ノエルの結婚

仁茂田もに

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第四章 冬

第一話

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 秋にやってきたエドガーは予定通り、次の日の朝にはブラッドフォード邸から去って行った。
 もう少し頻繁に返事を書くから、と言った彼は、セドリックと同じくらいの頻度で手紙を送って欲しいとねだった。断る理由もなかったので、ノエルはエドガーの望み通りにしている。
 今日も他愛ない日常を綴った三通の手紙に封蝋を押して、さぁ、と立ち上がった。

「マーサ、ちょっと郵便局に行ってくるね」
「まぁ、ノエルさま。お手紙でしたら今日は私が出しに行きますよ。私どもはそのまま帰りますので、旦那さまが帰って来られるまではお屋敷から出てはいけません」
 上着を着て、マーサに声をかけると慌てた様子で引き留められた。

 マーサの手伝いで、厨房に入っていたロバートも同じ顔をして頷いている。

「でも、まだ何ともないから」
「何ともないけれど、突然始まるのがヒートなのでしょう? あの旦那さまが、今日はノエルさまを外に出すなとおっしゃったのですから、これは相当なことです」
「う、そうかもしれないけど」

 基本的にヴィンセントはノエルに甘い。ちょっと甘すぎるんじゃないか、とノエル自身が思ってしまうほど、何でも許可してくれる。もちろん、普段は郵便局にだって行き放題だ。
 しかし、今日は駄目だ、と予め言いつけられていた。マーサの言葉どおり、いつノエルのヒートが始まるか分からない時期だからだ。
 半年前、初めてヒートが来たノエルは、この冬で三回目のヒートを迎えようとしていた。
 ヒートの周期は多くの場合三、四か月で来るものだが、個人差が大きいものだ。早いものは九十日周期だったり、長いと半年に一度だったりもして、慣れるまでは予想がつかないものだった。
 前回はちょうど三か月で訪れた。多少の前後はあるかもしれないが、ノエルのヒートはそれくらいの周期なのだろう。昨日が前回のヒートから数えて三か月目だった。
 数日分の保存食を用意してくれたマーサが、ノエルに「絶対に外に出てはいけませんからね」と言い含めて帰って行った。

 ヴィンセントはまだ帰らない。
 しんと静まり返った屋敷の中で、ノエルはすることもなくぽつんと居間の長椅子に座っていた。刺繍をする気もならず、かといって編み物の気分でもない。
 外は雪が降っていた。東部の冬は帝都に比べると幾分か過ごしやすい。帝都のように道が凍って物流が止まったり、全てを覆う雪の除雪に必死になる必要もなかった。しかし、それでも雪は積もる。
 冬枯れの庭が雪化粧に染まっている。門から出た通りには、近所の子どもたちが作ったのか、雪だるまが数体並んでいた。ノエルはそれを見て、無性に雪遊びがしたいと思った。

 オルグレン家にいた頃は、雪かきを手伝うのが冬の日課だった。肌を指すような寒い空気の中、もこもこに綿の入った上着を着て行うのだ。雪は重く重労働で、何時間も続けていると汗だくになってくる。そのときの火照った頬に当たるひやりとした風や指先がかじかむほどの雪の冷たさが恋しかった。
 冷え切った窓にノエルは手を当てた。
 外気の冷たさが硝子を伝わって、てのひらが氷に触れたように冷たくなる。
 しかし、ノエルは冷たさが心地よかった。身体がほかほかと温かくて、頭が妙にぼんやりする。

「……?」

 立っているのが辛いような気がした。
 せっかく窓が冷たくて気持ちがよかったのに、どうにも足が震えてしまう。窓から離れて椅子に身体を横たえれば、何だが胎の奥が気持ち悪い。
 その感覚に、ノエルはもしかして、と思い至る。

「ヒートの、前兆……?」

 医者が言うには、ヒートの始まりにも個人差があるらしい。
 何もなかったのにいきなり激しい性的衝動に駆られ、フェロモンが爆発する者もいれば、徐々に、それこそ雪が降り積もるように数日前から予兆があって、じわじわとヒートが始まる者もいる。
 今のノエルは、その中間あたりにいそうだった。
 まだ本格的なヒートではない。耐えられないほど激しい疼きではないし、ヴィンセントを待つことも出来る。でも、経験の浅いノエルには、ここからどんなふうにヒートが進んでいくのかが分からない。

 前回は、気がついたらヒートが始まっていて、いつの間にかヴィンセントに抱かれていた。
 記憶が曖昧でよく覚えていないのだ。ただ、その直前に感じていたのは少し熱っぽいなというくらいで、今のような甘い疼きを自覚することはなかった。もしかしたら、ちょうどヴィンセントが一緒にいたから、彼の存在でヒートが誘発されて突然始まったように感じたのかもしれない。
 そんなことを取り留めなく考えながら、ノエルは長椅子の上で何度も寝返りをうった。
 息が上がる。布に水が沁み込むように、全身にヒートの熱が広がっていく。

 ヴィンセントはまだ帰らないのだろうか。
 首が苦しくて、ノエルは項を守るための首輪を外した。付け慣れているはずのそれが、今はいやに重たくて圧迫感があった。帝都にいた頃は、絶対に外してはいけないと言われていたから、こうやって自分から外すだなんて想像したこともなかった。でも、これはもういらないものなのだ。
 ふたりで話し合った結果、ノエルとヴィンセントは次のヒートで番になろうか、ということでまとまっていた。
 まだ早いのではないか、とヴィンセントは最後まで迷っていたけれど、最終的にノエルの希望を叶えてくれる形で納得してくれた。
 次のヒートで番になるのも、一年後のヒートで番になるのも、結果としては何も変わらない。ただ、ノエルはずっとヴィンセントと一緒にいるだけだ。

「ヴィンスさん……」

 脳裏にヴィンセントの優しい声が聞こえる。
 大きな手で頭を撫でてもらいたい。頬に、額に口づけて欲しい。
 じわじわ、じわじわ、とヒートに思考が侵食されているようだった。

「……足りない」

 ぽつりと呟いて、ノエルは身体を起こした。
 何が足りないのか自分でもよく分からなかった。しかし、何かが足りない。それだけは分かる。
 強くそう感じて、部屋の中をきょろきょろと見回す。ヴィンセントがいない。それは仕方がない。早めに帰ってくると言っていたけれど、まだまだ帰る時間帯ではないのだから。
 だったら、彼の代わりに「何か」でこの空洞を埋めなくては。

 心の中にヴィンセントの形をした大きな虚がある。本当は彼本人で埋めたいけれど、それが出来ない。
 そういうとき、他のオメガたちはどうしているのだろうか。ふと疑問に思ったけれど、答えてくれる声は当然存在しないので、自分で何とかするしかなかった。
 ぼんやりと熱に浮かされた顔で立ち上がったノエルは、居間から出て屋敷の奥へと足を向ける。
 どこかにあるはずだ、と思った。
 だってこの屋敷の中にはそのが確かにある。惹かれるままに、ふらふらとノエルは階段を上がって、廊下を進んだ。

「ここ……」

 ノエルが立ち止まったのは、この屋敷で一番豪華な部屋—―つまり、屋敷の主人の寝室だった。
 誘われるように扉を開けると、中からふわりと濃密なヴィンセントの匂いがした。
 アルファのフェロモン。ヒート中のオメガを酩酊させる、番の香りだ。
 どこが一番濃いのだろう。ヴィンセントが毎夜寝ている寝台だろうか。それとも、彼がいつも座っている長椅子だろうか。そう考えて、いや、と首を横に振る。
 どちらも捨てがたいが、一番いい匂いがするのは衣裳部屋だ。
 広い寝室の隣に設えられている衣裳部屋から、得も言われぬいい匂いが漂ってくる。あそこに「巣材」がある。

 寝室に足を踏み入れても、ノエルはまったく怖くなかった。
「ここ」は「あの部屋」と同じような見た目をしているけれど、大丈夫だと本能がノエルに告げていたからだ。だって、ここで待っていれば、絶対にヴィンセントが来てくれる。
 ヴィンセントがいれば、何も恐ろしいことなんて起こらない。だって、あの人の腕の中はこの世界で一番安全な場所だ。
 それにこれまでやってきた二回のヒートは、どちらもこの部屋で一緒に過ごした。

 ヒートには番の匂いがなければ駄目だ。この匂いに包まれるからこそ、こんなにも幸せなのだ。
 だからこそ、ノエルはヴィンセントが帰ってくるまでに、巣をつくらなければいけない。
 立派な巣を作って、番を迎えるのはオメガとしての義務のようなものだ。巣を見たら、きっとヴィンセントも喜んでくれる。上手に出来たな、と褒めてくれるはずだ。
 衣裳部屋の扉にノエルは手をかけた。

 ――ああ、いい匂いがする。

 そう思った瞬間、ぷつり、とノエルの意識は途切れた。


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