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第一章 絶望と運命の出会い
第一話 身代わりの花嫁と、死神の城
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「さっさと乗りなさいよ。ぐずぐずしないで」
冷たい雨が降りしきる中、姉のミランダの声が響いた。彼女が見下ろす先――泥にまみれた地面には、私、レティシアが膝をついている。
「……はい、お姉様」 「『お姉様』なんて呼ばないでくれる? これから『死神』の元へ生贄に行く女と血が繋がっているなんて、私の経歴に傷がつくもの」
ミランダは美しい金髪を払い、勝ち誇ったように笑った。彼女の隣では、お父様とお母様も冷ややかな目で私を見ている。
「レティシア。これはお前の最後の親孝行だ」 「魔力なしの無能なお前を、今まで養ってやった恩を忘れるなよ」 「辺境の怪物がお相手だなんて、お前にはお似合いよ」
家族からの罵倒を浴びながら、私は目の前に停まっている馬車を見上げた。窓には鉄格子が嵌められ、全体が漆黒に塗られている。それはまるで、罪人を運ぶ護送車か、あるいは――棺桶のようだった。
私は、バーンズ伯爵家の次女として生まれた。けれど、家族の中で私だけが、生まれつき魔力をほとんど持っていなかった。華やかな魔法が使える姉とは違い、生活魔法すら満足に使えない「無能」。それが、家族が私につけたレッテルだった。
食事は使用人の残り物。着るものは姉のお古か、ツギハギだらけの布切れ。朝から晩まで屋敷の掃除を押し付けられ、家族が談笑している間も、私は床に這いつくばって雑巾がけをしていた。
そして今日。私は姉の身代わりとして、北の果てにある辺境伯領へ送られることになったのだ。
相手は、アレクシス・ヴォルフェン公爵。数々の武功を立てた英雄でありながら、身に纏う「呪いの瘴気」によって近づく者すべてを病ませ、狂わせると噂される男。人々は彼をこう呼ぶ。
――「呪いの公爵」、あるいは「死神」、と。
「……行って参ります」
私は小さく頭を下げ、逃げるように馬車へと乗り込んだ。背後で扉が重々しい音を立てて閉ざされる。鍵がかけられる音が聞こえた瞬間、馬車がガタリと揺れ、ゆっくりと動き出した。
窓の隙間から見えたのは、厄介払いができて清々したと笑い合う家族の姿だった。
(……これで、終わりなんだわ)
涙は出なかった。もう何年も前に、涙なんて枯れてしまっていたから。死神の城に行けば、私はすぐに瘴気に当てられて死ぬだろう。でも、この屋敷で家畜のように扱われ続けるよりは、もしかしたらマシなのかもしれない。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は膝を抱えた。薄汚れたドレスの裾を握りしめ、ただ、北へ、北へと運ばれていく。
***
馬車に揺られること、三日三晩。窓の外の景色は、いつしか緑豊かな平原から、荒涼とした灰色の荒野へと変わっていた。
寒い。ドレス一枚の身体に、北風が容赦なく吹き付ける。空は分厚い雲に覆われ、太陽の光など何一つ届かない。
「……着いたぞ。降りろ」
御者のぶっきらぼうな声と共に、馬車が停止した。重い扉が開かれる。私は凍える手足に鞭を打ち、ふらふらと外へ降り立った。
「……っ」
思わず、息を呑んだ。目の前に聳え立っていたのは、城と呼ぶにはあまりにも禍々しい、巨大な要塞だった。
そして何より――汚かった。
(な、何これ……!?)
城壁にはドロドロとした黒い液体のようなものがへばりつき、窓ガラスは煤けたように曇っている。庭木は枯れ果て、地面からは絶えず不気味な黒い煙が立ち上っていた。
これが噂の「瘴気」なのだろうか?普通の人間なら、恐怖で震え上がる光景かもしれない。けれど、毎日毎日、来る日も来る日も掃除ばかりさせられていた私の感想は、少し違っていた。
(……汚い。すごく、汚れているわ)
怖いという感情よりも先に、「雑巾で拭き取りたい」という衝動が湧き上がってくる。あの窓の汚れは、新聞紙で拭けば落ちるだろうか。あの壁の黒いシミは、ブラシで擦れば取れるだろうか。
「おい、何を呆けている」
背後から、地響きのような低い声が聞こえた。ビクリと肩を震わせ、振り返る。
そこには、全身を黒い甲冑とマントで覆った大男が立っていた。顔の半分は仮面で隠されており、露出した口元は真一文字に引き結ばれている。そして、彼の身体からは、城を覆うものよりもさらに濃く、どす黒い靄が噴き出していた。
アレクシス・ヴォルフェン公爵。私が嫁ぐ相手であり、私を殺すかもしれない「死神」。
仮面の奥にある鋭い瞳が、私を射抜くように見下ろした。
「……伯爵家がよこしたのは、こんな貧相な娘か」
氷のように冷たい声だった。私はとっさに身を縮め、震える声で名乗りを上げる。
「は、初めまして……レティシア・バーンズと申します……」 「…………」
公爵は何も答えない。ただ、私を値踏みするように見つめ、そして失望したように鼻を鳴らした。
「どうせすぐに死ぬ。あるいは、発狂して逃げ出すかだ」
彼は私に背を向け、黒いマントを翻した。
「ついてこい。お前の部屋へ案内してやる。……もっとも、そこがこれからの『墓場』になるわけだがな」
その背中は、どこか寂しげで、そしてどうしようもなく――汚れていた。
私は彼が纏う黒い靄を見つめながら、無意識にぎゅっと手を握りしめた。なぜだろう。あの背中の汚れを、綺麗に落としてあげたいと思ってしまったのは。
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冷たい雨が降りしきる中、姉のミランダの声が響いた。彼女が見下ろす先――泥にまみれた地面には、私、レティシアが膝をついている。
「……はい、お姉様」 「『お姉様』なんて呼ばないでくれる? これから『死神』の元へ生贄に行く女と血が繋がっているなんて、私の経歴に傷がつくもの」
ミランダは美しい金髪を払い、勝ち誇ったように笑った。彼女の隣では、お父様とお母様も冷ややかな目で私を見ている。
「レティシア。これはお前の最後の親孝行だ」 「魔力なしの無能なお前を、今まで養ってやった恩を忘れるなよ」 「辺境の怪物がお相手だなんて、お前にはお似合いよ」
家族からの罵倒を浴びながら、私は目の前に停まっている馬車を見上げた。窓には鉄格子が嵌められ、全体が漆黒に塗られている。それはまるで、罪人を運ぶ護送車か、あるいは――棺桶のようだった。
私は、バーンズ伯爵家の次女として生まれた。けれど、家族の中で私だけが、生まれつき魔力をほとんど持っていなかった。華やかな魔法が使える姉とは違い、生活魔法すら満足に使えない「無能」。それが、家族が私につけたレッテルだった。
食事は使用人の残り物。着るものは姉のお古か、ツギハギだらけの布切れ。朝から晩まで屋敷の掃除を押し付けられ、家族が談笑している間も、私は床に這いつくばって雑巾がけをしていた。
そして今日。私は姉の身代わりとして、北の果てにある辺境伯領へ送られることになったのだ。
相手は、アレクシス・ヴォルフェン公爵。数々の武功を立てた英雄でありながら、身に纏う「呪いの瘴気」によって近づく者すべてを病ませ、狂わせると噂される男。人々は彼をこう呼ぶ。
――「呪いの公爵」、あるいは「死神」、と。
「……行って参ります」
私は小さく頭を下げ、逃げるように馬車へと乗り込んだ。背後で扉が重々しい音を立てて閉ざされる。鍵がかけられる音が聞こえた瞬間、馬車がガタリと揺れ、ゆっくりと動き出した。
窓の隙間から見えたのは、厄介払いができて清々したと笑い合う家族の姿だった。
(……これで、終わりなんだわ)
涙は出なかった。もう何年も前に、涙なんて枯れてしまっていたから。死神の城に行けば、私はすぐに瘴気に当てられて死ぬだろう。でも、この屋敷で家畜のように扱われ続けるよりは、もしかしたらマシなのかもしれない。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は膝を抱えた。薄汚れたドレスの裾を握りしめ、ただ、北へ、北へと運ばれていく。
***
馬車に揺られること、三日三晩。窓の外の景色は、いつしか緑豊かな平原から、荒涼とした灰色の荒野へと変わっていた。
寒い。ドレス一枚の身体に、北風が容赦なく吹き付ける。空は分厚い雲に覆われ、太陽の光など何一つ届かない。
「……着いたぞ。降りろ」
御者のぶっきらぼうな声と共に、馬車が停止した。重い扉が開かれる。私は凍える手足に鞭を打ち、ふらふらと外へ降り立った。
「……っ」
思わず、息を呑んだ。目の前に聳え立っていたのは、城と呼ぶにはあまりにも禍々しい、巨大な要塞だった。
そして何より――汚かった。
(な、何これ……!?)
城壁にはドロドロとした黒い液体のようなものがへばりつき、窓ガラスは煤けたように曇っている。庭木は枯れ果て、地面からは絶えず不気味な黒い煙が立ち上っていた。
これが噂の「瘴気」なのだろうか?普通の人間なら、恐怖で震え上がる光景かもしれない。けれど、毎日毎日、来る日も来る日も掃除ばかりさせられていた私の感想は、少し違っていた。
(……汚い。すごく、汚れているわ)
怖いという感情よりも先に、「雑巾で拭き取りたい」という衝動が湧き上がってくる。あの窓の汚れは、新聞紙で拭けば落ちるだろうか。あの壁の黒いシミは、ブラシで擦れば取れるだろうか。
「おい、何を呆けている」
背後から、地響きのような低い声が聞こえた。ビクリと肩を震わせ、振り返る。
そこには、全身を黒い甲冑とマントで覆った大男が立っていた。顔の半分は仮面で隠されており、露出した口元は真一文字に引き結ばれている。そして、彼の身体からは、城を覆うものよりもさらに濃く、どす黒い靄が噴き出していた。
アレクシス・ヴォルフェン公爵。私が嫁ぐ相手であり、私を殺すかもしれない「死神」。
仮面の奥にある鋭い瞳が、私を射抜くように見下ろした。
「……伯爵家がよこしたのは、こんな貧相な娘か」
氷のように冷たい声だった。私はとっさに身を縮め、震える声で名乗りを上げる。
「は、初めまして……レティシア・バーンズと申します……」 「…………」
公爵は何も答えない。ただ、私を値踏みするように見つめ、そして失望したように鼻を鳴らした。
「どうせすぐに死ぬ。あるいは、発狂して逃げ出すかだ」
彼は私に背を向け、黒いマントを翻した。
「ついてこい。お前の部屋へ案内してやる。……もっとも、そこがこれからの『墓場』になるわけだがな」
その背中は、どこか寂しげで、そしてどうしようもなく――汚れていた。
私は彼が纏う黒い靄を見つめながら、無意識にぎゅっと手を握りしめた。なぜだろう。あの背中の汚れを、綺麗に落としてあげたいと思ってしまったのは。
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