アナタトワタシ

空想書記

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三千世界の果てほど後悔させてやる。

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        三千世界の果てほど後悔させてやる



    菩薩直下の天罰部隊統括ナンシー・ヴェイカントが堕天して、2日が過ぎた…。
その悪い報せは瞬く間に天界中に広まり、水面下でさまざまな憶測や噂が囁かれた。
    怒りを滾らせた菩薩が、天封羅解除した ” 皆殺しのハイ& ロー “ と共に出撃するという話も同時に流れ出た為に、その逆鱗に触れては只ではすまないと慄いた天界に住む者達は、声高にこの事を話す者は居なくなっていた…。

   地獄界では阿弥陀如来からの伝令を部下から伝え聞いたベルゼブブが、悪魔の顔役達に召集をかけた。
もっとも反ベルゼブブの勢力も居るため、その全てが集まったわけではない…。

   ビサンティン建築で創られたベルゼブブの居城は、両翼に天高く聳え立つ塔が在り、中心部にはドームをのせた大聖堂のような建造物、突き抜けるような天井にはステンドグラスが散りばめられ、壁には天使を吊るしたり、惨殺するような…所謂、反神ともいえるような描写のモザイク壁画が描かれている。
天高く聳え立つその建造物は、煌びやかというよりは禍々しいといった表現のほうが似つかわしい。

     ベルゼブブは通称 ” 蝿の王“ と呼ばれる大悪魔で、数多くの悪魔達を圧倒的な力で統率する絶対者として君臨している。
この地獄においてルシファー同様に絶対者という存在であり、何者にも縛られない、何者にも止められない、最強にして最自由の悪魔として存在している。

   顔役を集結させたベルゼブブは、禍々しい彫刻が施された銀のグラスに注がれているブランデーを舌でころがしながら呟く。


「菩薩が来るな…」


「やってやるかベルゼブブ。…あの女」


「好きにしろロットン。キレた菩薩に、天封羅解除したハイタム、ロータムに加え、ミカエルも来る…。俺は面倒だから関わる気はない。」


「…二万の軍勢を二人で壊滅させた皆殺しのハイ& ローだったか?俺は噂先行だと思ってるぜ!あんなメスガキ二匹に二万人もの悪魔が殺されたなど、有り得ないだろ」


    息を巻くロットンを横目に、ベリアルが菩薩の目的は何なのかをベルゼブブに訊いた。
クセのついた紫色の前髪を指先で玩びながらベルゼブブは銀のグラスに注がれたブランデーを一口含む。


「菩薩の目的は、ナンシー・ヴェイカントを堕天させたシド・ファッキンダムを殺す事…。ロットン、お前の弟だったな。菩薩に仕掛ける者は自己責任でやればいい。俺は筋を通してきた菩薩の意思を汲み、こちらから仕掛ける気はない…。部下にもそう伝えた。明日、菩薩にヤられた者に関しては俺は一切関知しない」


「日和ってるのかぁ?ベルゼブブよ」


「好きに取ればいい…。娘同然に暮らした者が堕天したのだ…。奴の怒りは最もだろうし、シドはこの戦争の重要参考人として天獄に居たのだろう?確か連行したのはロットン…。お前の部下では無かったか?」


「さあな?俺はその事には関知していないからな。部下に後から聞いたんだ。あの愚弟がどうなろうと…知ったことではないな…。ただナンシー・ヴェイカントが堕天したのはこちらには好都合ではないのか」


「確かに…。同胞が増えるのは、いいことだけどな…」



   ベルゼブブとベリアル、ロットン、その他の悪魔達が話している事に興味が無さそうな一人の堕天使がボンヤリと外を眺め、透き通るような白銀の長い髪をかきあげた…。


「薩ちゃんか…もうしばらく逢ってないな…」



    出撃の前夜、社(やしろ)にて一人で佇む菩薩は、堕天してしまったナンシーの事を考えていた。
元を辿ればルシファーが堕天した事が始まりなのだが、ナンシーを引き取って二百余年…。
幼子でまだ言の葉を覚えた頃だった…。
お母さんが居ない、お父さんが居ないと泣きじゃくるナンシーをたくさん抱いた。
小さな頃は神の宮をよく散歩した。菩薩の小指を握って歩くナンシーはとても小さくて可愛かった。
周囲の者達が菩薩様というのを真似て、“ ぼちゃちゅたま ” と呼んでいたのが昨日の事のように思える。
分別がつく年齢になる頃、すべての真相を告げた時は、酷く荒れ果て家中のモノを壊して回った事もあった…。
どうにもならなかった事を菩薩はナンシーに詫びた…。
どんなに暴言を吐かれようと、物を壊されようと菩薩は自分の力不足だと謝り続け、もう二度と悲劇は繰り返さないとナンシーに誓った。
その言葉通り、菩薩は無限回復を身に付け、堕天を止める事が出来るようになった。
   月日は流れ、菩薩とナンシーは本当の親子のように、時には友達のように仲睦まじい間柄となり、呼び方も ”歓ちゃん“ に変わっていた。
ハイタム、ロータムには赤手空拳での戦い方も習い、心身共に芯のある天使に成長していった…。
気がつけば慈愛と博愛に満ちた立派な天使に成長していた。
菩薩の制止も聞かず、戦争を終わらすため地獄に攻め込んだ報せを聞いた時は、生きた心地がしなかった。
無事に戻った時は涙が溢れた。

   
    堕天する直前にナンシーは「こんな嘘だらけの天界など、堪えられない」そう言っていたと伝え聞いた…。
   大義のための犠牲と言えば聞こえはいいのかも知れないが、天界には他種族の命を軽んじている傾向はある。事実をねじ曲げてでも大義と、面子を優先している。
菩薩自身もそこに葛藤し、違和感を感じ、罪悪感はあった。
今回の件は正にそれに中るわけだが、ナンシーが絡んでいなければ、おそらくは冤罪を晴らす為になんらかの事はしていた筈だ。
これまでも周囲の神、仏には時間の無駄だと揶揄されながらも、そうしてきた。
絶対的正義?なにが絶対的正義なのだと過去には菩薩自身も他の神、仏とぶつかった事もあった。


   そして今回はナンシーを護る為とはいえ、シドを人柱にするという菩薩の行為も、ナンシー自身にはそう映ってしまったのかも知れない。


   自分の両親を堕天の巻き添えで亡くしたナンシーは、堕天がどれほど迄に危険な行為かは熟知している筈…。命があったのは奇跡に等しい。ナンシー単独ならばおそらくは死んでいただろう…。


   それほどの危険を冒してまで救う価値があの男にあったというのか…。
天使という自分を捨ててまで救う価値があの男にあったというのか…。


   取るに足らぬ男ならば…。いや、例えそうでなくとも我が娘、ナンシーを堕天させた罪は許しがたい…。
何を犠牲にしてでも、如何なる倫理を捻じ曲げようともナンシーを護りたかった菩薩は怒りを抑える事が出来なかった…。


    翌朝、神の宮にて従事している侍女や天使達は参道に全員整列をして最敬礼で菩薩達を見送る。
静かに怒りを滾らせたままの菩薩、その両翼には天封羅解除したハイタム、ロータムという、この宮に於いて最強の布陣の出撃に、空気はヒリつき、最敬礼をしている者達は、巨大な鳥居の外側に菩薩達が出るまでの間、誰一人として顔を上げられなかった。
輝く朝日を全身に浴びながら、巨大な鳥居を静かに通り抜けたその先に煌めく金髪を靡かせて佇む天使が佇んでいた。


「なんだミカエル…。主も行くのか」


「私は護衛で行ってやるのだ」


「フン…お節介もほどほどだの…。好きにするがよい」


「菩薩様。今日は暴れていいんでしょ?」


「…邪魔する者は…鏖 (ミナゴロシ ) だ」


    地獄に入ったところで多くの悪魔達が待ち構えていた。
ベルゼブブの戒厳令というのは地獄においては絶対の筈だ。
それを無視するというのは反ベルゼブブの勢力か、もしくはそれでも構わないと仕掛けてくる好戦的な者達だ。
悪魔達の群れから一人の悪魔が、身の丈だけで言えば菩薩に匹敵する七メートルほどの悪魔がゆっくりと詰め寄ってきた。


「待ってたぜ菩薩!!ここを通りたければ…」


「目障りよの」


   そう呟いた菩薩はその悪魔を見据えると、人差し指を上から下へ無造作に振り抜いた。
悪魔の額から血飛沫が上がり、真っ二つに身体が裂けていく。
断末魔と共にその肉塊は輝く炎と共に塵と消えて行った。
指先だけで悪魔一人を滅却した様を至近距離で見た悪魔達は嘘だろうと息を呑んだ。


「ベルゼブブの戒厳令を聞いておらぬのか…。わらわの的はシド・ファッキンダム故。邪魔する者は鏖(ミナゴロシ)だと言うた筈」


「ベルゼブブなんざ関係ねぇ!!俺たちはロットン様の部下だ」


「またもやロットン・ファッキンダムか…。なんとも…小賢しい。して、ロットン・ファッキンダムはどこにおる」


「居るわけないだろう?お前等、4人ばかりでこの二万人以上の軍勢をどうする気だよ?」


「小賢しい…。わらわの力を計る腹積もりか」


「どういう意味だ?」


「頭の悪い者共だな。主らは捨て駒だという事を言うておるのだ。時間の無駄だ…。殺れ…ハイタム、ロータム」


「はーい♪じゃあハイタムはこっから半分ブッ殺すからぁ、ロータムはあっちから半分ブッ殺してね♪」


「じゃあロータムはこっちから半分ブッ殺すね♪」


「お前らが噂のハイ& ローか」


「そうだよ?」


   菩薩と同じように髪を結い上げた褐色の可愛らしい双子のハイタム、ロータムを見た悪魔共は一様に腹を抱えて笑いだした。


「こんなチビガキが、皆殺しのハイ& ローか?!噂先行も甚だしい!!わははははははは!!!」


「あっはっはっはっはっ!!!虚仮にされておるのう…。ハイタム、ロータム。思う存分暴れるがよい」


「はーい♪」


「皆殺し組手」


   同時に構えた二人の目付きが、獰猛な殺意に満ち溢れる…。滾る壊力の上昇と、明らかに変貌したその顔付きに悪魔達は目を疑った。


「は?」


    ハイタムが繰り出した一撃の拳はその場に居た一人の悪魔の腹部を貫き、それと同時に繰り出したロータムの蹴りは一撃で別の悪魔の首を千切り飛ばした。
肉の裂ける音、骨が断たれる音、
血飛沫と共に飛び交う腕や脚、 臓腑や 生首に悪魔達は阿鼻叫喚となり、反撃する間もなく圧倒されている。


「あーはっはっはっ!!死ね!!死ね!!死ねぇ!!」


「超楽しい!!あっはっはっはっ!!最っ高!!!」


「なんだコイツ等!!なんなんだこの化け物は」


「ふざけやがってこのガキ!!」


    そう声を張り上げた悪魔達が、こぞって口から多量の火炎を吐き出した。
迫り来る火炎を見据えたハイタム、ロータムはニヤリと笑みを浮かべ、気合いだけで炎をかき消した。


「あーはっはっはっはっ!!火遊びでもしたいのか?」


「どんどん殺しちゃうよ~♪」


    虫ケラでも踏みつける様な軽やかさで次々と悪魔を肉片に変えていく二人の攻撃は圧倒的だった。
 噂通りの “ 皆殺しのハイ& ロー ”  の驚異的な殺傷力に悪魔達は畏れ慄いている。


「お腹空いた」


   そう言ったロータムは無造作に悪魔の腕を引きちぎった。
痛みで悶絶する悪魔の頭をトマトのように踏み潰し、フライドチキンを食べるかのような仕種で、剥き出しの骨を手に持って血肉をモグモグと貪りついている。


「血が不味い。お前ら、もっと鉄分摂れよ」


「本当だ。コイツ等、鉄分足りてないねロータム」


「イ…イカれてるぞ…コイツ等」


    ものの十分程度で五千人ほどの悪魔を肉塊にしたハイタム、ロータムは再生しようとする肉片を見て「あははははは!!動いてるよ?キモ!!」などと嘲り笑いながら、これでもかと踏みつける。


「ねぇ、ハイタム♪逃げちゃうよアイツ等」


「待て待て~♪」


    捕まったら肉塊にされてしまうという、世界で最も恐ろしい鬼ごっこに強制的に参加させられている悪魔達は必死の形相で逃げ惑う。
追いかけてくる二人の笑顔が可愛らしくて無邪気なだけに、ある意味で恐怖はより一層高まった。
二人の戯れのように繰り出される一撃一撃は、” 受け “ などという防御は通じる筈もなく、触れれば肉を裂き、骨を断つという強靭なモノだった。


「ロットン様!!助けて下さい」


    あちらこちらから、そんな声が響き渡るなか、高みの見物を極め込んでいたロットンは二人の想像以上の壊力に舌打ちをしていた。
ロットンの計算では二万という軍勢で圧倒し、瀕死まで追い込んだところで颯爽と登場するつもりだった。
菩薩に触れるどころか、侍女二人にすら、かすり傷も負わせられない不甲斐ない結果にロットンは苦虫を噛み潰したような表情をしている。


「皆殺しのハイ& ロー…。噂通りというわけかっ…。あの二人さえ居なければ…、デカイだけの菩薩など…取るに足らん筈なのに…」


   遊び半分に笑いながら暴れる二人にいささか呆れたようにため息をついた菩薩は、面倒くさそうに首をコキリと鳴らした。


「時間切れだ…。あとはわらわがやろう」


「…菩薩、ここは護衛の俺がやろう…」


「主は暴れたいだけであろう…ミカエル」


「罪深き汝等に…安らぎを与えよう…」


「あっはっはっはっはっ!!早う逃げよ悪魔共♪ミカエルはハイタム、ロータムのように遊んではくれぬ故」


「天戒(テンカイ)…雨」


「雨?」


   そう呟いた悪魔の上空から、煌めく一粒の雨がポトリと弾けることなく、そのまま悪魔の眼球を貫いた…。


「がっ?!」


「おい!何だこれはっ!!がっああ!!」


   次々と降り注ぐ雨のようなモノは針のように鋭く、触れる悪魔達の身体を貫通する。
天から降り注ぐ雨が、その雨のようなモノ全てが五体を貫通する殺傷力を持っていた。
そんなモノなど避けられる筈もなく、悪魔達は踞り、逃げ惑い、辺りは瞬く間に肉塊が飛び散る血の海となった。
息耐えた悪魔から魂が抜け出していくが、その魂までもがミカエルの降らせる輝く雨に串刺しにされ続け滅却されていく…。
阿鼻叫喚となった残り一万五千ほどの悪魔達は、ものの五分程度で消滅してしまった。
ミカエルの驚異的な壊力の成せる業を目にしたロットンはワナワナと震えて息を呑んだ。


「なんて奴だ…ミカエル…。今の…今の壊力は…ベルゼブブに…匹敵するぞ…」


「相変わらず、やる事が残酷よのう…ミカエル」


「残酷?何故だ…。あの者達はこれで何者にも縛られることなく安らぎを得たのだ」


「全く…。物は言い様だの」


「やっぱりミカエルって凄いねロータム」


「うん。凄いねハイタム」


「ねー凄いね!ミカエル!凄いね!ミカエル!凄いね!ミカエル!!」


    ハイタムとロータムは子供のような笑顔でミカエルの周りをグルグルとはしゃいで回る。
その様を鬱陶しそうに右手で顔面を抑えたミカエルは苦笑いをしてため息をついた。


「騒々しい…。汝等は天封羅解除すると別人のようだな…」



    地獄の片隅にあるシドの小さな自宅で、万全ではないとは言え身体の再生を終わらせたシドは、ナンシーとささやかながら幸せな時間を過ごしていた。
常に寄り添い、唇を合わせ、肌を重ねていた…。
ナンシーはこんなにも異性を好きになった事がなく、幼少の頃から未来の旦那さんに上げるんだと心に決めていた 、”®️” の彫金を施した南京錠のネックレスをシドの首に掛けて施錠し、鍵を抜いた。


「ラビット社製のシド・チェーンか…」


「鍵は…私が持っておくから」


「そんな事したら外せないじゃないか」


「私はもうあなたのモノなの…シド。そしてあなたは私のモノ…。このシドチェーンはその約束なの」


「…わかったよ。ナンシー。鍵は持っていてくれ。俺とお前はずっと一緒だ」


「…うん」


    この男と、こんな関係になるなんて…。あの時、命を救われた時には予想もしなかった事だ…。
全てを捨ててまで…なんて一度も考えたこともなかった…。
こんな風に誰かを強く好きになれるなんて…。


「好きだよ…シド」


「俺もだ…。いや、俺のほうが好きだぜ」


  照れたようにはにかむナンシーの髪をシドは優しく撫でた。


    シドもまた同じ想いだった。この地獄には他種族を蹂躙する事、自身の目的の為には何の犠牲も厭わない、己達こそが至高、己達が全てという卑しく、醜い者達が圧倒的に多かった。
時折、他種族を助けるシドを周囲は嘲り笑い、戦闘に関しても好んで殺生をしない事から、役立たずだ臆病者だと揶揄され続けた。
悪魔として優秀な二人の兄と比べられ、出来損ない、箸にも棒にもかからない落ちこぼれだと言われ続けていた。
ただいつもヘラヘラして自由気ままなシドの元には、似たような者達も少なからず居た。
楽観主義で楽しければいいじゃないのと。
火の粉が降りかからなけれは無関心という連中だ。
シドは無益な殺生を嫌い、戦争で亡くなる者に胸を痛めていた。
仲間達はそこまでの思いはなく、シドは悪魔のクセに優し過ぎだぜと笑い飛ばしていた。
    そんな時に出会った敵であるナンシーが、自分と同じ思いで涙を溢したことにシドは感銘を受け、この天使を死なせてはいけないと身体を張って護り通した。
あの天使とこんな関係になるとはなとシドもまた腕の中で感じる温かな温度の主に幸せを感じていた。


   この幸せな時間が永遠に続けばいいのに…。二人はそう思っていた。
戦争は休戦したら再開などという事は、新たな火種でも起きない限りは有り得ないだろう。
自分が生存している事はおそらく菩薩は知っている筈だ。
いずれ菩薩はここに来るだろうという一抹の不安をナンシーは心に抱えていた…。
菩薩にどんな顔をして会えばいいのか…。会いたくないわけではない…。顔向けが出来ないという方が大きかった。何より菩薩の気質からすると、シドに怒りの矛先を向けているはず…。
   シドの腕の中で抱かれるナンシーは気が気でなかった…。
本気で来た菩薩に敵う者など、ナンシーの知る限りでは誰も居ないからだ…。
私が堕天で消滅していれば、この広大な地獄界でシドを見つける事は菩薩にはできないだろう。
シドを助ける為には…私は一緒に居ない方がいいのかも知れない…。
けれど、この男と離れるなんて…もう考えたくもない…。
そう思っただけで知らず知らずのうちに涙が溢れた…。
シドはその涙を人差し指でゆっくりと拭って、ナンシーを優しく抱き寄せた。


「大丈夫だナンシー。なんとかなるって」


「…シド」


「…あのデカ女の事を考えて…」


   そう言い掛けたシドは外に膨大な神気を感じ取って顔付きが変わった。四つの強大な壊力から発せられる神気はどれもナンシーの良く知るモノだ…。


「この神気は…」


「もう来たのか…デカ女」


「出て来い!!!シド・ファッキンダム!!!」


    響き渡るその怒号で、菩薩がどれほどの怒りを滾らせているのかは容易に理解が出来た。
怒っている…。今まで一度たりともナンシーに怒りを見せたことのない菩薩の怒り…。
   菩薩の逆鱗に触れた者の悉くが、この世に生きとし生ける生き物としての最大級とも言える苦しみを与えられた果てに存在を滅却されていると伝え聞いた。
そして、侍女の2人…。
皆殺しのハイ& ローの所業も当然、訊いている。
洒落にならない。ハイタムもロータムも天封羅解除してる。
観ちゃんは本気だ…。
酷く狼狽えるナンシーを尻目にシドはゆっくりと玄関の扉を開けて外に出た。
魔神のような形相で、瑠璃色の長い髪を靡かせる菩薩が仁王のようにシドを見下ろす。


「…なんだ…家庭訪問か」


「……やってくれよったな…シド・ファッキンダム」


「何故ここが分かった…」


「簡単な事だ…。ナンシーの闇気を探ってくるだけ…。神気が闇気に変わろうと…本質は変わらぬ…。わらわはナンシーと二百年余り…一緒に住んでいた故」


「……観ちゃん。…ごめんなさい」


「謝らずともよい…。主は何も悪くはないのだナンシー…。主はわらわと天界に戻るのだ…」


「……私は…もう天界には帰りたくない…。私は…私はシドと…ここで暮らしたいの」


   おそらくはそう言うだろうと菩薩は思っていた。
命を助けられ、瀕死になっても自分を天界へと逃がしてくれた。
今度は冤罪の為に自分が堕天までして助けようとした男だ…。
そして恐らくは堕天の衝撃からはシドが身を挺して護ったのだろう。
幾度もの危機を救われ、乗り越えたとなればそこに産まれる感情は一つしかない…。
分かっていてもそれを許すわけには、認めるわけにはいかなかった…。
悪魔だからなどと言うわけではなく、娘同然の愛すべき者を堕天させたという事が、菩薩はどうしても許せなかった…。


「それはまかり通らぬ…。主を天使に戻すため、煉獄にて天戒壇(テンカイダン)に幽閉する 」


「…観ちゃん…聞いて」


「諦めるんだナンシー。これでもかなりの譲歩なのだぞ。経緯は兎も角として、戦争の重要参考人を脱獄させたのだ。通常ならば堕天して天界に戻される者は極刑に値するのだ」


「ミカエル…」


   地獄と天界の間に煉獄という空間がある…。そこはあらゆる修行や洗礼の場がある。
ある者はそこを極楽と呼び、ある者はこの世の地獄だと言う。
天国に行くほどでもなく、地獄に送られる罪人でもない魂の行き先が煉獄という世界になる。
魂の質によって送られる場所が違うため感じ方も違ってくる。
ナンシーが送られる煉獄にある天戒壇とは、穢れた天界の者を浄化する為に、77の戒律の元に創られた戒業 (カイギョウ) を熟なさなければならない場所だ。


「ハイタム、ロータムはナンシーを拘束…。わらわはシド・ファッキンダムを八つ裂きにしてくれる」


「はーい♪」


「シド・ファッキンダム!!!主を三千世界の果てほど後悔させてやる!!!」


「ちょっと待ってろよナンシー。このデカ女、黙らせてくるからよ」


「…ほう。今のわらわに、その口をきくとはな…」


「ナンシー…おとなしく拘束されてね♪」


「待って…ロータム」


「俺の女に触んじゃねぇよ」


   ナンシーの手に触れようとしたロータムの横腹をシドは容赦なく蹴り飛ばした。

(硬い…なんだこのガキの身体の硬さは…俺の脚にヒビでも入ったな)

    数メートル吹きとばされたロータムは口元から流した血液を親指で拭い、シドを睨み付ける。


「皆殺しのロー様に蹴りをくれるとはいい度胸してるなぁ…お前…。ブッ殺したくなってきたよ」


   そう呟いたロータムはギラリと目を剥いて睨み付け、壊力を滾らせて一直線にシドに向かっていく。


「ロータム!!!主はハイタムと共にナンシーの拘束だと言うたであろう!!!」


    菩薩の張り上げた声にロータムは慌てた様子で動きを止め、酷く怯えた表情で、ごめんなさいと拳を下ろした。


「菩薩様の邪魔しちゃ駄目だよ。ロータム」


「…うん」


「…これ嵌めさせてもらうよナンシー」


「…天枷(テンカ)」


   天使として天界で暮らし、二百年余り…。まさかコレを嵌められてしまう日が来るなんて夢にも思わなかった。ロータムの左手と自分の右手を繋ぐ天枷…。
光に属する者にとっては何の害もない天枷。
シドを脱獄させるときも容易に外す事が出来た天枷。
嵌められた瞬間にその効果を身体で感じた…。
こんなにも脱力してしまうものなのか…。力が吸い取られてしまうほどの疲労感が凄まじい…。
堕天使-地獄天使となった自分の属性が光ではなく闇になったんだと改めて痛感した。
怒りに奮える菩薩と、半笑いで対峙するシド…。
ナンシーは少し離れた所で菩薩と対峙するシドを見つめて涙を溢していた…。


「さあ…。始めようではないか…絶望の宴」


「御大層なセリフだなぁ…デカ女」


「雷舞(ライヴ) 戒炎 (カイエン)」


    滾らせた壊力を解放させた菩薩が右手を掲げて振り下ろすと、迸る光の塊が雷鳴を響き渡らせ、幾つもの舞い踊るような雷が、同時に巻き起こる業火が、縦横無尽にシドへと襲いかかる。


「…なんだ…コレは…冗談だろ」


「…以外と速いな…アイツ」


    思いのほか速く動き回るシドの動きを、ハイタムとロータムは分析しつつ、それも時間の問題だけどねと嘲り笑っている。
   地面を溶かし、抉り、巨大な穴を幾つも形成していく菩薩の攻撃は、まともに喰らえば致命的になるのは削りとられる地形で一目瞭然だった。
矢継ぎ早に襲いかかる雷と炎を躱しながら、シドは冷気を溜めて菩薩へと距離を縮めていく。


「大凍戒!!」


    喰らえば墓標のような氷柱が出来上がるシドの業を、鼻で笑った菩薩は腕の一振りで業火を産み出し、ただの水に変えた。


「何だこの水たまりは」


「マジかよ…」


   繰り出せば必ず相手を氷柱に仕立て上げ、事によっては塵と化せる筈だったこの業を水に変えられたのは初めての事だった。
舌打ちをしたシドは両手から更に二つの巨大な氷の塊を迸らせる。


「龍氷(リュウヒョウ)」


    シドの両手から放たれた二つのそれは、生きた巨大な龍のようにうねりながら轟音と共に驚異的な速度で菩薩へと向かっていく。


「炎天 (エンテン)」


   猛るように迫り来る二つの氷の塊を見据えた菩薩はそれよりも巨大な火柱を壁のように舞い上げ、龍氷を難なく蹴散らした。
天高く立ち上る火柱を嘘だろうと見上げるシドに向け、菩薩は腕を上から下へ振り下ろす。


「滝!!!」


   舞い上がった火柱がそのまま滝のように急降下してシド目掛けて一気に襲いかかる。


「ヤベェ!!」


    上から急降下してきた火柱をギリギリの所でシドは躱した。
地面を瞬時に抉りながら岩盤を溶かしてグツグツと煮えたぎるマグマだまりのような物が、その破壊力と熱量を物語っている。
息を荒くしながらシドはその地獄のような光景に唖然とした。


「戒水 (カイスイ)」


   間髪いれずに今度は荒れ狂う海のような濁流がシドを襲う。
矢継ぎ早に繰り出される攻撃に反応が遅れたシドは濁流に飲み込まれた。


「凍縛 (トバク)」


   シドを飲み込んだ渦巻く濁流が瞬時に凍りついて、身体を拘束していく。丸飲みされていれば間違いなく窒息だった。
シドは下半身が固まる前に身体から炎を迸らせて抜け出し、凍った濁流で出来上がった氷山の上に降り立った。


「…はぁ…はぁ…何て…強さだ…」


「もう息が上がっておるのか?シド・ファッキンダム」


「…うるせぇ…デカ女」


「いと小さき虫ケラが…。まだ吠える元気はあるようだの」


    そう呟いた菩薩は右手に壊力を溜めて青白い毛玉のような集合体を創り出した。


「滅ス火燐 (メスカリン)」


   菩薩の手から放たれた青白いモノは発火しながらシドに向かっていく。先ほどまでの超破壊力のある派手な攻撃とは違う小さな火の玉に、何だこれはと見ていたシドは眼前まで来た時にソレが何かを理解した。


「燐か!!!畜生!!!」


    轟音と共にその小さな火の玉は弾けて大爆発を引き起こした。
地獄の業火よりも熱い、全てを焼き尽くす程の業火が瞬時に広がり、辺りの岩盤をドロドロに焼き尽くす。


「じょ…冗談じゃねぇぞ。唐揚げにされちまう…」


「華火 (ハナビ )」


   シドの周囲に蓮の花を象った炎が幾つも取り囲み、逃げ道を塞いでいく。
触れてもいないのに燃え滾るような熱量が辺りに立ち込め出した事に危機を感じたシドは、身の回りに幾度も氷柱を発生させて何とかその場を凌ぐことが精一杯だった。
どうするんだこんな物…。そう思った時だった。


「大狂炎 (ダイキョウエン)」


    菩薩の一言でその全てが弾け飛び、超爆発を引き起こした。
想像を絶する爆炎がマグマを産み出し、地盤を融解させ、シドの身体を包み込んで焼き尽くす。
幾重にも冷気を重ねては蒸発させ、火達磨になりながらシドは転がるようにそこから這い出てきた。
焼けただれた身体を再生しながら、息を荒くしたシドがヨロヨロと立ち上がる。


「…はぁ…はぁ…い…一張羅が…台無しだぜ…」


「意外としぶといなーアイツ」


    嘲笑うようにハイタム、ロータムが揶揄する傍らで、天枷で拘束されているナンシーは喉が枯れるほど何度も何度も、もう止めてと叫び続ける。


   必死に叫ぶナンシーを遠目に菩薩は眼下で踞るシドを見据える…。 まだ手加減しているとは言え、これで消滅せぬ事だけでも大したものだ…。此奴の壊力は上位悪魔クラスに迫る勢いだ。
それだけ堕天による恩恵は力を齎(もたら)すという事…。
改めて堕天による闇の力が如何に膨大なモノかを感じた。


     喰らいやがれデカ女と声を張り上げたシドは壊力を全解放して禍々しい黒炎を両腕に滾らせる。


「デッド・バイ・サンライズ」


    閃光と共に熱量を帯びた巨大な黒炎の塊が、地盤を、更に奥の岩盤を広範囲に渡って破壊する。



「零戒 (レイカイ)」


   シドの放った驚異的な高熱を帯びた黒炎が菩薩の右手に触れる刹那、摂氏マイナス273度という分子レベルの停止、熱量の振動が止まるという絶対零度に近い冷気を纏った右手が黒炎の動きを停める。
炎が凍ったように見えた瞬間、ハラハラと氷の粒子となり消えてなくなった。


「この手で触れるモノは総ての熱振動を止める…」


「…あ、有り得ないだろう…。絶対零度を…掌に宿すなんて事…。なんという…顕現力だ…」



    菩薩の強さは圧倒的だった。
    菩薩の強さは桁違いだった。



    ナンシーの堕天の恩恵で、驚異的に上がったシドの壊力を遥かに遥かに上回っている。


「思い念じた物を具現化する力。即ち顕現力は、壊力に比例する。主は…ナンシーの堕天による恩恵で壊力が飛躍的に上がった事に傲りがあったのう…。どうだ、数値にすれば最大で5億5千万壊力という所か…。わらわの現在の壊力は17億8千万壊力だ…」


「じゅ…17億…8千…万…だと」


「…それでもまだ全力ではない…。全力ならば…その倍以上だ」


「…うそ…だろう」


「言うたであろう…。絶望の宴だと…」


「…洒落にも…ならねぇ…」


「ここからは…顕現の力は使わず、わらわの赤手空拳にて、わらわの五体にて…直接地獄を見せてやる故…」


「…赤手空拳だと…なぜそんな回りくどい事を…」


「顕現力を抑えてでも…」


「……」


「…貴様は、この…わらわの拳でブチ殺さねば気が済まぬ」


   そう言い放った菩薩は瞬きする間にシドに接近し、強烈な蹴りを水月に見舞った。
一撃で背中を貫通した菩薩の爪先が、シドの鮮血で真っ赤に染め上がる。


「ごっ…は」


   そのまま思い切り蹴りあげると、シドの身体は血飛沫とともに空高く舞い上がる。
菩薩が小さく見えるほど、蹴り上げられたシドは、貫通させられた腹部を治癒しながら呼吸を整える。
豆粒ほどに小さく見える菩薩が、視界から視界から消えた刹那。


「ぬん!!」


    強烈な踵落としがシドの延髄ちに炸裂した。
天高く蹴り上げられた数秒後に頭上からカウンターのように喰らった一撃…。人智を超える菩薩の移動速度になす術もなく、シドは隕石のように落下していった。その衝撃は地盤を突き抜け、岩盤を砕いていく…。


「…は…はぁ…はぁ」


    地中深くにめり込んだシドの左腕を掴み上げた菩薩は、そのまま躊躇なく引きちぎりながら身体ごと引き抜いた。
痛みに悶絶するシドを冷酷な瞳で見下ろし、千切れた腕の傷口を踏みつける。


「…たったの二発でこれか…脆い…。脆いのう」


「…がっ…ぐっうう」


「お願い!!観ちゃん!!もうやめて!!煉獄へ行く!!天戒壇に入るから!!!」


「主が天戒壇に入ることは決定事項…。そしてこの下らぬ男が…滅却される事も決定事項だ…。わらわは如来殿に話を通し、この男の生殺与奪の権利を一任されておる」


    ミリミリとコメカミに血管を浮き出させる菩薩は右の掌から、輝く巨大な槍を創り出した。


「この槍にはわらわの神気が込められており、闇属性に対して必中の一撃となる。身体中の神経という神経の隅々まで神気が侵食し、痛覚をおよそ1000万倍ほどに引き上げる効果がある…。対象となった者は想像を絶する痛みにもがき苦しみ、苦しみ抜いた果てに魂の滅却へと行き着く…」


    槍を高々と振り上げた菩薩は、千切られた腕の痛みに踞るシドを冷酷無慈悲な眼で見下ろして呟いた…。


「…シド・ファッキンダム…。我が娘、ナンシーを誑(たぶら)かし…、よくも堕天させてくれよったな…。覚悟するがよい…」





…続く。


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