一葉のコンチェルト

碧いろは

文字の大きさ
49 / 77
凪編

【凪編】48:xx16年8月16日

しおりを挟む
だめだこの空気はやくなんとかしないと。

ましろは静と乃亜の家にやってきてまずそう強く思った。
正直頭を抱えたくなったがなんとかこらえた自分はえらいと思う。

昨日、静からCORDで通話があった。
先週、自分は部活の全国大会があったが、それも終わり今週いっぱい休みに入った。
それを見越してのものかとおもったが、第一声の声色からすでに様子がおかしかった。

 『悪いが、明日のデートはいったん見送らせてくれ……』

心底申し訳無さそうだったが、その声色が気になった。
デートが延期なのは落胆すべきことであるが、正直それどころではない。
ましろは静になにかあったのかと尋ねると、
ややあって静は事情を説明しだした。

その内容は少なからずましろにショックを与えた。
乃亜がヴァイオリンの過剰練習により身体を壊した。
それも痛みをこらえて無視して、延々としていた結果だと。

乃亜とは5月末以来会っていない。
自分は都大会に全国大会と忙しかったし、乃亜もコンクールがあるという話をしていたため、
互いに忙しいだけかと思っていたがそんな話ではなかった。
乃亜がその間に大変な状態になっていたと聞き、
少しばかり後悔の気持ちも浮かぶが、今はそれを嘆く場合ではない。

 「静、明日そっちに行っていい?」
 『ん、ああ、それは別に構わないが……』
 「迎えはいいから、午前中には向かうよ」
 『分かった。乃亜も、お前と話すことで気もまぎれると思う』

どこか自虐的な色を感じて、ましろは眉をひそめたが
ひとまず言葉にするのは止めた。

そして、今日。
日傘で夏の陽射しを防ぎながらましろは静たちの家に到着し、
マンションを訪れて、迎え入れた静の顔色は悪かった。
正直乃亜ではなくて静の方がどこか悪いのではと思ったほどだった。

迎え入れられ中に入る。
リビングに面した乃亜が自室から顔を出した。

 「ましろ、こんにちわ……」
 「ああ、乃亜、来たよ」

そう声をかけるが、控えめに笑う
乃亜の顔の輪郭が少し細くなっている気がした。
更に視線が奥に向く。
自分の後ろにいるはずの静へ向けられているように思えたが、
静は後ろにおらず、キッチンで茶を入れているようだった。

静は乃亜を見ず、乃亜は視線を逸らし、困ったように目を伏せている。
自分を間に挟んでそんな気まずい空気を出すなと叫びたい。
二人の様子を交互に見ていると、
静は冷たい茶をダイニングに置いて、背を向けた。

 「俺は自室にいるから、なにかあれば声をかけてくれ」
 「……ああ、うん……」
 「……」

乃亜はその背をちらと見て、また視線を下げた。

そして冒頭に戻る。
ダメだこの空気はやくなんとかしないと。

ぱたんと静の自室の扉が閉まったところで、ましろは深くため息を吐いた。
乃亜はそれに戸惑ったように目を向ける。
ましろそれに苦く笑い、荷物をソファに立てかけた。

 「とりあえず、お茶しようか。
  今日も乃亜の好きな和菓子、買ってきたからさ」
 「……はい」

ましろは乃亜に許可を取ってキッチンに向かい、
買ってきた葛饅頭を取り出し皿に並べる。
白い小皿にひとつずつ並べ、フォークを添えてダイニングテーブルに並べた。

 「すみません、ましろ。
  お客様なのに……」
 「そんなこと気にしないでいいよ。
  それよりも、腕、どう?今も痛むの?」
 「あ、いえ……、薬と湿布で、比較的落ち着いてます。
  動かさなければですが」

それならなによりだ。
楽観視は何もできないが、それでも慢性的にずっと痛むわけではないならまだいい。

乃亜は冷たい緑茶を右手で静かに取り上げて飲んでいる。
そういえば乃亜は左利きだったとましろは思い出した。
左腕にはがっちりとサポーターがつけられており、
あれでは満足に動かせない。
日常生活にも支障が出ていてもおかしくないだろう。
そうなるまで、自分を追い込み、練習を続けていたらしい。

 「……ねぇ、乃亜?」
 「はい」
 「ヴァイオリンの練習、そこまで根詰めてやってたのって、
  なにか大本の理由があったりする?」

どうにもそれが分からなかった。
仮に乃亜が、コンクールで優勝を目指している、という話なら分かるのだ。
何が何でも優勝したい、という強い意気込みがあるアスリートが
無理な練習をして体を壊すと言う話はよく知っている。
ましろの身近にもそういった人物がいた。
以前同じ道場にいた、翔である。
彼は有望な剣道家であり、大学でもそれ続けていたが、
過剰な練習に身体の回復が追い付かず、そんな中、練習中の事故でけがをし、
元々身体が疲労しきっていたこともあり、その怪我がきっかけで
選手生命が立たれてしまったのだ。
さしもの彼も深く落ち込んでいたが、しばらくして立ち直り、
後進育成の道へと舵を切り直したのだ。

乃亜も翔のように、強い情熱をもってコンクールに挑んでいたのならば理解も納得もできる。
しかしましろの知る乃亜はそういうタイプではない。

乃亜は膝の上に両手を起き、目を伏せていたが、ひとつ息を吐いて顔を上げた。

 「……先生に、スランプだと……言われたんです」
 「スランプ?」
 「以前のように……表現力が感じられないと」

ましろはヴァイオリンの素人だ。
しかし乃亜のヴァイオリンから感じたこちらの感情をあふれさせるような音色、旋律。
それは今でもはっきりと覚えている。

 「なぜ、できなくなったのかは今でも分からないです。
  でも……いえ、だからこそ、技術を完璧にしたくて……」
 「……成程」
 「今思えば……好きなヴァイオリンを、自分の思うように弾けない、
  そういう、もどかしさもあったからだと……思うんですが」

かつてはできていたことができなくなった。
成程、確かにスランプだ。
そのせいで、かつての輝きを、出来ていたことを取り戻したい、
或いは別のことで、見失ってしまったものの代わりにしたい、
その結果の過剰練習。
ましろはそれらの深く納得した。
が、それと同時に苦く笑う。

 「私にくらい相談してほしかったけどな?」 
 「う……」 
 「迷惑かけたくなかった、手を煩わしたくなかった、以外の言い訳なら聞くよ?」 

とはいえ乃亜にはこの時期、部活で忙しいことは伝えていたのだ。
それを無視して、相談を持ち掛けるなどということは、
たとえ本人が許可していてもできる乃亜ではい。
ましろは肩をすくめ、乃亜らしい、と告げる。
乃亜は目を伏せ、ぽつりとつぶやいた。

 「……でも、正直、なにを言えばよかったか、いまでもよく……」 
 「こう聞いてよかったんだよ?
  "ましろは、剣道ができなくなるかもしれないってなったとき、
  どうやって乗り越えましたか?"ってさ」 
 「!」 

そうあっけらかんと告げてやれば、乃亜は大きく驚いた様子だった。
それにくすりと笑った。
自分がそうなったときはあの時しかない。
なんやかんやと、もう二年も前の話になっていた。

 「いいんだよ、もう私にとっては過去のことだ。
  もう終わったことだもの」 
 「でも……ましろにとって、苦しい、記憶でしょう?」 
 「まぁ、楽しかった記憶じゃあない。
  でも、それで乃亜の助けになれるなら、なんてことない。友達でしょ?」 

頬杖をついてそう告げてやれば、驚いた様子の乃亜の瞳に
みるみるうちに涙の膜が張られた。
どうやらこちらの気持ちは通じたらしいことにましろはほっとする。
乃亜が俯くと、涙がぼろと落ちた。
ましろは立ち上がり、乃亜の隣の席へと移動する。
そっと背中に触れると、いよいよ乃亜は涙をこらえられず
ぽろぽろとそれが、乃亜の膝の上に落ちていく。

 「……っ、ごめんなさい、ましろ、なにも、話さなくて……」 
 「うん。謝ってくれたから、もういいよ。
  よく頑張ったね、今日まで」
 「ま、しろ……っ」

涙を落とす乃亜の頭を抱えるように抱きしめる。
決して乃亜のしたことは褒められたことではないのは分かっている。
けれどそれでも、ひとり耐え続け、苦しみ続けたことは、ましろも経験がある。
だからこそ、それに耐え続けたことは、讃えてやりたかった。
乃亜はそれからしばらく、しずかに涙を流し続けた。

乃亜が落ち着いた頃、ましろは乃亜の右手をそっと取りながら
口を開いた。

 「私がどう、乗り越えたか、だけどさ」
 「……はい」
 「私だって最初は諦めかけていたんだよ。
  いくら病院行っても分からない。発作はどんどん増えるし、心臓は苦しい。
  二度と剣道ができないどころか……長く生きられないかもしれない。
  次に発作が起きたら、今度こそ心臓が止まるかもしれない。
  そう思って、怖かったし、なにもかもどうでもよくなっていってね。
  でも、そんな私を両親と……静が支えてくれていたんだよ」 
 「……」 
 「静は私に、傍にいる、あきらめるなって言ってくれた」

思い返しても、あの日々は絶望だった。
毎日毎日、ゆっくりと、自分の命が削られていくような気がしていた。
そんな中で自分を支え続けてくれたのは、間違いなく、両親と静だった。

 「抱きしめて、支えると言ってくれた。
  私はその時、彼への答えを保留中で……これは前に話したな。
  だから、彼へ応えるためにも、想いを伝えるためにも、生きたかった。
  あきらめたくなかった。彼の言葉は、私自身の言葉よりも、信じられた。
  それが希望になって、私は何とか、耐えられて、いたんだよ。
  そして、彼は言葉の通り、病院の紹介状をもらえるツテを作ってくれて……
  原因が分かって、私は治療への道が開かれた」

そのことは乃亜も知っている。
少し鼻をすすりながら、乃亜はそれに頷く。
ましろはにこりと笑って続けた。

 「少し話がそれたけど、とにかくね、
  自分を大事に思ってくれる人のことを思い出した。
  両親や、静、愛してくれる人たちのことを、常に心に思い描いた。
  それが、私が乗り越えられた大きな理由かな。
  乃亜の今の状況とは少し違うことは分かるよ。
  でも、今まで熱中していたものが出来ないって、
  真っ暗な闇の中にいるようなもの。それは同じだと思う。
  だから、灯台がいるの。自分を明るいところに、導いてくれる灯台。
  きっとそれは、同じこと。乃亜にとって、それは、なに?」 

静かに尋ねる。
乃亜は見つめられ、視線をゆっくりと下へと下ろした。
眉が寄せられ、苦しそうに表情が歪んでいく。
ましろはそれに苦く笑う。
乃亜にとっての灯台、それがだれか、そんなこと、考えるまでもない。
けれど乃亜はなぜか口にできないでいるらしい。
ましろは代わりに口を開いた。

 「さしあたり、静と、煉矢さん?」 
 「っ、……無理です」 
 「無理?違う、じゃなくて?」 

口にできない理由に首をかしげる。
乃亜は首を振り、強く顔をしかめ、涙をこらえるように目をとじた。
きゅっと右手を優しく握る。
堪えなくていいという気持ちを込めて握ると、乃亜はましろを一度見る。
潤んだ瞳が揺れている。
乃亜はやはり視線を落としてしまったが、堰を切ったように口を開いた。

 「今の私に、二人を、明かりにする、資格なんてないんです……!
  ……たくさん、心配かけて、迷惑かけて、これ以上……っ。
  ましろ、私、二人と、どう接していいか分からないんです。
  兄さんは私のことで悩んで……、今でも苦しんでます……っ!
  それに……っ、それ、に……」

ぽろ、と涙が落ちた。

 「煉矢さんには、もう、これ以上……っ
  嫌われたく、ないんです………!
  でも、なにを言っていいか、分からない……っ」 

それらの言葉に、詳細は分からないまでも、少なくとも
二人に対して大きな後ろめたさがあることだけは察せた。
先ほどの静の様子からして、
どうやらそれは、乃亜の一方的な話ではないということも。

ましろは少し考え、うん、と頷いた。

 「よし、みんなで旅行にでも行こうか」 
 「……え?」

余りにも唐突な提案に、乃亜は面食らうしかなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

【書籍化決定】アシュリーの願いごと

ましろ
恋愛
「まあ、本当に?」 もしかして。そう思うことはありました。 でも、まさか本当だっただなんて。 「…それならもう我慢する必要は無いわね?」 嫁いでから6年。まるで修道女が神に使えるが如くこの家に尽くしてきました。 すべては家の為であり、夫の為であり、義母の為でありました。 愛する息子すら後継者として育てるからと産まれてすぐにとりあげられてしまいました。 「でも、もう変わらなくてはね」 この事を知ったからにはもう何も我慢するつもりはありません。 だって。私には願いがあるのだから。 ✻基本ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻1/19、タグを2つ追加しました ✻1/27、短編から長編に変更しました ✻2/2、タグを変更しました

召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?

浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。 「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」 ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

彼女はだれからも愛される。

豆狸
恋愛
ランキュヌという少女は、だれからも愛される人間だった。 明るくて元気で、だれに対しても優しく思いやり深い。

君に恋していいですか?

櫻井音衣
恋愛
卯月 薫、30歳。 仕事の出来すぎる女。 大食いで大酒飲みでヘビースモーカー。 女としての自信、全くなし。 過去の社内恋愛の苦い経験から、 もう二度と恋愛はしないと決めている。 そんな薫に近付く、同期の笠松 志信。 志信に惹かれて行く気持ちを否定して 『同期以上の事は期待しないで』と 志信を突き放す薫の前に、 かつての恋人・浩樹が現れて……。 こんな社内恋愛は、アリですか?

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

妾に恋をした

はなまる
恋愛
 ミーシャは22歳の子爵令嬢。でも結婚歴がある。夫との結婚生活は半年。おまけに相手は子持ちの再婚。  そして前妻を愛するあまり不能だった。実家に出戻って来たミーシャは再婚も考えたが何しろ子爵領は超貧乏、それに弟と妹の学費もかさむ。ある日妾の応募を目にしてこれだと思ってしまう。  早速面接に行って経験者だと思われて採用決定。  実際は純潔の乙女なのだがそこは何とかなるだろうと。  だが実際のお相手ネイトは妻とうまくいっておらずその日のうちに純潔を散らされる。ネイトはそれを知って狼狽える。そしてミーシャに好意を寄せてしまい話はおかしな方向に動き始める。  ミーシャは無事ミッションを成せるのか?  それとも玉砕されて追い出されるのか?  ネイトの恋心はどうなってしまうのか?  カオスなガストン侯爵家は一体どうなるのか?  

処理中です...