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2. 虐げられ王女の孤独
しおりを挟む「アリシア! 何度言ったら分かるの⁉︎ 淑女たるもの、食事をあんなに多く摂っては駄目よ! 本当に卑しい子!」
ピシリという高い音が王妃の居室に響き、同時にアリシアのうめき声が小さな口から低く漏れた。
いつものように乗馬用の短鞭で腹を叩かれたアリシアは、熱く広がる痛みに歯を食いしばって堪える。
今日は公務でいつもより多く歩き回った。そのせいでまだ成長盛りのアリシアは空腹に耐えかね、許されている食事量以上を口に運んでしまったのだ。
「ごめんなさい、おかあさま」
それでも食べたのは、アリシア用に出された食事のたった半分だ。普段は三分の一しか食べるのを許されていない。それ以上口にすれば、こうして食事の後に王妃カーラからの叱責を浴びる。
「もっとコルセットを締めるように女官長に言っておかないといけないわね! そうすれば自然とお腹も空かなくなるでしょう。いいわね?」
「……はい」
「はぁ……本当にお前の顔を見ているだけで私はすっかり食欲が失せるというのに、よくもまぁあんなにガツガツと食べられるものだわ」
頬に手をやり、大袈裟な身振りで溜め息を吐く王妃に対し、アリシアは身を固くして直立不動の姿勢のまま視線だけを床に落とす。
正直なところまだまだ空腹感はあったが、お陰で王妃の小言も短鞭の鋭い痛みも、今ここで腹が鳴らないようにとそればかり考えていればやり過ごせた。
王妃はアリシアが何も言い返さないのをいい事に、次々と侮辱の言葉を並べ立てる。
「卑しいのは母親似かしら? だって死んだお前の母親は平民の踊り子ですものね。身分不相応に陛下の愛を賜って、私より少し先にお前を産んだお陰で国母になった女。そんなはしたない女の娘だもの。卑しくて当然だわ」
ほほほ、と高らかな笑い声を上げながら、王妃は短鞭をもう一振りし、アリシアの肩を打った。
「……ッ!」
痛いとは決して口にしてはいけない。口にすれば尚更王妃の機嫌を損ね、この苦痛の時間が長引くのだから。
アリシアは肩と腹に走る焼けるような痛みに堪える為、再び歯を食いしばる。
「お前が産まれてくれたお陰であの女は死んだから良かったけれど、賢くて優しいロランがこの国の国王になれないのは不憫だと思わない?」
「申し訳……ありません」
「本心からそう思うのならば、さっさと死んでくれないかしら? お前が自害すれば、陛下もお前のせいで苦しまなくてもすむのよ。私だって、こんな風にお前を叱りつけなくてすむわ」
「……っ、それは……」
王妃は言葉に詰まるアリシアの反応を見て心底愉しんでいるようだった。
ラヴァル王国が国教としている教えでは、自害は最も重い罪だ。神から与えられた命を粗末に扱い、自害の道を選んだ人間は永久の時を苦しむと言われている。
「ふふふ……そうしてくれたらこんな回りくどいやり方をしなくてもいいのだけれど」
アリシアはただ黙って俯くしか出来なかった。
王妃がアリシアの食事を極端に制限するのも、命の糧を少なくする事でその寿命を少しずつ削ろうという意図がある。
王妃はまだ十歳のアリシアに自分の言葉の意味が十分には理解出来ていないだろうと侮っているが、アリシアはしっかり理解できていた。
けれども抗う事は許されない。
アリシアは、身近な大人達に疎まれる王女だったからだ。そのせいで一国の王女とは思えないほど自尊心が低く育ってしまった。
大人に反抗するどころか常に自分を責め、自らの不甲斐なさに落ち込む日々……育ち盛りにも関わらずひどく痩せ細った身体も相まって、顔立ちは整っているのに暗く陰気な印象の王女だった。
「もういいわ。出て行きなさい」
「はい、お義母さま」
一通り叱りつけて気が済んだのか、王妃はアリシアをひと睨みしてから部屋を出て行くように命じる。
手に持った短鞭をポイッと床に投げ捨てた王妃は、すっかりアリシアから興味を無くしたようで、壁際に控えていた王妃付きの女官達に入浴すると告げた。
女官達は皆人間らしさというものを捨てたかのように無表情で、幼い頃からアリシアは彼女達が生きた人間ではなく不思議な力で動く人形だと思っていた。
王妃に折檻されている時、誰も目を合わせようとせず、助けようともしてくれないのも、彼女達は人形だから仕方ないのだと自分に言い聞かせて、心を守ろうとしていたのかも知れない。
王妃の居室を出たアリシアは、短鞭で叩かれて痛む肩と腹を押さえながら自室に戻った。
途中、泣き顔のアリシアに気付く大人達と幾度もすれ違ったが、誰も彼女に理由を聞いたりしない。衛兵や女官、侍従達は、王女アリシアという存在がまるでそこに無いかのように振る舞うのだ。
「痛……っ」
アリシア付きの女官達は王妃の部屋から戻った主を無言で浴室に連れて行く。そこでドレスを剥ぎ取るようにして乱暴に脱がせると、拾って来た犬や猫でも洗うかのように雑に体を洗った。
短鞭で打たれた部分は赤くみみず腫れになっていたが、女官達は気にする事なくゴシゴシと強く磨く。アリシアが王妃の機嫌を損ねる度に、彼女達も女官長に注意を受けるので、その腹いせだろう。
「う……痛い……」
堪らずアリシアが訴えるも、女官達は顔を見合わせてニヤニヤとほくそ笑む。おおよそ主に対する態度とは思えないが、そのような事もこの王城内では常態化していた。
「それではゆっくりとおやすみなさいませ」
お決まりの文句を口にして女官達が下がった後、アリシアはやっと腹の底から呼吸が出来るような気がした。
「はあ……」
仰向けに寝転がった寝台からバルコニーのある窓の方へと視線を向ける。
女官の一人が乱暴にカーテンを引いたせいで、カーテンとカーテンがきちんと合わさっていない。お陰で夜空に散らばる星や形の歪な月がよく見えた。
「明日はロランとキャスリンとのお茶会……」
弟のロランはまだしも、宰相の愛娘であるキャスリンの事がアリシアは昔から苦手だった。何故かいつもアリシアをきつく睨みつけ、口を開けば何かと意地悪を言うのだ。
三人は歳が近い事もあり、国王とその忠臣である宰相の意向により、幼い頃から度々顔を合わせては交流を図っている。
その事に王妃はあまりいい顔をしなかったが、国王は政略結婚で夫婦となった王妃カーラよりも、乳兄弟でもある宰相の方を重用していたのでその交流は未だに続けられているのだった。
「大人達よりはマシよね。こんな私とも話をしてくれるのだから」
自分を居ない者として無視する大人達を前にするよりは、たとえ常に嫌味ばかり口にするのだとしても、弟のロランや幼馴染とも言えるキャスリンと過ごす方が余程自分らしくいられる。
アリシアはそう自分に言い聞かせ、明日の茶会に臨むのだった。
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