形だけの女王ですが英雄が王配となって溺愛してきます!〜虐げられ姫の幸せな婚姻〜

蓮恭

文字の大きさ
27 / 40

27. ロランの決意

しおりを挟む

 夜気に包まれた庭の片隅に、男女三人の影が浮かび上がっていた。
 自身の馬を急かして駆け抜けてきたロランの息はまだ荒く、慌てて馬から降り、乱れた外套の裾が風に揺れている。
 そんなロランの視線の先には、ドレスに血を纏わせたアリシアの姿があった。

「アリシア」

 随分と久しぶりに呼ばれた気がして、アリシアはロランに向かって微笑んだ。
 傍らに立つテオバルトが、身を引くようにしてアリシアの肩から手を下ろす。今ここで姉と弟の会話を邪魔する気はないというように。

「ロラン……」

 アリシアがそう呼びかけると、ロランはほんのわずかに目を伏せた。
 
 幼い頃、誰よりも優しく、誰よりも孤独だった姉。その孤独を知っていながら、表立って手を差し伸べることができなかったのは——ロラン自身の弱さだったと、その顔に後悔の念が滲んでいる。

「母上が……すまない。僕は……僕は……」

 ロランの声は掠れていた。そこには単なる怒りでも、悲しみでもない。不甲斐なさ、後悔、心の痛みなど様々な感情が入り混じっているのがまざまざと感じられた。
 
 たった一人の母との血の繋がり、それゆえに強く出られなかった自分。けれど、どうしようもなく心を縛る姉弟の血の繋がりが、ロランの言葉に影を落としていた。

 王太后カーラ。冷ややかで美しく、強かにして執拗。上昇志向の強い彼女の眼差しの先にあるのは常に『王冠』であり、その為にアリシアは邪魔だった。
 
 だからロランもまた、愛する姉を『邪魔ものの娘』として扱わねばならなかった。幼い頃からそう言い聞かされ、そんな態度を強いられ続けてきたのだ。

 ——本当は、いつだって味方でいたかったのに。

 ロラン自身は母の寵愛を受け、臣下の注目を浴び、あわよくば王位をという甘い囁きを常に聞かされるうち、次第に自分がどちらの側に立つべきかを見失っていった。
 第二子として生まれた自分の存在が、誰かを傷つけるための『道具』になっていると気付いていながら、彼はこれまで目を背け続けたのだ。
 
 王宮から飛び出し、叔父の元で軍人として務める事で、決して王位には興味がないと暗に知らせ続けてきたのも、ロランにしてみればアリシアを守る為に出来る最大限の努力だった。

 けれど今、血濡れで傷付いたアリシアがそこにいる。その身体を覆う埃や血の痕に、姉が母のせいでどれだけの苦しみを味わったのかが、言葉よりも雄弁に語っている。

「僕は……母のやり方を知ってた。何となく気付いてたのに、結局何もできなかった」

 震えるロランの声に、アリシアが目を見開いた。彼は姉の前に歩み寄ると、ぎこちなく片膝をつくようにして、顔を俯ける。まるで赦しを請うように。

「いつだって本当はお前を守りたかった。けど……どうすればよかったのか、ずっと……分からなかった」

 その言葉には、長い年月をかけて心に積もった葛藤と、自責と、ほんのわずかな希望が滲んでいた。
 アリシアはしばらく黙っていたが、やがてそっと膝を折り、子どもの頃よりもすっかり逞しくなったロランの肩に手を置く。

「私はあなたを責めた事なんて……本当に、たったの一度もなかったわ」

 夜風が木々を揺らし、静かに葉擦れの音が満ちる。カーラという母と、王位という宿命。
 その狭間で揺れるロランの心。そこへ今ようやく一筋の光が射したように、アリシアと同じ紫色の瞳に光が灯った。

「僕は……僕なりに責任を取るよ」

 ロランは涙声でそう言って、困ったような顔で笑った。

 女王拉致事件から一夜明けた王城。

 それは、百年に一度あるかないか。王命による突然の招集に何事かと集まったラヴァル王国の高位貴族達は、戸惑いを隠せなかった。
 
 ――国教である月の女神信仰の下では貴族も平民も平等である。
 しかし月の女神の教え自体は平等を唱えつつも、実際の統治においては王族と貴族達との結びつきが国の安定に必要不可欠だった。
 いつからかは不明だが、ラヴァルの王族は高位貴族への特権として、変わったものを与えるようになった。
 女神の教えに反しない程度の、しかし王族として最大限の譲歩を見せるそれは、王家にとって何か大きな変化や不測の事態を伴う際、彼らにだけは前もって知らせるという決まりごと。
 かつての王族のうち、誰がはじめたのかは分からない。けれどもそれは今の世も引き継がれている習わしだった。
 だからこそ、彼らに此度の事を全てを報告する義務が王家にはあったのだ。
 
 既に事情を知る官僚達は険しい顔つきで、広間の空気は重い。彼らの沈黙の中には、極度の緊張が張り詰めていた。

 ここに王太后カーラはいない。彼女はロランの手によって、王太后宮に囚われている。
 そして彼女の断罪は後日執り行われると決まっていた。

 まだ貴族達には知られていない、昨夜の凶行。女王拉致という前代未聞の事件の真相を語る為、皆の前に立ったのは、他でもない王弟ロランである。

「昨晩、女王陛下は亡き先代国王へ捧げる祈りの最中、突如現れた賊により拉致された」

 王国軍の軍服を見に纏ったロランの姿は、かつての少年の面影を微かに残しながらも、すでに一人の覚悟ある軍人としての凛とした風格を帯びている。
 その背筋は真っ直ぐに伸び、言葉一つ一つに揺るぎのない意志が滲む。

「そして、女王陛下を拉致するよう指示したのは……王太后カーラ。すなわち、私の実母による凶行だ」

 その一言に、集められた貴族達の間に先程よりも大きなどよめきが走る。

 ロランの目は伏せられなかった。あまりに近しい者が犯した罪――その全てを口にすることは、己の肉を裂くに等しい苦痛だ。それでも彼は語った。
 カーラがアリシアを連れ去るよう命じた事、その為にかつてカーラが生まれ育った屋敷が使用された事を。
 見えないふりをして見過ごしてきた多くの細かな兆候を、今ようやく『証拠』として言葉に変えたのだ。

「このような事件が起こったのも、全ては僕に王位継承権があるからに他ならない」

 それは幼い頃から母によって注がれてきた愛情の形であり、同時に、王位という名の毒でもあった。

「僕は、軍人だ。叔父であり軍帥であるアレクサンドル・ ル ・デュラス閣下に憧れて、この道を選んだ。そんな僕が母の罪に目を背けたまま、万が一にも王位に就く可能性を残すなんて、恥以外の何物でもない」

 ロランはゆっくりと深く息を吐いた。緊張ではなく、覚悟を伝える為に。

「よって、僕は王位継承権を放棄する。代わりにラヴァル王国に仕える身として、剣を取り、民を守る。それが僕の選んだ道だ」

 その宣言は、静かに、しかし確かに広間の空気を変えた。騒ぎ立てる者も、反論する者もいない。ただその背中に、王家の一員としての誇りと痛みが宿っていたからだ。

 拍手も、野次もない。ただ静かな同調。壇上から降りるロランをアリシアはそっと迎えた。

「……立派だわ。ロラン」

 それだけを言った。何も咎めず、ただ静かに、弟の決断を粛々と受け止めるように。

 アリシアにとって、ロランはいつだって『可愛い弟』だった。
 冷遇されてきた自分と対等に話してくれる、自分と何気ない言葉を交わしてくれる、可愛い弟。
 
 幼い頃からカーラに命じられ、冷たく装い続けたロランの本心を、きっとアリシアはどこかで理解していた。
 だからこそ今、彼がカーラの呪縛から解かれ、自らの道を選んだ事を心から誇りに思っていた。

 ロランは一瞬だけアリシアの目を見つめ、ほんのわずかに微笑む。そしてすぐにその表情を引き締め、軍人の顔に戻った。

 その背には、もうカーラの影はない。あるのはただ、己の信じる正義と、女王である姉への静かな敬意だけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

第3皇子は妃よりも騎士団長の妹の私を溺愛している 【完結】

日下奈緒
恋愛
王家に仕える騎士の妹・リリアーナは、冷徹と噂される第3皇子アシュレイに密かに想いを寄せていた。戦の前夜、命を懸けた一戦を前に、彼のもとを訪ね純潔を捧げる。勝利の凱旋後も、皇子は毎夜彼女を呼び続け、やがてリリアーナは身籠る。正妃に拒まれていた皇子は離縁を決意し、すべてを捨ててリリアーナを正式な妃として迎える——これは、禁じられた愛が真実の絆へと変わる、激甘ロマンス。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

処理中です...