90 / 419
第2話
しおりを挟む
「あの時は、本当に大変だったね。怒り狂った君が、追っていた殺人鬼に逃げられ、散々な結果だけ残してしまった」
田辺は、伏せた顔の奥で、キリリッと奥歯を締めて滲み出てくる悔しさを噛み砕いた。とにかく今は湧き水のように吹き出る後悔を消すことに全力を注いだ。
浜岡は、田辺の中では、タブーな話題にわざと触れた。それは、田辺に足りない部分を補わせる為にだ。
「君の推測通りに、あの事件が繋がっているなら、君の正義感が生んだ事件と言っても過言じゃないと、こちらは思っている。もしも、あの殺人鬼を追いかけなければ、起きなかった事件かもしれない」
「......はい」
腹の底が、ふつふつと脈を打ち始める中、田辺は絞り出すように呟いた。
もしも、頭をあげていれば、浜岡に反駁していたことだろう。四角い机を挟み、浜岡は、そんな田辺の肩に手を置いて、懐かしむように言った。
「田辺君、何度も言うが、君の正義感は嫌いじゃないよ。けれど、君の正義には、伴わなければならないものが欠けている」
田辺は、目を見開いて初めて顔をあげた。
「欠けているもの?」
浜岡は首肯すると、机から書類を一枚取り出して机上に置いた。
それは、田辺が初めて世の中に出した新聞の切り抜きだった。ほんの一部の小さな記事だが、田辺はどこか温かさを覚えた。
当時、問題視されていた児童虐待により、保護された子供を題材にした内容の筈だ。すっかり本人の記憶から抜け落ちていた記事に、浜岡は視線を落とした。
「この文章には、ある単語が多く使われている。なんだか分かるかい?」
田辺は、つまむように持ち、文章に目を通した。
児童虐待により、保護された少年少女が抱える問題は根深い。子供を産み、育てる事にかかる責任の重さは、果たしてそれほど軽いものだろうか。育児放棄により、餓死した子供を題材にした映画が、先日、発表された。こんなにも悲しい現実が、世界のどこかで日常的に起きている事実はいつまでも変わらないのだろうか。そこにあるべき大人の責任は一体、どこへ消えてしまったのだろう。子供を育てる、それは、命を預かることと同じであり、命の責任を背負うことではないのだろうか。抱えきれない責任は、背負うべきではない。背負うならば、信頼できる誰かと分けてもらうべきだ。
田辺は、浜岡の言葉の意味が分からずに首を捻った。
「分からないかい?責任だよ」
「......責任」
「そう、責任だ」
一拍置いて後ろを振り向き、ブラインドを開いた。そろそろ、出勤時間が迫っている。
他の社員がいる空気の中では、言いにくいことは口にできない。浜岡は、鋭く言った。
「君に足りていないのは、大きすぎる正義感に見合うだけの覚悟だよ。田辺君、人は体験を覚えただけ幸福を得るが、同じだけの悲しみを知ることになる。君の正義感の根本に何があるのかは分からないが、正しさを掲げたいのであれば、それだけの責任を負えるのかい?」
「......分かりません」
浜岡は、田辺の返事を聞くと、短く吐息をつき、提出された退職届けを両手で持ち上げ、ビリビリと真っ二つに破いてしまう。
非難の眼差しを受けながらも、キッパリと告げた。
「なら、これを受理する訳にはいかないね」
田辺は、伏せた顔の奥で、キリリッと奥歯を締めて滲み出てくる悔しさを噛み砕いた。とにかく今は湧き水のように吹き出る後悔を消すことに全力を注いだ。
浜岡は、田辺の中では、タブーな話題にわざと触れた。それは、田辺に足りない部分を補わせる為にだ。
「君の推測通りに、あの事件が繋がっているなら、君の正義感が生んだ事件と言っても過言じゃないと、こちらは思っている。もしも、あの殺人鬼を追いかけなければ、起きなかった事件かもしれない」
「......はい」
腹の底が、ふつふつと脈を打ち始める中、田辺は絞り出すように呟いた。
もしも、頭をあげていれば、浜岡に反駁していたことだろう。四角い机を挟み、浜岡は、そんな田辺の肩に手を置いて、懐かしむように言った。
「田辺君、何度も言うが、君の正義感は嫌いじゃないよ。けれど、君の正義には、伴わなければならないものが欠けている」
田辺は、目を見開いて初めて顔をあげた。
「欠けているもの?」
浜岡は首肯すると、机から書類を一枚取り出して机上に置いた。
それは、田辺が初めて世の中に出した新聞の切り抜きだった。ほんの一部の小さな記事だが、田辺はどこか温かさを覚えた。
当時、問題視されていた児童虐待により、保護された子供を題材にした内容の筈だ。すっかり本人の記憶から抜け落ちていた記事に、浜岡は視線を落とした。
「この文章には、ある単語が多く使われている。なんだか分かるかい?」
田辺は、つまむように持ち、文章に目を通した。
児童虐待により、保護された少年少女が抱える問題は根深い。子供を産み、育てる事にかかる責任の重さは、果たしてそれほど軽いものだろうか。育児放棄により、餓死した子供を題材にした映画が、先日、発表された。こんなにも悲しい現実が、世界のどこかで日常的に起きている事実はいつまでも変わらないのだろうか。そこにあるべき大人の責任は一体、どこへ消えてしまったのだろう。子供を育てる、それは、命を預かることと同じであり、命の責任を背負うことではないのだろうか。抱えきれない責任は、背負うべきではない。背負うならば、信頼できる誰かと分けてもらうべきだ。
田辺は、浜岡の言葉の意味が分からずに首を捻った。
「分からないかい?責任だよ」
「......責任」
「そう、責任だ」
一拍置いて後ろを振り向き、ブラインドを開いた。そろそろ、出勤時間が迫っている。
他の社員がいる空気の中では、言いにくいことは口にできない。浜岡は、鋭く言った。
「君に足りていないのは、大きすぎる正義感に見合うだけの覚悟だよ。田辺君、人は体験を覚えただけ幸福を得るが、同じだけの悲しみを知ることになる。君の正義感の根本に何があるのかは分からないが、正しさを掲げたいのであれば、それだけの責任を負えるのかい?」
「......分かりません」
浜岡は、田辺の返事を聞くと、短く吐息をつき、提出された退職届けを両手で持ち上げ、ビリビリと真っ二つに破いてしまう。
非難の眼差しを受けながらも、キッパリと告げた。
「なら、これを受理する訳にはいかないね」
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2026/1/14:『でんしれんじ』の章を追加。2026/1/21の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/13:『こえ』の章を追加。2026/1/20の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/12:『あけてはいけない』の章を追加。2026/1/19の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/11:『みきさー』の章を追加。2026/1/18の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/10:『つかまれる』の章を追加。2026/1/17の朝8時頃より公開開始予定。
2026/1/9:『ゆうじんのかお』の章を追加。2026/1/16の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/8:『ついてきたもの』の章を追加。2026/1/15の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる