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第二章 夏
第六話*
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カフェの中でそんな不埒なことと思ったのがいけなかったのかもしれない。
店を出てもう少しどこかで時間を潰そうということになった。夕食には少々早く、糖みつパイを食べたお腹はあまり減っていなかった。公園に行くか、それとも百貨店で買い物をするか。そう問いながら、ヴィンセントがノエルの隣に立って、少し背中をかがめた。
背の高いヴィンセントと小柄なノエルでは、立ったままでは会話がしにくいのだ。
ヴィンセントはいつも必死で顔を上げるノエルを気遣って、顔を近づけてくれる。
途端、ヴィンセントが驚いたように目を瞠った。そしてノエルの首元に鼻を近づけて、はっと息を呑む。
「ノエル、体調は悪くないか?」
「え? そんなことないですけど……」
ヴィンセントの意図が分からず、ノエルは首を傾げた。
しかし、言われてみれば身体が熱い気がする。意識すると途端に顔が上気して、胎の奥がじわりと変な熱を持っていることに気がついた。糖みつパイを食べ過ぎたのだろうか。
「匂いが強くなっている」
「匂い?」
なんの、とノエルが問う前にヴィンセントが「フェロモンだ」と硬い声で言った。
そんな馬鹿な、と思う。だって、ノエルはフェロモンが出ていないはずだ。
「でも俺、ずっとフェロモンが出なくて。医者にも診てもらったことがあります」
「それは准将閣下からも聞いているが……。しかし、初めてオルグレン家の屋敷で会ったときから、ノエルはいい匂いがした」
ヴィンセントは、旦那さまたちがどうしてノエルの匂いが分からないのか不思議でならない、と言った。ノエルからすればそちらの方が驚きだ。
「ヒートが来るかもしれない。早く屋敷に帰ろう」
ぐいと手を引かれて、ノエルは慌ててヴィンセントの後を追いかける。
ふたりで並んで歩くとき、ヴィンセントはノエルの歩幅に合わせてくれる。しかし、今はそんな余裕はないのだろう。早足の彼に合わせて、ノエルは小走りになってしまった。背が高い彼は足も長いのだ。
ヴィンセントは一刻も早く家に帰りたいようだった。
結果として、その判断は正解だったと言わざるを得ない。
なぜならば、ノエルは道中ですっかり発情してしまったからだ。生まれて初めてのヒートがやって来たのだ。
「ノエル、大丈夫か」
ヴィセントの声に焦燥が滲む。
道端で歩けなくなったノエルを、ヴィンセントは抱きかかえて運んでくれた。
やっとのことで玄関までたどり着いて、そのままふたりしてへたり込んでしまった。ヴィンセントもまた、ノエルのフェロモンに当てられているようだった。
「なんか、すごく熱いです……」
ノエルはヴィンセントの腕の中で身悶えた。
身体の中がとても熱くて、肌がひどく敏感になっていた。普段から着ている質素な綿の服が、触れるだけでびりびりと不思議な感覚が湧いてくる。脱いでしまいたい、とノエルは自らの釦に手をかけた。
「待て、ノエル。せめて寝室に行こう」
欲に濡れた声で止められて、ノエルはヴィンセントを見た。
澄んだ緑色の瞳は興奮しているのかほんのり赤みがかっていた。瞳孔が開いて、ぎらぎらと光っている。
「ん……」
いい匂いがして、ノエルの熱がさらに上がる。目の前にある薄い唇に吸い付こうと少しだけ伸び上がれば、その動きに合わせてノエルの後孔から何かがどろりと溶けだした気がした。
「ヴィンスさん……キスしたい……」
「ノエル」
このまま玄関で脱がされなかったのは、ヴィンセントが強靭な精神力で耐えてくれたからだ。突然のヒートとはいえ、初体験が玄関で、というのはあんまりだと思ったのかもしれない。
ねだったとおりに与えられた口づけに酔いしれていると、再び身体を抱きかかえられた。そのまま荒い足取りで階段を上がって、ヴィンセントは二階の一番奥の部屋にノエルを運び込んだ。
そこはヴィンセントの寝室だった。
掃除のときしか入らない主人の寝室は、この屋敷の中で最も豪華な造りをしている。
大きな寝台と重厚な机。置かれている調度品は深い色をしたくるみ材で揃えられており、オイルで艶やかに磨き上げられている。天蓋や寝台にかかる布は紺色で、上品で洗練されていた。
ヴィンセントはその紺色の布の上にノエルをそっと寝かせた。
「怖くないか」
「うん……?」
訊ねられた意味が分からず、ノエルはヴィンセントを見つめ返した。
怖いわけがない。目の前にいるのはヴィンセントだ。
ノエルのたったひとりの夫で、とても優しい人。
ノエルはこの人が絶対に自分に乱暴をしないことを知っている。
「この部屋が嫌ならば、すぐに移動しよう」
「……? 嫌じゃないです」
答えた自分の声がびっくりするくらい甘くて、ノエルは驚いた。
けれど、それ以上に熱くてたまらなかった。
触って欲しい。早く脱がせてほしい。たぶん、熱に浮かされたようにノエルはそう口にしていたと思う。ヴィンセントが顔を赤く染めて、手を伸ばしてきた。
大きな手が慎重にノエルの服の釦を外していく。同時に、熱い手のひらが直接肌に触れてくるのだから堪らない。
ヴィンセントに触られたところ全てが痺れたような甘い快感に変わっていく。
「あっ、あ……っ」
あえかな声がノエルの唇から漏れる。誘うように、媚びるように艶やかなそれは、間違いなくアルファの理性を溶かすための甘い毒だ。
耐えかねたようにヴィンセントがノエルに口づける。柔らかく唇を食んで、舌で口腔内と舐め上げた。舌と舌を擦り合わせるのは毎夜やっていることなのに、今日はヒートのせいか、いつもよりもずっと興奮して、ノエルは思わず自らの両膝を擦り寄せた。
お互いの唾液がとても甘くて、飲み込むとまるで酩酊しているようにふわふわと気分が高揚していくのだ。それに合わせて胎の奥が疼くと同時に、前もまた緩やかに兆し始めていた。
「触るぞ」
「はいっ、ぁん、ん、ッ」
ノエルが頷くと、ヴィセントは胸の飾りをきゅっと摘まんだ。
痩せて骨が浮いた貧相なノエルの胸に、ぽつりとあるふたつとの突起。普段は気にもしないそれが真っ赤になって、つんと立ち上がっている。
「ひっ」
「痛いか?」
「いた、いたくないですっ」
痛くない。くすぐったくもない。
触れられて感じたのは間違いなく快感だ。初めてのことに腰が震えて、涙が滲んだ。
店を出てもう少しどこかで時間を潰そうということになった。夕食には少々早く、糖みつパイを食べたお腹はあまり減っていなかった。公園に行くか、それとも百貨店で買い物をするか。そう問いながら、ヴィンセントがノエルの隣に立って、少し背中をかがめた。
背の高いヴィンセントと小柄なノエルでは、立ったままでは会話がしにくいのだ。
ヴィンセントはいつも必死で顔を上げるノエルを気遣って、顔を近づけてくれる。
途端、ヴィンセントが驚いたように目を瞠った。そしてノエルの首元に鼻を近づけて、はっと息を呑む。
「ノエル、体調は悪くないか?」
「え? そんなことないですけど……」
ヴィンセントの意図が分からず、ノエルは首を傾げた。
しかし、言われてみれば身体が熱い気がする。意識すると途端に顔が上気して、胎の奥がじわりと変な熱を持っていることに気がついた。糖みつパイを食べ過ぎたのだろうか。
「匂いが強くなっている」
「匂い?」
なんの、とノエルが問う前にヴィンセントが「フェロモンだ」と硬い声で言った。
そんな馬鹿な、と思う。だって、ノエルはフェロモンが出ていないはずだ。
「でも俺、ずっとフェロモンが出なくて。医者にも診てもらったことがあります」
「それは准将閣下からも聞いているが……。しかし、初めてオルグレン家の屋敷で会ったときから、ノエルはいい匂いがした」
ヴィンセントは、旦那さまたちがどうしてノエルの匂いが分からないのか不思議でならない、と言った。ノエルからすればそちらの方が驚きだ。
「ヒートが来るかもしれない。早く屋敷に帰ろう」
ぐいと手を引かれて、ノエルは慌ててヴィンセントの後を追いかける。
ふたりで並んで歩くとき、ヴィンセントはノエルの歩幅に合わせてくれる。しかし、今はそんな余裕はないのだろう。早足の彼に合わせて、ノエルは小走りになってしまった。背が高い彼は足も長いのだ。
ヴィンセントは一刻も早く家に帰りたいようだった。
結果として、その判断は正解だったと言わざるを得ない。
なぜならば、ノエルは道中ですっかり発情してしまったからだ。生まれて初めてのヒートがやって来たのだ。
「ノエル、大丈夫か」
ヴィセントの声に焦燥が滲む。
道端で歩けなくなったノエルを、ヴィンセントは抱きかかえて運んでくれた。
やっとのことで玄関までたどり着いて、そのままふたりしてへたり込んでしまった。ヴィンセントもまた、ノエルのフェロモンに当てられているようだった。
「なんか、すごく熱いです……」
ノエルはヴィンセントの腕の中で身悶えた。
身体の中がとても熱くて、肌がひどく敏感になっていた。普段から着ている質素な綿の服が、触れるだけでびりびりと不思議な感覚が湧いてくる。脱いでしまいたい、とノエルは自らの釦に手をかけた。
「待て、ノエル。せめて寝室に行こう」
欲に濡れた声で止められて、ノエルはヴィンセントを見た。
澄んだ緑色の瞳は興奮しているのかほんのり赤みがかっていた。瞳孔が開いて、ぎらぎらと光っている。
「ん……」
いい匂いがして、ノエルの熱がさらに上がる。目の前にある薄い唇に吸い付こうと少しだけ伸び上がれば、その動きに合わせてノエルの後孔から何かがどろりと溶けだした気がした。
「ヴィンスさん……キスしたい……」
「ノエル」
このまま玄関で脱がされなかったのは、ヴィンセントが強靭な精神力で耐えてくれたからだ。突然のヒートとはいえ、初体験が玄関で、というのはあんまりだと思ったのかもしれない。
ねだったとおりに与えられた口づけに酔いしれていると、再び身体を抱きかかえられた。そのまま荒い足取りで階段を上がって、ヴィンセントは二階の一番奥の部屋にノエルを運び込んだ。
そこはヴィンセントの寝室だった。
掃除のときしか入らない主人の寝室は、この屋敷の中で最も豪華な造りをしている。
大きな寝台と重厚な机。置かれている調度品は深い色をしたくるみ材で揃えられており、オイルで艶やかに磨き上げられている。天蓋や寝台にかかる布は紺色で、上品で洗練されていた。
ヴィンセントはその紺色の布の上にノエルをそっと寝かせた。
「怖くないか」
「うん……?」
訊ねられた意味が分からず、ノエルはヴィンセントを見つめ返した。
怖いわけがない。目の前にいるのはヴィンセントだ。
ノエルのたったひとりの夫で、とても優しい人。
ノエルはこの人が絶対に自分に乱暴をしないことを知っている。
「この部屋が嫌ならば、すぐに移動しよう」
「……? 嫌じゃないです」
答えた自分の声がびっくりするくらい甘くて、ノエルは驚いた。
けれど、それ以上に熱くてたまらなかった。
触って欲しい。早く脱がせてほしい。たぶん、熱に浮かされたようにノエルはそう口にしていたと思う。ヴィンセントが顔を赤く染めて、手を伸ばしてきた。
大きな手が慎重にノエルの服の釦を外していく。同時に、熱い手のひらが直接肌に触れてくるのだから堪らない。
ヴィンセントに触られたところ全てが痺れたような甘い快感に変わっていく。
「あっ、あ……っ」
あえかな声がノエルの唇から漏れる。誘うように、媚びるように艶やかなそれは、間違いなくアルファの理性を溶かすための甘い毒だ。
耐えかねたようにヴィンセントがノエルに口づける。柔らかく唇を食んで、舌で口腔内と舐め上げた。舌と舌を擦り合わせるのは毎夜やっていることなのに、今日はヒートのせいか、いつもよりもずっと興奮して、ノエルは思わず自らの両膝を擦り寄せた。
お互いの唾液がとても甘くて、飲み込むとまるで酩酊しているようにふわふわと気分が高揚していくのだ。それに合わせて胎の奥が疼くと同時に、前もまた緩やかに兆し始めていた。
「触るぞ」
「はいっ、ぁん、ん、ッ」
ノエルが頷くと、ヴィセントは胸の飾りをきゅっと摘まんだ。
痩せて骨が浮いた貧相なノエルの胸に、ぽつりとあるふたつとの突起。普段は気にもしないそれが真っ赤になって、つんと立ち上がっている。
「ひっ」
「痛いか?」
「いた、いたくないですっ」
痛くない。くすぐったくもない。
触れられて感じたのは間違いなく快感だ。初めてのことに腰が震えて、涙が滲んだ。
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