰を誰よりも反対するかもしれない。“カヴァリエリ夫人”の地位が落ちても、ペルラ家の威光には関係がないから余計に。

 それに、生贄術のことを知らない国王や王太子は、『嵐の夜に力を一度使い果たしたら、魔力が落ちた』と説明されたフェリータの魔力や体力に対して懐疑的だ。復帰を許しはしたが、様子を見ているのをひしひしと感じる。

「……あなたは休んでも、望めばすぐ戻れますでしょ。何かと調子の良し悪しを気にされているわたくしと違って、どこからも引っ張りだこですもの」
 
 内容の身勝手さとは裏腹に、声に力はない。

 ややあって、家主の大きなため息が主寝室の空気を震わせた。
 ついで、ロレンツィオはぼすっと勢いよく寝台に腰掛けた。休職届を握り潰して床に落とし、ヘッドボードによりかかるように向きを変えて、フェリータにも隣にくるようぼんぼんとシーツを叩く。
 
「他人の名前の届け出を作るのは論外として、まずこんなことを理由に休職を考えるな。国の防衛力が落ちるし、殿下に『仲がよくて何より』って半笑いでつつかれて死にたくなったわ」

 その声は怒りや苛立ちよりも、呆れと疲労が色濃く出ていた。

「……失神したり死のうとしたり、忙しい人ね」

 拗ねたようにぼやきながら、フェリータものろのろと寝台の端に乗り上げた。
 少し離れて座ったその体を、夫の手が軽々と引き寄せる。ぴったりとガウン越しにくっついたところで、頭上から「誰のせいで」と声が降ってくる。

「最近タイミングがすれ違ってただけで、ちゃんと休みが合うときは今までだってあっただろ」

 今だって、と、肚の底を浚うような低い声が耳朶から流し込まれる。
 フェリータの心臓が早鐘を打つ。頬が赤くなっているのが、鏡などなくともわかった。

「……ロ、」

「二度とバカなことすんなよ。せっかく二人でいられた時間だったのに、無駄に過ぎただろうが」

 片手が腰に回され、もう片手が頬から耳の後ろを流れるように撫でていく。しっかり捕獲されているのに、檻の中ではひたすら甘やかされる感覚。

 顔の周りから始まって、撫でる手のひらは徐々に下へと降りていく。顔を少し上げれば、待ち構えていたように唇が塞がれた。
 そのまま、フェリータは後ろに倒された。ふやけた頭でされるがままでいると、男が少し体を離してシャツを脱ぎ始め。



 その目が、脱いだシャツを床に落とすのと同時に何気なく横に向き、一瞬固まったように見えた。


(……?)


 もちろんすぐに視線は寝台の上へと戻ってきて、愛撫が再開される。フェリータは夢見心地のまま、重なってきた相手の背に腕を回しながら、首を晒すように横を向いた。

 ――そして、カーテン越しに、窓の外で動く小さな影を見つけた。

「フェリータ、そこにいる?」

 影は大きなくちばしの、小ぶりのカラスの形をしていた。
 窓の外から、実によく知っている声が部屋へと響く。

「ろ、ロレンツィオ」

「鳥だ、無視しろ」

 一瞬で頭が冴えたフェリータが、抱きしめようとした背中を強く叩くが、ロレンツィオは切り捨てた。

 だがフェリータにしてみれば、そんなことできるはずない。

「リ、リカルドの、使い魔ですわ」

「鳥だ」

「リカルドの使い魔は鳥の形をしているのを知らないの!?」

「知ってるよ!!!」

 叫び返して身を起こしたロレンツィオは、近くにあった空の灰皿を掴んだ。瞬く間に短銃に変わったのを見て、フェリータも跳ね起きる。

「ま、待ちなさいバカ! 用件だけでも聞かなきゃ!!」

 男の指が引き金にかかる前にと窓辺に飛びつくと、ガウンの前をきつく合わせてからカーテンを引き、窓を開けた。

「あ、いた。良かった、たいしたことじゃないんだけど、先月貸した魔導書のことで」

 リカルドの声を出す使い魔はあっけらかんとしていた。フェリータは努めていつも通りの顔を作りながら、ひと月前、職場に復帰したばかりの頃に借りたものを思い出す。

「……“獣の預言書”?」

 カラスが頷く。

「急ぎで返してもらえる? レリカリオ作成に必要になった」

 カラスと話す背後で、フェリータはロレンツィオが身を整える気配を感じていた。

「……それなしでは魔女の心臓の無毒化ができないということ?」

「いや、それはできてる。ロケットの作成に必要なんだ。来週にでも依頼主の家から催促が来るだろうから、準備だけしておこうと思って。僕、明後日から出張だし」

 寝台の方から、ベルトを締め直す金属音がしていた。フェリータは微笑んだ。

「わかりましたリカルド。の朝、必ず持っていきますわ」

 そう言うと、使い魔は「うん、お願い」と残し、羽を広げて夜空へと飛び立っていった。
 窓を締め、カーテンをしっかり引き、フェリータは振り返って得意げに笑った。

「ほらごらん、聞くだけで済んだでしょう」

 寝台の傍らに立つ夫は、目を丸くしてこちらを見つめている。フェリータは軽い足取りでそばに寄り、銃の消えた右手からシガレットケースを取り上げ、放り投げた。

「リカルドに言われて、わたくしがなりふり構わず家を飛び出すと思った? 残念ね、もうそんなに幼くないの」

「……朝まで待たせてもいい内容だった」

 妻の指摘が図星だったのだろう。視線をそらしてなおも文句をつける夫のほうが、よほど子どもじみていた。

「彼の使い魔は視覚も聴覚も共有しているのに、朝までいさせますの?」

 フェリータが揶揄するように言って、奪った右腕に己の体を押し付ける。

 降参したと言うように、夫がフェリータの方に向き直って苦笑を漏らす。小柄な妻を抱き上げて、もう一度寝台に寝転ぶ。

 唇が深く合わさり、二人の影が折り重なった。



 そのとき。




「お姉様、パパがぎっくり腰になっちゃったから、明日お仕事のあとお見舞いに来てあげて」

「なんですって!?」

 窓の外から聞こえた一方的な伝言用使い魔――基礎的なもので、視覚も聴覚も術者とは共有しない――の声に、フェリータは夫を突き飛ばして跳ね起きた。

「フランチェスカ門をあけておきなさい!! 待っててパパ今行きますからねぇーーーっ!!!」

 すでにいない使い魔へ叫びながら引っかかっていたガウンを蹴り捨て、クローゼットから服を引っ張り出すと、フェリータは転げるように部屋を出る。

 けたたましい足音は使用人たちの「奥様ァーーー!?」という悲鳴と玄関の開閉音を残し、遠ざかっていき。

 あとに残されたのは、蹴られたみぞおちを押さえ、背を震わせてシーツを握りしめるロレンツィオただ一人。

「…………このっ、ファザコンがっ!!!」

 そう吐き捨てた五分後、新たな使い魔がやってきて『ご在宅ですかロレンツィオ・カヴァリエリ様。これよりオルテンシア王女殿下主催にて、徹夜ポーカー大会が始まるところでございます。ロレンツィオ様、離宮への急行願います』と涙声の王女付き侍女から援軍要請がくるのだった。
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