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第1部 - 第3章 勤労令嬢と秘密の仕事
第30話 魔法の神秘
しおりを挟む「あなたは、絶対に許さない」
「へぇ? 許さないなら、どうするのぉ?」
「潰す」
「わぁお。そういうこと言っちゃう感じの娘だったのぉ? 意外だわぁ」
「黙れ」
怒りで身体が震えたのは、一瞬のことだった。ジリアンは、侯爵の教え通りに冷静に敵を分析して、冷静に攻撃を撃った。
それなのに、彼女の攻撃は霜の巨人族の男に有効な打撃を与えられずにいた。戦い始めて、すでに30分近くが経とうとしている。
「ふふふ。ほぉら、息が上がってきたわよぉ?」
男の方は余裕だ。黒い凶悪な魔力は、次から次へとあふれている。
(勝てない、の……?)
そう思った瞬間だ。
ふと、あのときのことを思い出した。
あれは訓練をはじめてすぐの頃。侯爵の放った魔法を、初めて避けたときのことだ。
『避けるなと言ったはずだ』
『受けても相殺できないと……』
『それでも、だ』
『どうして、そこまで避けることを禁じるのですか?』
『お前は、魔法騎士団を率いると言ったな』
『はい』
『ならばお前が戦うとき、その背の後ろには誰がいる』
はっとした。
問われるまで、気が付かなかったのだ。
『騎士団が……』
『そうだ。お前が戦うということは、そういうことだ』
『はい……。でも、もしも攻撃を受ければ確実に死んでしまう、そう感じるような敵に出会ったときは?』
『冷静さを捨てろ』
『逆ではないんですか?』
『お前が剣士ならば、そうだ。強敵の前では常に冷静でなければならない』
『私が魔法使いだから?』
『そうだ。魔法は本来は人の手に余る神の技だ。人のままでは、いずれ限界を迎える』
『人が人でないものになれますか?』
『なれる。怒りを燃やすんだ。心のままに、魂を開放する』
『魂を、開放……』
『そうして初めて、人は魔法の神秘に近づくことができる』
(魂を開放する)
怒りを抑えるな。心のままに、望みのために。
(この男は、私の父を愚弄した。戦争で犠牲となった全ての魂に唾を吐きかけた)
戦争のために、その身を捧げた父。祖国のため、人々のためにあらゆる犠牲を払った。愛する妻と子を看取ることすら許されず。それでも戦った。
そうして勝ち得たのが、今だ。
(私は、それを守りたい)
それが、ジリアンの望みだ。
(この男は、自分の快楽のために平和を壊そうとしている)
ジリアンは、胸の真ん中で熱い何かが生まれるのを感じた。その何かは少しずつ膨らみながら、ジリアンの身体を突き破ろうともがき始める。
怒りだ。
ジリアンの怒りが、胸の中で渦巻いている。
もっとだ。
もっと怒れ。
「絶対に、許さない!」
熱が、迸る。
──ボォッ!
溢れ出した熱は、ジリアンの魔力と一緒になった。
そして、燃え盛る炎に姿を変える。
(これが、魔法の神秘。これが、魔法の本当の姿……!)
「あらぁ。聞いてたよりも、人間ってすごいのね。黒い『魔法石』の力がなくても、そこまで魂を引き上げることができるだなんて」
男が何かを話しているが、ジリアンの心には何も響かない。ジリアンにとって意味のない言葉など、ただの音でしかないのだ。
「ふぅん。これが、人間の『感情』ってことかぁ」
男が、興味をなくしたように言った。
「こんなものに未来をかけるだなんて、ねぇ」
最後のつぶやきは、ジリアンの耳にすら届かなかった。
「消えろ」
その両手から生み出された真っ赤な炎が、男に向かって放たれたからだ。
「こりゃあ、無理だわぁ」
──ゴォォォォォ!!!!!!!!!
燃え盛る炎が、全てを焼いた。
男が生み出した氷など一瞬で溶かして、炎が全てを飲み込んでいって。
男の身体は、消えた。
文字通り、蒸発して消えたのだ。
「終わった?」
ジリアンの前に残っているのは、倉庫の残骸──といっても、そのほとんどが灰になるか蒸発するかしてしまった──だけ。ジリアンとアレンが斬った4人の男は、ジリアンの背後でもれなく失神している。
「……帰らなきゃ」
(アレンが心配してる)
「あれ?」
踏み出した足が、カクンと折れて。ジリアンの身体はその場に倒れ込んでしまった。
(動かない)
手も足も、ジリアンの意思ではピクリとも動かせなくなっている。
「そうよね。なんの代償もなしにあんな魔法、使えるわけないわよね」
しっかりと記憶に残っている。ジリアンの体中から怒りと共に溢れ出たもの。あれはジリアンの魔力だ。それを全て放出して、あの炎を生み出した。
「すっからかん、ってことか」
魔力が完全になくなってしまったので、身体の方にも影響しているのだろう。
(……ああ、眠い)
ジリアンは、目をつむった。
眠ってはいけないと分かっている。わかっているが、まぶたの重さに抗えない。
「少しだけ……」
そうすれば回復するから。
そうして意識を手放したジリアンに、近づく影が一つ。
「どうせなら、ちゃんと殺してくれればよかったのにね。まあ、いいや」
少女だ。艶やかな金髪に青い瞳の美しい少女。
「……もっともっと、いい殺し方、思いついちゃったもんね」
* * *
「どういうことですか!? 説明してください!」
王宮の一室には、今夜の動向を見守るべく国王と重鎮たちが集まっていた。
そこへ駆け込んだアレンは、一目散に魔大陸の外交官に詰め寄った。
「なんの話ですか?」
アレンはそのままの勢いで、外交官の眼前に例の黒い『魔法石』を突き出した。
「これの存在を知らなかったとは、言わせませんよ」
その表情が怒りに燃えている。だが、努めて冷静であろうともしている。
「……申し訳ありません」
「我々に尻拭いをさせるつもりだったんですね」
「そういうわけでは……!」
「では、なぜ黙っていたんですか!?」
「落ち着け」
外交官に掴みかからんばかりの勢いのアレンを止めたのは、マクリーン侯爵だった。肩を引かれたアレンが、荒々しい深呼吸を繰り返している。
「何があった」
「取引されていたのは、この黒い魔法石でした」
「なんだ、これは?」
アレンの手から黒い宝石を取り上げたのは、モナハン伯爵だ。
「どうして、そんなものが!」
驚愕したのは、王立魔法学院から招聘されていたコルト・マントイフェル教授。
「これは、一体なんなのですか?」
再びモナハン伯爵が問うと、外交官は渋い顔で黙り込んでしまった。
代わりに答えたのは、マントイフェル教授だ。
「我々の言葉では『リトゥリートゥス』と呼ばれる宝石だ。『儀式』を意味する」
「儀式?」
「魔法の神秘への扉を開くための儀式だ」
「どういうことですか?」
「この『魔法石』を使えば、魂は開放され魔法の神秘へと至る扉が開かれる」
わけが分からずに、誰もが首を傾げた。
「つまるところ、魂と身体を引き換えに強大な魔力を得る、ということだ」
これには、室内が一気にざわついた。
「どうしてそんなものが!」
「魔大陸から、我が王国に流入したということか!」
「人の手には余るぞ」
「人間でも使えるのか?」
その問いには、マントイフェル教授が頷いた。
「もちろん使える。魔力を底上げするだけでなく、複雑な理論を知らずとも魔法を扱えるようになる」
「なんと……」
「ただし、代償がある」
「魂と身体か」
「その通りだ。人間が使えば、あっという間に寿命が尽きる。それと……」
マントイフェル教授は言いかけた言葉を一旦飲み込んで、外交官の方を見た。その問うような視線に、外交官が項垂れるように頷いた。
「他にも使い途がある」
全員が、ゴクリと息を飲んだ。
「魔族は、この『魔法石』の作用に耐えられる。そういう身体だからな。だが、人間はそうもいかない。魔力の暴走が起きる」
「魔力の暴走?」
「魔力の多い人間に使えば、首都など一気に消し飛ぶ。……もともと、そうやって兵器として使うために採掘が進められ、終戦後に封印された代物だ」
そこまで聞いて、マクリーン侯爵は部屋を飛び出した。アレンもそれに続く。
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もちろん、呼ばれても返事すらしない。
代わりにアレンが叫ぶ。
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それだけ言って、アレンは侯爵に追いつくために必死で足を動かした。
「申し訳ありません」
「謝るな。どうせ、ジリアンが君だけを逃したのだろう」
「……はい」
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王宮の城壁を越えようとした瞬間。
街の向こうで、炎が迸るのが見えた。
「あれは!」
「ジリアンだ!」
侯爵が、さらに速度を上げる。
アレンはそれに着いていくだけで精一杯だった。
二人が現場についたときには、全てが終わっていた。
灰になった倉庫街。4人の男の死体。
ジリアンの姿は、そこにはなかった──。
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