女神の白刃

玉椿 沢

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第3章「星を追った。ツキはなかった。花は咲いた」

第29話「くまさんのいうことにゃ……」

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 ――逃げよう。

 直接、その言葉を口にする事はパトリシアにもできない。出奔しゅっぽんは主君を見限る事であり、当然、重罪だ。大戦が終わり、武断主義から文治主義へと移り変わろうとしている今、忠臣は二君に仕えず、と盛んに喧伝けんでんされている。また武断主義がまかとおる大戦中でも、優れた臣下を出奔させる事は主君の恥であった。


 あらゆる意味でゆるされない。


 間違いなく追っ手がかけられる。

 しかし、このまま留まっていても安穏無事を気取ってはいられまい。

 ――ノーマルの精剣を全て消費したが、それでLレアの強化が終わるだろうか?

 精剣せいけん同士を掛け合わせて強化したという話は珍しくない。だが効率は非常に悪い。ノーマルの精剣が限界に達するまでに必要だった精剣は、数口だったといわれている。しかし強化の限界は格が上がるほどに高くなり、Lレアともなればノーマルが何口、必要とされる事だろうか。

 恐らく限界に達してはいまい。

 ならばノーマルの次はレア、それが終わればHレアが吸収の対象になるはずだ。


 Hレア――エリザベスに宿る精剣の格だ。


 ――抜けられないとすれば……?

 どうすればいいだろうかと考えるが、パトリシアに出せる答えはなかった。領主よりも上にいる諸侯へ訴え出るという事も考えられるが、恐らくは動くまでに時間がかかる。Lレアの精剣を宿すという事は、身の安全の保障にもなっているのだ。

 大帝家、あるいは皇帝家へ訴えるという手は……現実的ではない。訴えたとしても、審議にかかる時間は諸侯の検討より長い。皇帝や大帝へ直に訴えれば話は違うが、地方領主に仕えるだけの身では、直に目通りが叶う訳がない。

 選択肢は一つだけだった。

 ――逃げるぞ!

 決断まで要した時間は半日。

 そして決断すればパトリシアの行動は早い。

「はい?」

 夜更けを待ち、パトリシアはエリザベスの部屋を訪ねた。精剣を宿しているエリザベスは、身分こそメイド――女中だが、多少の特別扱いとして個室が与えられている。

「ベス、簡単な着替えだけ用意して。出よう」

 パトリシアは単刀直入にいったつもりだったが、主となる言葉を省略した結論から話したのでは、エリザベスはきょとんとした顔しかできなかった。

「出よう? どこからですか?」

 街を出ようといっている事すら、すぐには分からなかった。

「ベス」

 エリザベスの愛称で呼びかける事で、パトリシアは一度、間を置いた。

 誰が聞き耳を立てているか分からない。実際は無警戒で、聞き耳を立てている者はいないのかも知れないが、この状況はパトリシアに極端な緊張を強いた。

「……」

 無言のまま、パトリシアは床を指差した。

 ここ――街を示したつもりだった。

「……」

 エリザベスは当然、気付く。剣士と精剣は一心同体といっていい。黙って頷いたエリザベスは一礼して部屋に戻り、手早く荷物を纏めようとする。

 ――いや、違う。

 だが着替えを鞄に詰めようとしたところで、手を止めた。

 手にするのは一枚の毛布のみ。

「?」

 再び部屋の外に出て来たエリザベスに対し、パトリシアも小首を傾げさせられた。

 ――毛布?

 それが一枚きりとは、パトリシアでなくとも首を傾げただろう。

「庭にでも出ませんか?」

 エリザベスは微笑みながら、窓から見える空を指差した。

「長雨の季節です。今夜を逃せば、あんなツキ・・は、季節が変わるまで見られませんよ」

 その言葉にエリザベスは隠語を忍ばせたつもりだった。

 今度は逆にパトリシアが理解した。

 ――月ではなく、ツキと発音した。

 その意味も分かる。


 運が良いという意味だ。


「そうか。そうだね」

 パトリシアは笑みを作り、庭へと出た。

 ――見張られていたとしても、月を見に出る事をとがめられるわれはない。

「え……?」

 だが廊下を行くものだと思っていたエリザベスは驚かされてしまう。

 パトリシアはエリザベスの肩を抱いて引き寄せると、ひらりと開け放たれた窓から飛び降りたのだ。

「ははは」

 空中で器用にエリザベスと身体を入れ替え、着地する時には抱きかかえる体勢になったパトリシアは笑い出す。

「笑い事ではないけど、ね」

 笑えない状況になる事に対し、自嘲気味になっているのはエリザベスにも分かる。領主の精剣を強化するため、ノーマルが注ぎ込まれ、次にレアが注ぎ込まれる事になると予想できるのだ、と。

「ですから、これを」

 エリザベスは、手にしていた毛布を頭から被った。

「旅支度をしていては、城壁を越えられません。そして私を連れたままでは、途中で気取られるでしょう」

「だと思う」

「パトリシア様お一人ならば、或いは……」

 だから毛布が必要だった。

「抜いて下さい」

 エリザベスは精剣の姿で抜けるつもりだった。

 ただ欠点として、精剣は不思議な光を放ってしまうため、帯剣していては目立つ。それを隠すための毛布だ。

「……」

 パトリシアでなければ躊躇ちゅうちょしただろう。野に下るという事は、どれだけの剣士であろうとも困窮に足を踏み入れる事だ。上着一着でも苦労する事になる。

 ここにエリザベスの全てを置いて行かせる事に抵抗を覚えぬ男はいまい。

 しかしパトリシアは女だ。一度、括った腹を、簡単な事で覆す訳がない。苦労など二人ですればいい。一人で何でもしようと思うのは、くだらないプライドだ。

「……今度からは、パットと呼んでほしい」

「はい」

 エリザベスの返事と同時に、パトリシアは精剣を抜いた。

***

 その二人が今、ヴィーとファンに指名された。

「私は……」

 パトリシアが鼻白はなじろむ。とっとと国境を抜けてしまえればよかったのだが、早々には他国へ逃げる伝手つてを得られず、潜伏している身だ。ここで顔と姿を晒す事には抵抗がある。

「?」

 ファンが首を傾げるが、その目は何かを悟った目だった。

 ――訳アリッスねェ。

 二人が領主を見限った剣士と精剣の女とまでは分かっていないが、こんな目立つ場所に立てない事はわかる。

「ああ、ごめんなさい。ツッコミ待ちでしたか。エルがいないから分からなかったです」

 ヴィーが後ろからファンの頭を叩く。

「はぁ!?」

 ファンがまた大仰な声を出すのだから、ヴィーの行動は助かった。

「スケベ根性で、美しい女性をナイフ投げの的にするとか有り得ない、有り得ません」

「選んだのそっちッスよね? ヴィーが指名したッスよね?」

「あ、ごめんなさい。とてもとても誤魔化したかったんです。ええ」

 二人の惚けたセリフに笑いが起こる。

「叩かれる分も含めて、自分が大損じゃないッスか――」

 と、いおうとした所で、二人の後ろからポンポンと投げつけられたボールが、頭に当たって跳ね返った。

 それをキャッチするのは、着替え終えたエル。

「聞こえてました」

 剣呑な雰囲気を持つ笑顔を作るのは、エルの得意技だ。

「いや、まぁ、……はい」

 しどろもどろになるヴィーの前で、エルはボールを持っていた手を翻す。翻せば、あるはずのボールが消えた。その手を眼前へ持ってきたエルがフッと息を吹きかけると、手からは花びらが舞い……、

「ジャグリングは、私の方が上手くなっていますよ」

 そういうと、花びらの舞う中にエルが身を躍らせる。

 手からは消えたと思われていたボールが現れ、それをダンスステップと共に宙へ投げる。

 笑いに続いての技は、また一層、周囲を舞わせた。

 そんな中、エリザベスは見た。

「パット、あの方たちは――」

 精剣を宿す女は、同じく精剣を宿す女を見破れるのだ。
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