ノエルの結婚

仁茂田もに

文字の大きさ
6 / 27
第一章 春

第五話 

しおりを挟む
 ブラッドフォード中尉が用意した家は、彼曰く小さな家であるという。
 しかし、案内された先でそれが決して真実ではないことをノエルは理解した。

「ぜんぜん小さくないです」
「そうでしょうか」

 ブラッドフォード中尉は平民出身だと旦那さまは言っていたけれど、どうにも育ちがよさそうだ。
 ノエルたちの家は高い塀でぐるりと囲まれた小さな屋敷だった。
 この「小さな」とは「屋敷」として見れば、という意味であり、建物自体が小さいということではない。しっかりとした煉瓦造り建物は頑丈そうで広い庭が付いていた。

 家の中もまた立派なものだった。応接用の椅子やテーブルが置かれた広間サルーンがあって、家族が使うための居間があった。食堂はひとつだが立派な長テーブルが置かれていて、二階には寝室や書斎があり、ふたりで暮らすには十分すぎるほど広い。
 案内されながらノエルは眩暈がするようだった。もう一度言いたい。この屋敷はぜんぜん小さくないし狭くない。

 ひとりで管理できるだろうか、毎日の掃除だけで一日が終わってしまうかもしれない、と震えていると、ブラッドフォード中尉は「通いの女中メイド庭師ガーデナーがひとりずついます」と教えてくれた。

「ここがあなたの部屋です」

 最後に通されたのが、ノエルの寝室だった。
 二階の奥にあるその部屋には、可愛らしい装飾の施された天蓋付きの寝台と同じような色合いの文机があった。窓際にはソファーが置かれていて、華美ではないが上品で可憐にまとめられている。
 前は屋敷の奥方の部屋として使われていたらしく、調度品は女性的なものが多い。

「家を買ったときの家具をそのまま使っているので、あなたの好みとは違うかもしれません。希望があれば用意しますので、遠慮なく言ってください」
「いえ、十分です。でも、あの……少し落ち着かないかもしれません……」

 ノエルが言うと、ブラッドフォード中尉は神妙な顔をして頷いた。

「屋根裏部屋も綺麗にしてあります。どちらでも落ち着く方を使ってください」

 オルグレンの屋敷では、ノエルは使用人用の屋根裏部屋で暮らしていた。
 引き取られた当初、セドリックの部屋の隣に子ども部屋を用意してもらったのだが、幼いノエルにとってその部屋は広くて豪華すぎてとても恐ろしかったのだ。

 夜眠れなくて、クローゼットの中で丸まっている幼いノエルを発見した奥さまが、ノエルが安心出来るならば、と使用人用の屋根裏部屋をくれた。どちらを使ってもいいと言われていたが、ノエルはもっぱら屋根裏部屋ばかりで寝起きしていた。
 どうやら、ブラッドフォード中尉はそのことも知っているらしい。

「こちらの部屋は隣が私の部屋です。何かあれば声をかけてください。……お茶でも入れましょうか。それとも食事をしますか。女中メイドが作っておいてくれたものがありますが」

 にこりとも笑わないが、出会ってからずっとブラッドフォード中尉はとても優しかった。
 いきなり結婚式を挙げるという性急すぎるところを差し引いても、旦那さまが「いい相手だ」とノエルに勧めてくるだけのことはある。
 今だって、緊張しているノエルのためにお茶を飲もうと誘ってくれているのだ。いい人だなぁと思って、何だか泣きそうになった。

 どうしてこの人はノエルに求婚したのだろう。こんなに立派で優しいアルファなんだから、ノエルのような貧相でみすぼらしいオメガが相手ではとても釣り合わない。けれども、もう結婚式を挙げてしまった。
 ならば、ノエルも出来るだけ彼に対して誠実であるべきだろうと思った。

「あの、ブラッドフォード中尉」
「はい」
「お話しておきたいことがあるのですが」

 そう言ってノエルは自らが着ていたものに手をかけた。
 新しく誂えてもらったジャケットを脱いで、首のタイに手をかける。そのままブラッドフォード中尉に背を向けてシャツを脱ごうとしたら、背後でひどく狼狽した気配がした。

「どうしたんですか」
「見て欲しいものがあって……」

 ノエルはそのままシャツを脱いで、自らの肌を晒した。
 正確には骨と皮ばかりの背中を、ブラッドフォード中尉の前で露わにしたのだ。

「……これは」

 ブラッドフォード中尉が驚く声が聞こえた。
 ノエルの背中にはたくさんの醜い傷がある。幼いころに与えられた「躾け」と称される暴力の痕だ。乗馬用の鞭で思いっきり打擲された子どもの肌は、赤くミミズ腫れになって、治った後もひどい痕が残ってしまった。

 ノエルはこのことをブラッドフォード中尉に知っていて欲しかった。
 夫夫となれば、そのうち身体の関係もあるかもしれない。ノエルにヒートが来ればなおのことだ。
 そのときに、この傷を見られてがっかりされたくなかった。
 ブラッドフォード中尉は落胆してもノエルを叩いたり、怒鳴ったりはしないだろう。けれども、きっと残念には思うはずだ。

 ――こんな汚らしいオメガ。

 昔言われた言葉が、ノエルの脳裏に呪いのように蘇る。
 罵られて殴られて、鞭打たれた。助け出されて、オルグレン家でたくさん大切にしてもらっても、ノエルの中からその事実は消えることはない。この背中の傷痕のように。

「本当は、ちゃんと結婚する前にお伝えするつもりだったのですが、遅くなってしまい申し訳ありません。結婚したばかりで離婚というのも大変かと思いますが……」
「もう痛くはありませんか」
「え?」
「痛みはないですか」

 ノエルの「離婚」という言葉を遮るように、ブラッドフォード中尉が言った。
 その問いにノエルは戸惑いながらも頷いた。

「たまに引き攣りますが、痛くはありません」
「触っても?」
「あ、はい」

 どうぞ、とノエルは軽く俯いて背中を差し出した。ブラッドフォード中尉がノエルの汚い傷痕にゆっくりと触れる。
 最初は指先でそっとなぞるように、徐々に手のひら全体で撫でられてノエルは肩を揺らす。
 痛かったわけではない。くすぐったくて温かくて、その感触にやっぱり泣きそうになったからだ。

「知っていました」

 ノエルの背中に触れながら、ブラッドフォード中尉は独り言のように小さく呟いた。

「最初にあなたとの結婚を申し込んだとき、オルグレン准将閣下が全て話してくださいました。あなたが養子であることも、オルグレン家に引き取られるまでどうやって過ごしてきたかも」

 全部知っていて、ノエルに結婚を申し込んだのだ。
 ブラッドフォード中尉に言われて、ノエルは彼の方を振り向いた。
 ノエルを見つめる緑色の瞳は穏やかでとても優しく、そこには軽蔑も落胆も欠片も見えない。

「なんで……」
「私にもよく分かりません。ただ、あなたを一目見てとても可愛らしいと思いました。ずっと一緒にいたいと思いました」

 ブラッドフォード中尉はぎゅっとノエルの両手を握った。
 汚れて黒くなったノエルの手を、彼は決して嫌がることなく握りしめてくれる。乾燥して荒れているから触り心地も悪いだろうに。そのことを厭う気配もない。

「私はあなたの事情は聞きましたが、あなた自身のことはよく知りません。あなたも私のことは知らないと思います。ゆっくりでいい。少しずつ私のことを知って、少しでいいから好ましいと思って欲しいんです」
「……はい」
「私ももっとノエルのことを知りたい」

 初めて「ノエル」と呼ばれた。
 その事実にノエルの目から涙が零れ落ちた。
 今日、ノエルは結婚した。

 相手はヴィンセント・ブラッドフォード。
 帝国軍に勤める軍人で、所属は参謀本部。旦那さまのとびきり優秀な部下だという。けれど、東部にある東方司令部に出向していて、ノエルは東部で結婚生活を送ることになった。

 ブラッドフォード中尉は背が高く、黒い髪と緑色の瞳をしている。
 笑わないしなんならずっと無表情だし声にも抑揚がないが、とても穏やかな性格をしていて、ノエルと早く一緒に暮らしたいと言ってくれて、それからノエルのことをとても優しい目で見る人だ。
 今日初めて会ったブラッドフォード中尉について、ノエルが知っていることはこれくらいだ。きっと彼だってノエルのことを同じくらいしか知らないだろう。

 けれど、これからもっと知っていけるだろうか。
 もっと知って、彼のことを好きになれるだろうか。
 ノエルはブラッドフォード中尉の手をぎゅっと握り返した。ブラッドフォード中尉の手は大きくて、手に硬い剣胼胝がある。重たいサーベルを日常的に握っている者の手だ。

「不束者ですが、どうぞ末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ」

 そのまましばらく見つめ合っていたふたりだったが、先に手を離したのはブラッドフォード中尉の方だった。慌てて床に落ちていたシャツを拾ってノエルの肩にかける。
 そして「早く服を着てください」と真っ赤になって言った。
 そのときも真顔だったから、この人はこんなときも無表情なんだなぁとノエルは思ったのだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

平民男子と騎士団長の行く末

きわ
BL
 平民のエリオットは貴族で騎士団長でもあるジェラルドと体だけの関係を持っていた。  ある日ジェラルドの見合い話を聞き、彼のためにも離れたほうがいいと決意する。  好きだという気持ちを隠したまま。  過去の出来事から貴族などの権力者が実は嫌いなエリオットと、エリオットのことが好きすぎて表からでは分からないように手を回す隠れ執着ジェラルドのお話です。  第十一回BL大賞参加作品です。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

白い結婚だと思っていたら、(溺愛)夫にガブガブされて、番になっていたようです

まんまる
BL
フレア王国の第3王子シルティ(18歳.Ω)は、王宮騎士団の団長を務める、キーファ侯爵家現当主のアリウス(29歳.α)に、ずっと片想いをしている。 そんなシルティは、Ωの成人王族の務めとして、自分は隣国のαの王族に輿入れするのだろうと、人生を半ば諦めていた。 だが、ある日突然、父である国王から、アリウスとの婚姻を勧められる。 二つ返事でアリウスとの婚姻を受けたシルティだったが、何もできない自分の事を、アリウスは迷惑に思っていないだろうかと心配になる。 ─が、そんなシルティの心配をよそに、アリウスは天にも登る気持ち(無表情)で、いそいそと婚姻の準備を進めていた。 受けを好きすぎて、発情期にしか触れる事ができない攻めと、発情期の記憶が一切ない受けのお話です。 拗らせ両片想いの大人の恋(?) オメガバースの設定をお借りしています。ぼんやり設定です。 Rシーンは※つけます。 1話1,000~2,000字程度です。

陰気な令息は騎士の献身に焦がれるも、光の王子に阻まれる

マジ卍
BL
憧れの騎士を観察していただけなのに。光り輝く完璧王子が、シャツを脱ぎ捨て「俺じゃダメなの?」と迫ってきました。

本当にあなたが運命なんですか?

尾高志咲/しさ
BL
 運命の番なんて、本当にいるんだろうか?  母から渡された一枚の写真には、ぼくの運命だという男が写っていた。ぼくは、相手の高校に転校して、どんな男なのか実際にこの目で確かめてみることにした。転校初日、彼は中庭で出会ったぼくを見ても、何の反応も示さない。成績優秀で性格もいい彼は人気者で、ふとしたことから一緒にお昼を食べるようになる。会うたびに感じるこの不思議な動悸は何だろう……。 【幼い頃から溺愛一途なアルファ×運命に不信感を持つオメガ】 ◆初のオメガバースです。本編+番外編。 ◆R18回には※がついています。 🌸エールでの応援ならびにHOTランキング掲載、ありがとうございました!

「出来損ない」オメガと幼馴染の王弟アルファの、発情初夜

鳥羽ミワ
BL
ウィリアムは王族の傍系に当たる貴族の長男で、オメガ。発情期が二十歳を過ぎても来ないことから、家族からは「欠陥品」の烙印を押されている。 そんなウィリアムは、政略結婚の駒として国内の有力貴族へ嫁ぐことが決まっていた。しかしその予定が一転し、幼馴染で王弟であるセドリックとの結婚が決まる。 あれよあれよと結婚式当日になり、戸惑いながらも結婚を誓うウィリアムに、セドリックは優しいキスをして……。 そして迎えた初夜。わけもわからず悲しくなって泣くウィリアムを、セドリックはたくましい力で抱きしめる。 「お前がずっと、好きだ」 甘い言葉に、これまで熱を知らなかったウィリアムの身体が潤み、火照りはじめる。 ※ムーンライトノベルズ、アルファポリス、pixivへ掲載しています

庶子のオメガ令息、嫁ぎ先で溺愛されています。悪い噂はあてになりません。

こたま
BL
男爵家の庶子として産まれたサシャ。母と二人粗末な離れで暮らしていた。男爵が賭けと散財で作った借金がかさみ、帳消しにするために娘かオメガのサシャを嫁に出すことになった。相手は北の辺境伯子息。顔に痣があり鉄仮面の戦争狂と噂の人物であったが。嫁いだ先には噂と全く異なる美丈夫で優しく勇敢なアルファ令息がいた。溺愛され、周囲にも大事にされて幸せを掴むハッピーエンドオメガバースBLです。間違いのご指摘を頂き修正しました。ありがとうございました。

処理中です...