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第一章 春
第三話
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州都の駅は帝都にある大きな中央駅にも見劣りがしない立派なものだった。
赤煉瓦と鉄骨で造られた駅舎も見事なものだったが、その中にいくつもの線路があって、何台もの汽車が行き来している。そのうちの数台は隣国まで行くのだと小耳に挟んで、ノエルはとんでもなく遠くへ来てしまったのだな、と感嘆の息を漏らした。
列車から降りて改札を抜け、駅のエントランスホールを目指す。どっちに行けばエントランスホールなのかは分からなかったけれど、とりあえず人波に流されて歩いた。
駅にはブラッドフォード中尉本人が迎えに来てくれると聞いている。
旦那さまには「背の高い黒髪の軍人を探せばいい」と言われたけれど、それだけの情報で分かるだろうか。ちらちらと周囲を見回すだけで、軍服を着た帝国軍人は大勢いる。彼らもまた移動する際には汽車を使うからだ。
見つけきれなかったらどうしよう、と不安に思いながらもノエルは必死で人の流れにそって歩いた。そして、一気に開けた場所に出て、はっと息を呑む。
ここがエントランスホールだ、とすぐに分かった。
見上げるほど高い天井とそれを支えるために張り巡らされた鉄骨。その隙間に貼られた大きな窓からはさんさんと夕日が降り注いている。駅全体が橙色に照らされて、ノエルの目に映る全てが黄金に輝いていた。
なんて立派な建物だろう、と先ほどから何度も思ったけれど、この駅舎はそれと同時にとても美しい建物だった。
ブラッドフォード中尉を探すのも忘れて、初めて見る駅の美しさに見入っていたノエルだったが、背後から来る人たちに押されて我に返った。
ここはエントランスホールとホームを繋ぐ通路だ。立ち止まっていては人の迷惑になるし、なによりこの人の多さでは危険だろう。
慌ててホールの端へと移動しようとして、足を踏み出したときだ。
背後から「あの」と誰かに呼び止められた。腹に響くような低くて無骨な声だった。驚いて振り向くと、そこにはとても背の高い軍服の男が立っていた。
「ノエル・オルグレン殿でしょうか」
「え?」
男は軍帽を被っていて、髪の色がよく分からなかった。
しかし、東部の街でノエルの名前を知っている人物なんてきっとひとりしかいない。
「ヴィンセント・ブラッドフォードです。お迎えに上がりました」
案の定、ブラッドフォードだと名乗った男はノエルを見てぴしり、と敬礼する。
そして軍帽を取って、ノエルの顔を覗き込んだ。
「あ、はい。ノエル・オルグレンです」
ノエルも慌てて頭を下げた。
ブラッドフォード中尉は本当に見上げるほど大きかった。
アルファの男性は背が高く筋肉質な体形であることが多い。軍属である旦那さまやその一人目の息子であるエドガーも鍛えているため、背が高くがっしりとした体つきをしている。しかし、ブラッドフォード中尉はそのふたりよりももっと背が高かった。
小柄なノエルは思いっきり顔を上げないと目が合わない。
ノエルは初めて会った自分の結婚相手をじっと見つめた。
話に聞いていたとおりの短い黒髪と精悍な顔立ち。きりりとした眉毛の下にある切れ長の瞳は透き通る宝石のような緑で、静かにノエルを見返していた。
ノエルとブラッドフォード中尉の視線が絡んで、息が止まるようだった。
人の容姿にあまり興味のないノエルでも分かる。たぶん、この人はとても格好いい。
「遠いところからようこそ。お疲れでしょうが、早速行きましょう。少し歩きます」
ブラッドフォード中尉はそう言って、とても自然な動作でノエルが抱えていたトランクケースを持った。
彼が歩くと自然と人が道を開ける。エントランスホールまでは人に揉まれるようにして歩いたノエルだったが、ブラッドフォード中尉の後ろならその心配はなさそうだった。
「東部は初めてですか」
「はい、生まれも育ちも帝都なので」
正面を向いて話すブラッドフォード中尉の声をノエルは必死に聞いて、その質問に答えた。
背の高いブラッドフォード中尉は当たり前であるがノエルよりずっと足が長い。彼はとても歩くのが早くて、ついて行くだけで大変だ。
おまけに、初めて足を踏み入れた東部の街はノエルにとって目新しいもので溢れていた。
駅から出てまず目に入ってくるのは東部の街並みだ。
石造りの建物や石畳が敷かれた道。そこに並ぶ鉄製の外灯は帝都でもよく見かける帝国風の設えなのに、ところどころに見慣れない装飾をした建物が挟まっている。東国風と言うのだろうか。珍しい服装や見たことがないものを抱えた行商人なんかもいて、ノエルは思わず視線を奪われてしまう。
「珍しいですか」
「え」
声をかけられて、ノエルは視線を上げた。
いつの間にか、前を歩いていたはずのブラッドフォード中尉が隣に立っていた。
待たせてしまった、と顔を青褪めさせるノエルだったが、ブラッドフォード中尉は大して気にしていない様子で頷いている。
「私も初めて東部に赴任したときは帝都との違いに驚きました。落ち着いたら、一緒に見て回りましょう」
ブラッドフォード中尉は抑揚のない平坦な声で話す。
少し怒っているようにも聞こえる口調だが、その内容は穏やかで気遣いに溢れるものだった。
「あちらは東部の中心街で、役所や東方司令部があります。駅からは近いですね。この大通りをまっすぐ行くと、商店が並ぶ通りがあって――」
先ほどよりもずっとゆっくりとした足取りで、ブラッドフォード中尉がノエルの横を歩く。おまけに、東部の街の解説付きだ。それをノエルは驚きつつも熱心に聞いた。
ブラッドフォード中尉は、駅から自宅まで帰るのに使う通りといくつかの目印を教えてくれた。彼の話からすると、ノエルたちがこれから住む家は街の中心から少し離れた場所にあるという。
赤煉瓦と鉄骨で造られた駅舎も見事なものだったが、その中にいくつもの線路があって、何台もの汽車が行き来している。そのうちの数台は隣国まで行くのだと小耳に挟んで、ノエルはとんでもなく遠くへ来てしまったのだな、と感嘆の息を漏らした。
列車から降りて改札を抜け、駅のエントランスホールを目指す。どっちに行けばエントランスホールなのかは分からなかったけれど、とりあえず人波に流されて歩いた。
駅にはブラッドフォード中尉本人が迎えに来てくれると聞いている。
旦那さまには「背の高い黒髪の軍人を探せばいい」と言われたけれど、それだけの情報で分かるだろうか。ちらちらと周囲を見回すだけで、軍服を着た帝国軍人は大勢いる。彼らもまた移動する際には汽車を使うからだ。
見つけきれなかったらどうしよう、と不安に思いながらもノエルは必死で人の流れにそって歩いた。そして、一気に開けた場所に出て、はっと息を呑む。
ここがエントランスホールだ、とすぐに分かった。
見上げるほど高い天井とそれを支えるために張り巡らされた鉄骨。その隙間に貼られた大きな窓からはさんさんと夕日が降り注いている。駅全体が橙色に照らされて、ノエルの目に映る全てが黄金に輝いていた。
なんて立派な建物だろう、と先ほどから何度も思ったけれど、この駅舎はそれと同時にとても美しい建物だった。
ブラッドフォード中尉を探すのも忘れて、初めて見る駅の美しさに見入っていたノエルだったが、背後から来る人たちに押されて我に返った。
ここはエントランスホールとホームを繋ぐ通路だ。立ち止まっていては人の迷惑になるし、なによりこの人の多さでは危険だろう。
慌ててホールの端へと移動しようとして、足を踏み出したときだ。
背後から「あの」と誰かに呼び止められた。腹に響くような低くて無骨な声だった。驚いて振り向くと、そこにはとても背の高い軍服の男が立っていた。
「ノエル・オルグレン殿でしょうか」
「え?」
男は軍帽を被っていて、髪の色がよく分からなかった。
しかし、東部の街でノエルの名前を知っている人物なんてきっとひとりしかいない。
「ヴィンセント・ブラッドフォードです。お迎えに上がりました」
案の定、ブラッドフォードだと名乗った男はノエルを見てぴしり、と敬礼する。
そして軍帽を取って、ノエルの顔を覗き込んだ。
「あ、はい。ノエル・オルグレンです」
ノエルも慌てて頭を下げた。
ブラッドフォード中尉は本当に見上げるほど大きかった。
アルファの男性は背が高く筋肉質な体形であることが多い。軍属である旦那さまやその一人目の息子であるエドガーも鍛えているため、背が高くがっしりとした体つきをしている。しかし、ブラッドフォード中尉はそのふたりよりももっと背が高かった。
小柄なノエルは思いっきり顔を上げないと目が合わない。
ノエルは初めて会った自分の結婚相手をじっと見つめた。
話に聞いていたとおりの短い黒髪と精悍な顔立ち。きりりとした眉毛の下にある切れ長の瞳は透き通る宝石のような緑で、静かにノエルを見返していた。
ノエルとブラッドフォード中尉の視線が絡んで、息が止まるようだった。
人の容姿にあまり興味のないノエルでも分かる。たぶん、この人はとても格好いい。
「遠いところからようこそ。お疲れでしょうが、早速行きましょう。少し歩きます」
ブラッドフォード中尉はそう言って、とても自然な動作でノエルが抱えていたトランクケースを持った。
彼が歩くと自然と人が道を開ける。エントランスホールまでは人に揉まれるようにして歩いたノエルだったが、ブラッドフォード中尉の後ろならその心配はなさそうだった。
「東部は初めてですか」
「はい、生まれも育ちも帝都なので」
正面を向いて話すブラッドフォード中尉の声をノエルは必死に聞いて、その質問に答えた。
背の高いブラッドフォード中尉は当たり前であるがノエルよりずっと足が長い。彼はとても歩くのが早くて、ついて行くだけで大変だ。
おまけに、初めて足を踏み入れた東部の街はノエルにとって目新しいもので溢れていた。
駅から出てまず目に入ってくるのは東部の街並みだ。
石造りの建物や石畳が敷かれた道。そこに並ぶ鉄製の外灯は帝都でもよく見かける帝国風の設えなのに、ところどころに見慣れない装飾をした建物が挟まっている。東国風と言うのだろうか。珍しい服装や見たことがないものを抱えた行商人なんかもいて、ノエルは思わず視線を奪われてしまう。
「珍しいですか」
「え」
声をかけられて、ノエルは視線を上げた。
いつの間にか、前を歩いていたはずのブラッドフォード中尉が隣に立っていた。
待たせてしまった、と顔を青褪めさせるノエルだったが、ブラッドフォード中尉は大して気にしていない様子で頷いている。
「私も初めて東部に赴任したときは帝都との違いに驚きました。落ち着いたら、一緒に見て回りましょう」
ブラッドフォード中尉は抑揚のない平坦な声で話す。
少し怒っているようにも聞こえる口調だが、その内容は穏やかで気遣いに溢れるものだった。
「あちらは東部の中心街で、役所や東方司令部があります。駅からは近いですね。この大通りをまっすぐ行くと、商店が並ぶ通りがあって――」
先ほどよりもずっとゆっくりとした足取りで、ブラッドフォード中尉がノエルの横を歩く。おまけに、東部の街の解説付きだ。それをノエルは驚きつつも熱心に聞いた。
ブラッドフォード中尉は、駅から自宅まで帰るのに使う通りといくつかの目印を教えてくれた。彼の話からすると、ノエルたちがこれから住む家は街の中心から少し離れた場所にあるという。
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