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3 王配候補がめっちゃ睨んでくる(3)
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当世一の美形ともてはやされた男が、大きな音を立てて床に倒れ込む。
なおもルディウスは、その胸倉をクラバットを掴んで引き上げて、睨み下ろした。
「心当たりはありますね?」
低い声には、怒りが満ちている。ルディウスに殺意のこもった目で見下ろされれば、たいていの男は最悪の事態を予感して、青ざめ、震えた。
けれどカイル・ハウゼルは、乱れた前髪の間から億劫そうに睨み返している。それどころか、切れた唇から血を流したまま、落ち着き払った声で告げたのだ。
「……第二師団の予算を削るのは、今後は第四師団のほうが仕事が増えるからだが?」
ルディウスはためらわず逆の頬を殴った。
「った……」
「今をときめく補佐官殿は、その場限りの女のことなんかもうお忘れで? なら思い出すまでお手伝いいたしますよ下衆野郎!!」
カイルの端正な顔が痛みに歪んでいた。しかし、この瞬間まで抑え込み続けたルディウスの怒りは収まるところを知らない。
相手は宮廷の寵児。女王の婚約者候補。大貴族の嫡男。
あらゆるストッパーが、“リネットが弄ばれた”という事実の前では無意味だった。
「侯爵家で声かけた女、あれが俺の妹だと知らなかったとは言わせねぇ」
起き上がりかけたところでまた一発、最初と同じ頬に埋め込む。周囲が褒め称える白皙の美貌がどうなろうと知ったことではない。むしろこんなものがあるから哀れなリネットが釣られたのだ。この兄がいるのに。
「女王の唯一無二の右腕? 笑わせんな! 陛下に愛想振りまくことだけ一丁前で、実態は遊んでいい相手の選別もできてねぇ屑野郎じゃねぇか!」
引きずり上げるように立たせて、そのまま背後の壁に叩きつける。バンと大きな音がした。
人が来るかもしれないが構わなかった。どうせ家は兄が継ぐし、この機会に実家から勘当されたっていい。
「後悔しな。この借りは、高くつくぞ」
再び、上等な刺繍がされた上着の襟を掴む。無抵抗の相手を前に、また拳を握った右腕を後ろに引いた。
「多少顔がいいからって調子乗りやがって。男爵家の女に何したって大騒ぎにはならないと思ったか!? 残念だったな怖いもの知らずが身内にいたもんでな!! てかなんでうちの師団の予算削ってんだてめぇぇァ!!」
ついでに頭の隅にひっかかっていた懸念とともに顔面に打ち込もうとした。
が、そこでようやく、相手が待ったをかけるように片手を上げた。正直、怒りが収まる気配はちっともないが、ルディウスはそれを見てとっさに動きを止めた。
反射だった。降伏のサインを送る相手には、それ以上攻撃しない。兄弟喧嘩から戦場まで、共通の規範だ。
興奮した獣のように息を吐いたルディウスが手を離せば、カイルは大きく息を吐きながら、胸ポケットのチーフを出して口に当てた。布が赤く染まる。中が切れて溜まっていた血を吐いたらしい。
荒事から縁遠そうな男が、髪を乱し服に血を垂らし、肩で息をしながら壁に寄りかかって立つ様子を、ルディウスはまったく同情せずに眺めていた。――自力で立ち続ける様子に、思ったより頑丈だな、とは少しだけ思った。
「確かに、彼女のことは覚えている。……キスしただけだ、触れるだけの」
「それが遺言でよろしいな?」
押し殺した低い声。だが、カイルは待ったをかけた以外に臆する様子は見せなかった。
金糸の隙間から上目で見上げて、ふっと笑う。
「……もしかして君とは片親違いだったりするのか? 妹君はいかにも世間知らずでおっとりしていて……まさか、自分の兄が、夜会の片隅で主催者の次男とよろしくやってるなんて、夢にも思ってなさそうだった」
拳を握りなおしていたルディウスは、後半の言葉に瞠目して固まった。
その瞬間、ぐんと身体が前に傾いで、腹部に重い衝撃が走る。
完全に油断していた。痛みと反射的な吐き気で思わず前のめりになったところで、続けざまに顎に一撃が加えられる。掴まれていた襟が解放されて、体がふらつく。
「……王宮内での軍人の暴力行為は本来厳しく処罰されるべきだが、本件に限っては」
衝撃で揺れていた頭に、さらに回し蹴りが綺麗に命中した。
「……これで目を瞑る。妹君への無礼と、陛下の心の安寧に免じて」
なおもルディウスは、その胸倉をクラバットを掴んで引き上げて、睨み下ろした。
「心当たりはありますね?」
低い声には、怒りが満ちている。ルディウスに殺意のこもった目で見下ろされれば、たいていの男は最悪の事態を予感して、青ざめ、震えた。
けれどカイル・ハウゼルは、乱れた前髪の間から億劫そうに睨み返している。それどころか、切れた唇から血を流したまま、落ち着き払った声で告げたのだ。
「……第二師団の予算を削るのは、今後は第四師団のほうが仕事が増えるからだが?」
ルディウスはためらわず逆の頬を殴った。
「った……」
「今をときめく補佐官殿は、その場限りの女のことなんかもうお忘れで? なら思い出すまでお手伝いいたしますよ下衆野郎!!」
カイルの端正な顔が痛みに歪んでいた。しかし、この瞬間まで抑え込み続けたルディウスの怒りは収まるところを知らない。
相手は宮廷の寵児。女王の婚約者候補。大貴族の嫡男。
あらゆるストッパーが、“リネットが弄ばれた”という事実の前では無意味だった。
「侯爵家で声かけた女、あれが俺の妹だと知らなかったとは言わせねぇ」
起き上がりかけたところでまた一発、最初と同じ頬に埋め込む。周囲が褒め称える白皙の美貌がどうなろうと知ったことではない。むしろこんなものがあるから哀れなリネットが釣られたのだ。この兄がいるのに。
「女王の唯一無二の右腕? 笑わせんな! 陛下に愛想振りまくことだけ一丁前で、実態は遊んでいい相手の選別もできてねぇ屑野郎じゃねぇか!」
引きずり上げるように立たせて、そのまま背後の壁に叩きつける。バンと大きな音がした。
人が来るかもしれないが構わなかった。どうせ家は兄が継ぐし、この機会に実家から勘当されたっていい。
「後悔しな。この借りは、高くつくぞ」
再び、上等な刺繍がされた上着の襟を掴む。無抵抗の相手を前に、また拳を握った右腕を後ろに引いた。
「多少顔がいいからって調子乗りやがって。男爵家の女に何したって大騒ぎにはならないと思ったか!? 残念だったな怖いもの知らずが身内にいたもんでな!! てかなんでうちの師団の予算削ってんだてめぇぇァ!!」
ついでに頭の隅にひっかかっていた懸念とともに顔面に打ち込もうとした。
が、そこでようやく、相手が待ったをかけるように片手を上げた。正直、怒りが収まる気配はちっともないが、ルディウスはそれを見てとっさに動きを止めた。
反射だった。降伏のサインを送る相手には、それ以上攻撃しない。兄弟喧嘩から戦場まで、共通の規範だ。
興奮した獣のように息を吐いたルディウスが手を離せば、カイルは大きく息を吐きながら、胸ポケットのチーフを出して口に当てた。布が赤く染まる。中が切れて溜まっていた血を吐いたらしい。
荒事から縁遠そうな男が、髪を乱し服に血を垂らし、肩で息をしながら壁に寄りかかって立つ様子を、ルディウスはまったく同情せずに眺めていた。――自力で立ち続ける様子に、思ったより頑丈だな、とは少しだけ思った。
「確かに、彼女のことは覚えている。……キスしただけだ、触れるだけの」
「それが遺言でよろしいな?」
押し殺した低い声。だが、カイルは待ったをかけた以外に臆する様子は見せなかった。
金糸の隙間から上目で見上げて、ふっと笑う。
「……もしかして君とは片親違いだったりするのか? 妹君はいかにも世間知らずでおっとりしていて……まさか、自分の兄が、夜会の片隅で主催者の次男とよろしくやってるなんて、夢にも思ってなさそうだった」
拳を握りなおしていたルディウスは、後半の言葉に瞠目して固まった。
その瞬間、ぐんと身体が前に傾いで、腹部に重い衝撃が走る。
完全に油断していた。痛みと反射的な吐き気で思わず前のめりになったところで、続けざまに顎に一撃が加えられる。掴まれていた襟が解放されて、体がふらつく。
「……王宮内での軍人の暴力行為は本来厳しく処罰されるべきだが、本件に限っては」
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