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第三章 秋
第六話
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「そうだな。オルグレン大尉からは、ノエルをちゃんと幸せに出来ているのか、と言われた」
「えぇ?」
ヴィンセントが口にした内容にノエルは驚いた。
「幸せだって言いましたよ、ちゃんと」
庭で話したときに、ノエルは何度も幸せだ、とエドガーに伝えた。だから、心配しないで欲しいとも。
ノエルが眉根を寄せると、ヴィンセントが宥めるようにノエルの額に口づけた。柔らかい唇がそっと触れて、すぐに離れていく。
「ノエルからだけではなく、私の口からも聞きたかったのではないだろうか。でも、オルグレン大尉は分かっていらしたよ。そうでなければ、夜間列車に乗って東部を発たれている。――君を連れて」
そういえば、エドガーは「ノエルが少しでも元気がなかったら、帝都に連れて帰るつもりだった」と至極真面目な顔をして言っていた。
「連れて帰らなくてもよさそうだと、昼は言われていましたよ」
「私にも同じことを言われた。どうやら、お許しをいただけたらしいな」
くすくすとノエルが笑えば、ヴィンセントも内緒話をするようにノエルに顔を近づけた。
他愛ない会話が嬉しくて、体温を感じられる距離感が愛おしかった。
「許すも何も、俺が東部に来たのは旦那さまの勧めがあったからなのに」
「オルグレン大尉と弟さんは最後まで反対していたのでは?」
「セドリックさまは軍人さんが嫌なのだと言っていました。だから、誰がお相手でも反対されたんです。エドガーさまはヴィンスさんのことを元から知っていて、反対する理由がなかったと」
「そうか。それでも、弟のことが心配なのだとおっしゃっていた。ノエルは愛されているな」
「愛?」
ヴィンセントの言葉に、ノエルはきょとんと目を丸くする
親愛。家族愛。
ノエルがオルグレン家の人々に感じる「愛」にはそういう名前がつく。それと同じでセドリックやエドガーがノエルに抱いているものも「家族愛」だ。
では、ヴィンセントに対してはどうなのだろう。親愛でも家族愛でもない、もっと別の何か。それをノエルはこれまで知らなかった。けれど、ちゃんと分かりたいと思うのだ。
そう考えたときにすとん、とノエルの心の中に落ちてきたものがあった。
急に視界が開けた気がして、ノエルは何度も瞬きをした。
ようやく分かった。やっと気づいた。
「ノエル? どうした?」
動揺するノエルの様子に、ヴィンセントが訝しむ。
精悍な顔つきが心配そうに歪んで、切れ長の瞳が一身にノエルを見つめた。
その視線を受けて、ノエルの全身に言葉に出来ない何かが湧き上がってくる。これが、たぶん愛だ。
「あの……、あの……」
握り合っていたヴィンセントの手をノエルはぎゅっと握り返した。
「俺、ヴィンスさんの番になりたいです」
心臓がどきどきと早鐘を打っていた。
ノエルはヒートが訪れたときから、ヴィンセントの番になりたかった。
そう思うのはどうしてなのか、理由を深く考えたことはない。伴侶なのだし、アルファとオメガだから、ヒートが来れば番になるものだと思い込んでいた。
けれど、その「望み」にはちゃんと理由があったのだ。
唐突なノエルの告白に、ヴィンセントが驚き目を瞠る。
「あなたが、好きだから」
ただの「好き」ではない。
他の人と並ぶことのない愛おしさと狂おしいほどの恋しさ。
初めて会ったとき、怖い人じゃなくて安堵した。最初は本当にそれだけだったのに。
いつの間に、こんなに大切に想うようになったのだろう。
握った手の温もりに、ノエルはああ、これだ、と思う。
大きくて硬くて、温かい、ヴィンセントの手だ。
この先、ノエルは誰に頭を撫でられても、誰と手を繋いでも、きっとこの手を求めるのだろう。この手だけが、ノエルを愛し満たしてくれるからだ。
「ノエル」
「はい」
「知っているかと思うが、私も君のことが好きだ。それは愛してるとか、愛おしいとか、そういう好きで、だからこそ何よりも大切にしたいと思う」
洋燈の明かりにヴィンセントの瞳が煌めいた。ゆらゆらと迷うように揺れるそれが、静かにノエルを映している。
「オメガは、一生に一度しか番を作れない」
「知っています。だから、旦那さまやセドリックさまはまだ番になってはダメだと」
「結婚する前に、私も同じことを言われた。いつかノエルが帝都に帰りたくなっても、番であれば帰れないからと」
「でも、俺はひとりで帝都には帰りません。ヴィンスさんとずっと一緒にいたいです」
「そうか……」
オメガが使い関係を結ぶ利点も欠点も何もかも分かったうえで、ノエルはヴィンセントと番になりたいと思う。
この人しかいらない。この人でなければ嫌だ。
「ヴィンスさんは、俺が番になるのは嫌ですか?」
立派なアルファであるヴィンセントと違って、ノエルはオメガとしても人としても瑕疵ばかりだ。
身体は傷だらけで貧相だし、寝室で一緒に寝られないし、ヒートだってこの前来たばかりだ。それでも、ヴィンセントはノエルがいいと言ってくれた。全てを受け入れ結婚してくれた。ノエルはそれを信じている。
「嫌なわけがないだろう。……前回も、どれほど私が我慢したと思ってるんだ」
「我慢しなくていいです。エドガーさまは、俺が望むのであれば俺とヴィンスさんでよく話し合って決めればいいと」
「それは、私も言われたな」
ヴィンセントが迷っているのは、番になることでノエルにだけ訪れる不都合を心配してのことだろう。
どこまでも優しくて、ノエルのことを考えてくれる。でも、だからこそノエルは彼のものになりたかったし、彼を自分のものにしたかった。
こんなに激しい感情が自分にあったことにノエルは驚いていた。
「まぁ、結局ヒートが来ないと番にはなれないが。私としては、結婚して最低でも一年は番になるつもりはなかったんだ。もともと、こんなに早くヒートが来るとも思っていなかった」
「では、番になるのは次の春ですか?」
「一年だとそうなるが……、どうしようか。まだ迷う時間はあるな」
次のヒート、つまり冬に番になるか、それともその先まで待つか。
どちらにせよ、ノエルのヒートは三か月ごとですぐに訪れるわけではない。
「これだけはちゃんと分かっていて欲しいんだが、私はノエルとゆくゆくは番になりたいと思っている。ノエルが私のことを想ってくれているのであればなおさら。だから、そう焦ることはないのではないかとも思う」
「はい」
「ずっと一緒にいてくれるんだろう?」
ヴィンセントがノエルを抱きしめた。頬に口づけられるとくすぐったくて、ノエルは目を眇める。
「もちろんです」
「愛している。初めて出会ったときから、どうしてこんなに好きなのか分からないくらい、ノエルのことが好きだよ」
真綿のようなヴィンセントの執着が心地いい。
ノエルは幸せな気分になって、逞しい胸に自らの頬を擦りつけた。
愛おしい、という言葉は、きっとヴィンセントのためにあるのだ。
「えぇ?」
ヴィンセントが口にした内容にノエルは驚いた。
「幸せだって言いましたよ、ちゃんと」
庭で話したときに、ノエルは何度も幸せだ、とエドガーに伝えた。だから、心配しないで欲しいとも。
ノエルが眉根を寄せると、ヴィンセントが宥めるようにノエルの額に口づけた。柔らかい唇がそっと触れて、すぐに離れていく。
「ノエルからだけではなく、私の口からも聞きたかったのではないだろうか。でも、オルグレン大尉は分かっていらしたよ。そうでなければ、夜間列車に乗って東部を発たれている。――君を連れて」
そういえば、エドガーは「ノエルが少しでも元気がなかったら、帝都に連れて帰るつもりだった」と至極真面目な顔をして言っていた。
「連れて帰らなくてもよさそうだと、昼は言われていましたよ」
「私にも同じことを言われた。どうやら、お許しをいただけたらしいな」
くすくすとノエルが笑えば、ヴィンセントも内緒話をするようにノエルに顔を近づけた。
他愛ない会話が嬉しくて、体温を感じられる距離感が愛おしかった。
「許すも何も、俺が東部に来たのは旦那さまの勧めがあったからなのに」
「オルグレン大尉と弟さんは最後まで反対していたのでは?」
「セドリックさまは軍人さんが嫌なのだと言っていました。だから、誰がお相手でも反対されたんです。エドガーさまはヴィンスさんのことを元から知っていて、反対する理由がなかったと」
「そうか。それでも、弟のことが心配なのだとおっしゃっていた。ノエルは愛されているな」
「愛?」
ヴィンセントの言葉に、ノエルはきょとんと目を丸くする
親愛。家族愛。
ノエルがオルグレン家の人々に感じる「愛」にはそういう名前がつく。それと同じでセドリックやエドガーがノエルに抱いているものも「家族愛」だ。
では、ヴィンセントに対してはどうなのだろう。親愛でも家族愛でもない、もっと別の何か。それをノエルはこれまで知らなかった。けれど、ちゃんと分かりたいと思うのだ。
そう考えたときにすとん、とノエルの心の中に落ちてきたものがあった。
急に視界が開けた気がして、ノエルは何度も瞬きをした。
ようやく分かった。やっと気づいた。
「ノエル? どうした?」
動揺するノエルの様子に、ヴィンセントが訝しむ。
精悍な顔つきが心配そうに歪んで、切れ長の瞳が一身にノエルを見つめた。
その視線を受けて、ノエルの全身に言葉に出来ない何かが湧き上がってくる。これが、たぶん愛だ。
「あの……、あの……」
握り合っていたヴィンセントの手をノエルはぎゅっと握り返した。
「俺、ヴィンスさんの番になりたいです」
心臓がどきどきと早鐘を打っていた。
ノエルはヒートが訪れたときから、ヴィンセントの番になりたかった。
そう思うのはどうしてなのか、理由を深く考えたことはない。伴侶なのだし、アルファとオメガだから、ヒートが来れば番になるものだと思い込んでいた。
けれど、その「望み」にはちゃんと理由があったのだ。
唐突なノエルの告白に、ヴィンセントが驚き目を瞠る。
「あなたが、好きだから」
ただの「好き」ではない。
他の人と並ぶことのない愛おしさと狂おしいほどの恋しさ。
初めて会ったとき、怖い人じゃなくて安堵した。最初は本当にそれだけだったのに。
いつの間に、こんなに大切に想うようになったのだろう。
握った手の温もりに、ノエルはああ、これだ、と思う。
大きくて硬くて、温かい、ヴィンセントの手だ。
この先、ノエルは誰に頭を撫でられても、誰と手を繋いでも、きっとこの手を求めるのだろう。この手だけが、ノエルを愛し満たしてくれるからだ。
「ノエル」
「はい」
「知っているかと思うが、私も君のことが好きだ。それは愛してるとか、愛おしいとか、そういう好きで、だからこそ何よりも大切にしたいと思う」
洋燈の明かりにヴィンセントの瞳が煌めいた。ゆらゆらと迷うように揺れるそれが、静かにノエルを映している。
「オメガは、一生に一度しか番を作れない」
「知っています。だから、旦那さまやセドリックさまはまだ番になってはダメだと」
「結婚する前に、私も同じことを言われた。いつかノエルが帝都に帰りたくなっても、番であれば帰れないからと」
「でも、俺はひとりで帝都には帰りません。ヴィンスさんとずっと一緒にいたいです」
「そうか……」
オメガが使い関係を結ぶ利点も欠点も何もかも分かったうえで、ノエルはヴィンセントと番になりたいと思う。
この人しかいらない。この人でなければ嫌だ。
「ヴィンスさんは、俺が番になるのは嫌ですか?」
立派なアルファであるヴィンセントと違って、ノエルはオメガとしても人としても瑕疵ばかりだ。
身体は傷だらけで貧相だし、寝室で一緒に寝られないし、ヒートだってこの前来たばかりだ。それでも、ヴィンセントはノエルがいいと言ってくれた。全てを受け入れ結婚してくれた。ノエルはそれを信じている。
「嫌なわけがないだろう。……前回も、どれほど私が我慢したと思ってるんだ」
「我慢しなくていいです。エドガーさまは、俺が望むのであれば俺とヴィンスさんでよく話し合って決めればいいと」
「それは、私も言われたな」
ヴィンセントが迷っているのは、番になることでノエルにだけ訪れる不都合を心配してのことだろう。
どこまでも優しくて、ノエルのことを考えてくれる。でも、だからこそノエルは彼のものになりたかったし、彼を自分のものにしたかった。
こんなに激しい感情が自分にあったことにノエルは驚いていた。
「まぁ、結局ヒートが来ないと番にはなれないが。私としては、結婚して最低でも一年は番になるつもりはなかったんだ。もともと、こんなに早くヒートが来るとも思っていなかった」
「では、番になるのは次の春ですか?」
「一年だとそうなるが……、どうしようか。まだ迷う時間はあるな」
次のヒート、つまり冬に番になるか、それともその先まで待つか。
どちらにせよ、ノエルのヒートは三か月ごとですぐに訪れるわけではない。
「これだけはちゃんと分かっていて欲しいんだが、私はノエルとゆくゆくは番になりたいと思っている。ノエルが私のことを想ってくれているのであればなおさら。だから、そう焦ることはないのではないかとも思う」
「はい」
「ずっと一緒にいてくれるんだろう?」
ヴィンセントがノエルを抱きしめた。頬に口づけられるとくすぐったくて、ノエルは目を眇める。
「もちろんです」
「愛している。初めて出会ったときから、どうしてこんなに好きなのか分からないくらい、ノエルのことが好きだよ」
真綿のようなヴィンセントの執着が心地いい。
ノエルは幸せな気分になって、逞しい胸に自らの頬を擦りつけた。
愛おしい、という言葉は、きっとヴィンセントのためにあるのだ。
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