愛の損益分岐点を超えたので、無能な夫に献身料を一括請求して離縁します。

しょくぱん

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第4話:泥舟からの脱出――差し押さえの鐘が鳴る

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 眩い日差しが、手入れの行き届かなくなった庭園を無情に照らし出す。
 レオポルドが空腹と寒さに震えながら目を覚ましたのは、食堂の固い床の上だった。

「……あ、朝か。おい、誰か! 湯を、顔を洗う湯を持ってこい!」

 寝ぼけた頭で叫ぶが、返ってくるのは窓を叩く枯れ葉の音だけだ。
 カトリーヌはといえば、隣で薄汚れたカーテンを被って丸まっている。昨夜、空腹に耐えかねて厨房の床に落ちていた乾いたパンの屑を奪い合った末の、無様な姿だった。

 その時。
 屋敷の玄関を、親の仇と言わんばかりに叩く音が響いた。

 ――ドンドン、ドンドン!

「誰だ……っ。使用人はどうした! こんな無礼を許して……」

 ふらつく足取りでレオポルドが玄関を開けると、そこには軍服を纏った騎士たちと、黒い礼服を着た男たちが立っていた。
 中央に立つのは、王立銀行の融資担当責任者、ハンスだ。

「……ハンスか。ちょうどいい。今すぐ金を用意しろ。アデライドが妙な書類を置いて消えたんだ。あいつを捕らえて、資産を凍結――」

「レオポルド閣下。いえ、『元』閣下とお呼びすべきでしょうか」

 ハンスは冷徹な事務的クリニカルな眼差しで、手元の分厚い書類を掲げた。

「昨夜、アデライド様より『全商談の白紙撤回』および『債務履行遅延に伴う担保権の行使』が正式に届け出られました。これを受け、王立銀行は本日正午をもって、本邸宅および領内すべての資産を差し押さえます」

「な……何を言っている! ここは由緒ある公爵家だぞ!」

「『信用』という名の担保が消失したのです。アデライド様の魔導商会が保証を打ち切った瞬間、貴方の市場価値マーケット・バリューはゼロ、いえ、莫大なマイナスとなりました。……失礼、執行官。始めてください」

 ハンスの合図とともに、執行官たちが屋敷に踏み込む。
 彼らはレオポルドを突き飛ばし、高価な花瓶や絵画に、次々と「没収」の赤い札を貼り付けていく。

「やめて! そのドレスは私のよ!」
 飛び出してきたカトリーヌが叫ぶが、執行官は冷たく言い放つ。
「未払いの請求書が出ています。これも回収対象です。脱いでください」

 阿鼻叫喚の公爵邸。
 かつての栄華は、紙切れ一枚の契約によって砂の城のごとく崩れ去った。

 ――その頃。
 国境を越えたアデライドの視界には、黄金色に輝く帝国の麦畑が広がっていた。

「アデライド卿。帝都へ入る前に、こちらで朝食を」

 馬車を止めたのは、皇帝の懐刀と称される軍師、ヴォルフだ。
 彼が差し出したのは、焼きたての白パンブリオッシュと、最高級のクロテッドクリーム。
 
 アデライドはそれを優雅に受け取り、一口運ぶ。
 小麦の芳醇な香りとバターの甘みが、乾いた心身に染み渡っていく。

「素晴らしい。やはり帝国の物流網は、改善の余地こそあれど基礎体力が違いますわね」

「……この状況で、まず物流の査定ですか。陛下がお待ちかねなのも頷ける」

 ヴォルフは苦笑しながら、一枚の地図を広げた。
 そこには、帝国の赤字路線と滞っている流通拠点が赤裸々に記されている。

「陛下からの伝言です。『君という投資対象に、帝国の鍵を半分預ける準備はできている』と」

 アデライドは、白いナプキンで口元を抑え、銀碧の瞳を細めた。
 
「鍵だけでは足りませんわ。私は、この国の簿そのものを書き換えに来たのですから」

 彼女が去った背後では、公爵家の没落を告げるニュースが、魔導通信を通じて国中に広まり始めていた。
 
 『稀代の賢妻、公爵家を売却』
 『無能な公爵、愛人と共に路頭へ』
 
 アデライドは地図を指でなぞりながら、レオポルドの顔を思い出すことさえしなかった。
 すでに彼は、彼女の人生における『損切り』済みの案件に過ぎないのだから。
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