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第三章 秋
第八話 ヴィンセント
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「だいたい、ノエルはまだ十九ですし」
「オメガとしてはそう若すぎることもないけどね」
「それは、そうですが……」
結婚も番契約も、全てがアルファの都合で行われる。
オメガは年若いうちから結婚して、その人生をアルファに捧げることを求められる。――それが、これまでのオメガの生き方だった。
けれども、ヴィンセントとしてはノエルには幸せでいて欲しいのだ。
彼が望むように生きて欲しい。番になるにせよ、ならないにせよ、もっとじっくりと考えて欲しかった。ヴィンセントが全て決めて彼を従えるのではなく、ノエル自身にも選択肢があるべきだと思っていた。
そうエドガーに告げると、彼は「ふぅん」と気のない返事をした。
「でもねぇ、私が知る限りでノエルが自ら何かを望んだのはこれが初めてだよ」
「え?」
エドガーの言葉にヴィンセントは瞬いた。
そんなことはないだろう、と思う。だって、ノエルはあんなに能動的だ。
屋敷の仕事を生き生きとこなし、庭の手入れも掃除や洗濯も楽しそうにやっている。
やりたいことをやりたいようにやっていいとヴィンセントが許可したから、彼は自由に動き回っていた。
けれど、エドガーはそれは違うと言う。
「今のノエルは、全てこの十年で私たちが勧めたことで出来ているんだよ。あの子が下働きの仕事を好むのは、オルグレン家に来たばかりで人形のようだったあの子の姿に心を痛めた使用人たちが、あの子の自己肯定感を少しでも高めようとした結果だよ。父と相談しあの子のやれることを少しずつ教えて、たくさん褒めていた。だから、ノエルは『働くと人が喜ぶ』と思っている。刺繍だって、心を落ち着けるのにいいかもしれないと母が勧めた」
ノエルが好んで行っていることが、本当に彼の好きなことなのか分からないのだとエドガーは言った。オルグレン家に来る前の彼が、本来何を好きで何が嫌いだったのかも分からない。
「売られた先で、ノエルはそれまでの人格を全て白紙に戻されてしまったんだ。『ノエル』という名前すら、本名なのか分からないくらいに」
エドガーを始めとしたオルグレン家の人々が、傷ついて自我を失ったノエルを少しずつ「人間」に戻した。その結果が、あの明るくて働き者のノエルだ。
ヴィンセントが見た限り、ノエルは確かに自己肯定感が低い。自分を卑下するわけではないが、そこはかとなく「自分でいいのだろうか」と思っている気配を感じるのだ。
ノエルがヴィンセントのもとに来てくれたのは、ヴィンセントがそう望んだからで、オルグレン准将が許可を出したからだ。それ以上でも、それ以下でもなかった。これまでは。
「でもね、今日あの子ははっきりと『君と番になりたい』と言っていたよ。むしろ、この前のヒートで番になれるものだと思っていたのに、皆から反対されて残念がっているようだった」
「反対……」
「うちの家族も君と同じ考えなんだよ。そのうち番になるかもしれないけど、まだ早いってこと」
「反対」という言葉に反応したヴィンセントに、エドガーが笑う。ノエルにとって、オルグレン家の意向は、ヴィンセントの気持ちよりも重いはずだ。
「でもね、私としては一番大事なのはノエルの気持ちだと思うんだよね。あの子が初めて自分から『なりたい』って言ったんだ。それって、すごいことだよ。だから、しっかり話し合って欲しい。――それは、君にしか出来ないことだから」
ノエルの十年を支えたエドガーの言葉はとても重いものだ。
ノエルへ結婚を申し込んだとき、ヴィンセントはオルグレン准将に彼のこれまでを全て理解し、これからをともに歩く覚悟があるのか、と問われた。彼のふたりの息子たちよりも、ノエルを幸せにしなければいけない。
もちろん、その覚悟があってヴィンセントはノエルと結婚した。
だが、やはりオルグレン家の人々には敵わない。昨日、エドガーの来訪を喜ぶノエルを見て、そう実感したばかりだった。ヴィンセントでは、どうしても足りないものがあると思っていたけれど。
「『家族』じゃ出来ないことってあるんだよね」
ぽつり、とエドガーが言う。そこに滲む確かな寂しさに、ヴィンセント目を瞠る。
自分にしか出来ないこと。エドガーたちでは出来なかったことをヴィンセントであれば、出来ると言うのだろうか。
「私の出来ることなど、たかが知れています。ノエルの心身が健やかなのは、大尉や准将閣下が心を砕いて来られたからですし、その根幹には大尉たちがいらっしゃいますし」
「そんなことは分かっているよ。君はスコーンで言うところのクロテッドクリームなんだよ」
ノエルのという小麦粉にバターと砂糖いう愛情をたっぷり混ぜて、焼き上げた。
オルグレン家はそのバターと砂糖、それからオーブンだとエドガーは言う。
「小麦粉をスコーンの形にするのが私たちの役割だった。それからの仕上げが、君の仕事だ。それはクロテッドクリームにしか出来ない」
なくても食べられなくはないけれど、一緒に食べると数倍美味しくなる。ヴィンセントはノエルにとってそんな存在らしい。
「あの子の人生を、彩ってあげられるのは君だけだよ」
そう言って、エドガーが目を細めた。
伴侶として、アルファとして、全てを与えてやりたいと思っていた。
ノエルにとって東部での生活が満ち足りていて、いつも笑顔で過ごせるようにと考えていたけれど、自分の行動がノエルの中にどう響いているかをヴィンセントはあまり考えたことがなかった。
それが結果として、こうやって花開いている。
ノエルに会いたいと思った。
さっきまで一緒にいて話をしていたのに、もう彼に会いたい。
顔を見て話したい。きっともうノエルは寝ているだろうけれども。
「まぁ、東部に来てよかったよ。ノエルの顔を見られただけじゃなくて、いい土産話が出来た。……そのせいで今度弟が押しかけたら申し訳ない」
「いえ、そうなればノエルが喜びますから」
ヴィンセントの答えに、エドガーは「そうか」と息を吐く。
その顔は兄の顔そのものだった。
「オメガとしてはそう若すぎることもないけどね」
「それは、そうですが……」
結婚も番契約も、全てがアルファの都合で行われる。
オメガは年若いうちから結婚して、その人生をアルファに捧げることを求められる。――それが、これまでのオメガの生き方だった。
けれども、ヴィンセントとしてはノエルには幸せでいて欲しいのだ。
彼が望むように生きて欲しい。番になるにせよ、ならないにせよ、もっとじっくりと考えて欲しかった。ヴィンセントが全て決めて彼を従えるのではなく、ノエル自身にも選択肢があるべきだと思っていた。
そうエドガーに告げると、彼は「ふぅん」と気のない返事をした。
「でもねぇ、私が知る限りでノエルが自ら何かを望んだのはこれが初めてだよ」
「え?」
エドガーの言葉にヴィンセントは瞬いた。
そんなことはないだろう、と思う。だって、ノエルはあんなに能動的だ。
屋敷の仕事を生き生きとこなし、庭の手入れも掃除や洗濯も楽しそうにやっている。
やりたいことをやりたいようにやっていいとヴィンセントが許可したから、彼は自由に動き回っていた。
けれど、エドガーはそれは違うと言う。
「今のノエルは、全てこの十年で私たちが勧めたことで出来ているんだよ。あの子が下働きの仕事を好むのは、オルグレン家に来たばかりで人形のようだったあの子の姿に心を痛めた使用人たちが、あの子の自己肯定感を少しでも高めようとした結果だよ。父と相談しあの子のやれることを少しずつ教えて、たくさん褒めていた。だから、ノエルは『働くと人が喜ぶ』と思っている。刺繍だって、心を落ち着けるのにいいかもしれないと母が勧めた」
ノエルが好んで行っていることが、本当に彼の好きなことなのか分からないのだとエドガーは言った。オルグレン家に来る前の彼が、本来何を好きで何が嫌いだったのかも分からない。
「売られた先で、ノエルはそれまでの人格を全て白紙に戻されてしまったんだ。『ノエル』という名前すら、本名なのか分からないくらいに」
エドガーを始めとしたオルグレン家の人々が、傷ついて自我を失ったノエルを少しずつ「人間」に戻した。その結果が、あの明るくて働き者のノエルだ。
ヴィンセントが見た限り、ノエルは確かに自己肯定感が低い。自分を卑下するわけではないが、そこはかとなく「自分でいいのだろうか」と思っている気配を感じるのだ。
ノエルがヴィンセントのもとに来てくれたのは、ヴィンセントがそう望んだからで、オルグレン准将が許可を出したからだ。それ以上でも、それ以下でもなかった。これまでは。
「でもね、今日あの子ははっきりと『君と番になりたい』と言っていたよ。むしろ、この前のヒートで番になれるものだと思っていたのに、皆から反対されて残念がっているようだった」
「反対……」
「うちの家族も君と同じ考えなんだよ。そのうち番になるかもしれないけど、まだ早いってこと」
「反対」という言葉に反応したヴィンセントに、エドガーが笑う。ノエルにとって、オルグレン家の意向は、ヴィンセントの気持ちよりも重いはずだ。
「でもね、私としては一番大事なのはノエルの気持ちだと思うんだよね。あの子が初めて自分から『なりたい』って言ったんだ。それって、すごいことだよ。だから、しっかり話し合って欲しい。――それは、君にしか出来ないことだから」
ノエルの十年を支えたエドガーの言葉はとても重いものだ。
ノエルへ結婚を申し込んだとき、ヴィンセントはオルグレン准将に彼のこれまでを全て理解し、これからをともに歩く覚悟があるのか、と問われた。彼のふたりの息子たちよりも、ノエルを幸せにしなければいけない。
もちろん、その覚悟があってヴィンセントはノエルと結婚した。
だが、やはりオルグレン家の人々には敵わない。昨日、エドガーの来訪を喜ぶノエルを見て、そう実感したばかりだった。ヴィンセントでは、どうしても足りないものがあると思っていたけれど。
「『家族』じゃ出来ないことってあるんだよね」
ぽつり、とエドガーが言う。そこに滲む確かな寂しさに、ヴィンセント目を瞠る。
自分にしか出来ないこと。エドガーたちでは出来なかったことをヴィンセントであれば、出来ると言うのだろうか。
「私の出来ることなど、たかが知れています。ノエルの心身が健やかなのは、大尉や准将閣下が心を砕いて来られたからですし、その根幹には大尉たちがいらっしゃいますし」
「そんなことは分かっているよ。君はスコーンで言うところのクロテッドクリームなんだよ」
ノエルのという小麦粉にバターと砂糖いう愛情をたっぷり混ぜて、焼き上げた。
オルグレン家はそのバターと砂糖、それからオーブンだとエドガーは言う。
「小麦粉をスコーンの形にするのが私たちの役割だった。それからの仕上げが、君の仕事だ。それはクロテッドクリームにしか出来ない」
なくても食べられなくはないけれど、一緒に食べると数倍美味しくなる。ヴィンセントはノエルにとってそんな存在らしい。
「あの子の人生を、彩ってあげられるのは君だけだよ」
そう言って、エドガーが目を細めた。
伴侶として、アルファとして、全てを与えてやりたいと思っていた。
ノエルにとって東部での生活が満ち足りていて、いつも笑顔で過ごせるようにと考えていたけれど、自分の行動がノエルの中にどう響いているかをヴィンセントはあまり考えたことがなかった。
それが結果として、こうやって花開いている。
ノエルに会いたいと思った。
さっきまで一緒にいて話をしていたのに、もう彼に会いたい。
顔を見て話したい。きっともうノエルは寝ているだろうけれども。
「まぁ、東部に来てよかったよ。ノエルの顔を見られただけじゃなくて、いい土産話が出来た。……そのせいで今度弟が押しかけたら申し訳ない」
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その顔は兄の顔そのものだった。
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