形だけの女王ですが英雄が王配となって溺愛してきます!〜虐げられ姫の幸せな婚姻〜

蓮恭

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10. 優しい風が吹く頃に

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 テオバルトがアリシアの居室を訪れてから少し経ったある日のこと。
 
 政務の合間に面会に来たテオバルトと共に庭を訪れたアリシアが、そこに咲いた小さな青い花を見つけたのは偶然だった。  
 庭師が植えた訳ではない、名も知らない野の花は、恐らく鳥達が種を運んできた物だろう。
 誰にも気付かれず咲いているその花は、周りに咲き誇る派手な花に比べて地味で、小さく、茎は細く頼りない。
 それがまるで自分みたいに思えて、アリシアはそっと手に取った。

(野の花はどうしてこんなに強いのかしら。世話をして貰っている訳でもない、望まれてここに来た訳でもないのに、一生懸命花を咲かせている)

 近くに控えているテオバルトは、何も言わずにそんなアリシアの行動をただじっと見ていた。
 彼はアレクサンドルの命で軍務の合間にアリシアの元を訪れ、婚姻の儀までに少しは交流を深めろと言われているらしい。
 だからと言って何をするわけでもなく、アリシアの行くところに付き添い、適当な時間が来れば帰るというのがいつものパターンだ。

「……よろしければ、どうぞ」

 アリシアにとって、それは精一杯の歩み寄りだった。もうすぐ夫となる相手への小さな一歩。
 強く愛し愛される夫婦になるのは難しくとも、せめて平穏な日々を送れたらと願うアリシアの行動は、とてつもない勇気が必要だった。

(受け取ってくれるかしら。この私に似た花を)

 アリシアの胸は苦しいほどに高鳴っていた。期待と不安、ぐちゃぐちゃになって心がかき混ぜられている。

「……そういうの……慣れてないんですよ」

 瞬間、心が沈んだ。差し出した手が宙に浮いたまま、ゆっくりとアリシアの胸元へ戻っていく。

「……いいんです。そうですよね、男の人が花だなんて、おかしいですよね。私が勝手に……」

 笑わなきゃいけないと思った。きっと気まずくさせてしまったと。
 人との触れ合いに慣れていないアリシアは、どうやって他人と距離を縮めたら良いか分からないのだ。
 真っ白で、純粋な心。つい自分によく似た花を、相手の気持ちを考えもせず差し出してしまった。

(呆れられた……)

 テオバルトの顔は見られない。地面だけを見つめ、小さな青い花束をきゅっと抱きしめる。ふわりと漂う春の匂いは、苦くて切なかった。

 それからますますテオバルトに言葉をかけるのが怖くなった。また冷たい目をされたらどうしよう。また、拒まれてしまったら……と。

(やっぱり嫌われているのかもしれない)

 そもそも二人の婚姻は、アレクサンドルと宰相が決めたものでしかないのだからとアリシアは思い直す。
 もともと単なる政略結婚でしかなく、テオバルトに至っては上官の命令に従っているだけなのだ……と。

 そんな二人の間には相変わらず弾んだ会話などなく、その日も重苦しい時間を過ごして別れた。

 

 翌日は曇っていて、薄い灰色の雲が空を覆っていた。  
 雨が降るかもしれないと思いながら、それでもアリシアは足を止められなかった。王宮の喧騒も、女官たちの無遠慮な視線も、今日だけは見えない、聞こえないふりをして。

 中庭の片隅、小さな花壇に咲いた青い花を一つ一つ摘んでいた。小ぶりで可愛らしい青の花束にして胸元に抱えると、その香りがかすかに鼻先をくすぐる。  
 昨日テオバルトに渡そうとして断られた、あの花だった。

(あの人は、決して優しくないわけじゃない。私を打ったりしないし、酷い言葉を投げつける事もしない)

 他人との距離の縮め方を知らないアリシアが、たった一言の拒絶に勝手に傷付いただけ。
 アリシアは自分がまるで子どもみたいに思えて、情けなく感じていた。

 やがて、紫色の瞳から次々と滲み出てくる涙が頬に流れ、顎を伝う。ポトリ、と手の中の花に落ちた雫を、雨かと思った。しかしそれは紛れもなく自分の涙だと気付く。

(こんな風にしている自分が、一番惨めだわ)

 そっとその場にしゃがみ込む。もう少し、もう少ししたら涙を止めるから、それまでは誰にも泣き顔を見られないように。誰にも泣いている事を気付かれないように。

 しかし、ここで一つ誤算があった。

「……何やってんですか」

 低くて、どこか困ったような声が響く。思わず顔を上げると、そこにいつもの軍服姿のテオバルトがいた。片手に外套を引っかけ、アリシアのすぐ近くに立っている。
 
 すると次の瞬間、一瞬迷うようにしたテオバルトの手が、しゃがみ込むアリシアの頭の上に置かれた。

「……女王陛下ともあろう方が、そんなとこで泣かないでくださいよ」

 その言葉に、アリシアは慌てて涙を拭った。けれどどうしてもすぐには止まらなくて、何度も目元を擦る。

「す、すみません……ごめんなさい……っ、私……」

 狼狽からアリシアの声は震えていた。とにかく謝る言葉しか浮かばなかった。女王らしからぬ行動を取った事を、怒られると思ったからだ。

(ああ、また軽蔑されてしまう)

 するとテオバルトは自らの短い黒髪をガシガシと乱暴に掻き、チッと小さく舌打ちをする。
 アリシアは身を小さく縮こませて、硬くした。

「違いますよ。謝るのはこっちの方です」

 はぁ、とため息を吐いた後に発したテオバルトの声が、今度は静かだった。

「もし泣いている理由が昨日の事なら、俺が悪かった……です。別に陛下を泣かせるつもりなんてなかったんですよ」

 アリシアは目を見開いた。テオバルトがそんなことを言うなんて、思ってもみなかったからだ。何故か胸がドキドキと高鳴って、テオバルトの顔をまともに見られず、そっと目を伏せる。

(嫌われてない、の……?)

 ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。  

 この時テオバルトは華奢で、自分の何倍も孤独そうな女の震える肩を、涙を、黙って見ていられないのだという風に、真っ直ぐな視線をアリシアに向ける。
 決して口には出されずともアリシアはそれをひしひしと感じていて、気恥ずかしい気持ちと情けない気持ちでいっぱいなった。

 そして他人に向けて芽生えた、初めての温かな感情に気付く。

(ああ、この気持ちは……何という感情かしら)
 
 あまりに人との関わりに不器用なアリシアは、こんな時どうすればいいかなんて分からない。
 けれどテオバルトを前にすると心がひどく苦しく、切なくて堪らないのに何故か幸せなこの感情は、きっと悪いものではないのだと本能で分かった。

「……今日は肌寒いし、陛下みたいにか弱い人はすぐ風邪をひきますよ。帰りましょう」

 テオバルトはそうぶっきらぼうに言って、アリシアの肩に自分の外套をかける。その行動があまりにさりげなくて、アリシアは感謝の声すら出せなかった。
 他人に優しくされる事に慣れないアリシアにとって、全てが新鮮で全てが未知の事なのだ。

 二人の間に、ほんの少しだけ優しい風が吹いた気がした。
 
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