嘘つきな獣

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 その日の午後、シャロンの部屋をひとりの青年が訪れた。

 「シャロン王女殿下、アレンと申します。以後お見知りおきを」
 
 ゆるく癖のある栗色の髪を後ろで一つにまとめた青年は、シャロンの前までくると礼を取った。

 「あの、あなたは?」

 「セシルから、いえ、セシル殿下からシャロン王女の護衛をするよう言われました。何でもお部屋の外に出たいとか」
 
 シャロンは、アレンがセシルの名を呼び捨てた事が気になった。

 「セシル殿下とはどのようなご関係なのですか?」

 おそらく先ほど口を滑らせたように、『セシル』が常の呼び方なのだろう。
 二人は親しい間柄と見える。

 「まあ、幼馴染みってところですね」

 アレンは『へへ』と笑いながら額を掻いた。

 「こちらも事情がありまして、あまり遠くまでお連れする事はできないのですが」

 「外に出れるだけで十分です。お気遣いくださってありがとう」

 アレンはほんの少し目を瞠り、すぐに目元を緩めた。

 「では参りましょうか。ご案内致します」

 アレンに続いて部屋を出るとすぐに、階下へと続く長い螺旋階段が目に入る。

 「失礼なのは承知ですが、危ないのでどうぞお手を」

 アレンは微笑み、シャロンに向かって手を差し出した。
 女性に対する扱いがセシルとは雲泥の差だ。

 「ありがとう」

 シャロンは素直に差し出された手を取った。
 明かり取りの窓しかない塔の内部は、昼とはいえ、薄暗く不気味だ。
 ドレスの裾を踏まないよう、慎重に降りていく。
 (帰りはちゃんと登れるかしら……)
 降りるのも大変だが、登るのはもっと大変そうだ。
 想像するだけで、ふくらはぎが攣りそうな気がした。
 シャロンの不安気な様子に気付いたアレンが、励ますように口を開く。
 
 「帰りは……心配しなくても大丈夫だと思います。多分」

 「何がですか?」

 「ええ、まあその……長年の勘と言いますか」

 「勘?」

 ますます訳がわからない。

 「とにかく帰りの事は気にせず、シャロン王女はただ楽しむ事だけお考えください」

 「はぁ……」
 
 塔を繋ぐ城壁を過ぎ、長い階段も終わりが見えた頃、空気が変わり始めた。
 アーチ型の出口からは明るい光が差し込み、それを見たシャロンの心は弾む。
 
 「わぁ……!」

 シャロンは目の前に広がる光景に感嘆した。
 素朴だが、手入れの行きどいた木々。
 そして季節の花が彩りよく植えられている。
 きっとここがセシルの言っていた中庭なのだろう。
 ほのかに香る土と草の匂い。
 地面を踏みしめる感触。
 何もかもが懐かしく、新鮮だった。
 
 「ロートス城の庭園に比べれば見劣りしますが、祖国とは違った種類の花が楽しめるのではないかと」

 「見劣りなんてそんな。とても素晴らしいです」

 温暖な気候のロートスでは、大ぶりで華やかで、強い芳香を放つ花々が多く生息している。
 それらをシャロンはとても愛しているが、エドナに咲く小ぶりで可憐、控えめでほのかに香る花々は、より好ましく思えた。

 「シャロン様、差し支えなければお聞きしたい事があるのですが」

 「何でしょう」

 「シャロン様は記憶を失われていると伺いました」

 「ええ」

 「まったく覚えておられないのですか?その……ご家族の事や、これまでのすべてを」

 今さら『記憶喪失はそちらの勘違いだ』とも言い出せず。
 かといってこのまま記憶を失ったふりをし続けるのもどうなのか。
 今はまだ答えが出ない。
 なのでとりあえず、当たり障りのない答えを返す事にした。

 「祖国の事は少し覚えております。ですがそれも曖昧で」

 「そうですか。まあ、もしかしたらその方がいいのかな……」

 最後、独り言のように呟くアレンに、シャロンは首を傾げた。

 「それはどういうことですか」

 シャロンの問いかけに、アレンははっとしたように顔を上げた。
 
 「いえ!何でもありません。そうだ、シャロン様。よろしければ、もう少し先へ行ってみませんか?」

 是非とも案内したい場所があるのだとアレンは言う。
 断る理由もないので、シャロンは頷き、彼の後をついて行った。

 「ああ、やってるやってる」

 着いた先は兵士たちの訓練場だった。
 練習試合が行われているようで、その場にいた男たちは中央を囲むように輪を作り、熱心な様子で観戦している。
 
 「あれは……セシル殿下?」

 輪の中心にいたのは二人の男。
 そのうちの一人は間違いなくセシルだ。
 もう一人の男は慎重に距離を測りながら、セシルの出方を窺っている。
 対するセシルは手にした剣を構えもせず、だらりと下げたまま。
 (どうして構えないの)
 両者しばらく睨み合いが続いたが、痺れを切らした男がセシルめがけて切りかかった。

 「──っ!」

 男が剣を振り上げた瞬間、シャロンは恐ろしくて目を瞑ってしまった。
 
 「大丈夫ですよ。セシルより強い男はエドナにはいません」

 アレンの言葉に恐る恐る目を開けると、そこには何事もなかったかのように立つセシルがいた。
 そして、彼の足元には、仰向けに倒れる対戦相手の姿が。

 「え……?」

 目を瞑っていた一瞬の間に、いったい何が起こったのか。
 あり得ない光景に、シャロンは言葉を失った。

 「あーあ、昔は俺の方が強かったんだけどなあ」

 アレンがぼやく。

 「……?セシル殿下は元々お強かったのではないのですか」

 「いや全然ですよ。あいつ子どもの頃は『戦いなんて野蛮だ』って言って剣の稽古から逃げ回ってましたから」

 「それは本当なのですか」

 「ええ。本を読むのが好きで、手足なんか生白くてヒョロヒョロでしたよ」

 「信じられない……」

 



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