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第2章 自由への道
第11話 青い月のカクテル
しおりを挟む「“青い月のカクテル”をいただけるかしら?」
満月の夜。
街の郊外にある、とあるバーで。
一人の女性が注文を告げた。
黒髪を艶やかに結い上げ、赤いドレスに身を包んだ、赤い瞳の妖艶な美女だ。
その女性の隣には、これまた精悍な顔立ちの青年がいた。茶色い髪に青い瞳の、一目でただ者ではないと分かる男だ。
その鋭い眼光が、隣の美女を守るように周囲を警戒している。
だが、マスターはそんな二人の様子に動揺する素振りすら見せず、小さく頷いた。
「奥の扉から地下に入り、廊下を右左左前右の順に進み、左手の奥から四番目の扉を五回ノックしな」
マスターの呪文のような指示に、女性は妖艶にほほ笑み返した。
「ありがとう」
それだけ言って、二人は店の奥に消えて行った。
女性が座っていたカウンターテーブルには“青い月のカクテル”の代金、金貨七枚が残されていた。
* * *
村を出発した三日後、アイセルとエラルドは無事に目的の街ノックスリーチに到着した。
この町は東の大街道との合流地点で、街道は人と物であふれていた。
それらに紛れるように、二人は徒歩で街に入った。
馬と荷馬車は街道の一つ手前の村で親切な老夫婦に引き取ってもらった。このとき『明日から一週間ほど馬が眠ってしまうが病気ではない』と伝えることも忘れなかった。
そこからは生贄日記の魔法で再び姿を変え、徒歩でノックスリーチに向かったのだ。
アイセルは黒髪に赤い瞳の美女に、エラルドは茶色い髪に青い瞳の地味な風貌の騎士に。
ただし、二人とも顔つきはそれほど変わっていない。
「もう少し、劇的に姿を変えられないものですか?」
エラルドが尋ねるとアイセルは肩を竦めた。
「生贄日記に載っている魔法は、どれもささやかなものばかりなの。完全に姿を変えてしまう魔法は載っていないのよ」
確かに、アイセルが使っているのは『少し遠くで騒ぎを起こす魔法』や『隠された扉を探す魔法』など、ささやかな魔法ばかりだ。
「魔法は万能ではない、ということでしょうね」
もしも生贄日記に載っている魔法が万能だったなら、過去の生贄たちも逃げおおせることができたかもしれない。
だが、実際に逃亡に成功した生贄は過去に一人もいないのだ。
「魔法だけに頼らず、頭を使えってことよ」
アイセルの言う通り、魔法だけでなく知恵を使わなければこれから先の旅を乗り切ることはできないだろう。
「予定通り、まずは亡命仲介人に会うわよ」
それも生贄日記に書かれていた情報の一つだ。
二代前の生贄が出会ったという、亡命を手助けしてくれる人物。
二人はその人物に会うために、生贄日記に綴られていた情報を頼りに、とあるバーを訪れたのだった。
マスターの指示通りに地下の廊下を進み、左手の奥から四番目の扉を五回ノックする。
数秒後、中から鍵が開く音がして扉が開いた。
出てきたのは、見慣れない風貌の男だった。
髪は黒く、瞳はエメラルドのような緑色。何より特徴的なのは、小麦色の肌だ。
(外国人だ……!)
この国にはほとんどいないはずの外国人の登場に、アイセルもエラルドも驚きに大きく目を見開いた。
「なんだよ、これから亡命しようってのに。いちいち外国人に驚いてたら身がもたないぞ」
男に促されて二人は部屋の中に入った。
室内にも外国から輸入したであろう不思議な文様の刺繍の布や、見慣れない彫刻が施された棚などが置かれていた。
「まあ、物語の挿絵みたいね」
エラルドも同じことを思っていた。
この国に外から人が入ってくることは珍しいが、貿易を全くしていないわけではない。
物の出入りは結界によって阻まれないからだ。
輸入品は食べ物から日用品、嗜好品までさまざまで、特に外国から取り寄せられた本はアイセルにもエラルドにもなじみ深いのだ。
「俺の名はダリル。ルシャーナ諸島のオアシリカの出身だ」
「オアシリカというと、茶葉が名産の?」
「よく知ってるな。……あんた、相当身分が高そうだ」
しまったと、エラルドは思わずアイセルを背の後ろに隠した。
(この男、ただ者じゃない)
オアシリカの茶葉は希少価値が高く、王都でも一部の人間しか手にすることができない。
アイセルのうっかりではあるが、そのたった一つの情報から彼女が貴人であることを見抜いたのだ。
(最初から、彼女を探るために出身地の話題を出したんだ)
このダリルという名の青年は、話術と洞察力に長けた人物であることは間違いない。
二人が亡命を希望してここにやって来たことは、既に彼も承知のことだ。
彼は商売相手として、二人が信頼に足る人物かどうかを探ろうとしているのだろう。
亡命仲介人とは、いわば裏稼業だ。犯罪行為と言ってもいい。
金を払って仕事を請け負うとはいえ、商売相手が信用に足る人物か、注意深く観察するのは当たり前のことだ。
だが、アイセルはそんなことは気にしないようで、エラルドの背からひょっこり顔を出してにこりとほほ笑んだ。
「申し送れました。私の名はルーヤ。こちらは騎士のサイラスですわ」
ルーヤとサイラス、二人の新しい偽名だ。
「まあ、とりあえず座れよ。事情を聞こう」
部屋の真ん中にはふかふかのソファと小さなテーブルが置かれていた。テーブルの上には小さなコンロがあって、そこに置かれたポットの中で湯が沸いている。
「あいにく、俺は酒が苦手なんだ」
言いながら、ダリルは手際よく三人分の茶を入れた。
エラルドは警戒してダリルよりも先に口をつけることはできなかったが、アイセルの方は彼よりも早くあっさりと茶を飲んだ。
その様子を見て、エラルドが内心でため息を吐く。
(後できちんと言い聞かせなければ)
彼女はどうも、人の悪意というものに無頓着だ。
いやむしろ、人とは善なるものであると信じ切っている節がある。
この調子では、いつか誰かに騙されたり、悪意を持って傷つけられたりすることもあるだろう。
逃亡が目的の旅なのだから最大限の警戒心を持つべきだということを教えなければと、エラルドはそっと決意した。
そんな彼をよそに、アイセルはゆったりとした仕草で茶を楽しんでいる。
「この芳醇な香り……。ティエリカね」
彼女がほっと息を吐くように言うと、サイラスが心底嬉しそうに破顔した。
「その通り! オアシリカでも最高級の茶葉ティエリカだ! よくわかったな」
「私、この茶葉が一番好きですわ」
がっくり、エラルドは肩を落とした。
飲んだだけで最高級の茶葉の名を当てるなど。
これでは自分が高位貴族の令嬢であると自白しているのと同じだ。
(この人は正体を隠す気があるのだろうか……)
せっかく亡命仲介人のもとに辿り着いたというのに、これでは前途多難である。
エラルドはちらりとアイセルの横顔を見た。
すると、アイセルもエラルドの方をチラリと見て意味深に目をすがめる。
(まさか、この無邪気な態度にも何か考えが……?)
確かに、彼女ならあり得る。
先の村での出来事から、彼女は思慮深く行動力があることは分かっている。
(ここは、彼女に任せよう)
不安がないわけではないが、エラルドは彼女に向かって小さく頷いたのだった。
「さて。それじゃあ、本題に入ろうか」
サイラスがぐっと身を乗り出して二人の顔を交互に見る。
「貴族のご令嬢と騎士の駆け落ちってところか?」
「はい!」
アイセルは間髪入れずに元気に返事をした。
演技だということはわかる。彼女の返答に込められた明るさは、何かを覆い隠そうとしているかのようにも見えたから。
だが。
エラルドは再びがっくりと肩を落とした。
(その設定は、必要なのですか……?)
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