ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

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第4章 人の願い

第35話 私の願い

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「魔法は、人の願いが生み出した奇跡……」

 ポツリ、アイセルがこぼした。

 それは、旅の途中でダリルが教えてくれたことだ。
 かつて人は、願いを叶えるための方法として魔法を生み出した。
 だから生贄日記に載っている『毛布をふかふかにする魔法』のような、ささやかな願いを叶える魔法が、本来の魔法の形に近いのだ、と。

「この日記に綴られている魔法も、人の幸せを願って生み出されたものでしょう?」

 『欲』と言えばその通りなのだろう。
 だが彼女の言う通り、それは言い換えれば人の『願い』だ。

「神を地上に縛り付けるなんて、方法は間違っていたのかもしれないけれど。
 それでもこの魔法は、たくさんの人を幸せにした。
 生贄という犠牲があったにしろ、それが事実だわ」

 次いで、アイセルは生贄日記を取り出した。
 その日記には、たくさんの生贄たちの願いの魔法が詰まっている。

「生贄日記の魔法も、ルベリカ様の実家で受け継がれてきた魔法書も、人の願いの結晶だわ」

 アイセルがふうと息を吐き、トントンと自分の胸を叩いた。
 自分を落ち着かせるように、あふれてしまいそうになる気持ちをおさえるように。

 そして、アイセルはほほ笑んだ。

「だから私も恐れずに言うわ。
 私の願いを」

 いつものように、気高く、優雅に。

「神を解放し、結界を破棄しましょう」



 * * *



 それからは、目まぐるしく時間が過ぎ去った。
 アイセルは神官の日記を隅から隅まで解読し、王子とダリルは自由民たちと協力して諸外国との交渉に奔走した。

 エラルドには、そんな彼らを見守ることしかできなかった。

 もどかしい気持ちを抱えたまま日々は過ぎ。
 そしてとうとう、明日は儀式の日だ。



「エラルド」

 アイセルは明日に備えて早めに眠ろうと言って、早々に入浴を済ませて寝室に入った。
 彼女が寝台に入って寝息を立て始めるまで、前室で耳を澄まして彼女を見守る。それがエラルドの毎日の仕事だ。
 今夜もそのつもりで前室に下がったのだが、アイセルが呼ぶので慌てて寝室に戻って寝台に駆け寄った。

「はい。どうかされましたか?」

 アイセルは寝台にちょこんと腰かけたまま、エラルドが来るのを待っていた。

「ここに座って」

 アイセルがポンポンと自分の隣を叩くので、

「……できません」

 エラルドは思わず眉をひそめてしまった。
 夜の寝台に二人で並んで座るなど。
 令嬢と騎士としてあるまじき距離感だ。

「今さらでしょう? あなたは何度も私を抱きしめているし、一緒に眠ったこともあるじゃない」
「全て非常事態での出来事です。今は、できません」

 はっきりと答えたエラルドに、アイセルが唇を尖らせた。

「今は?」
「はい」

 エラルドが頑として動かないのを見てとって、アイセルはボフンと音を立ててベッドの上に倒れ込んだ。

「そっか。今はダメかぁ」

 意味深に言ってから、アイセルはベッドの上で丸くなり、今度はくつくつと肩を揺らして笑い出した。

「うん。そっか、そうよね」

 解読のために疲れすぎておかしくなってしまったのだろうか。
 エラルドは心配になって、慌てて寝台の側に寄って彼女の顔を覗き込んだ。

 そんな彼に向かって、アイセルが微笑みかける。
 頬をわずかに染め、笑い過ぎて目尻に涙まで浮かべて。
 嬉しそうにうっとりと微笑む彼女に、ドキッと胸が高鳴る。

「明日、結界が消えたら、あなたは解任よね?」

 これにも、ドキッと胸が鳴った。
 彼女の言う通り。
 結界が消えれば、彼女は生贄ではなくなる。エラルドの任務は生贄の護衛なので、そうなれば解任という形になるのは当然のことだ。

「そう、ですね」

 もしも彼女が国境を越えて逃げるなら、どこまで着いていって生涯をかけて彼女を守り抜く。
 そう決意していたが、結界が消えるなら話は別だ。

 その事実に、少しばかりの寂しさが胸を過った。

「私はどうなるのかしらね」
「どう、とは」
「お父様は罪人として王領で蟄居しているし、生贄として死ぬ予定だったから婚約者もいない。明日から、どうやって生きていけばいいのかしら」

 確かに。
 明日からの彼女の人生はどうなるのか。

「あなたが望むなら、王子殿下が嫁ぎ先を探してくださるのでは?」
「そうね。頼んだら、きっとそうしてくれるわね」

 また、アイセルが唇を尖らせた。
 今夜の彼女は何を考えているのか、何を言いたいのか、よく分からない。

「働いて暮らすのもいいわね」
「アイセル様が、ですか?」
「そうよ。セリアンの街で刺繍工房の職人として生きていくのも、悪くないと思わない?」

 その姿を想像して、エラルドは頷いた。
 確かに、それも悪くない選択肢の一つだ。

「オアシリカに行って、お茶摘みもしてみたいわ。西の砂漠に行って、ラクダにも乗ってみたい。北の雪原で、オーロラというものも見てみたい」

 アイセルは、一つずつ指を折りながら夢を語った。

 そうか、と。
 エラルドはハッとした。

 明日、彼女は自由になるのだ。
 いつか話したように、彼女はあの海の向こうに行くことができる。

 今度は誰にも遠慮する必要はない。
 後ろめたい気持ちになる必要もない。

 堂々と、自由に、どこへでも行くことができるのだ。

「あなたは?」
「私、ですか?」
「そう。私の護衛を解任されたら、どうしたい?」

 考えたこともなかった。
 アイセルの騎士になりたいと願い出た夜から、彼女を守ることが彼にとっての生涯の仕事になるはずだったから。

 まさかここへきて、生き方を考えなければならない時が来るとは思っていなかったのだ。

 眉を寄せて考え込んだエラルドに、アイセルがまた笑い声をあげる。

「ふふふ。考えたことなかったのね?」

 アイセルはゴロリと寝台の上を転がって、再びベッドの縁に腰かけた。

 二人の距離が近くなって、まっすぐに目が合う。

「ねえ、明日、ぜんぶ終わったら……。
 あなたに話したいことがあるの」

 また、だ。
 彼女の黄金の瞳に見つめられて、ドキドキと心臓が脈打つ。尋常ではないほどの速さで心臓が動いて、つられて叫び出しそうな気持ちになる。

 思わず彼女から目を逸らしてしまう。
 顔も耳も熱くて、とても彼女の顔を直視していられないのだ。

「ふふふ」

 そんな彼の様子を見て、またアイセルが楽しそうに笑っている。
 それが何だか妙に悔しくて。
 エラルドはぎゅうっと唇を引き結んだ。

 だが、彼女の頼みに応えたくないわけではない。

「その話というのは、今ではだめなのですか?」
「ええ。明日、聞いてほしいの」
「承知しました」

 敢えて硬い声で返事をしてから、エラルドはアイセルに礼をとって踵を返した。

 明日からどう生きるのか。
 それは明日、考えるべきことだ。
 今はとにかく、無事に明日の務めを果たすことだけを考えなければ。

 エラルドは気を引き締めて、前室に戻っていった。

「おやすみ、エラルド」
「おやすみなさい、アイセル様」

 アイセルが眠った後も、エラルドはしばらく彼女の寝息に耳を傾け続けた。
 いつもなら、しばらく見守った後は別の騎士と交代して仮眠をとるのだが。

 今夜は、彼女の側を離れがたかった。

(これが、最後の夜か)

 例え扉一枚はさんだ距離でも。この半年間、互いの呼吸音が聞こえる距離で、二人は共に夜を過ごしてきたのだ。

 だがそれも、今夜で終わりだ。
 それが、無性に寂しくて。

 エラルドは結局夜が明けるまで、彼女の側を離れることができなかったのだった。
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