289 / 419
第9話
しおりを挟む
二人で酒を酌み交わした時、室内に反響した戛然は、訣別の音色になった筈だった。
しかし、どうだ。田辺は、今も野田を前にしている。長年の付き合いで築き上げてきた友情は、揺れはしたものの壊れることはなかった。思い返してみれば、野田には、これまで田辺を亡き者にする機会などいくらでもあったのだ。
だが、田辺は今も生きている。
「この事態は、あの死体の山は、貴方が招いた罪の証です。そして、九州地方で起きている惨状すらも......」
周囲が固唾を飲んで見守る中、横たわる野田との距離を縮めていきつつ、ピクリとも反応を示さない野田へ田辺は一方的に語りかける。
「だけど......浜岡さんの言葉ですが、罪は消えないものですが、罰は形を変えるものです。そして......」
野田が聞いていてもいなくても、構わなかった。田辺は、倒れたままの野田へ右手を差し出して言った。
「罰を変えるには、周囲の人間による助けが必要です。野田さん、最後に二人で酒を呑んだ時のことを覚えていますか?」
野田は、相変わらず沈黙を答えとし、田辺もまた、それを受け取り、野田の左手を掴んだ。
「僕は、あの時、野田さんとの繋がりを絶ってしまおうと思っていました......ですが、貴方を絶つ覚悟をする為の犠牲など見当たらなかった」
何かを成したいのであれば、犠牲を払えとは斎藤の言葉だ。取捨選択は、時として残酷な結果を産み出してしまう。
この場合、九州地方を助けたければ、野田を切れという意味になる。だが、野田との長年の記憶を簡単に捨てることなど出来なかった。記憶とは命だ。人や動物は、記憶があるから生きていける。
「見つからない......見付けることができない......それはつまり、僕には、まだまだ貴方が必要......いや、違いますね」
田辺が力強く野田の腕を引っ張れば、隠れていた両目が露になった。ゆっくりと清冽な水が流れたような涙の跡は、まるで、はっきりとした答えを得た証のように、顎先でパタリと切れている。
野田は、一人で苦しんできたのだろう。決して許されることはないが、それでも、田辺は野田の存在を消すことなど不可能だった。だからこそ、田辺は片膝をついて、視線を合わせて言った。
「僕は貴方との友情を壊すことなどしたくありません。世界中が敵になろうとも、僕だけは味方でいます。それだけの覚悟はできました」
田辺の黒目は、震えもせず、揺れもせずに真っ直ぐに野田を捉えて離さない、毅然たる瞳だった。野田はその眼を見ていると、吸い込まれていく感覚を味わった。
ああ、そうか。俺の時間は、あの日から、良子を東に奪われた瞬間から動いていなかった。仇をとるためだけに生きて、もし良子がいたのなら、なんと言うのかすらも考えず、自分に全て合わせてしまっていたのか。野田は奥歯を噛んで、田辺へ尋ねる。
「なあ、田辺......お前は何を犠牲にして......俺との友情を守る覚悟を固めたんだ?」
田辺は、笑って答えた。
「復讐という名の瞋恚に燃える野田さんです」
僕だけは、貴方を許します。
田辺は、そういう意味を込めたのだろう。
野田は、そんなものは犠牲とは呼べないと破顔した。
どれだけ大きな事件を起こしても、最後には隣で、笑って許してくれる友人が一人でもいる。それだけで、野田は救われた気がした。
腹の奥にあった黒い靄が霧散していくと、同時に田辺の背後に良子が立って、あの頃と同じように笑っている姿が見えた。もう、野田の胸中で、復讐を囁きかけてくる妻はいない。長くはないだろうが、また三人で共に残された時間を笑い合えるだろうか。
「すまなかった......田辺、良子......貴子......」
ようやく、動き始めた車輪は、これから先の展開を劇的に変えることになるだろう。噛み合わない轍ほど、進みにくい道はない。
しかし、どうだ。田辺は、今も野田を前にしている。長年の付き合いで築き上げてきた友情は、揺れはしたものの壊れることはなかった。思い返してみれば、野田には、これまで田辺を亡き者にする機会などいくらでもあったのだ。
だが、田辺は今も生きている。
「この事態は、あの死体の山は、貴方が招いた罪の証です。そして、九州地方で起きている惨状すらも......」
周囲が固唾を飲んで見守る中、横たわる野田との距離を縮めていきつつ、ピクリとも反応を示さない野田へ田辺は一方的に語りかける。
「だけど......浜岡さんの言葉ですが、罪は消えないものですが、罰は形を変えるものです。そして......」
野田が聞いていてもいなくても、構わなかった。田辺は、倒れたままの野田へ右手を差し出して言った。
「罰を変えるには、周囲の人間による助けが必要です。野田さん、最後に二人で酒を呑んだ時のことを覚えていますか?」
野田は、相変わらず沈黙を答えとし、田辺もまた、それを受け取り、野田の左手を掴んだ。
「僕は、あの時、野田さんとの繋がりを絶ってしまおうと思っていました......ですが、貴方を絶つ覚悟をする為の犠牲など見当たらなかった」
何かを成したいのであれば、犠牲を払えとは斎藤の言葉だ。取捨選択は、時として残酷な結果を産み出してしまう。
この場合、九州地方を助けたければ、野田を切れという意味になる。だが、野田との長年の記憶を簡単に捨てることなど出来なかった。記憶とは命だ。人や動物は、記憶があるから生きていける。
「見つからない......見付けることができない......それはつまり、僕には、まだまだ貴方が必要......いや、違いますね」
田辺が力強く野田の腕を引っ張れば、隠れていた両目が露になった。ゆっくりと清冽な水が流れたような涙の跡は、まるで、はっきりとした答えを得た証のように、顎先でパタリと切れている。
野田は、一人で苦しんできたのだろう。決して許されることはないが、それでも、田辺は野田の存在を消すことなど不可能だった。だからこそ、田辺は片膝をついて、視線を合わせて言った。
「僕は貴方との友情を壊すことなどしたくありません。世界中が敵になろうとも、僕だけは味方でいます。それだけの覚悟はできました」
田辺の黒目は、震えもせず、揺れもせずに真っ直ぐに野田を捉えて離さない、毅然たる瞳だった。野田はその眼を見ていると、吸い込まれていく感覚を味わった。
ああ、そうか。俺の時間は、あの日から、良子を東に奪われた瞬間から動いていなかった。仇をとるためだけに生きて、もし良子がいたのなら、なんと言うのかすらも考えず、自分に全て合わせてしまっていたのか。野田は奥歯を噛んで、田辺へ尋ねる。
「なあ、田辺......お前は何を犠牲にして......俺との友情を守る覚悟を固めたんだ?」
田辺は、笑って答えた。
「復讐という名の瞋恚に燃える野田さんです」
僕だけは、貴方を許します。
田辺は、そういう意味を込めたのだろう。
野田は、そんなものは犠牲とは呼べないと破顔した。
どれだけ大きな事件を起こしても、最後には隣で、笑って許してくれる友人が一人でもいる。それだけで、野田は救われた気がした。
腹の奥にあった黒い靄が霧散していくと、同時に田辺の背後に良子が立って、あの頃と同じように笑っている姿が見えた。もう、野田の胸中で、復讐を囁きかけてくる妻はいない。長くはないだろうが、また三人で共に残された時間を笑い合えるだろうか。
「すまなかった......田辺、良子......貴子......」
ようやく、動き始めた車輪は、これから先の展開を劇的に変えることになるだろう。噛み合わない轍ほど、進みにくい道はない。
0
あなたにおすすめの小説
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2026/1/16:『せきゆすとーぶ』の章を追加。2026/1/23の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/15:『しばふ』の章を追加。2026/1/22の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/14:『でんしれんじ』の章を追加。2026/1/21の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/13:『こえ』の章を追加。2026/1/20の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/12:『あけてはいけない』の章を追加。2026/1/19の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/11:『みきさー』の章を追加。2026/1/18の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/10:『つかまれる』の章を追加。2026/1/17の朝8時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる