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風の行方編
【風の行方編】71:xx17年11月5日
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全日本ユースクラシックコンクールの全国大会出場が決まったその日の夜。
乃亜は入浴後、静に就寝の挨拶をして自室に戻り、ベッドに横になった。
ひどく身体は疲れているのに、眠気が訪れない。
目を閉じると、今日あった出来事が瞼の裏にはっきりと映し出されるからだ。
曲がりなりにも興奮しているらしい。
目を開けて暗くした天井を見て、乃亜は少し呆れたように笑う。
全国大会に出れるなんて思いもよらなかった。
だがあと少し。
観客席で見ていてくれた、兄やましろ、そして煉矢。
静には今日まで本当にいろんな面でサポートしてくれた。
やりたいことをやってほしいと繰り返し言われ、
家のことはほとんどが兄がやってくれていた。
この時期それが無理なくこなせるように、
自身の修士論文制作を爆速で前倒しするスケジュールをこなしてまで、だ。
誰よりも敬愛し、尊敬している兄が、誇れるような妹になれているだろうか。
ましろにこそ言葉で幾度も支えられたと思う。
後ろ向きになりがちな自分を、そっちじゃない、と声をかけては
前を向かせてくれるようなことは幾度あったかしれない。
頼もしい言葉をくれ、意識を切り替えさせてくれるようなことも。
彼女に出来ることなど本当にたかが知れているけれど、
それでも少しは、なにかを出来る自分に近づけているだろうか。
そして。
「……煉矢さん」
彼の隣に立てる自分に、近づけているだろうか。
その時、枕元の端末が震えた。
視線を向けて手を取ると、CORDの通知だ。
もしかして、という淡い期待を抱き、起き上がってスマートフォンを取り上げる。
アプリを起動すると、期待通りの新着通知に、乃亜の表情はほころんだ。
『全国大会出場おめでとう。
久しぶりにお前のヴァイオリンを聴けてよかった。
また来週、会えるのを楽しみにしてる。
コンクールが終わったら、また二人で出かけよう』
また二人で。
その言葉に胸があたたかくなる。
乃亜は頬を少し赤く染めながら、それに返信のメッセージを打つ。
『今日は来てくれてありがとうございました。
煉矢さんのおかげで、ここまで来れた気がします。
また来週会えるのも、二人で出かけられるのも、楽しみです』
送信。
すぐに既読がつく。
メッセージでのやりとりでも、すぐに既読がつくこの瞬間は胸をときめかせる。
離れていても、同じ時間を共有している気がするからだ。
『まだ起きていたのか』
『なんだか、眠れなくて』
『分からないでもないが。
少し、電話してもいいか?』
心臓が跳ねた。
断るわけがない。すぐに了承の返事をした。
着信が入り、通話開始ボタンをタップした。
「こんばんわ、煉矢さん……」
『ああ、こんばんわ。
本当に大丈夫だったか?身体は疲れているだろうに』
「そうですね。でも、目をつぶると、昼間のことを思い出してしまって……」
『まぁ、そうだな。すごいことを成し遂げたんだ。
興奮するのも無理はない』
いまだに本当にそこまでのことをしたのかと信じられなくなりそうなほどである。
けれど、客席にいた静やましろ、煉矢の姿を思い出すことで、
夢ではなく現実なのだと実感することができていた。
「煉矢さんの、おかげです。
あなたが……迷って俯いて、過去に引き込まれそうな私を、
いつも、引き上げてくれたからです」
静とともに暮らすようになって、いろんなものを見聞きするようになり、
自分の中に様々な感情や思いが爆発的に生まれていった。
自分では認められず、窘め、諦めようとしていた。
けれどそれをいつも、煉矢が否としてくれていたと思う。
「だから、ありがとうございます」
『……お前の力になれているなら、なによりだ』
どこか安心したような嬉しさをにじませる声に、乃亜は瞳を閉じる。
胸の内から湧き上がるあたたかな想いが、全身に広がっていくのを感じる。
スマートフォンごしなのに、なぜかすぐそばにいてくれるような気がした。
【11月5日】
全国大会への出場を決めた翌週。
乃亜は静、ましろ、煉矢に連れられ、都心の繁華街へと来ていた。
目的は乃亜が、ステージで着るドレスの新調である。
以前、ブロック予選突破が決まった際に、ましろ発案で決まったことだが
乃亜としてはまさか本気でそうなるとは思っていなかった。
しかし三人は心底本気であった。
ブロック本選が終わった帰りに、あれよあれよという間に今日の予定が立てられたのだから。
ましろが事前に調べたショップは華やかなステージドレスがいくつも並ぶ専門店だった。
事前予約不要らしいその店に、突然現れた美男美女の四人組。
店員は当然一瞬あっけにとられたが、すぐにプロ根性で持ち直し、
どんな衣装を求めているかと声をかけてきた。
ヴァイオリンのステージ衣装である旨を告げると
心得たとばかりに袖のないドレスが並ぶ場所を案内してくれた。
「どんなのがいいとかある?」
「ど、どんなの、と言われても……」
ましろに単刀直入に問われ乃亜は目を白黒させる。
以前よりはいくらかマシになったとはいえ、
乃亜はファッションへの興味が薄いほうである。
立ち並ぶ美しいドレスを前にどうしても気後れしてしまう。
それをよく知っているましろは、まぁそうだよね、と、
いつものように、流れを作ることにした。
「乃亜、好きな色、紫系だよね?
今着てるショートドレスとかぶっちゃうけど、同じのでいい?」
「あ……いえ、そう、ですね……。
色、なら……」
少し地に足の着いた質問が投げられたことで、乃亜は少し気持ちが落ち着く。
ドレスは単に、好きなものを着ればいいという話ではないと考えている。
あくまで主役は演奏、曲だ。
それを彩るものにしたい。
「……青系がいいです」
「水色じゃなくて?」
「はい」
次の演奏曲のイメージはそれだ。
暖色系ではない。
方針が決まると途端に三人が動いた。
「あまり光沢がありすぎるのは乃亜らしくないな」
「分かる。スカートの広がりも少し抑えめにしたいよね」
「それでいて青系、なら、このあたりか?」
「これもよさそう。乃亜細いからワンショルダーでもいいかも」
何故着る本人よりも気合が入っているように見えるのか。
乃亜は聊か恥ずかしさを感じながら着せ替え人形のごとく、
身体にあてがわれるまま、ただ棒立ちするばかりだ。
いくつか候補を選んでもらい、その中で乃亜が選んだのは、
深いブルーの色が美しい、ややスレンダータイプのドレスだった。
色の名前はオリエンタルブルーというらしい。
店員にも薦められ、試着をして更衣室から出ると、三人から溜息が漏れた。
ストラップもなく腰でフィットさせるドレスは、
あまり露出の多い服を着たがらない乃亜には大変に新鮮だった。
首から肩、腕と露出した白い肌をドレスの深いブルーがより際立たたせる。
細い腰は銀糸を用いたベルトで引き締められ、
片側に同じ色の薔薇のコサージュが添えられている。
「乃亜、すごい綺麗……!
本当によく似合ってる!」
「あ、ありがとうございます……」
「ステージにもよく映えるだろうな。俺もいいと思う」
ましろや静にも褒められ、頬を染める。
本来こういった肩を出すデザインは得意ではないが、
ヴァイオリンを弾くという前提がある場合、肩まわりはない方が良い。
ちらと煉矢へと視線を向ける。
彼は少し瞳を大きくし、驚いたような様子を見せていた。
視線が合うと、朱の差した目元で、
ふわりと笑みを見せてくれたことにほっとした。
結局ドレスはそれに決めた。
手直しに二週間ほどかかるそうだが、
コンクールは三週間後のため余裕をもって間に合う。
コンクールの日なども念のため説明し、店員は問題ないことを告げてくれた。
手続きや会計をすませ、四人は店を後にした。
「兄さん、ありがとうございました。
わざわざ買っていただいて……」
「気にするな。というか、たまにはこれくらいさせてくれ。
お前は本当に何も強請らないからな。張り合いもない」
「えぇ……」
「ふふ、静はお兄ちゃんらしいことしたいんだよねぇ」
そんなことを言われても大変に困る。
我儘を言えと言われるのは今に始まったことではないが、
今の生活が十分すぎるほどに恵まれていると感じている乃亜にとって
唯一、兄の希望にかないそうにないのがこれである。
「シスコンも程々にしておけよ」
「俺でシスコンなら世の兄の大半はそうじゃないか?」
「お前は一度自分の行いを顧みろ」
心底素で返している様子の静に煉矢は深くため息を吐いた。
そんな会話を後ろで聞いている乃亜は頬を染めて肩を揺らすしかない。
ましろはくつくつと笑い、スマートフォンで時刻を確認した。
「まだ14時過ぎだね。どこかでお茶でもしよっか」
「あ、そうですね……」
そのとき、喧騒の中、なにか弾むような足音が近づくのが聞こえた。
乃亜はつい、顔をそちらに向けた。
そしてその足音の主、往来の人々の合間からその人物に姿が目に入り、
乃亜は目を丸くした。
「ノア!!」
ヘーゼル色の髪が間近に迫ったと思った瞬間抱きしめられた。
あまりにも瞬く間。
隣にいたましろ、すぐ後ろで話していた静と煉矢、
そしてひとり気づいたものの突然のことに声すら上げられなかった乃亜。
その場にいた、乃亜を含めた四人全員が呆気にとられるしかなかった。
「あなたに会えるなんて!こんなところで!嬉しい!」
「ニック?!」
硬直している乃亜を除き、唯一その襲来者の存在に気付いたのは煉矢だった。
かつて、アメリカの大学に留学していた際に行われたイベント。
そのイベントの出演者であり、共に企画運営にも携わっていた友人。
アメリカ人三味線奏者のニコラウスであった。
彼は乃亜を抱きしめたまま煉矢の存在にも気づいたようで、
ぱっと明るい表情のまま煉矢に目を向けた。
「Hello,Ren! It's been a while!」
(やぁ、レン!久しぶり!)
「You, why Japan? No, that's not the point, get away from Noah.」
(お前、何故日本に?いや、それより、乃亜から離れろ)
「Oh,Sorry. ノア、ごめんね?」
「あ、は、はい………お、お久しぶりです……」
にこりとオリーブ色の瞳が笑う。
人懐こい笑顔に朗らかな雰囲気。
あのころと全く変わっていない様子のニックに、
乃亜はばくばくと煩い心臓を抑えながら挨拶をした。
乃亜から離れながらも、大変上機嫌であるというようにニコニコと笑うニック。
一方で深く眉間にしわを刻んでいるのは静である。
静からしてみれば見知らぬ外国人が可愛い妹に突然抱き着いたのだから無理もない。
「おい、煉矢……」
「去年の夏に動画でも見ただろう……。
向こうのイベントにも出てた、三味線奏者だ」
「ああ、あの時の……」
それに少しだけ皺の数が減った。
ましろもそれを聞いて、以前見た動画を思い返す。
顔は正直あまり覚えていないものの、
外国人の三味線奏者というのは印象に強く残っている。
三人をよそに、ニックは乃亜に向かい改めて言った。
「ノア、元気だった?」
「は、はい。ニックさんもお元気そうで」
「うん!元気だよ、君に会えたし!
ノア、前よりずっとずっと綺麗になったね!
前の君もとってもチャーミングだったけど、今は輝くみたいだ!」
「え、そ、そんな、ことは……」
「本当だよ?前はステージの上でしか見られなかったミューズが
目の前に人の姿でいるみたいで」
「ニック、それくらいにしておけ」
完全なる褒め殺しである。
乃亜は抱きしめられた余韻が消えきれていないこともあり、
顔を真っ赤にして俯くほかない。
助け舟を出してくれた煉矢の言葉に心底ほっとした。
ニックはそんな乃亜を見て、かわいい、とさらに追い打ちをかけてきた。
もう勘弁して欲しい。
煉矢がそれに溜息を吐いて尋ねた。
「それでどうして日本にいるんだ?」
「うん、それも話したいし、みんなでカフェ行かない?
そちらのふたりも一緒に!
あれ、あなた、ちょっとノアに似てるね?ああ、話してたお兄さん?」
「ああ」
「やっぱり!ノアが自慢のお兄さんって話してた人だね!」
「に、ニックさん、あの、カ、カフェ行きましょう?」
ひとつ息をつきたい。
乃亜のそんな思いによって告げられた言葉に、ニックは笑って承諾をする。
肩を抱きそうな勢いで乃亜の背に手をあてがい、
近くのチェーン店のコーヒー店へと向かう。
煉矢は溜息をさらにはいてそれに続く。
ましろと静は互いに顔を見合わせ、いささか戸惑いながら後を追った。
幸いコーヒーショップはすぐに席を取れた。
静とましろがコーヒーを五つ注文し、商品と共に戻ると、
壁際のベンチシートに煉矢、ニック、乃亜の並びで座っていた。
ニックはにこにこと擬音語が目に見えるように笑い、
対照的に煉矢はどこか機嫌がよくない様子が見られる。
ニックの横で、乃亜は少し困ったような表情を見せていた。
静とましろもそれぞれ向かい合わせの椅子に腰かける。
コーヒーを受け取ってニックが改めて静とましろに顔を向けた。
「先に、ええと、自己紹介?するね。
僕、ニコラウス。みんなにはニックって呼ばれてるから
二人もそう呼んでね。名前教えてくれる?」
「ああ、静だ。乃亜の兄で、煉矢とは友人だな」
「私はましろ。二人とは友達だよ」
「オッケー!セイとマシロね。よろしく!」
人好きのする笑顔で挨拶をしてくる。
先ほどの突然の来襲がなければ第一印象は悪くなかったのに、と
内心ましろは苦笑いを浮かべた。
「前よりも、日本語、上達されたんですね」
「うん。僕、日本大好きだからね!ノアともいっぱい話できるよ」
「は、はぁ……」
「それで、いつ日本に来たんだ?」
煉矢に問われ、ニックは乃亜から視線をずらし頷いた。
「一週間くらい前だよ。僕の三味線の師匠に呼ばれてね」
「三味線の師匠?」
「うん。日本でステージあるから、参加したらどうかってね」
「私の時と同じような形ですね」
「そうそう!僕も最初そう思ったんだよ」
あの時は煉矢に誘われ、乃亜がアメリカに言った形だ。
それを思い出して口にすれば、ニックはぱっと再び乃亜の方に視線を向けた。
「だからこっちにきて、ノアやレンに会えたら嬉しいなと思ってたんだよ。
そしたら街中で会えるなんて!運命だと思ったんだ!」
「ニックさん、少し大げさですよ……」
「大げさじゃないよ、少なくとも僕にとってはね」
細められるオリーブ色の瞳が揺らぐ。
首をかしげる乃亜を見つめるその目元は少し赤い。
「ねぇ、ノア。また僕と一緒にステージに立って」
「え?」
「本気でお願いしてるよ。……好きなんだ」
「え」
「?!」
「?!」
「?!」
どこか甘い表情を浮かべながら告げられる言葉。
咀嚼しきれない乃亜だが、それを見聞きしていた三人はそうはいかない。
大きく目を見開き、息を飲み、空気さえ凍り付いたかのように硬直する。
「君の、ヴァイオリン」
にこりと笑った当の本人により、凍り付いた空気は粉々に砕かれた。
乃亜は入浴後、静に就寝の挨拶をして自室に戻り、ベッドに横になった。
ひどく身体は疲れているのに、眠気が訪れない。
目を閉じると、今日あった出来事が瞼の裏にはっきりと映し出されるからだ。
曲がりなりにも興奮しているらしい。
目を開けて暗くした天井を見て、乃亜は少し呆れたように笑う。
全国大会に出れるなんて思いもよらなかった。
だがあと少し。
観客席で見ていてくれた、兄やましろ、そして煉矢。
静には今日まで本当にいろんな面でサポートしてくれた。
やりたいことをやってほしいと繰り返し言われ、
家のことはほとんどが兄がやってくれていた。
この時期それが無理なくこなせるように、
自身の修士論文制作を爆速で前倒しするスケジュールをこなしてまで、だ。
誰よりも敬愛し、尊敬している兄が、誇れるような妹になれているだろうか。
ましろにこそ言葉で幾度も支えられたと思う。
後ろ向きになりがちな自分を、そっちじゃない、と声をかけては
前を向かせてくれるようなことは幾度あったかしれない。
頼もしい言葉をくれ、意識を切り替えさせてくれるようなことも。
彼女に出来ることなど本当にたかが知れているけれど、
それでも少しは、なにかを出来る自分に近づけているだろうか。
そして。
「……煉矢さん」
彼の隣に立てる自分に、近づけているだろうか。
その時、枕元の端末が震えた。
視線を向けて手を取ると、CORDの通知だ。
もしかして、という淡い期待を抱き、起き上がってスマートフォンを取り上げる。
アプリを起動すると、期待通りの新着通知に、乃亜の表情はほころんだ。
『全国大会出場おめでとう。
久しぶりにお前のヴァイオリンを聴けてよかった。
また来週、会えるのを楽しみにしてる。
コンクールが終わったら、また二人で出かけよう』
また二人で。
その言葉に胸があたたかくなる。
乃亜は頬を少し赤く染めながら、それに返信のメッセージを打つ。
『今日は来てくれてありがとうございました。
煉矢さんのおかげで、ここまで来れた気がします。
また来週会えるのも、二人で出かけられるのも、楽しみです』
送信。
すぐに既読がつく。
メッセージでのやりとりでも、すぐに既読がつくこの瞬間は胸をときめかせる。
離れていても、同じ時間を共有している気がするからだ。
『まだ起きていたのか』
『なんだか、眠れなくて』
『分からないでもないが。
少し、電話してもいいか?』
心臓が跳ねた。
断るわけがない。すぐに了承の返事をした。
着信が入り、通話開始ボタンをタップした。
「こんばんわ、煉矢さん……」
『ああ、こんばんわ。
本当に大丈夫だったか?身体は疲れているだろうに』
「そうですね。でも、目をつぶると、昼間のことを思い出してしまって……」
『まぁ、そうだな。すごいことを成し遂げたんだ。
興奮するのも無理はない』
いまだに本当にそこまでのことをしたのかと信じられなくなりそうなほどである。
けれど、客席にいた静やましろ、煉矢の姿を思い出すことで、
夢ではなく現実なのだと実感することができていた。
「煉矢さんの、おかげです。
あなたが……迷って俯いて、過去に引き込まれそうな私を、
いつも、引き上げてくれたからです」
静とともに暮らすようになって、いろんなものを見聞きするようになり、
自分の中に様々な感情や思いが爆発的に生まれていった。
自分では認められず、窘め、諦めようとしていた。
けれどそれをいつも、煉矢が否としてくれていたと思う。
「だから、ありがとうございます」
『……お前の力になれているなら、なによりだ』
どこか安心したような嬉しさをにじませる声に、乃亜は瞳を閉じる。
胸の内から湧き上がるあたたかな想いが、全身に広がっていくのを感じる。
スマートフォンごしなのに、なぜかすぐそばにいてくれるような気がした。
【11月5日】
全国大会への出場を決めた翌週。
乃亜は静、ましろ、煉矢に連れられ、都心の繁華街へと来ていた。
目的は乃亜が、ステージで着るドレスの新調である。
以前、ブロック予選突破が決まった際に、ましろ発案で決まったことだが
乃亜としてはまさか本気でそうなるとは思っていなかった。
しかし三人は心底本気であった。
ブロック本選が終わった帰りに、あれよあれよという間に今日の予定が立てられたのだから。
ましろが事前に調べたショップは華やかなステージドレスがいくつも並ぶ専門店だった。
事前予約不要らしいその店に、突然現れた美男美女の四人組。
店員は当然一瞬あっけにとられたが、すぐにプロ根性で持ち直し、
どんな衣装を求めているかと声をかけてきた。
ヴァイオリンのステージ衣装である旨を告げると
心得たとばかりに袖のないドレスが並ぶ場所を案内してくれた。
「どんなのがいいとかある?」
「ど、どんなの、と言われても……」
ましろに単刀直入に問われ乃亜は目を白黒させる。
以前よりはいくらかマシになったとはいえ、
乃亜はファッションへの興味が薄いほうである。
立ち並ぶ美しいドレスを前にどうしても気後れしてしまう。
それをよく知っているましろは、まぁそうだよね、と、
いつものように、流れを作ることにした。
「乃亜、好きな色、紫系だよね?
今着てるショートドレスとかぶっちゃうけど、同じのでいい?」
「あ……いえ、そう、ですね……。
色、なら……」
少し地に足の着いた質問が投げられたことで、乃亜は少し気持ちが落ち着く。
ドレスは単に、好きなものを着ればいいという話ではないと考えている。
あくまで主役は演奏、曲だ。
それを彩るものにしたい。
「……青系がいいです」
「水色じゃなくて?」
「はい」
次の演奏曲のイメージはそれだ。
暖色系ではない。
方針が決まると途端に三人が動いた。
「あまり光沢がありすぎるのは乃亜らしくないな」
「分かる。スカートの広がりも少し抑えめにしたいよね」
「それでいて青系、なら、このあたりか?」
「これもよさそう。乃亜細いからワンショルダーでもいいかも」
何故着る本人よりも気合が入っているように見えるのか。
乃亜は聊か恥ずかしさを感じながら着せ替え人形のごとく、
身体にあてがわれるまま、ただ棒立ちするばかりだ。
いくつか候補を選んでもらい、その中で乃亜が選んだのは、
深いブルーの色が美しい、ややスレンダータイプのドレスだった。
色の名前はオリエンタルブルーというらしい。
店員にも薦められ、試着をして更衣室から出ると、三人から溜息が漏れた。
ストラップもなく腰でフィットさせるドレスは、
あまり露出の多い服を着たがらない乃亜には大変に新鮮だった。
首から肩、腕と露出した白い肌をドレスの深いブルーがより際立たたせる。
細い腰は銀糸を用いたベルトで引き締められ、
片側に同じ色の薔薇のコサージュが添えられている。
「乃亜、すごい綺麗……!
本当によく似合ってる!」
「あ、ありがとうございます……」
「ステージにもよく映えるだろうな。俺もいいと思う」
ましろや静にも褒められ、頬を染める。
本来こういった肩を出すデザインは得意ではないが、
ヴァイオリンを弾くという前提がある場合、肩まわりはない方が良い。
ちらと煉矢へと視線を向ける。
彼は少し瞳を大きくし、驚いたような様子を見せていた。
視線が合うと、朱の差した目元で、
ふわりと笑みを見せてくれたことにほっとした。
結局ドレスはそれに決めた。
手直しに二週間ほどかかるそうだが、
コンクールは三週間後のため余裕をもって間に合う。
コンクールの日なども念のため説明し、店員は問題ないことを告げてくれた。
手続きや会計をすませ、四人は店を後にした。
「兄さん、ありがとうございました。
わざわざ買っていただいて……」
「気にするな。というか、たまにはこれくらいさせてくれ。
お前は本当に何も強請らないからな。張り合いもない」
「えぇ……」
「ふふ、静はお兄ちゃんらしいことしたいんだよねぇ」
そんなことを言われても大変に困る。
我儘を言えと言われるのは今に始まったことではないが、
今の生活が十分すぎるほどに恵まれていると感じている乃亜にとって
唯一、兄の希望にかないそうにないのがこれである。
「シスコンも程々にしておけよ」
「俺でシスコンなら世の兄の大半はそうじゃないか?」
「お前は一度自分の行いを顧みろ」
心底素で返している様子の静に煉矢は深くため息を吐いた。
そんな会話を後ろで聞いている乃亜は頬を染めて肩を揺らすしかない。
ましろはくつくつと笑い、スマートフォンで時刻を確認した。
「まだ14時過ぎだね。どこかでお茶でもしよっか」
「あ、そうですね……」
そのとき、喧騒の中、なにか弾むような足音が近づくのが聞こえた。
乃亜はつい、顔をそちらに向けた。
そしてその足音の主、往来の人々の合間からその人物に姿が目に入り、
乃亜は目を丸くした。
「ノア!!」
ヘーゼル色の髪が間近に迫ったと思った瞬間抱きしめられた。
あまりにも瞬く間。
隣にいたましろ、すぐ後ろで話していた静と煉矢、
そしてひとり気づいたものの突然のことに声すら上げられなかった乃亜。
その場にいた、乃亜を含めた四人全員が呆気にとられるしかなかった。
「あなたに会えるなんて!こんなところで!嬉しい!」
「ニック?!」
硬直している乃亜を除き、唯一その襲来者の存在に気付いたのは煉矢だった。
かつて、アメリカの大学に留学していた際に行われたイベント。
そのイベントの出演者であり、共に企画運営にも携わっていた友人。
アメリカ人三味線奏者のニコラウスであった。
彼は乃亜を抱きしめたまま煉矢の存在にも気づいたようで、
ぱっと明るい表情のまま煉矢に目を向けた。
「Hello,Ren! It's been a while!」
(やぁ、レン!久しぶり!)
「You, why Japan? No, that's not the point, get away from Noah.」
(お前、何故日本に?いや、それより、乃亜から離れろ)
「Oh,Sorry. ノア、ごめんね?」
「あ、は、はい………お、お久しぶりです……」
にこりとオリーブ色の瞳が笑う。
人懐こい笑顔に朗らかな雰囲気。
あのころと全く変わっていない様子のニックに、
乃亜はばくばくと煩い心臓を抑えながら挨拶をした。
乃亜から離れながらも、大変上機嫌であるというようにニコニコと笑うニック。
一方で深く眉間にしわを刻んでいるのは静である。
静からしてみれば見知らぬ外国人が可愛い妹に突然抱き着いたのだから無理もない。
「おい、煉矢……」
「去年の夏に動画でも見ただろう……。
向こうのイベントにも出てた、三味線奏者だ」
「ああ、あの時の……」
それに少しだけ皺の数が減った。
ましろもそれを聞いて、以前見た動画を思い返す。
顔は正直あまり覚えていないものの、
外国人の三味線奏者というのは印象に強く残っている。
三人をよそに、ニックは乃亜に向かい改めて言った。
「ノア、元気だった?」
「は、はい。ニックさんもお元気そうで」
「うん!元気だよ、君に会えたし!
ノア、前よりずっとずっと綺麗になったね!
前の君もとってもチャーミングだったけど、今は輝くみたいだ!」
「え、そ、そんな、ことは……」
「本当だよ?前はステージの上でしか見られなかったミューズが
目の前に人の姿でいるみたいで」
「ニック、それくらいにしておけ」
完全なる褒め殺しである。
乃亜は抱きしめられた余韻が消えきれていないこともあり、
顔を真っ赤にして俯くほかない。
助け舟を出してくれた煉矢の言葉に心底ほっとした。
ニックはそんな乃亜を見て、かわいい、とさらに追い打ちをかけてきた。
もう勘弁して欲しい。
煉矢がそれに溜息を吐いて尋ねた。
「それでどうして日本にいるんだ?」
「うん、それも話したいし、みんなでカフェ行かない?
そちらのふたりも一緒に!
あれ、あなた、ちょっとノアに似てるね?ああ、話してたお兄さん?」
「ああ」
「やっぱり!ノアが自慢のお兄さんって話してた人だね!」
「に、ニックさん、あの、カ、カフェ行きましょう?」
ひとつ息をつきたい。
乃亜のそんな思いによって告げられた言葉に、ニックは笑って承諾をする。
肩を抱きそうな勢いで乃亜の背に手をあてがい、
近くのチェーン店のコーヒー店へと向かう。
煉矢は溜息をさらにはいてそれに続く。
ましろと静は互いに顔を見合わせ、いささか戸惑いながら後を追った。
幸いコーヒーショップはすぐに席を取れた。
静とましろがコーヒーを五つ注文し、商品と共に戻ると、
壁際のベンチシートに煉矢、ニック、乃亜の並びで座っていた。
ニックはにこにこと擬音語が目に見えるように笑い、
対照的に煉矢はどこか機嫌がよくない様子が見られる。
ニックの横で、乃亜は少し困ったような表情を見せていた。
静とましろもそれぞれ向かい合わせの椅子に腰かける。
コーヒーを受け取ってニックが改めて静とましろに顔を向けた。
「先に、ええと、自己紹介?するね。
僕、ニコラウス。みんなにはニックって呼ばれてるから
二人もそう呼んでね。名前教えてくれる?」
「ああ、静だ。乃亜の兄で、煉矢とは友人だな」
「私はましろ。二人とは友達だよ」
「オッケー!セイとマシロね。よろしく!」
人好きのする笑顔で挨拶をしてくる。
先ほどの突然の来襲がなければ第一印象は悪くなかったのに、と
内心ましろは苦笑いを浮かべた。
「前よりも、日本語、上達されたんですね」
「うん。僕、日本大好きだからね!ノアともいっぱい話できるよ」
「は、はぁ……」
「それで、いつ日本に来たんだ?」
煉矢に問われ、ニックは乃亜から視線をずらし頷いた。
「一週間くらい前だよ。僕の三味線の師匠に呼ばれてね」
「三味線の師匠?」
「うん。日本でステージあるから、参加したらどうかってね」
「私の時と同じような形ですね」
「そうそう!僕も最初そう思ったんだよ」
あの時は煉矢に誘われ、乃亜がアメリカに言った形だ。
それを思い出して口にすれば、ニックはぱっと再び乃亜の方に視線を向けた。
「だからこっちにきて、ノアやレンに会えたら嬉しいなと思ってたんだよ。
そしたら街中で会えるなんて!運命だと思ったんだ!」
「ニックさん、少し大げさですよ……」
「大げさじゃないよ、少なくとも僕にとってはね」
細められるオリーブ色の瞳が揺らぐ。
首をかしげる乃亜を見つめるその目元は少し赤い。
「ねぇ、ノア。また僕と一緒にステージに立って」
「え?」
「本気でお願いしてるよ。……好きなんだ」
「え」
「?!」
「?!」
「?!」
どこか甘い表情を浮かべながら告げられる言葉。
咀嚼しきれない乃亜だが、それを見聞きしていた三人はそうはいかない。
大きく目を見開き、息を飲み、空気さえ凍り付いたかのように硬直する。
「君の、ヴァイオリン」
にこりと笑った当の本人により、凍り付いた空気は粉々に砕かれた。
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嫁いでから6年。まるで修道女が神に使えるが如くこの家に尽くしてきました。
すべては家の為であり、夫の為であり、義母の為でありました。
愛する息子すら後継者として育てるからと産まれてすぐにとりあげられてしまいました。
「でも、もう変わらなくてはね」
この事を知ったからにはもう何も我慢するつもりはありません。
だって。私には願いがあるのだから。
✻基本ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
✻1/19、タグを2つ追加しました
✻1/27、短編から長編に変更しました
✻2/2、タグを変更しました
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