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7. かつての約束(アレクサンドルside)
しおりを挟むそれはまだ、アリシアが生まれる前のことだ。ラヴァル王国の王妃マリアは、緑が多く風に乗って爽やかな香りが鼻をくすぐる庭園に佇んでいた。
淡い金色の髪が風に揺れ、優雅なドレスの裾が静かに波打つ。頬を撫でる暖かな風が心地良く、このまま昼寝をしたいほどだ。
かつて踊り子だった頃、穏やかな陽射しの中で草むらに寝転がり、昼寝をしていた日々を思い出す。
王妃となった今では決して許されない、贅沢な思い出だった。
「……アレクサンドル」
マリアはふと顔を上げ、庭の入り口に立つ義弟の姿を見つける。
軍務の合間を縫って王宮を訪れたアレクサンドルは、相変わらずきっちりと着こなされた軍服姿のまま、静かに彼女のもとへ歩み寄る。
「お呼びですか、王妃殿下」
「ええ、少し話したいことがあって」
マリアは微笑みながら、傍にある石のベンチを示した。しかし王妃である彼女の隣に並んで座るなど、本来なら許されない。
だが、マリアは決して格式ばった言い方をせず、ただ「話したい」と言うだけだった。
それが彼女の優しさであり、人を惹きつける魅力だった。
言う事を聞くまで決してマリアは折れないと知っているアレクサンドルは静かに腰を下ろし、彼女の横顔を見つめる。マリアはいつものように穏やかに微笑んでいたが、その眼差しの奥には深い影があった。
「私、お腹の子が女の子だとわかったの」
「……そうですか」
アレクサンドルは驚きながらも、どこか胸騒ぎを覚えた。愛する我が子の事を話すマリアの声が、なぜかもの寂しげに感じたからだ。
「……王は、あまり喜んでいないのでは?」
その問いに、マリアは決して微笑みを崩さなかった。
「ええ。でも、それは仕方のないことよ。この国は、男子を求めるもの」
国王は彼女を愛していた。しかしそれ以上に、「王位を継ぐ男児」を望んでいた。愛が大きければ大きいほど、期待も大きくなる。
「……殿下、それでも王は……」
「ねえ、アレクサンドル」
アレクサンドルの言葉を遮るようにして、優しく義弟の名を呼ぶ声が、風に乗って届く。
マリアはそっと、自分の膨らんだお腹に手を当てた。その仕草は、これから生まれてくる娘を心から慈しむものだった。
「この子が生まれたら、もしかすると……私はもう、自分の手でこの子を守れないかも知れない」
アレクサンドルは息を呑んだ。
「何を……言っているんですか」
「わからない……でも、嫌な予感がするのよ。踊り子として各地を回っていた時、出産で命を落とした仲間もいたし、同じような女性の話を聞いているわ。だからかしら……不安なの」
その言葉はまるで未来を見通していたかのような、やけに通る声だった。
アレクサンドルは思わずマリアの手を取る。後ろめたい感情などはないが、周囲から誤解される恐れはあった。それでも、今手を取らねばならないという焦りに突き動かされた。
「……大丈夫です。兄上はあなたを心から愛しています。ですから、生まれてくる姫君だってきっと……」
「それでも、お願い」
マリアはまたアレクサンドルの言葉を遮るようにして強く懇願し、義弟の手をギュッと握り返した。
その手は驚くほど温かく、しかしどこか儚い印象を与えるものだったので、アレクサンドルは胸がざわつくような嫌な不安を掻き立てられる。
「この子が、どんな未来を歩むことになっても……どうか守ってあげて」
「殿下……それは……」
「アレクサンドル、私はあなたを実の弟のように思ってるの。本当の弟は流行病で小さい頃に死んでしまったから、大きくなったらあなたような人になったのかしらと思っているのよ」
だからこそ頼めるのだと、マリアは穏やかに言った。柔らかな風が二人の頬を撫でる。
「この子を、どうか助けてあげて」
その言葉を、アレクサンドルは決して忘れなかった。そうして数ヶ月後、二人が抱いた不安は現実となる。マリアは出産の際、呆気なくこの世を去ったのだった。
最愛の王妃の死は国王の心を深く傷付け、その痛みは本来守るべき生まれた娘への強い憎しみの感情に変わった。彼は心が強くなかったのだ。
アリシアがどれだけ愛を求めても、父は彼女を冷たく突き放す。ひどく理不尽だった。
だからこそアレクサンドルは、自ら憎まれ役を買って出る。兄王に愛されなかった姪は、狡猾で野心家の宰相がいいように扱う傀儡にしようと企んでいた。
それだけではない。恐れ多くも国家の乗っ取りをも考え、いつかアリシアを傷付けて自らが国を支配する野望さえ持つような危険な男だ。
アレクサンドルは宰相ジェロムの側についたふりをし、影からアリシアを守り続ける事を決めた。そうでもしなければ狡猾な宰相は、いつ内密にアリシアの命を狙うか分からないからだ。
近くにいて信用させる事で、誰よりも用心深く、ずる賢い宰相の行動を把握する。そして抑制するのが役目だった。
それでもしアリシアに憎まれようとも、軽蔑されようとも構わないと思った。実の姉のような存在であるマリアに誓った約束だけは、決して破ることはできなかったのだから。
「アリシア、こうする事でしかお前を守れない不器用な叔父を許せ」
誰よりも自分に厳しく、禁欲的に身を持するアレクサンドルは、宰相による悪事を目の前にしても直接的に手を出せない葛藤を抱えている。
しかし密かに裏で上手く立ち回る事で、この国を影から守り続けていた。
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