さようなら、私の初恋

しょくぱん

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第一章:氷に閉ざされた愛

第2話:偽りの宝石

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 騎士団舎からの帰り道、どうやって屋敷まで辿り着いたのか、記憶が定かではない。
 気づいた時には、私は自室の鏡の前に立っていた。

 鏡の中に映る自分は、幽霊のように青白い顔をしている。
 そして左手の薬指には、先ほどまで「愛の証」だと信じて疑わなかった、あの水晶クォーツの指輪がはめられていた。

『あのアリアとかいう女には、露店で売ってた三銅貨ドゥカの石ころを与えておいたが……アイツ、それを宝物みたいに毎日磨いてやがるんだ』

 レオンの嘲笑が、呪文のように脳内でリフレインする。
 私は震える右手で、その指輪を掴んだ。
 引き抜こうとして、ふと動きを止める。
 この指輪をはめた日、私はなんて言ったかしら。
「一生、大切にしますね」――そう言って、泣いて喜んだのだ。
 その姿を見て、レオンは裏で腹を抱えて笑っていたというのか。

「……っ」

 込み上げてきたのは、吐き気を伴うほどのだった。
 私は指輪を指から引き剥がすと、部屋の隅にあるゴミ箱へ投げ捨てようとした。
 けれど、その手はまたしても止まってしまう。

 まだ、確認しなければならないことがある。
 レオンが言っていた『本物の指輪』のことだ。
 彼は私を「地味で価値のない女」と呼び、別の誰かに本物の至宝を贈ったと言っていた。
 その相手が誰なのか、確かめずにはいられなかった。

 翌日。私は一睡もできないまま、予定されていた「令嬢たちの茶会」へと足を運んだ。
 場所は、王都でも指折りの権勢を誇る公爵家の庭園。
 そこには、私とは正反対の、華やかで美しい令嬢たちが集まっていた。

 その中心にいたのは、現王太子の従妹にあたる、カトリーヌ・ド・ローラン公爵令嬢だった。
 輝くような金髪に、勝ち気そうな碧眼。
 彼女は今、社交界で最も「次期騎士団長夫人」に近いと言われている女性だ。

「あら、アリア様。顔色が優れませんわね? 婚約夜会の準備でお疲れなのかしら」

 カトリーヌが、扇子で口元を隠しながら優雅に微笑む。
 その視線は、明らかに私を蔑んでいた。
 彼女の周囲に侍る令嬢たちが、クスクスと忍び笑いを漏らす。

「そういえば皆様、聞いてくださいませ。先日、ある殿方から素晴らしい贈り物をいただいたのですわ」

 カトリーヌが、わざとらしく左手を差し出した。
 その瞬間、庭園に降り注ぐ陽光を反射して、周囲が真っ白に染まるほどの輝きが放たれた。

「……っ!」

 私の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
 彼女の指に嵌まっていたのは、大粒の青金石サファイアを中央に据え、無数のダイヤモンドで装飾された、ため息が出るほど精巧な指輪だった。
 それは間違いなく、我が国の国宝級の宝石を扱う老舗宝飾店『月光の滴ムーン・ドロップ』の一点物だ。

「まあ、素敵……! これほどのサファイア、王族の方でも滅多に手に入りませんわ!」
「一体、どなたから贈られたのですか?」

 令嬢たちが色めき立つ。カトリーヌは満足げに目を細めると、私を真っ直ぐに見据えて言い放った。

「第一騎士団長の、レオン様ですわ。彼ったら『君の瞳の色と同じ、最高級の石を見つけたんだ。これを僕だと思って身につけてほしい』なんて……。本当に、情熱的なお方ですこと」

 世界が、音を立てて崩壊していく。
 レオンの言っていたことは、一分一厘の狂いもなくだった。
 彼は私に三銅貨の石ころを与え、その裏で、公爵令嬢に国を揺るがすほどの至宝を捧げていたのだ。

 私には「騎士団の給料ではやり繰りが大変」だと嘘をつき、彼女には惜しげもなく大金を注ぎ込む。
 私には「君だけが特別だ」と囁き、彼女には「君こそがふさわしい」と愛を乞う。

 私に贈られた水晶が、あまりにも惨めで、あまりにも滑稽で。
 そんな偽物の宝石を「宝物」だと思い込み、毎日愛おしげに磨いていた自分が、狂おしいほど恥ずかしかった。

「アリア様? どうかされましたの? そんなにその……安っぽい水晶の指輪を握りしめて」

 カトリーヌの鋭い指摘に、私は自分が無意識に、袖の中に隠した左手を強く握りしめていたことに気づいた。
 令嬢たちの視線が、私の手に集中する。
 私は、震える手をゆっくりと解き、令嬢たちの前でその「石ころ」を晒した。

「……いいえ。ただ、この石のがようやく分かっただけですわ」

 私は、静かに微笑んだ。
 令嬢たちが首を傾げる中、私は心の中で、自分を繋ぎ止めていた最後の一本の糸が、ぷつりと切れる音を聞いた。

 悲しみは、もう枯れ果てた。
 残っているのは、あまりにも冷徹な、澄み切った殺意さついにも似た決意だけ。

 カトリーヌ様、貴女が自慢げに見せびらかしているそのサファイア。
 それは、私の『加護』という命を削る対価によって、レオンが手に入れた地位と金で買ったものです。
 私の尽くした時間が、私の捧げた祈りが、形を変えて貴女の指で輝いている。

 ――けれど、それも今日までです。

 茶会を辞し、屋敷に戻った私は、自室の机に向かった。
 レオンへ宛てた手紙を書くためではない。
 私が彼に無意識に与え続けていた『治癒の加護ヒール・オーラ』――その魔力の繋がりを、完全に断ち切るための儀式を行うためだ。

 私はベッドの下から、古い古文書を取り出した。
 シルフォード家に代々伝わる、聖女の系譜。
 「与える者」は、「奪う者」にもなれる。
 これまで私が彼に与えてきたすべての恩恵を、私は今、この瞬間から「返却」してもらうことにした。

 私は左手の指輪を外し、床に置いた。
 そして、その上から容赦なく、重い鉄製のペン立てを叩きつけた。

 パリン、と軽い音がして、安物の水晶が粉々に砕け散る。
 三銅貨の価値しかない、偽りの愛の結晶。

「さよなら、レオン様。貴方の『英雄譚』は、私の初恋と共に、ここで終わりです」

 砕けた石の破片から、微かな光が溢れ、私の指先へと戻ってくる。
 それは、彼を癒やし続けていた私の魔力。
 回収された魔力が体内に満ちるたび、私の心は驚くほど軽く、そして冷たくなっていった。

 窓の外では、夕闇が王都を飲み込もうとしていた。
 三日後の婚約夜会。
 そこが、貴方の「絶頂」であり、「破滅」の始まりになるでしょう。

 私は、粉々になった石の破片を紙に包むと、躊躇なく暖炉の中へと放り込んだ。
 赤々と燃える炎が、私の偽りの初恋を焼き尽くしていく。
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