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第6話:経営コンサルの休日――深夜二時の秘密契約
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帝都ヴァイスブルクの夜は、王都のそれとは比較にならないほど重厚だ。
石造りの街並みに魔導灯が等間隔で灯り、整然とした静寂が支配している。だが、その静寂の裏側で、国家の心臓部は激しい不整脈を起こしていた。
入城から半日。アデライドに与えられた「休日」は、実質的な市場監査に費やされた。
彼女は華美なドレスを脱ぎ捨て、機能的な乗馬服に身を包んで街を歩いた。パン屋の行列の長さ、魔石の交換レート、路地裏の子供たちの顔色。それらすべてが、彼女の脳内にある「帝国」という名の巨大な貸借対照表に書き込まれていく。
「……なるほど。表面上の軍事力とは裏腹に、内部の魔力循環は最悪ですわね」
アデライドは、夜の帳が降りた皇宮の私室で、独り言ちた。
帝国の問題は単純だ。皇帝ヴィルフリートの強大すぎる魔力が、国家の魔導網と同期しすぎている。彼の精神状態が不安定になれば、国全体の魔力供給が不安定になる。そして今、その「源泉」である皇帝は、深刻な不眠によって自壊の危機に瀕していた。
深夜二時。
アデライドは、ヴォルフの案内で皇帝の執務室へと足を運んだ。
扉を開けると、そこには書類の山に囲まれ、青白い月光を浴びて椅子に深く沈み込むヴィルフリートの姿があった。
「……まだ起きていたのか、アデライド卿」
ヴィルフリートの声は、ひび割れた氷のように冷たく、そして脆い。
彼の周囲には、目に見えるほどの濃度の魔力が淀んでいる。常人ならばその圧力だけで気を失うだろう。だが、アデライドは優雅に、そして恐れを知らぬ足取りで彼の正面へと歩み寄った。
「陛下。お顔の色が、不採算部門の決算報告書のようですわ。非常に見苦しい」
「……相変わらず、無礼な女だ」
ヴィルフリートは自嘲気味に笑い、手にしたペンを置いた。
アデライドは無言で、持参した小さな銀のケースを取り出した。中には、彼女が自ら配合し、魔導触媒で強化した鎮静香草が収められている。
「座ったままで結構です。少し、失礼いたしますわ」
アデライドは、皇帝の背後に回り込んだ。
ヴォルフが緊張に身を固めるが、ヴィルフリートは黙ってそれを許した。
彼女の手が、皇帝の首筋から背中にかけて触れる。厚い軍服越しでも、彼の肌が異常な熱を帯びているのが分かった。背中の中心には、魔力回路の暴走を示す、禍々しくも美しい紋様が赤く脈打っている。
「……っ。何を、するつもりだ」
「診断です。陛下の魔力は、出力が高すぎて戻る場所を見失っています。まるで、投資先がないまま膨れ上がった余剰資金のようですわ。これを、強制的に逃がします」
アデライドは指先に微細な魔力を込め、特定の経絡を鋭く突いた。
同時に、鎮静香草に魔導火を灯す。
瞬間、ヴィルフリートの体から凄まじい熱気が放出された。
彼の喉から短い呻きが漏れる。だが、その直後。彼を苛んでいた鋭利な神経の昂ぶりが、潮が引くように消えていくのを感じた。
「これは……」
「一時的な処置です。ですが、これで数時間は『死んだように』眠れるはずですわ。……ただし、これには高い代償をいただきます」
アデライドは皇帝の正面に回り込み、テーブルの上に一通の書類を叩きつけた。
それは、彼女が今日一日で書き上げた『帝国財政再建に関する委任状』。
「私は慈善事業でここに来たわけではありません。陛下に『安眠』という最高のリターンを提供する代わりに、私は帝国の全予算に関する執行権の一部を要求します。具体的には、不採算領地の売却権、および新規魔導産業の独占運営権です」
ヴィルフリートは、朦朧とする意識の中で、目の前の女を凝視した。
銀の髪が月光に透け、その碧眼は欲望ではなく、純粋な合理性の光で輝いている。
この女は、皇帝である自分を「国家という事業のパーツ」としてしか見ていない。
その徹底した非情さが、今の彼には心地よかった。
「……ふん。私を治療し、さらに国まで作り直そうというのか。強欲なことだ」
「私は、損をする契約は結ばない主義ですの。……サインを。陛下」
アデライドが差し出したのは、魔力で書く『血の署名ペン』。
ヴィルフリートは、震える手でそれを取った。
「……いいだろう。アデライド。君に、私の命も、この国の帳簿も預ける。……ただし、もし失敗すれば、君の命を私の損失補填として徴収するが、構わないな?」
「望むところですわ。私という財産を使いこなせるかどうか、見守らせていただきます」
書類にサインが刻まれた瞬間、契約の魔力が二人の間を駆け抜けた。
ヴィルフリートは、ペンを落とすと同時に、深く椅子に沈み込んだ。数年ぶりとなる、抗いようのない睡魔。
アデライドは、眠りに落ちた皇帝の頭を優しく、だが所有物を確認するように一撫でした。
「おやすみなさいませ、陛下。……さて、ヴォルフさん。陛下が眠っている間に、まずはこの国の無能な官僚たちの人員整理リストを作成しましょうか」
ヴォルフは戦慄した。
皇帝の安眠と引き換えに、帝国は今日、最も美しく冷酷な独裁者を招き入れてしまったのだ。
――その頃、王都の路地裏。
レオポルドは、カトリーヌが盗んできた一切れのパンを巡って、浮浪者と殴り合いの喧嘩を演じていた。
彼がかつて捨てた「数字の女神」が、今、大陸の裏側で世界を書き換えようとしていることなど、知る由もなかった。
石造りの街並みに魔導灯が等間隔で灯り、整然とした静寂が支配している。だが、その静寂の裏側で、国家の心臓部は激しい不整脈を起こしていた。
入城から半日。アデライドに与えられた「休日」は、実質的な市場監査に費やされた。
彼女は華美なドレスを脱ぎ捨て、機能的な乗馬服に身を包んで街を歩いた。パン屋の行列の長さ、魔石の交換レート、路地裏の子供たちの顔色。それらすべてが、彼女の脳内にある「帝国」という名の巨大な貸借対照表に書き込まれていく。
「……なるほど。表面上の軍事力とは裏腹に、内部の魔力循環は最悪ですわね」
アデライドは、夜の帳が降りた皇宮の私室で、独り言ちた。
帝国の問題は単純だ。皇帝ヴィルフリートの強大すぎる魔力が、国家の魔導網と同期しすぎている。彼の精神状態が不安定になれば、国全体の魔力供給が不安定になる。そして今、その「源泉」である皇帝は、深刻な不眠によって自壊の危機に瀕していた。
深夜二時。
アデライドは、ヴォルフの案内で皇帝の執務室へと足を運んだ。
扉を開けると、そこには書類の山に囲まれ、青白い月光を浴びて椅子に深く沈み込むヴィルフリートの姿があった。
「……まだ起きていたのか、アデライド卿」
ヴィルフリートの声は、ひび割れた氷のように冷たく、そして脆い。
彼の周囲には、目に見えるほどの濃度の魔力が淀んでいる。常人ならばその圧力だけで気を失うだろう。だが、アデライドは優雅に、そして恐れを知らぬ足取りで彼の正面へと歩み寄った。
「陛下。お顔の色が、不採算部門の決算報告書のようですわ。非常に見苦しい」
「……相変わらず、無礼な女だ」
ヴィルフリートは自嘲気味に笑い、手にしたペンを置いた。
アデライドは無言で、持参した小さな銀のケースを取り出した。中には、彼女が自ら配合し、魔導触媒で強化した鎮静香草が収められている。
「座ったままで結構です。少し、失礼いたしますわ」
アデライドは、皇帝の背後に回り込んだ。
ヴォルフが緊張に身を固めるが、ヴィルフリートは黙ってそれを許した。
彼女の手が、皇帝の首筋から背中にかけて触れる。厚い軍服越しでも、彼の肌が異常な熱を帯びているのが分かった。背中の中心には、魔力回路の暴走を示す、禍々しくも美しい紋様が赤く脈打っている。
「……っ。何を、するつもりだ」
「診断です。陛下の魔力は、出力が高すぎて戻る場所を見失っています。まるで、投資先がないまま膨れ上がった余剰資金のようですわ。これを、強制的に逃がします」
アデライドは指先に微細な魔力を込め、特定の経絡を鋭く突いた。
同時に、鎮静香草に魔導火を灯す。
瞬間、ヴィルフリートの体から凄まじい熱気が放出された。
彼の喉から短い呻きが漏れる。だが、その直後。彼を苛んでいた鋭利な神経の昂ぶりが、潮が引くように消えていくのを感じた。
「これは……」
「一時的な処置です。ですが、これで数時間は『死んだように』眠れるはずですわ。……ただし、これには高い代償をいただきます」
アデライドは皇帝の正面に回り込み、テーブルの上に一通の書類を叩きつけた。
それは、彼女が今日一日で書き上げた『帝国財政再建に関する委任状』。
「私は慈善事業でここに来たわけではありません。陛下に『安眠』という最高のリターンを提供する代わりに、私は帝国の全予算に関する執行権の一部を要求します。具体的には、不採算領地の売却権、および新規魔導産業の独占運営権です」
ヴィルフリートは、朦朧とする意識の中で、目の前の女を凝視した。
銀の髪が月光に透け、その碧眼は欲望ではなく、純粋な合理性の光で輝いている。
この女は、皇帝である自分を「国家という事業のパーツ」としてしか見ていない。
その徹底した非情さが、今の彼には心地よかった。
「……ふん。私を治療し、さらに国まで作り直そうというのか。強欲なことだ」
「私は、損をする契約は結ばない主義ですの。……サインを。陛下」
アデライドが差し出したのは、魔力で書く『血の署名ペン』。
ヴィルフリートは、震える手でそれを取った。
「……いいだろう。アデライド。君に、私の命も、この国の帳簿も預ける。……ただし、もし失敗すれば、君の命を私の損失補填として徴収するが、構わないな?」
「望むところですわ。私という財産を使いこなせるかどうか、見守らせていただきます」
書類にサインが刻まれた瞬間、契約の魔力が二人の間を駆け抜けた。
ヴィルフリートは、ペンを落とすと同時に、深く椅子に沈み込んだ。数年ぶりとなる、抗いようのない睡魔。
アデライドは、眠りに落ちた皇帝の頭を優しく、だが所有物を確認するように一撫でした。
「おやすみなさいませ、陛下。……さて、ヴォルフさん。陛下が眠っている間に、まずはこの国の無能な官僚たちの人員整理リストを作成しましょうか」
ヴォルフは戦慄した。
皇帝の安眠と引き換えに、帝国は今日、最も美しく冷酷な独裁者を招き入れてしまったのだ。
――その頃、王都の路地裏。
レオポルドは、カトリーヌが盗んできた一切れのパンを巡って、浮浪者と殴り合いの喧嘩を演じていた。
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